航空母艦改装
「『赤城』と『加賀』の改装ですか?どこからそんな話しが?」三菱重工造船部の主任技師の門田善充は上司の今城章太郎部長から言われて大声を上げた。
「いや、正確にはどちらか一隻だけなんだ。うち以外には川崎が指定されているらしい。打ち合わせを兼ねて双方で決定してほしい、とのことだ。依頼は国防省から来ている」今城が言う。
「国防省から?ではあの噂は本当なんですか?聨合艦隊再編というのは」
「どうもそうらしい。とはいえ、条件は厳しいぞ」
「どのように?自由にできるのではないのですか?」
「いやこれを見ると、機関の換装、排水量は四万五〇〇〇トン、飛行甲板幅六〇m、艦載機はF-2クラスを六〇機搭載可能なこと、カタパルト四基、エレベーター三基、改装期間は一年となっている」今城は書類を見ながら答える。
「一年!?無茶ですよ。機関換装もでしょう?不可能です」
「一応、軍の艦政部門からだからな。それにこの不景気では国からの仕事は確実だし、会社では受ける意向だよ」
「なぜ一隻なんです?二隻同時ならコストも下げられるでしょうに」
「『赤城』と『加賀』は姉妹艦じゃないからな。姉妹艦ならたぶんまとめているだろうさ」
「他に『飛龍』、『蒼龍』、『隼鷹』、『瑞鳳』があったでしょう?あれはどうなるんです?」
「対潜護衛空母に改装するそうだ。『飛龍』と『蒼龍』は中津島で、『隼鷹』、『瑞鳳』は住友だよ」
「判りました。川崎さんと会ってきますよ。しかし、入札じゃないんですか?これまではそうだったじゃないですか?」
「統合戦争以来変わってきた。日本より遅れている地域があるからな。それに沿海州と由古丹州でもできるものなら、向こうのが安いから太刀打ちできんよ」
「大型艦改装はこちらにまわしてほしいですね。明日にでも会ってきます」
「やあ、ご無沙汰。そっちはどうだい?」遅れて現れた川崎重工造船部の主任技師である中山真一が門田に声をかけた。
「うーん、厳しいね。同じものを作るなら外州に頼むようになっているからきついよ。あっちのが安いし」門田が答える。むろん、二人は顔見知りであるが、大学の同級生でもあった。
「仕方がないよ。うちも同じようなもんだから。女将、とりあえず、ビールとなにか適当に見繕ってよ。あとは二人でやるから」中山はそう声をかけて奥の座敷に向かう。門田もカウンターから立ち上がってその後に続く。
「で、仕事の話しだけどさ」女将がビールと肴を四品ほど置いてふすまを閉めて立ち去ると、中山がいった。
「条件は厳しいね。どうしたもんかな」
「昨日考えてみたよ。結論はこれだ」そういって書類を見せる。
「拝見」そういって中山は書類を読む。
そこに書いてあるのは、門田の改装方法であった。その中には、戦艦としてのもっとも重要なバイタルパートを含めた内部の解体、船体延長、機関の換装、甲板の形態などが書かれてあった。多くの関係者はそこまでやるなら新造のほうが安くつく、といい出すほどのものであった。門田なりに考えた結果、そこまでやらないと、ジェット機の運用が不可能であるという結論であった。
「やっぱり、これしかないな」書類を読み終わった中山がいう。
「やっぱりって、君も同じ事を考えていたのかい?」
「『赤城』も『加賀』も元は戦艦として建造されている。特に『加賀』はうちで建造しているからね。とにかくバイタルパートが問題だよ。今のままじゃ国防省の要求は満たせない。だから一度、甲板を解体したほうが安全だと考えていた。船体の延長もあるから、キール(竜骨のこと)まで手を加えるようにしたほうが早いだろうね」
史実では『赤城』は呉の海軍工廠で、『加賀』は神戸川崎で八八艦隊計画の戦艦として建造されていた。そして、ワシントン軍縮条約で空母に改装されたのである。本来なら、『赤城』の同型艦である『天城』が空母に改装される予定だったのだが、関東大震災で艦体が破損、廃棄処分とされ、代わりに『加賀』が空母に改装されることになったのである。
「しかし、そこまでやると新造のほうが安くつくだろう?予算オーバーだろう?」
「たしかにね。でもこれはチャンスだよ。他の四隻が対潜護衛空母への改装ということは、代替艦の建造がありうるよ。それに対しての勉強と考えれば、いいんじゃないかな。何か残しておかないと検査のときにやばいから、外板など使えるものははそのまま使うんだ。それに電気溶接のほうがリベットよりも安全だと思う」
「うむ、たしかにそうだね。それに姉妹艦ではない艦を同規格にするにもそれだと簡単だ」
「それに、費用を抑えるためにも一度裸にして、二隻分のブロックを作ることである程度軽減できるだろう。ブロック工法を使えば、より同型艦に近づけることが可能だと思うよ」
「うん、工期も短縮できるだろうし。もっとも、問題はブロックの設計だろうな」
「今の船舶のように完全なブロックじゃなくてもいいと思うんだ。いくらあわせても微妙に寸法が違うだろう」
たしかに彼らのいうとおりであった。しかし、後に代替艦の建造が決定したとき、基本構造が海軍側で決定され、彼らのアイデアが取り入れらることはなかった。この二人によって決定された諸元は次のとおりであった。基準排水量四万五八○○トン、全長二六○m、全幅水線/甲板三三m/六○m、 吃水九m、主機石川島播磨二胴衝動式スチームタービン×四基、四軸推進、出力二〇万馬力、搭載機戦闘攻撃機四八機、対潜ヘリコプター二機、早期警戒管制機二機、スチームカタパルト四基、エレベーター三基、武装八連装対空誘導弾発射機二基、二〇mmCIWS二基、最大速力三四kt、乗員定数三○○○名というものである。
ちなみに、『赤城』の諸元は次のようになっていた。基準排水量四万一三○○トン、全長船体/飛行甲板二五○.三六m/二四九.二m、全幅船体/飛行甲板三一.三二m/三〇.五m、 吃水八.七一m、ボイラーロ号艦本式罐・重油焚×一九基、主機技本式オールギヤードタービン×八基、四軸推進、出力一三万一二〇〇馬力、搭載機航空機六六機(艦戦一二、艦攻三五、艦爆一九)+補用二五機、エレベーター三基、武装五〇口径二〇cm単装砲一〇基、四五口径一二cm連装高角砲六基、二五mm連装機銃一四基、最大速力三一.二kt、航続距離一六ktで八二〇〇浬、乗員定数:約二〇〇〇名というものであった。
対して、『加賀』の諸元は次のようになっていた。基準排水量四万二五○○トン、全長船体/飛行甲板二四○.三m/二四八.六m、全幅船体/甲板三二.五m/三〇.五m、 吃水九.四八m、ボイラーロ号艦本式罐・重油焚×八基、主機ブラウン・カーチス式オールギヤードタービン×二基、艦本式オールギヤードタービン×二基、四軸推進、出力一二万五〇〇〇馬力、搭載機航空機七二機(艦戦一二、艦攻三六、艦爆二四)+補用一八機、エレベーター三基、武装五〇口径二〇cm単装砲一〇基、四五口径一二.七cm連装高角砲八基、二五mm連装機銃一一基、最大速力二八.三kt、航続距離一六ktで一万浬、乗員定数:約二〇〇〇名というものであった。
見て判るように、まったく別の設計であったことが判る。これを先に決めた規格に統一するというのである。しかも、ほぼ新造に近い改装で、期間が一年しかないのである。この時点で彼らの第一目標は艦載機の数を合わせること、最大速力を同程度に合わせること、航続距離を同程度に合わせることにあるといえた。そうしなければ、二隻での同時運用は難しいと考えていたからである。
後に彼らが言うには、船体および内部の解体に多くの時間がとられたという。建造自体は二隻分とはいえ、ブロック工法を取り入れたため、短期間で終わっていたという。艤装も短時間で済むよう考慮されており、それが武装の少なさに表れていた。少なくとも、自艦防衛能力が当時の英国に比べて異様に少ないことが挙げられる。とはいえ、この武装は移転前の米国製航空母艦と同等であったが、この世界ではまた異なる。
むしろ、彼らがもっとも懸念していたのが、蒸気カタパルトであり、降着装置であったという。日本は戦後空母を建造していない。ましてや、ジェット機運用空母の経験はない。しかし、いずれにおいても日本には建造およびメンテナンスの経験があった。それが生かされることとなったという。
全備で二五トンにも達する機体を発艦させるにはカタパルトがどうしても必要であった。幸いにして、移転前にアメリカ合衆国第七艦隊が横須賀を母港としており、『ミッドウェー』『インディペンデンス』『キティホーク』『ジョージ・ワシントン』の整備に関係していたことで、それは解決した。同じことは降着装置にもいえた。たかだか三トン以下の航空機の着艦と一〇トンを超える航空機の着艦とではその強度がまるで違うのである。これも、第七艦隊の空母が横須賀を母港としていたことで解決することができたという。
門田や中山の計画としては、「フォレスタル」型空母を参考にしていたというが、唯一、海軍側から変更指令が出たのがエレベーターの位置であったという。このとき、「キティホーク」型に準じるとの通達を受けている。それ以外は特に修正することなく、工事を始めることとなった。そうして改装された『赤城』および『加賀』は内部はほぼ同じであり、外見上もまったくの姉妹艦といえるほどに似通っていた。
しかし、彼らが望んでいた代艦建造は既に始まっていた。「飛龍」型航空母艦としてIHIと秋津州、瑞穂州で建造が始まっていた。この時点で彼らは知らなかったのである。もっとも、近代空母の建造経験がなかった皇国は、米海軍の「キティホーク」型航空母艦を参考にした。結果として「キティホーク」型空母を二回りほど小さくした形になっている。それに加えて、時間がなかったことから、企業側の提案はほぼ受け入れられることはなかく、海軍、防衛省技術本部が設計していた。
その諸元は次のとおりである。基準排水量四万九八○○トン、全長二八○m、全幅水線/甲板三六m/六五m、 吃水九.五m、主機石川島播磨二胴衝動式スチームタービン×四基、四軸推進、出力二〇万馬力、搭載機戦闘攻撃機四八機、対潜ヘリコプター二機、早期警戒管制機二機、スチームカタパルト四基、エレベーター三基、武装八連装対空誘導弾発射機二基、二〇mmCIWS二基、最大速力三一kt、航続距離一六ktで一万浬、乗員定数三二○○名というものである。
とはいえ、門田と中山のアイデアは後に生きてくることとなる。それはこの徹底した改装が後に両社で二隻ずつ、四隻の空母の新造を勝ち取ることとなったのである。それが「翔鶴」型航空母艦であり、この世界で最良の母艦といわれるようになった。米国や英国、フランスでも、建造の際に参考とされたほどの優れた設計であったという。
ともあれ、工事は開始され、船体上部の甲板部分はすべて剥ぎ取られることとなった。上から見れば、遊園地の池などにあるボートのように見える。そして、船体延長、全幅延長が成され、機関換装も行われる。ここから先の船内構造は予め製造されていたブロックを組み立てていく、そういう形で進められた。解体に要したのが四ヶ月、機関換装および船体などの改装に四ヶ月、内部組み立てに三ヶ月、最終的な艤装に二ヶ月という工程で薦められていった。むろん、重複しての作業も行われており、実に一年で済ませていたのである。
この工事は急な改装とはいえ、その場しのぎではなく、長く使えるものであった。それはこの二隻を購入した英国海軍で二〇年の長きにわたって使用されていたことに現れている。先にも述べたように建造時は両艦は別クラスであったが、改装後は姉妹艦といってよいほど構造的にも良く似ていたといえる。むろん、よくよく見れば、外見や内部で異なる点も多いが、それは最低限のものであった。事実、購入した英国では姉妹艦として扱われており、皇国もあえて訂正はしていない。
むろん、「飛龍」型航空母艦も「雲龍」型航空母艦もそれなりに完成されたものではあったが、一連の戦いにおいて細かな問題が発生していたことはあまり知られてはいない。それらの問題が解決されたのは「翔鶴」型航空母艦からであったといえるだろう。
この改装工事が皇国の航空母艦の建造する上での貴重なノウハウを積むこととなったことは言うまでもない。ちなみに、順序は逆であるが、「ひゅうが」型ヘリコプター護衛艦を軽空母に改装したことで、IHIと秋津州、瑞穂州もそれなりのノウハウを得ることとなった。その意味で、皇国の空母建造は「翔鶴」型航空母艦から完成の域に達したといえる。
ちょっと無茶っぽいとは思いますが、一応尻に火が付いた、という形で一年で完成させて見ました。これに関して、まったくのご都合主義です。おそらく、どうあがいても不可能だと思います。技術的にも無茶をしております。絶対に新造のほうがいいでしょう。文中にもあるように、今の日本ではコピーでもしないと建造できないと思います。その意味で解体して組み立てるというのはある程度の経験になると思われます。
もし、海上自衛隊が固定翼機運用可能な空母を持つとしたら、五万トン前後になると思います。これより小さくてもいいと思いますが、大きくはならないでしょう。艦載機もヘリや対潜哨戒機を含めて三六機程度、隻数も三隻程度でしょうね。見たいと思いますが、不可能でしょう。