15.新しい電子申請のあり方について
予習 ざるそば学園の起源について
これから起こりうることを、知ることが出来るのならば、その後の人生にとって有意義な事になるかもしれないが、起こりうることに備えてあらかじめ学ぶことが苦痛である限り、あらかじめ知り得た事実を生かすことが難しくなる。
だから私は、簡潔に述べることにする。
ざるそば学園の起源については、創設者が通っていた中学校の卒業文集にまで遡ることができよう。
私の将来
3年1組 長谷橋 真奈衣
いずれ明らかになる世界を、言葉によって説明することの意味について、いろいろと解説することは、水曜日の次の日が木曜日で、その次が金曜日であることを納得できない人間にくどくどと説明することのように、意味のないことですが、それらの法則を理解できない人々にある程度の解説を行うことによって得られる利益を考えれば、完全には無駄なことではないと思います。
我々の全てが幸せになれるという幻想が、物理的な面から保証できない理由により、破られて以降、人類は常に二つの選択肢を突きつけられてきました。ごく一部の人間だけが生存可能な社会にすることで、適正規模の生活環境を手に入れる選択肢か、あらかじめ生存可能な水準を引き下げることにより人口水準を維持する選択肢です。
いずれにしても、現状を甘んじて受け入れるのでしたら、やがて資源は底をつき、破壊的行動の果てに、いずれかの方法が選択されるでしょう。
それでもなお、新しい可能性を模索する事を否定するつもりはありません。私自身、わずかに新しい道を探し求めるため、様々な方法論の実践をおこなっていました。残念ながら、それらのいずれも私の存命中に成果を得ることはできないけれども。
しかしながら、本当に新たなる道へと進む方法論が存在するのであれば、未だに未熟な私にはその方法を入手するための研究機関が必要になります。ただし、中学卒業後に入学する既存の教育機関からそれを求めることは不可能です。なぜなら、前者は必要な方法論の確立が目的であるのに対して、後者は一定水準の学力を持った生徒を継続的に生産するのが目的であるからです。言うまでもありませんが、これらに優劣をつけることに意味はありません。
さて、現在存在しない研究機関を作るのに必要なものは、何でしょう。残念なことに与えられた文面では続きを書くことを許してはくれないようです。
よくもまあ、こんな内容で載せる事を学校が許したものだと私などは感心するが、とりあえず、かみ砕いて言えば、人類を何とかするために、新しい研究機関をつくることが将来の目的らしい。現に長谷橋は学校を卒業後、私立ざるそば学園を設立し、第1期生として法条和良が入学することになる。
カリキュラム 1 魔法を使ってみる
物語の始まりをどの時点にするかということは、人それぞれだが、長谷橋真奈衣と法条和良についての物語であれば、放課後の教室から始めるしかないのだろう。
自分がしでかした失敗を他人に伝える理由は、いろいろと考えることができるが、法条和良の場合、そのほとんどが失敗した損失分を他人に話すことで埋め合わせようとする代償行為であった。
法条が私立ざるそば学園に関わるきっかけについて話をする理由は、このような代償行為に他ならないと法条自身は確信しているようだった。
法条は誰もいない教室で本を読んでいた。中学生の時は図書室で本を読む習慣があったのだが、高校へ進学してからというもの、半ば大学受験生の自習室と化した図書室は、法条にとって敬遠するようになっていた。
入学して間もないころは、学校の授業内容についてゆくことを目的に図書室で自習をしていた。しかし、同様の考えを持つ生徒があまりにも多いため、勉強に集中することができず、結局教室で勉強する事になった。
しばらくすると、法条は自習することはやめたのだが、図書室にある本を読むときも教室で読むという習慣が始まり、現在へと至る。そんなある日のこと。
「ねぇ。何の本を読んでいるの」
法条は白衣を着た女性が目の前に現れたことに驚いた。
登場した女性は知っている。確か長谷橋真奈衣だ。眼鏡をかけなくてもはっきりとわかる。
だから、法条が驚いた内容は、彼女が白衣を身につけていることだった。
普段、長谷橋真奈衣は授業中のどのような場面においても、白衣を着たところを見たことがないからだ。何のためにわざわざ着替えているのだろう。そのような法条の考えを無視して、長谷橋は同じ質問を繰り返す。
「ねぇ。何の本を読んでいるの」
仕方がない。法条はそんな様子をしながら、本を長谷橋に見せつける。
魔法関係の本だ。たぶん。
たぶんと言ったのは、法条には理解できない理屈やら理論が列記されており、しかもそれらに対しての注釈の量も尋常ではないため、法条にとってこれが魔法を使用するための実用書になるかどうか判断できないからである。
「そう。あなた魔法が使いたいのね?」
長谷橋は何故かいたずらっぽい目で質問する。
「使えるのなら」
法条は気楽に答えた。
「こんな本なんか読んでも、使用方法なんか書いてあるわけがないわ」
長谷橋は断言する。
法条は思わずムキになって問いただす。
ではどうやって使用するのか、長谷橋は知っているのか。
「魔法が使いたいのなら、この魔法解析学講師の長谷橋に任せなさい」
魔法解析学の講師。長谷橋がそんな講師だとは初耳である。
「それは、あなたに話したのは初めてだから」
長谷橋は当然の感じで答える。
「……たしかに」
法条は念を押す。
「とにかく、本当に魔法が使えるのだな?」
「しつこいわね。この方法なら確実よ」
長谷橋は、白衣のポケットから、折り畳まれた紙を法条に手渡す。
「そんなの簡単よ。この書類に必要事項を記入すればいいの」
法条は丁寧に折り畳まれていた紙を開くと、上に書かれた文字を口にした。
「魔法使用許可願?」
法条は首をひねる。まさか、悪魔との契約書なのか。魂を引き替えに魔法が使えるとか。
「そんな、たいした内容じゃないわよ。ただの魔法使用許可願よ」
用紙には、使用目的、使用場所、使用期間などの項目が用意されていた。
記入項目の多さは、レンタルビデオ店の会員証の申し込み書よりも豊富だが、婚姻届ほどは多くないようだ。
ただ、左上にカッコ書きで書かれている(様式第666号)には、少し苦笑した。
「許可がいるのか?」
長谷橋は法条を馬鹿にしたように答える。
「当たり前じゃない。好き放題に魔法を使ったら、迷惑この上ないわ」
と言うことは、申請すれば魔法がつかえるのか。
「そうね。使用目的が校舎を破壊するとかでなければ、問題ないでしょう」
確かにそうだ。ガラスでも割ったりすれば賠償金も結構かかるだろうし。
「それに、事前の準備も必要だしね」
やっぱりいろいろ準備が必要なようだ。いろいろと質問したいこともあったがさすがに、これ以上馬鹿にはされたくないので法条は黙っていた。
「それに私は理事長でもあるのだし」
理事長?なじみのない言葉だな。
「あまりなじみがないかもしれないわね。公表したこともないし」
長谷橋は待ちわびたように話を切り出す。
「とにかく、申請するの?」
「ああ」
法条はそう話すと、机の中から筆記用具をとりだして、必要事項を記入する。
記入しているあいだ、教室は静かに時が過ぎていった。
「出来たのね」
長谷橋はそう言うと、法条が書き終えたばかりの書類を強引に取り上げ、しげしげと眺めると、一言。
「使用開始は明日の夕方で構わないかしら」
法条はうなずく。
「とりあえず、理事長権限で決裁にしておくわ」
長谷橋は胸ポケットからボールペンを取り出すと、後ろの部分のキャップを取り外し、理事長欄にスタンプを押印した。押された後には、くっきりと「はせはし」と表示されている。たぶん後でにじむな、これは。
「では明日、夕方視聴覚教室で」
そういって、長谷橋は去っていった。
法条はこの日の事を振り返るたびに、どうして長谷橋と関わってしまったのか後悔する。しかしこの日の法条は、魔法を使うことが出来る事への期待と不安で他の事を考える余裕など全くなかった。それに、法条が本当に後悔すべきなのは、この翌日の行動だったかもしれない。
そして、翌日の夕方。
法条と長谷橋は誰もいない視聴覚教室に集まっていた。
長谷橋は今日も白衣を身につけていた。ひょっとして白衣を身につけないと魔法は使えないのか。と法条は思ったが、古今東西、魔術師と自称していたものたちは、特に白衣を身につけてはいなかった事を思い出す。ただ評価対象としての魔術師があくまで、自称であるために、結論は保留するしかない。
長谷橋は座っていた机の上から立ち上がると、前触れも無く話し始める。
「まずは、机と椅子を後ろに移動して」
「どうしてですか?」
「邪魔だから」
「……僕一人で?」
「あなた、魔法を使いたくないの?」
法条は何も言わずに、一人で机と椅子を全て後ろに運んだ。
広くなった教室の中央で、長谷橋は法条に宣言する。
「さあ、準備が出来たようね。いつでもどうぞ」
しばしの沈黙。
「どうしたの。やる気が全然感じられないけど」
長谷橋は法条をにらみつける。
「いや、いつでもどうぞと言われても……」
「別にわたしの前だからって、遠慮する事はないのよ。ちゃんと秘密は守るから」
長谷橋は明らかに不思議そうな様子で法条を見つめる。
「ああ、そうか。」
長谷橋は一人納得した顔つきをして、
「威力の大きい魔法を使うので、教室が壊れないかと心配なのね。大丈夫よ、ちゃんと結界も張っているから、多少強力な奴でも問題ないわ」
法条はどうやら長谷橋が勘違いしていることに気がついた。
長谷橋の勘違いをただそうと声をかけようとしたそのとき、扉の向こう側から高らかな声が聞こえた。
「その通り。おかげで、君の所在を確認することが出来たよ。長谷橋君」
黒衣のマントをなびかせた長身の男が入室してきた。
「……暑くないですか?」
法条は長谷橋への質問は、ひとまずとっておくことにして、初対面の黒衣の男の服装について、心配そうに法条は質問する。
「私はいつだって冷静だ。そうだろう長谷橋君」
無視された格好になった法条は質問の意味を補足した。
「あの、服装について、質問したのですけど」
「やれやれ、この少年は最近の法衣の知識を知らないようだ」
黒衣の男は、心の底から呆れた表序をしながら説明を続ける。
「法衣の世界にも、技術革新が進んでね。割と通気性がいいのだよ。長谷橋君の白衣と一緒でね、君のようなどこの馬の骨ともわからない初心者水準の魔術なら、優しく包み込んでまもってくれるだろう」
と、ようやく黒衣の男は視線を法条の方にむける。
「そうか、君が長谷橋君の新しい従僕か」
「違うわよ」
「そんなものになったつもりはない」
法条はもちろん長谷橋も、心外だという感じで答える。
「もう少し、見込みがあると思ったのだが、残念ながら一般人のようだな」
黒衣の男は、しばらく、法条を値踏みするようにながめたあとで、
「そうか。しかしそちら側の人間なら容赦はしない」
黒衣の男はそう言い終わると同時に、何かを上に放り投げた。
放り投げた何かは、一瞬のうちに天井を突き刺し、すぐに、反射された感じで、強い光の束として周辺に降り注ぐ。
「ぐばな」
法条はたぶん、こんなかんじの擬音を発した。
無数の光の束が、法条の周りに突き刺さり、自分のお腹にも数本突き刺さっているのに気づく。しかし、それらは体内において異物感を持っているのにもかかわらず、痛みは存在しなかった。出血も見られない。
「長谷橋君。結界の腕を上げたようだね」
黒衣の男は賞賛の声をあげる。
長谷橋は澄ました顔でこたえる。
「一日かけて準備したからね。なにしろ、この人は自分の術式を教えてくれなかったし」
「なるほど、力場を凝縮した訳か。道理で、丁寧な力場の隠し方だと思ったよ。いずれにせよ長谷橋君。ここでは、君を殺せない。別の機会にするとしよう」
「賢明な判断ね。それから眠り姫によろしく伝えて」
「ああそうしよう、長谷橋君。だが、残念なことに姫は先日起きたばかりなので、しばらくは話は出来ないだろう」
「大丈夫なの?あなたは姫の護衛をせずにこんなところに遊びに来て」
「仕方がない。この仕事は、姫が命じた仕事なのだから」
「だったら、早く帰ったらどうなの」
「確かにそうだ。ここに長居をしても給料は増えないからね。では、さらば」
黒衣の男は去ろうとするとき、法条に向かって何かを投げつけた。
「おやおや?」
金属製の菜箸だった。それは法条の胸に直撃する直前で、床に転がった。
法条は唖然としたまま、なにかを口にしようとしていたが、無理だった。
法条を無視して、黒衣の男は会話を始める。
「N式術法はおろか、物理攻撃まで防ぐとは」
「長谷橋君もすみにおけないね。この少年に対して、結界が及ぶと言うことは、契約を結んだのかい?」
長谷橋は、先ほどまでの余裕を失い、急にムキになって言い返す。
「どうでもいいでしょ、そんなこと!」
黒衣の男はにやりとしながら切り返す。
「確かに、どうでもいいことだ」
黒衣の男は、投げた菜箸を回収しないまま、教室を出ていった。
法条は黒衣の男を見送りながら、あの姿で歩き回ったら、警備員に不審者扱いされるだろう。などと考えていた。
「おい!」
「なによ」
「あの不審者、ほっといていいのか」
「別にいいわよ」
「今の内に何とかしないと、月のない夜に不意打ちを食らうのではないか?」
法条は命の危険を訴えた。
「何とかするって、何とか出来るの?」
法条は言葉に詰まる。
「それに、この私に人殺しになれと」
法条は黙って俯いた。
「さてと」
再び2人きりになった視聴覚教室で、長谷橋は法条に話しかける。
「邪魔者もいなくなった事だし、さっさと続きをしましょうよ」
「続きって」
「魔法を使いたいのでしょ。安心して、今の魔法も完全に無力化できたし。ああ、楽しみだわ、あなたがどのような術式を使うのか。法条姓なら法理七式かと思ったけど、さすがに当たり前すぎるわよね。だったら、川迫改法なのかしら。あの術式は、詠唱法が非常に難しいって聞いたけど、やはり、まだ研究改善の余地が残されているということかしら。末恐ろしいわ。完成したら、世界の終焉が訪れてしまうかも。それとも意表をついて、海外で修行を積んだとか……」
延々と続く長谷橋の独り言を止めない限り、話が進まない事を感じ取った法条は溜息をついて話す。
「僕が知りたいのは、使用許可では無くて、使用方法です」
「……やっぱり使用方法は、って何のこと」
アフリカに伝わる古代呪術の解説を始めようとした長谷橋は、法条の言葉に疑問を呈した。
「だから、僕が知りたかったのは、魔法の使用許可を得るための方法ではなくて、魔法を実践使用するための方法論です」
「えっ、そうなの?」
長谷橋は明らかに失望した表情を見せる。
「せっかく期待して結界もいろいろ張ったのに、無駄だったわね。これじゃあ、契約も無意味だわ」
法条は質問する。
「契約ってなんですか?」
「あら、気づいていたの。それよりも、あなた。魔法を使用するなら、ものになるかどうか試してあげる」
そういって、今度は白衣の胸ポケットから、手帳を取り出すと、しおりを挟んだページを開きつぶやいた。
「私の存在が消滅しても、記憶に残ることが出来るのならば」
法条は黙ったまま、長谷橋を見つめる。
「……。残念だわ」
「まさか」
「あなたには、魔力がないわ」
結局、法条は魔法は使用できなかったが、このあと先日提出した「魔法使用許可願」の件で法条と長谷橋はもめることになる。これが、法条の悩みの種である私立ざるそば学園の入学式だった。
補講 魔法使用許可願に記載されていた内容(抜粋)
申請者は当魔法使用許可願いの申請に当たって、次の事項を承認します。
1 申請者(以下「甲」とする)は、許可者私立ざるそば学園(以下「乙」とする)に対して、本書魔法使用許可願い(以下「申請書」とする)の許可をもって、魔法を使用することができる。
2 甲は申請書の許可を受けた時点から、乙に入学されたものとする。ただし、既に入学をしているものについては、この限りではない。
3 甲は第1項において、許可を受けた日から使用日もしくは1週間のいずれか早い時点までに、許可の申請取消願い(様式第667号)を提出する事により、許可の取消を行うことができる。ただし、この場合においても、甲は引き続き第1項を除く各項目を遵守しなければならない。
4 乙は本申請書に対する許可を与えたことによる、甲に対してのいかなる損害を支払う責任を一切持たない。
5 これらの項目以外の件について、甲は私立ざるそば学園の校則および理事長の命令に従わなければならない。
もしも、この作品世界が、電子申請が普遍化されていたら、あらかじめ申請者が誤解を受けることなく目的の申請を行うことができたであろう。本書では、現在政府が進めている電子申請システムの理念と仕組み、そして現状の課題について解説する。
~「新しい電子申請のあり方について」(2033年斑鳩茂市)~
この話だけで、これまでの掲載量の4割を占めたりします。(掲載当時)