夕焼けの中
七瀬イオの背中が夕闇に消えていくのを、ユリたちはただ、呆然と見送ることしかできなかった。
彼女が残した「また、明日ね」という言葉はそれぞれの胸にそれぞれの爪痕を残した。
疑心、嫌悪、あるいは少しの興味。
ただ最後の彼女の少し寂し気な表情に別の感情も生まれていた。
悪意だけの行動ではなかったのかもしれない。そんな甘い期待。
最初に沈黙を破ったのは、タケルだった。
「……行ったか。全く、良く分からない奴。アドはあいつのこと何か分からないのか?」
ユリはしばらく虚空を見つめたあと苦笑いを浮かべた。
「いかにもでっちあげたようなデータ以外に彼女のデータはなかったって」
「だろうなぁ、どこかの諜報員とか……いくらなんでもそれはないか」
タケルが頭に手をまわし呟く。
「うーん、でもさ、やっぱそうなのかもなぁ、だとしたらノアの件だよね」
マキが答える。
いったい彼女は何者で何の為にユリに執着するのか。皆、思い当たることがないわけではない。
なぜなら彼女達は大きな秘密を抱えていたからだ。
「はあ、明日も顔合わせると思うと気が滅入るよ」
マキは、大きくため息をつく。
「でもさ、なんかあの子から悪意は感じなかったんだよね。それに……まあ、いいか。たぶん、それだけじゃない何かがあるんだと思う……」
ユリは彼女が近づいた時に聞こえた不可思議な音のことを少し考えそんなことを呟いた。
嵐は去った。しかし、彼女たちの「聖域」に、異物の視線が確かに突き刺さったことを、誰もが理解していた。
しばしの沈黙。
「……いや、今は考えても仕方ない!」
沈黙を破ったのは、ユリの声だった。
「私たちのノアが待ってるよ!」
その言葉に、ユリたちは顔を見合わせ、こくりと頷いた。
そうだ。今日は、もっと大事な、希望に満ちた約束がある。
彼女たちは、足早にオムニトロンへと向かった。
蒼樹市の空は、オレンジから深い紫へと、美しいグラデーションを描いていた。
街の灯りが、まるで宝石のようにきらめき始める。ユリたちは、その光の海の中を、吸い込まれるように歩いていた。
高揚感と、少しの不安。期待と、言いようのない緊張感。様々な感情が胸の中で渦巻く。もうすぐ、ノアに会える。本当の姿で、本当の声で。
オムニトロンの輝くビルまであと少しに迫ってきたとき、ユリの隣を歩いていたマキが、ふと口を開いた。
「でもさ、こんな日がくるなんて”あの時”は想像もつかなかった。全部ユリの無理無謀の賜物だね」
「無謀って……私さ、忘れてないよ。中2の時、どん底の私にこれからもユリに無茶させるって言ったのはマキだよ」
ユリは少しムスッとした表情の混じった悪戯な笑顔で言う。
「えー私のせい?!でもさすがにアレはちょっとさ、ビビったよ……あんな”わけの分からない”ことに命掛けるようなこと言いだすんだもん。」
「そうだね……それは分かるよ。けど譲れなかったんだよね、やっぱ」
ユリは少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「俺は正直”あの時”のユリを見てこいつホントにすげーなって思ったよ。初めて道場で見たユリはおばあちゃんにしがみ付いててさ。いかにも人見知りの小さな女の子って印象だったからな。」
マキの言う”あの時”を思い出していたユリを尻目にタケルは唐突にユリの子供時代を語り始める。
「ちょっとなんで今そんな話するの?もういいじゃん忘れてよ」
ユリが慌てた様子でタケルを小突く。
「そういや小学生の時はタケルもいたわ。忘れてた。ユリに負かされてたっけ」
「負けてはないだろ、一本取られただけだ」
マキとタケルも小突き合いを始める。
その様子を見てユリの脳裏には幼い頃のマキとの日々がありありと浮かぶ。
まだこの足も体も自分の思い通りに動いていた、あの頃。
マキやタケルと頑張ればどこまでも高めていけると信じていた頃の事を。




