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あるパイロットの独り言-6-

戦闘シーンを書こうと思ったら行き詰まりました。結局、書けませんでした。何とか一度は書きたいと思いますが・・・・・

 地中海で僕が戦闘に加わったのはマルタ島沖海空戦であった。直援隊として上がってすぐの迎撃戦であり、敵爆撃機二機と戦闘機一機を撃墜することができた。いずれにしても、後席要員の加藤二飛曹の腕によるところが大きいといえた。撃墜機数が五機を超えたことで、エースの称号を得ることになった僕だが、これは加藤二飛曹なくしてはありえないことは身に染みて判っていた。だから、この称号は二人のものであると彼にも言っている。


 他の人はどうかわからないが、僕は操縦と誘導弾発射のタイミングだけに専念していた。地中海への派遣を前に改良された<流星>は対空戦闘においては一人でできるが、僕の場合、敵機への誘導は二飛曹に任せている。ここに来る前の訓練で自らの未熟さを痛感したからである。それがこの撃墜数に表れていると思われた。


 そんな僕らにうれしい知らせが届いた。マルタ島沖海空戦後のポートサイトで二人して一飛曹への昇進を知らされたのである。僕は中津島にいる妻に手紙を書いて知らせた。これで給料も少しだが上がり、生活が楽になるだろうからである。これも僕らにとっては驚きである。移転前なら考えられなかったことであるが、戦地にある僕らへの手紙は必ず届けられるし、その逆もまたしかりである。


 さらにいえば、月に一度は妻や子供と電話で話せることも驚きであった。他の国ではどうか知らないが、僕らの場合、乗艦の通信室に設けられたブースから掛けることができた。私信はできるだけ避けるようにいわれているが、僕は月に一度の許された(妻子がいる場合のみ無償で許される)電話はできるだけ利用するようにしている。僕自身のためもあるが、マリアやタチアナのためでもあると信じている。


 これらの処置は聨合艦隊所属将兵だけであると聞く。ぶっちゃけた話し、移転組の僕らにはこの世界には身内はいないので、あまり必要がないと思われるかもしれない。しかし、僕のようにこの世界で家庭を持ったものも少なくないのである。二〇代では一/四がこの世界で所帯を持っていたといわれている。ましてや、その多くがいわゆる新婚なのである。それに、基本的には対ドイツ戦、その最前戦に派遣されているのは例外を除けば僕ら移転組の人間だからだろうと思う。


 戦時なので、基本的に休暇、ここでいうのは非番という意味だが、はない。しかし、そこはうまくしたもので、地中海に進出してからも非番に近い状態(自由時間)がままあるのだった。PX(僕らの時代の酒保に近い)、レクレーションルームも交戦中以外は常に開放されている。そんなわけで、移転前とは比較にならないほど精神的に楽である、


 ちなみに僕ら兵は四人部屋で士官以上は個室が与えられている。四人部屋はプライバシーがないかというと、そうでもないのだ。ベッドの周辺は仕切りを下ろせば、それなりに保てるようになっている。以前に本土で見たカプセルホテルに近いかもしれない。そういうわけで、僕は自由時間の多くを部屋ですごすことが多かった。音楽を聴いたり、本を読むことが多いのだ。


 同室者は加藤一飛曹、狭山哲夫上飛、村中浩二一飛である。狭山上飛、村中一飛ともに以前は下駄履き、水上偵察機乗りだったという。僕らペアと違って彼らはいわゆる予備兵というべきだろう。本来の後席要員が病気なり負傷なりで任務に就けないときの兵である。一見楽をしているように思われるが、実はそうではない。なれないペアで飛び、かつ戦闘に参加するのからその苦労は押して知るべしあろう。


 むろん、彼らの腕が悪いわけではない。初期のインド洋作戦では予備要員ともいえる彼らは乗っていなかったのだが、あるとき、パイロットが負傷して、もしくは後席要員が負傷して機体を出せないときがあったのだという。今回は派遣先が欧州であり、しかも長期間にわたると思われることから、彼らのような予備の乗員を各母艦に一〇ペア乗艦させていたのである。狭山上飛、村中一飛とも、先のマルタ島沖海空戦で撃墜され、負傷したペアに代わって予備機で任務についていたのである。


 マルタ島沖海空戦の後は対空戦闘はあまり発生していない。多くの場合、対地攻撃任務が主流となったといえる。幾度かドイツ機と交戦していたようだが、僕らは参加していない。メッサーシュミットやハインケルといった企業の戦闘機が出ていたのであろうと思われるが、僕は見てはいない。<シーライトニング>と同等の性能かそれを上回るというメッサーシュミットMe501、ハインケルHe284を見てみたかったと思うが、それはかなわなかった。僕がこれらの機体を見たのは戦後のことである。


 僕が欧州戦線でもっとも驚いたのが、ノルマンディー上陸作戦であった。飛行速度が早いため、ゆっくりとは見られなかったが、上陸地点には連合軍の将兵がまるで飴に群がるアリのように見えたことである。これを見て皇国の過去にあった、あるいは移転前の僕らの未来に起こるであろう敗戦を初めて納得したといえる。実をいえば、それまで疑心暗鬼だった僕らに当時の連合軍の強さをまざまざと見せ付けられた思いだった。そして、この世界で連合軍側に立っていたことを幸運だと思った。


 このノルマンディー上陸作戦において、僕らはさらに五機の敵機を撃墜することに成功していた。このとき、僕らが相手にしたのは爆撃機を除いて二五〇機ものドイツ軍機だった。旧型機ばかりであったが、僕らも最新のAAM-4対空誘導弾を使うことは許されず、AIM-7EスパローとAAM-3誘導弾だった。五機のうち、三機が格闘戦によるものだったのだ。AAM-4対空誘導弾の高性能さを改めて知ることとなった戦いであった。僕自身はAIM-7EスパローよりもAAM-3誘導弾のほうが高性能だと思えた戦いたった。


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