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あるパイロットの独り言-4-

 僕らパイロットに徹底的にいわれたのが、命を粗末にするな、という言葉だった。これは、帝国海軍パイロットが被弾し、帰還が困難な場合、体当たりしていたこと、特攻があったことからであろうと思われた。そう、ハワイ真珠湾攻撃において被弾したパイロットが体当たりしたこともあるがゆえ、僕らはそれが美徳だと思っていたのだが、この世界ではそれが戒められたのである。たとえ、被弾しても脱出していれば、必ず救出する、という教えだったのである。現に、これまでの訓練中にも幾度か起こった事なので、今の僕らには体当たりする、という考えはないだろう。とはいっても、本当に最後となれば、体当たりを考えるパイロットは多くいただろうと思う。


 一度こんなことがあった。母艦へ移動してしばらく後、編隊訓練中、一機がエンジントラブルで帰還途上に脱出したものの、行方不明になったことがあった。通常なら脱出時に発信される救難信号が発信されなかったため、位置特定が不可能だったのである。訓練担当司令官は直ちに訓練を中止し、すべての艦艇、といっても空母一隻、駆逐艦六隻からヘリコプターを発進させた。さらに、海軍救難飛行艇の出動、担当区域の海上保安隊(元は海上保安庁といったらしい)も出動、二四時間たってようやく乗員を救出したのである。ちなみに、そのパイロットとは僕の元機長である三沢一郎飛曹長だった。


 三沢飛曹長は途中で何度かあきらめて自決を考えたそうだが、レーダー要員の岸田茂一等飛行兵に止められたという。この事故の後、これがたとえ実戦中でも同じことをするだろう、といわれたのである。そして、統一戦争時の逸話を聞かされたのである。それからのパイロットの気持ちが変わったのを僕は覚えている。僕だって何かあっても助けてもらえるということで、より真摯な気持ちで訓練に励んだからである。


 そして僕らはマダガスカル島攻略のための訓練を始めていたのだが、当初の予定よりも二週間繰り上げての出撃となった。理由はわからないが、行けといわれたら行くのが僕らの任務である。そうして、僕は二度目となるインド洋に向かったのである。もちろん、一度目は、移転前のインド洋作戦であるが、今回はパイロットとしての参戦であった。道中は僕らよりも、対潜部隊のほうが忙しいと思われたが、そのとおりであった。


 モーリシャスへの空爆、それが本当の意味での僕の初陣であった。友永大尉も僕も艦攻乗り上がりであるため、この任務に選ばれたのだと思う。このときの僕は単にボタンを押す、ということしかしなかったが、それでも敵の被害はおきいと思われた。それは友永大尉とともに敵地上空に侵入、自らの目で確認することができたからである。


 ところで、戦闘気乗りからすれば、誘導弾全盛のこの世界の評判はよろしくないと聞く。理由は簡単で、誘導弾の性能によって敵機を撃墜しているためであって、自らの腕ではないという考えが圧倒的に多いからである。多くの戦闘気乗りは格闘戦での撃墜こそ、本当の自らの戦果だと考えているからであろう。しかし、誘導弾戦によって被害が出ると、それも若干変わり始めていた。僕らは日本(今は皇国というべきだろうけど、僕の中では未だ日本である)を守るためには被害をできるだけ少なくし、戦果をあげることが日本を守ることにつながる、という考えが身についてきたからであろうと思う。


 いまさらではあるが、この世界に現れた僕らにとって、戦争に対する考え方を一八〇度変えなければならなかった。それまでの考え方は、自らを犠牲にしても国を守る、というのが当たり前であった。だからこそ、敵地上空において帰還しえない損傷を受けたパイロットは体当たり、という選択をしていたといえるだろう。むろん、捕虜となるくらいなら死を選べという教育もあったことは事実である。


 それが、生あるうちは自ら死を選んではならない、捕虜となっても生きて祖国に帰れ、という教育を受けたのである。しかし、多くの将兵は内心でそれを拒否していたと思う。かくいう僕もその一人だった。そう、だったというのは今では考えが変わっているからである。むろん、僕だけではないだろうと思うし、多くの将兵がそう思っているだろうと思うのだ。


 その理由はどこにあるのか、といえば、第二の故郷ともいうべき中津島に今上陛下が訪れた際の言葉にある。その言葉を聞いた瞬間、僕の中で何かが変わったし、それ以降、僕の知る多くの兵や将校たちの考えが変わったといえる。少なくとも、僕の中では何が何でも生きて再び祖国の土を踏みたい、そう思うようになったといえるだろう。だからこそ、僕の中では格闘戦での撃墜こそ本当の自らの戦果だという考えはない。方法はどうであれ、敵に損害を与えればよい、そう思うのである。


 なぜこんなことをいうのか、といえば、僕の初陣であるモーリシャス空爆後に、友永大尉が取った敵地上空侵入、という行動に疑念を抱いたからである。僕の列機であり、上官であるからついてはいったが、内心ではその行動におかしいと感じた。もちろん、軍人である以上、上官の命令には従うつもりである。それは変わらない。


 話がそれてしまったが、対地攻撃の初陣は先に述べたとおりであるが、対空戦闘はマダガスカル島上空であった。加藤二飛曹によれば、三機の撃墜がその戦果であった。むろん、正式に確認されてもいる。僕がこうも簡単に戦果を上げ得たのは加藤二飛曹によるところが大きい。操縦と攻撃は僕の仕事であるが、攻撃にいたるまでの過程で加藤二飛曹の果たしている役割は大きいといえた。それがなければ、僕の戦果はなかったと思う。


 この世界で僕は多くの映画、むろん、映画館でも見るが、DVDで見ることが多かったが、その中の「トップガン」の主人公のパイロットが僕であり、加藤二飛曹はそのパートナーである。そう、<流星>はあの映画に出てくるF14<トムキャット>という戦闘機にシステムが似ているといえた。むろん、かの戦闘機に装備されているFCSほど高性能ではないと思うが、対艦攻撃および対空戦闘にいたる過程は似ていると思う。


 <流星>が複座であるがゆえに、電子機器になじみのない僕らでも誘導弾の性能を十分に発揮できるといえた。最初から単座である<隼>に乗っていたら、僕らはまともに戦闘に加わることができなかった、というのが僕の考えである。<流星>でやっていることをすべて一人することを考えると身震いがするほどである。その意味で、この世界でのパイロット(ここでいうのは旧航空自衛隊である)と違って電子機器の操作が異なるといえた。それは自分には到底真似のできないものだとこの当時の僕は考えていた。


 ともあれ、マダガスカル島攻略作戦において発生した一連の空戦で、僕は本当の意味で皇国海軍パイロットとして自信を持てるようになったといえる。それまでは、本当に役立つ軍人でいられるのか、という不安もあったからである。いずれにしても、その後の欧州戦線で生き残れたのはこのときの経験が大きかったといえるだろう。


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