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あるパイロットの独り言-3-

 移転暦七年四月一五日、皇国が対独宣戦布告したその日、僕(松永浩一郎)の新たな配属先が知らされた。第一航空戦隊航空母艦『飛龍』の第一一一航空隊第二中隊第一小隊第一分隊、つまり、第二中隊指揮官機の僚機である。指揮官は友永丈市大尉であった。なぜこのような重要な位置に配属されたのか判らなかったが、それでも配属先が決定したことで身が引き締まる思いであった。


 そうして、中隊飛行訓練や中隊戦闘訓練などを重点的に行うようになった。なぜなら、僕らの時代と違って、現代では編隊、主に分隊が最小戦闘単位であり、僕の場合、友永大尉と常に行動を共にすることになる。いざ戦闘となれば、友永大尉の後方をガードすることが最大の任務となる。そして、僕に求められるのはそれだけではなく、少なくとも、友永大尉の乗機についていける、あるいは同等の機動を行う必要があったのだ。そういうわけで、部隊飛行訓練はほぼ一日おきに実施されたのである。


 こう書いてくると休暇がなく、月月火水木金金で訓練が行われていたような錯覚を与えるかもしれないが、そうではない。僕らの時代では到底考えられなかったが、完全週休二日(曜日は毎回変わるが)であった。これはジェット機が肉体に与える影響もあるそうで、訓練期間中は毎日飛ぶことは禁止されていたというのが正解である。


 母艦に乗り込んでからは連続ではないが、週に二度は休暇が与えられる。休暇というよりも非番ということで、艦内のレクレーション施設の利用が可能だった。むろん、第二警戒態勢以上のレベルでは非番といえど解除されてしまうが、それ以下の場合では原則として任務から開放されるということになる。それは何も僕ら下っ端だけではなく、艦長も含めた高級士官にもいえた。


 そして、四月二○日から四班に分かれての三日間の上陸休暇が与えられることとなった。これは一度、母艦が出港すれば、長期間の上陸休暇が取れないための処置であろうと思われた。僕は身の回りの整理と遺書を認めておいた。この世界に家族はいないが、仲良くなった親子、沿海州からの移民で農業を営んでいた、に宛てた手紙も書いておいた。仮に戦死ということになれば、海軍関係者がそれなりに対応してくれるだろう。むろん、僕だけではなく、多くの軍人が同じ行動をとっていたと思う。


 四月二七日、僕が乗る『飛龍』を含む艦隊はトラック島へと向かった。途中、実戦形式の離着艦訓練、全艦載機の緊急発艦などを行いつつ、トラックには二九日に到着、さらに、編隊飛行訓練や分隊飛行訓練が行われ、いやがうえにも緊張感は高まってゆく。


 どうやら僕ら第一機動艦隊の攻撃目標はジャカルタらしい、とわかったのはセレベス海に入ってからであった。友永大尉によれば、ソロモン諸島かジャカルタかどちらかの目標があったらしいのだが、西に向かったことからそれと知れたのである。僕にしてみれば、命じられた作戦に参加するのみであり、作戦にケチをつけることなどないのである。


 僕が実戦に初めて飛んだのはジャカルタへの攻撃隊の一員としてであり、任務は制空もしくは護衛といったところだった。友永大尉もそうであるが、今回の護衛隊には元の艦上攻撃機乗りが多い。これはパイロット養成中に聞いた話であるが、対誘導弾戦の場合、元戦闘機乗りよりも成績がいいらしいのである。理由は不明だが、そういう結果が出たらしい。もっとも、有視界の格闘戦に限れば、元戦闘機乗りのほうが格段に成績がよかったという。


 結果からいえば、僕の初陣はただ飛んで帰ってきただけであった。敵機が上がってこなかった以上、そうならざるを得なかった。やはり、訓練とは違う緊張感を感じたが、これまでとは異なる緊張感であった。僕とて、実戦は幾度も潜り抜けているが、これまでとは大違いであった。たぶん、自ら機体を操っているという立場からのものであろうと思われた。


 一連の東南アジアでの戦闘では僕は、いや、僕らは敵戦闘機と出会うことはなく、被害も出なかった。勇んでやってきたのに、これでは本当に皇国のために役立っているのかどうか判らない。それは何も僕だけではなく、この世界でパイロットになった誰もが同じことをいっていた。とはいえ、CAP(戦闘空中哨戒)任務で順番に空には上がっていたため、任務についているという緊張感はあった。結局、僕らがトラック島に戻ったのは七月末のことであった。


 トラックでは休養が与えられたのだが、さすがに二週間も飛ばないと不安を感じてしまった。友永大尉に相談すると、離着艦訓練が始められるということなので安心した。以前は電信員という立場上、飛ばなくても不安は感じなかったのだが、今はパイロットだから不安を感じるんだろう、と大尉に言われた。あまり公表されてはいないが、単なる離着艦だけでもいくつかの事故が起きていた。


 僕が見たのは、片足(片車輪)しか出ていないのに着艦しようとしたり、フックが引っかからなくて、危うく海に落ちそうになったり、横風に煽られて艦橋に突っ込みそうになったりというものだった。幸いにして『飛龍』では死亡事故が起きていなかったが、他の艦では殉職者がでていたりする。かくいう僕も、着艦の際にフックが降りないという目にあったことがある。


 そのときは上空で急降下や宙返りなどいろいろな機動を行ったが結局降りず、ネットで受け止めてもらうことになった。そしていつもと同じように着艦操作し、ワイヤーの手前に足(車輪)を着けたとたん、その衝撃でフックが降り、結局、ネットのお世話にならずに着艦できたということがあったのである。原因は今もって不明だが、電気回路がおかしいのではないか、ということになり、整備員たちが一度分解して回路を新品にして組み立てたらしい。以後はそのようなことが起きていない。ちなみに、僕の乗機の機体番号はYA-00-185で、山城州の山城重工業で作られた一八五番目の機体ということになる。通常は尾翼の基部にすべての番号と機首に末尾の三桁のみペイントされている。


 とにかく、事故や故障が頻繁に起こるため、訓練をしていないと不安になってしまうので、極力、訓練を欠かさないようにしている。無理であれば、機体に乗り込むだけでも感覚が鈍ることはないと思う。まあ、個人差があるのだと思うが、僕の場合は一ヶ月も乗っていないと離艦はともかく着艦が難しいと感じる。僕がこの不安を感じなくなったのは、母艦乗りから基地航空隊に移ってからのことになる。


 話がそれたが、とにかく僕らは訓練を続けていたのである。トラックは僕の知るトラックとは異なっていた。僕らの世界では諸島と呼ばれて多くの島があったが、この世界はひとつの大きい島だった。軍港から少し離れた場所に皇国人が多く集まる地域があり、そこは中津島を小さくした街で、なんら変わらない生活ができた。歓楽街もあり、パイロットの多くは上陸のたびに出かけていたようだった。僕のお気に入りは、音楽喫茶といえばいいのだろうか、そこで半日過ごすことが多い。


 ちなみにパイロットの多くが独身であり、今はソープというらしいのだが、その手の店に行くものが多かったようだ。士官のうちの幾人かはこの世界で恋人を見つけていたようだが、多くはそのようなことがなかった。一度出かけたことがあるが、店の中で友永大尉や佐官に出会ってしまい、それからは出かけることはなくなった。士官と兵用に別れているわけではないので、そういうことも起こったのだ。もっとも、従業員の女性が皇国人のところは高く、僕らには到底手が届かないものだった。


 飛行訓練のない日が二日続くと判っていれば、居酒屋に足を運ぶことも多かった。僕のよく行く店は、ちょいとした小料理屋という雰囲気の店だった。最初は、本土にある居酒屋風の店に通っていたのだが、たまたま、音楽喫茶で知り合った、というか出会い頭にぶつかった女性に誘われて入ってからはそこばかり行くようになったのである。ぶつかった女性は沿海州からやってきた皇国人でその店のオーナー兼女将だったのである。僕ら移転組の好む料理が多かったので、多くの仲間を連れて行ったりしていた。


 その店はカウンターと座敷が二つという小さな店であったが、値段が安く、高級士官が来ないので、僕ら兵は気兼ねなくいける店だった。酒を飲まなくてもご飯だけでも食べられるというので、僕は上陸休暇のときはいつも通っていた。中にはソープにいった後はここで飲み食いして帰ってくるというのがパターンと化したパイロットもいたようである。


 ともかく、訓練と休養をとりながらトラックに待機すること一ヶ月、僕が本当の意味で初陣を飾ることになる作戦が行われることとなった。九月になってから実施されたマダガスカル島攻略作戦緒戦のモーリシャス沖空戦がそれであった。とにかく、この世界に現れる前とは若干異なるが、生活はそれほど変わったものではなかったといえる。


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