あるパイロットの独り言-9-
そんな忙しい生活にも慣れてきた翌年、またもや皇国を揺るがす事件が発生したのでる。誰もが知る第三次南北戦争であり、それに皇国が巻き込まれることとなっていくのである。そして、移転組の将官がこの世界で始めて敵によって命を落としたのである。近藤信竹元中将がその犠牲となった。
むろん、僕自身は個人的には面識がない(一兵卒と将官とでは面識がなくて当然といえた)が、それは僕ら移転組の将兵に与えた影響は計り知れないものがあったと思われる。その証拠に、移転後はほとんど使われることのなかった言葉、アメ公、という言葉が僕らの間で使われ始めたのである。むろん、ここでいうのはアメリカ連合共和国であってアメリカ合衆国ではなかった。
こうして、再び中津島は騒然とすることとなったのである。中には、戦争が始まったかのように行動する兵や士官もいた。とはいえ、多くの将兵にとってはようやく戦争が終わり、これからの生活について考えていたものもいた。その中には退役を考えていたものもいれば、定年まで勤めて、などといろいろいたはずである。何より、所帯を持っていた人間にはこれで家族と安全に暮らせると思っていたものも少なくないはずである。かくいう僕もその一人であった。
僕が士官候補生課程を修了して少尉となったのは日連が開戦した年の暮れであった。同期の四人も何とか修了して少尉となっていた。そして、僕の機種転換訓練も本格化することとなった。飛行させるだけなら既に終了していたが、戦闘訓練が進まなかったのである。多くは機動が不安定になり、まともに攻撃することができないでいたという。ちなみに、僕の場合、士官候補生課程修了に重きを置いたため、他の軍人たちよりも実機による飛行時間が少なく、一/三ほどであった。
むろん、僕とて飛ばせるだけなら既にできるようになっていたが、本格的な戦闘訓練は行われていなかった。しかし、久しぶりに<雷電>のコックピットに座ると、なんとなくこれまでと感じが異なるように思えた。これまでと感じ方がまるで違うのである。そうして、僕が戦闘訓練で相手にしたのが、これまで乗り慣れていた<流星>であった。結果的には撃墜された、という判定であったが、これまで以上に機体を自由に操ることができたと思う。教官もそういってくれた。
僕のこの変化は娘のマリアのおかげであった。このところ、マリアの遊び相手は発売されたばかりの家庭用ゲームであるが、これが意外にも難しいのだ。目で認識してからでは遅すぎ、勝負にならない。身体の五ヶ所、両手首、両足首、腰につけられた機器からの音やバイブレーションに反応して身体を動かさなければ、画面の中の身体をまともに動かすことができないのだった。これに付き合わされていた結果だろうか、目で追わないで操作できるよう心がけたからであろうと思われた。
僕らの時代、敵機に対する照準は照準機であった。移転してからはHUD=ヘッドアップディスプレイに代わった。さらに、今度はHMD=ヘッドマウントディスプレイに代わろうとしているのである。もっとも、HMDはいろいろと問題があるらしく、量産機ではHUDに戻るという話も聞いている。僕らにとってはこれがネックなのである。
それだけではなく、これまで二人で行っていたことを一人でこなさなければならない、というところが最大の問題である。有視界の機銃戦闘なら零戦乗りが群を抜いているが、誘導弾も含めて総合的に見れば、僕らはやはり劣っていることとなる。ある脳学者がいっていたが、五歳までの環境が成人してからの多くを決めてしまうという。そのあたりが僕らにとっては最大の問題であろうと思われた。
僕の場合、先に述べた理由で何とか乗り越えることができそうであった。少なくとも、操縦桿周りと左側スイッチ、前面パネルの一部はいかなる場合でも、目をやることなく操作可能となった。しかし、どうしても解決できないのが、HMDを含めたディスプレイ装置からの情報の読み取りであった。こればかりはいかんともしがたいものだった。
僕らが曲がりなりにも<雷電>でそれなりの戦闘機動を取れるようになったのは移転暦一二年の一月も終わろうかという時期であった。このころには、海軍仕様の<雷電>が四八機配備され、二個戦闘航空隊が編成されていた。そうして、あろうことか、そのうちの一個戦闘航空隊二四機を僕が率いることとなってしまった。最高位の中尉は別としてその次が僕だったからである。そう、尉官は二人しかいなかったための処置であった。
東サモアが攻略なったころ、僕らは実戦部隊として認められ、更なる訓練を続けていた。中隊空戦、小隊空戦、分隊空戦、電子戦などの訓練であった。母艦への離着艦訓練も、幾度か行われている。基本的にこの二個航空隊は母艦搭載を考えられていたということになる。実戦部隊として認められた、ということは戦場に派遣される可能性が高い、そういうことなのである。
機種転換訓練は続けられており、今度も六〇人が選ばれていた。どうやら、母艦搭載機のうち半数の二四機を<流星>から<雷電>に更新する計画のようであった。というのは、僕らの、そして、次の機種転換訓練を担当している教育航空隊の司令が教えてくれたことであった。とはいえ、僕自身は<流星>でも十分対応できると思うし、急いで更新する必要はないと思う。特に<流星>三二型は十分な性能を持っていると思われた。むろん、教育隊司令にもそう話しておいた。
しかし、僕らの乗る<雷電>は最新鋭機であるため、海外への派遣は今のところ、考慮されていないらしかった。そう、いわゆる機密、というものだといえた。特に、レーダー波吸収塗料などは世界に漏れてはならないものであったからだろう。少なくとも英仏米合衆国には知られてはならない、と厳重に注意されたことがあった。結局、僕らは訓練と極稀に入る哨戒飛行で日々をすごすこととなった。
そうして、僕らが<雷電>で実戦に参加するときがやってきたのは、聨合艦隊がパナマ攻略を終えてからであった。相手はアメリカ連合共和国ではなく、ソ連であった。むろん、当初は僕らは予備兵力とされていた。しかし、予想以上の戦力を必要とすることから、僕の指揮する航空隊は沿海州に進出することとなったのである。とはいえ、その任務は対空戦闘ではなく、対地攻撃が主任務とされていた。




