あるパイロットの独り言-2-
早く書けたので更新します。現自衛隊機の操縦方法なんて判らないので想像で書いています。あまり突っ込まないでください。ってか、F-2戦闘機ってサイドスティックなんでしょうかね。
F/A-5戦闘攻撃機<流星>の外観は本で見たマクダネル・ダグラスF/A-18<ホーネット>に似ていた。ただし、主翼形状はマクダネル・ダグラスF-15<イーグル>に似ていた。とにかく、僕にとっては最初の乗機であった。これ以外に乗ったことのある機体といえば、T-4しか知らないため、感想はなんともいえない、である。
母艦への離着艦も問題なく行えるようになったころ、僕の相棒が決まった。<流星>は複座であるため、後席には電子要員が乗ることになる。これまでは訓練期間中ということもあって、固定されてはいなかった。僕らパイロットを含めて交代で乗ることが多かった。理由は簡単で、僕らと違って最新の電子兵装に慣れなければならず、別々の訓練をしていたためである。僕の相棒は加藤尚司海軍二等飛行兵曹といい、元は水上偵察機の観測要員であった。
誤解されないようにいっておくが、この世界に現れた聨合艦隊所属兵員であっても、初対面の人間が多くいるのである。性格的には気難しい面もあるが、悪い人間ではない。僕とは階級も同じだし、すぐに打ち解けることができた。少なくとも、何の問題もない相棒だといえた。
こうして訓練はさらに本格化することとなった。そのうちのひとつが模擬弾を使用した格闘戦訓練であり、相手は同じ移転組であったが、まれに空軍のF-3戦闘機<隼>、F-15<イーグル>と行う場合もあった。もうひとつが、同じく模擬弾を使用した爆弾の投下訓練であった。僕としては誘導弾を使った訓練を行いたかったのであるが、あまり回数が行われなかった。誘導弾が高価ということもあるが、標的が高価だったのかもしれない。
<流星>の操縦席からの視界はかなり優れていると思う。グラスコックピットというらしいが、少し頼りない感じを受けたことも事実である。これは僕だけではなく、多くのパイロットが言っていることである。操縦方法もこれまでの機体とは大きく異なるらしい。らしい、というのは古くからの艦載機乗りはそういうからである。僕は特に違和感を感じたことはない。
特に多くのパイロットが口をそろえて言うのが、操縦桿の位置であった。いわゆるサイドスティック方式というのであるが、これが曲者らしいのである。これまでのように、稼動範囲が広いわけではなく、ほんの数ミリ動かしただけで、機体姿勢が大きく変わるからである。技官によれば、これでも稼動範囲は広いほうで、今ではほどんど使用されないF-2戦闘機に比べれば、三倍近いという。
僕自身はこの世界でパイロットとしてスタートし、T-4でも同様の操縦装置であったこともあり、違和感はない。しかし、零戦や九九式艦爆、九七式艦攻のパイロットからすれば、相当苦労したらしい。これに慣れることのできなかったパイロットは、対潜哨戒機や輸送機、早期警戒管制機、ヘリコプターへと移動したという。それほど癖のあるものとされていたのである。
特に格闘戦訓練が始まってからは、姿勢を崩すものが多くいた。僕のような新人でもベテランパイロットのバックを取ることが可能だったのもそのせいであろうと思われた。むろん、操縦に慣れたベテランパイロットに簡単にバックをとられることもなかった。要するに、レシプロ機とジェット機では、そう簡単には埋められない差があると思われた。特に、旋回半径が違いすぎるため、レシプロ機のような格闘戦は不可能だったということになる。
そして、面白いのは戦闘機乗り、爆撃機乗り、攻撃機乗りの差がこれまでに比べて小さいことが挙げられる。空軍ではその差がはっきりとしているというし、機体も異なるが、われわれは一種類の機体であり、これで対戦闘機、対艦攻撃、対地攻撃をこなさなければならない。もっとも、格闘戦ではなく、誘導弾攻撃がメインとされるこの世界では、多くの場合、機体の性能もさることながら誘導弾の性能が結果を決定するといえた。
僕の場合、どちらかといえば、対戦闘機と対艦攻撃は成績がいいのだが、対地攻撃の成績はよくない。理由はわからないのだが、電子要員の加藤二飛曹がいうのには、攻撃時の飛行姿勢に問題があるらしい。ちなみに、電子要員とはいうが、主な任務はレーダー監視などで史実での航空自衛隊<ファントム>の後席要員と同様の任務である。だから、誘導弾発射、爆弾投下のタイミングは僕が決める事となるから、後席要員は直接的には関係ないと思われる。しかし、それまでの課程が後席要員の腕の見せ所といえた。
ちなみに、空軍仕様と異なり、海軍仕様の<流星>の後席には操縦桿がなく、後席要員の加藤二飛曹の生命はパイロットである僕の肩にかかることとなる。むろん、これは以前に僕が乗っていた九七式艦上攻撃機でも同じであった。しかし、航空機の性能が桁違いであるため、以前よりもパイロットにかかる責任は重いといえる。以前と異なり、脱出装置はあるものの、海上ではそれこそ生還率は下がる。航空機の速度が違いすぎ、あっという間に救助範囲外に出ることも多いからである。
こうして僕らは訓練を続け、移転暦七年二月には一応訓練が終了することとなった。一応というのは、新パイロット養成という意味でのことであり、戦闘に参加できるまでになったということで終了ということになる。むろん、それ以後も技能を保つため、離着艦訓練や航法訓練といった基礎訓練は続けられ、さらに、戦闘訓練も続けられることとなった。
ほぼ一年での訓練終了は、皇国軍では異常ともいえる早さであるという。平時であれば、通常は二年から三年をかけて行われるというが、僕らの場合はほぼ促成といえるらしい。移転してきた僕らにとって、やはり皇国=大日本帝国という意識があったのかもしれない。おそらく、誰に聞いても同じ答えが返ってくるだろうと思う。だからこそ、僕らは短期間で一人前にならなければ、という思いに駆られたのであろう。
もちろん、同年代の若者の半分がこれに賛成しないだろうというのは理解している。しかし、瑞穂州や秋津州、山城州、沿海州、由古丹州の若者たちは僕らと同じように考えているものが多いのはうれしいと思う。おそらく、彼らにとっての祖国とはそれぞれの州ではないだろうか。僕らにとっては中津島が祖国であるように、まだ、皇国全土を祖国と考えるものは少ないだろう。
とにかく、こうして僕らは国に必要な人間となることができたといえる。もちろん、兵士以外の職に就くことも可能であっただろうが、僕の中ではその選択肢はなかった。よく勘違いされるようだが、陸軍と違って海軍は志願制であり、多くの場合、自ら進んで海軍に入隊するのであって、強制的に海軍に入ったわけではない。そして、僕らは一般教育において皇国の情勢を知った上で、軍人として生きる道を再び選んだということに過ぎない。
僕の現在の収入、移転前では考えもしなかったことであるが、月額で約八万円が振り込まれている。今後はどうなるかは知らないが、現状では階級と軍歴で決定されているようである。同じ二飛曹でも、二二歳で軍歴六年の僕と二四歳で軍歴八年の加藤二飛曹とは異なるからである。僕の場合、非番のときの食事以外で使うことといえば、クラシック音楽を聴くことが好きなので、音楽CDの購入が多い。多くの人はゲーム機などを購入しているようだけど、僕は興味がない。
ちなみに階級は移転前とは異なり、軍歴と移転前の階級から現皇国の階級に当てはめて昇格していた。僕らの当時では上等飛行兵だったが、この世界では軍歴が長いということでこうなっている。僕らのころには初年兵は四等飛行兵であり、現状では二等飛行兵がそれにあたるという。ややこしいことこの上ない。もっとも、給料については一般兵よりも少ないという説もある。僕にとってはあまり気にはならないけれど、中には気にするものもいたという。
ともあれ、僕らの戦力化がなされたころ、事件は発生した。僕らは戦争に参加することはないだろう、と考えていたのだが、それが危うくなる事件であった。僕らと同じ中津島に本拠地を持つ海運会社の船舶がドイツ海軍に攻撃を受けたというのである。このニュースを聞いた僕らは誰も彼もが戦争になるだろうと考えていた。皇国本土では相変わらず戦争にはならないだろう、と考えている若者が多いようだが、そうではない。必ず戦争になるだろうし、僕らが派遣されるであろう、ということは誰もが考えていた。