14.非現実の艦隊物語(12) 決戦!洗足池海戦
本来であれば、斑鳩先生が前書きを書かれるところでしたが、この作品の完成直後に亡くなられたことから、お悔やみを述べるとともに、生前の先生についていくつか述べさせていただきます。
私が斑鳩先生に師事するきっかけになったのは、「青バラ園」での出会いでした。
青バラ園とは、戦後すぐに身よりのない子ども達が生活するために作られた施設で、私はここで養ってもらっていました。
斑鳩先生も青バラ園のご出身で、作家として成功されるまで大いにお世話になったと話しておられ、お礼をするために、お忙しい中、ここによく立ち寄られました。
斑鳩先生は、青バラ園で生活する子ども達に慕われ、編集部に連れ去られるまで、毎日楽しそうに話をされていました。
ある年のことでした。
「今年は厳しくなるかもしれないね」
「そうですね」
全国的な台風の被害のニュースを眺めながら、斑鳩先生と園長先生が話しておられるのを耳にしたことがありました。
当時の私は何のことかわかりませんでしたが、今では年末にこの施設に寄付される義援金の額が減ることを心配されたのだと、園長先生から教えて頂きました。
施設の経営はあまりよくありませんでしたが、斑鳩先生が多めに寄付されたので問題なかったそうです。
青バラ園には、斑鳩先生の著作が寄贈されていましたが、一冊だけ置いていない本があります。
最初に指摘した人は、当時最大のスポンサーである恵我利氏でした。
「斑鳩先生、何故わしの本がないのだ」
恵我利氏は、斑鳩先生の著作「人をアテにするな!」が無いことを指摘しました。
私も、そのときになって、初めて知ったのです。
私が斑鳩先生の立場でしたら、
「その本は、いま子どもが借りて読んでいます」
とか、適当にごまかしていたと思います。
しかし、先生は自分の考えをしっかり言いました。
「あの本は、ここには置けません」
「なんだと!」
「子ども達に、あの本は読ませられません」
「先生」
園長先生は、お二人を仲裁しようとしてましたが、斑鳩先生は臆することなく話を続けました。
「わからないのですか?まあ、わからないでしょうね。あなたには」
「なにを」
恵我利氏は今にも斑鳩先生に襲いかかろうとしていた。
「ここにいる子ども達は、あなたのように親の支援を受けることができません」
「それがどうした」
「子どもは親を選ぶことができません。それでも自己責任と言い張ることができますか」
「ふん!覚えていろ。こんな施設くらいどうにでもしてやる!」
恵我利氏は吐き捨てると帰っていきました。
「斑鳩さん」
「大丈夫ですよ、園長先生。それに、あの人からの支援はどのみち受けることは出来ませんから」
心配そうに見つめる園長先生を斑鳩先生は優しく慰めていました。
いつもの穏和な斑鳩先生に戻っていました。
結局、斑鳩先生のおっしゃるとおりになりました。
皆さんもご存じのとおり、恵我利氏は脱税と独占禁止法及び派遣労働法違反で実刑判決を受けました。
おそらく、斑鳩先生は原稿を作成されるときにこの日が来ることを確信されていたと思っています。
恵我利氏は、斑鳩先生が情報を流したと訴えたようですが、結局そのような事実はありませんでした。
ちなみに斑鳩先生は、「人をアテにするな!」で得られた印税を、全て青バラ園に寄付されていました。
後日、私は斑鳩先生に
「どうして、そのことをマスコミに公表されなかったのですか」
と質問しました。
当時の斑鳩先生は、恵我利氏のプロバガンダをしたと周囲から批判されたからです。
斑鳩先生は、ひとこと
「私の印税をどのように使うか、人に教える義務はない」
とおっしゃいました。
後で、ご遺族から伺いましたが、あの本が売れたと聞くたびに、斑鳩先生は悲しい顔をされたそうです。
よほど、あの本を読まれたくなかったのでしょう。
ただし、現実は厳しく、恵我利氏の思いを伝える唯一の本として、当時はかなり売れていました。
斑鳩先生は、あの本の前書きで皮肉を書かれましたが、小さな抵抗はほとんど理解されませんでした。
私は、斑鳩先生の病床で、次代の斑鳩茂市を継ぐことをお伝えしました。
斑鳩先生は、
「私の名前を継ぐなんて、馬鹿なことは止めなさい。私よりもあなたの方が人気作家なのですから」
と謙遜して言われました。
斑鳩先生の生前中、結局お許しをいただけませんでしたが、先生の死後、ご遺族から遺書を見せていただきました。
「作家名、斑鳩茂市については、好きに使うがいい」
とお許しをいただきました。
今から思えば、斑鳩先生が恥ずかしがられたのかもしれません。
話が長くなりました。
斑鳩先生の最高傑作「非現実の艦隊物語」最終巻です。
ぜひお楽しみください。
~「非現実の艦隊物語(12) 決戦!洗足池海戦」(2026年斑鳩茂市)~
この話はフィクションです。
申し訳ありませんが、「青バラ園に寄付したい」と言われても、対応することはできません。