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決着

 職員室。コーヒーの香りと、書類のインクの匂いが混じり合っている。

 そこにはスーツに身を包んだ藤原大樹の姿があった。


 イオはSCSAにとって重要人物であると同時に制御不能な危険人物でもある。

 一般社会(高校)に投入した初日に、問題を起こしていないか、環境にどう適応しているか?

 

 その様子を可能な限り早いタイミングで直接確認するのは、ハンドラー(監視役)である大樹の当然の役目だった。

 

今後、イオが学校で何か問題を起こしたり、逆に任務で学校を休んだりする際に、スムーズに連携できるよう、担任教師と顔を繋いでおく必要がある。

 

「七瀬イオの親戚の藤原です。本日はご挨拶に伺いました。

 何分、あの子は日本の学校に不慣れなもので、初日で緊張していないかと少し心配になりまして。」

「休み時間に、担任の先生に一度ご挨拶と、何か提出し忘れた書類などないか確認に上がった次第です。過保護だとは思うのですが(笑)」


 ”心配性な親戚のお兄さん”として良い印象を与え、信頼関係を築いておくことは、任務を円滑に進めるための重要な布石だ、と大樹は我ながらこのセリフに自自信をのぞかせていた。

 担任の加藤カオリは、目の前に座る人の良さそうな青年――藤原大樹を前に、少しだけ緊張していた。


(わ、七瀬さんのお兄さん…素敵じゃない…!)


 心の中で、思わずときめきの声を上げる。

 

 「いえいえ、わざわざご足労いただき恐縮です。

 七瀬さんは……非常に優秀な生徒さんですし心配ありませんよ」


 「そうですか、それを聞いて安心しました」

 

 穏やかに微笑む大樹。その笑顔に、カオリの胸がキュンと鳴る。


(優しそうだし、言葉遣いも丁寧…。身なりも清潔感があるし…公務員か何かかな?

 だとしたら、すごい優良物件…!)


「ただ、少し…そうですね、周りに全く動じないというか。良い意味で、非常に自立したお子さん、という印象です」

 

「すみません、何分アメリカ育ちですから。ちょっと日本の子達には理解しかねる部分もあるかと。うまくやっていけるか心配になってしまいまして。ご迷惑、でしたよね?」


「い、いえいえ、そんなこと!ご家族を心配なさる、素敵なことですよ! そういう誠実な方、私、尊敬します!」

 

 思わず、声が少しだけ上擦ってしまった。カオリは慌てて咳払いをする。

 大樹は、そんな彼女の様子に気づくこともなく、人の良い笑みを浮かべている。


 (この朴訥とした感じも、いい…!)


 「……ああ、ちょうど休み時間になりましたね。よろしければ、教室までご案内しますわ。ささ、こちらへどうぞ!」


 少しでも長く話すチャンスを逃すまいと、カオリは半ば食い気味に提案し、すっと立ち上がった。

 大樹は「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げ、彼女の後に続く。


 職員室を出て、廊下を歩く二人。

 カオリは、なんとか会話を繋ごうと、当たり障りのない話題を振る。


「藤原さんは、お仕事は何をされてらっしゃるんですか…?」

「ああ、公務員です」

(やっぱり!私のセンサーに狂いはなかった!)


 二人の間には、穏やかで、少しだけ甘い空気が流れている。


 その大樹の目に、教室のドアの前にできた、おびただしい人だかりが映った。

 彼の人の良い笑みが、スッと消える。


(この異様な雰囲気……まさか、あいつ!)


 大樹はカオリとの会話を打ち切り、人だかりに向かって走り出した。


「すみません、通してください!」


 しかし、野次馬たちは教室の中の異様な光景に夢中で、なかなか道を開けようとしない。

 大樹はドアが塞がっているのを確認すると、即座に判断を変えた。

 廊下側の窓に走り寄り、躊躇なく窓枠に手をかけると、しなやかな動きでガラス戸をスライドさせる。

 そして、そのまま廊下の窓から教室へと飛び込んだ。

 教室の空気が、張り詰めた弦のように震えている。

 マキの殺気と、イオの闘気が、見えない火花を散らす。

 じり、とマキが間合いを詰め、イオの重心がさらに低く沈む。


 まさに、互いが次の一歩を踏み出そうとした、その瞬間――


 ドサッ!


 廊下側の窓から、藤原大樹が飛び込んできた。

 突然の乱入者に生徒たちはぎょっとする。


「何々?誰!?」

「新しい先生とか?」

「でもちょっとイケメン」


 騒音がさらに不協和音へと変化していく。

 大樹はそんなざわめきを尻目に時は一刻を争う状況であることを認識する。


(一般人相手に何やってんだよアイツは!)

(間に合え……!)

 

 しかし、彼は間に合わなかったことを瞬時に悟る。

 マキの全身は、既に必殺の突きを放つためのバネと化している。

 イオの構えは、迎撃のためのエネルギーを極限まで溜め込んでいる。

 もはや、二人の動作は始まっている。止められない。

 大樹の思考が、コンマ数秒で切り替わる。


(間に合わない……せめて一般生徒だけは守る!)


 彼の目には、武道家の気配を纏ったマキも、まだ「守るべき一般生徒」と映っていた。


「危ない!」


 大樹は叫びながら、マキの前に立ちはだかるように飛び出した。

 両手両足を大きく広げた、大の字での仁王立ち。

 イオの攻撃から、一般生徒であるマキを身を挺して守る

 

 ――その英雄的な自己犠牲の精神は、完璧だった。

 ただ、守るべき相手と、攻撃の軌道を、完全に見誤っていた。

 次の瞬間、時が止まった。

 イオは、マキの突きをいなしつつ、カウンターとして低い姿勢から閃光のような下段蹴りを放っていた。

 マキは、イオの懐に飛び込み、全身全霊を込めた最速の正拳突きを繰り出していた。

 そして、その二つの攻撃の交差点に、完璧なタイミングで、大樹が飛び込んだ。


 メキッ!

 という、骨が軋むような鈍い音。

 イオの蹴りが、仁王立ちになった大樹の金的に、寸分の狂いもなくクリーンヒットした。


 ドゴォッ!

 という、内臓に響くような重い音。


 マキの渾身の突きが、同じく大樹の背中のど真ん中に、深々と突き刺さった。


「「「………………」」」


 教室中の全員が、息をすることも忘れて固まった。

 マキもイオも、自分たちの攻撃が、全く予期せぬターゲットに着弾したことに、目を丸くしている。

 寸止めで止めるはずのイオの足が、あらぬ場所へと収まっている。

 さすがのイオもこれには動揺を抑えきれなかった。

 屈辱と恥辱のいりまじった表情を浮かべそっと足を下ろすイオ。


「あ……」

 

 まったく関係ない人を殴ったことに気づき顔面蒼白になっていくマキ。

 大樹は、大の字のポーズのまま、カクン、と動きを止めた。

 その顔から、血の気が引いていく。

 瞳孔が開き、口がかすかに動く。


「……な、に…やってんだ、お前は……」

 

 その言葉を最後に。糸が切れた操り人形のように、ずるずると、その場に崩れ落ちる。

 小さく痙攣しながら、床の上で悶絶する。

 慌ててマキが介抱する。


「あの、ごめんなさい、私急に止められなくって……大丈夫ですか!」

「だい、じょうぶ、、少し時間がかかりそうだけど……」


 大樹は冷や汗を流しながらうずくまり掠れた声で答えた。

 そこへ、ようやく人だかりをかき分けて、カオリが教室にたどり着いた。


 「一体、何事ですか……!」


 カオリが見たものは、闘技場のように荒れ果てた教室、その中央に佇む二人の少女。

 そして――床に倒れ悶絶している、先ほどまで人の良さそうに笑っていた「優良物件」の姿。

 カオリの顔が、さああああっと音を立てて、真っ白になった。

 もはや、校則違反がどうとかいうレベルの話ではなかった。事件だ。これは、完全に事件である。

 静まり返った教室に、ただ、大樹のか細い呻き声だけが、虚しく響き渡っていた。


 数刻の後。

 指導室の空気は、革張りの椅子の匂いと、教頭先生の無言の圧力で重く澱んでいた。

 壁際に立たされたマキとイオ。

 その前に座る、胃を痛めている顔の担任・加藤カオリと、まだ顔色の優れない大樹。

 そして、マキの隣で心配そうに寄り添うユリ。

 歪な構成での事情聴取が始まっていた。


「真壁君!一体どういうことかね!君が先に手を出したと聞いているが!」


 教頭の詰問に、マキは悪びれもせずに答えた。

 

「はい。こいつがユリに馴れ馴れしかったんで、ちょっと灸を据えてやろうかと」


 その態度に、教頭とカオリは頭を抱える。

 次に、イオに視線が移った。

 

「私は、ただ友達になりたいと話しかけただけです。突然、彼女が襲いかかってきたので、正当防衛として対応しました」


 涼しい顔での主張に、マキが無言で再び立ち上がろうとし、ユリが慌ててその腕を抑える。

 ここで、被害者である大樹が口を開いた。


「先生方、大変申し訳ありません。

 これは、その……若さゆえの、コミュニケーションの行き違いと言いますか……。」

 

「私も、二人の間に割って入ったタイミングが悪かった。ええ、完全に私の不注意です。

 なので、彼女たちをあまり責めないでやってください」

 

 痛みに耐えながらも、必死に、穏便に済ませようとする大人の対応。

 カオリは(なんて寛容なの……!)と瞳を潤ませた。

 

 教頭は「しかし……」と納得がいかない顔をする。


「ともかく、真壁君はもちろん、七瀬君も。転校初日からこれでは……停学も考えねば他の生徒にしめしがつかないというもの」


 その言葉に、イオが静かに口を開いた。

 

「そうですか。では、今回の件は、私を日本に派遣した外務省の担当官に直接報告した方がよさそうですね」


 「外務省」という、一高校では手に負えない単語。教頭の顔色が、さっと変わった。

 事を大きくしたくない学校側と、任務を続けたい大樹側。反省しないマキと、淡々としたイオ。

 このカオスな状況の落としどころとして、教頭は咳払いを1つして、こう言い渡した。

 

「……分かった。今回は大目に見よう。ただし!罰として、君たち二人には、

 一週間の奉仕活動を命じる!二人で協力して、体育倉庫の掃除をしてもらうからな!」

 

 停学は免れたものの、最悪の相手との共同作業。

 マキは顔を歪め、イオは「?」と不思議そうな顔をしていた。

 放課後の体育倉庫は、埃と古い革の匂いがした。

 マキとイオは、教頭に言われた通り、雑然とした倉庫の掃除を始めていた。


 「ふーん、こんなのが懲罰だなんてやっぱり学生って楽だね」

 

 イオは淡々と呟く。

 マキは重い跳び箱を一人で動かそうとし、イオは反対側をすっと持ち上げて、無言で運ぶ。

 二人の間には、一言の会話もない。

 凍てつくような緊張感が漂っていた。

 隅の方では、ユリが雑巾でボールを1つ1つ丁寧に拭いている。

 なんだかんだで一緒に運んでいる2人を見て笑いながら。

 そこへ、ひょっこりとタケルが顔を出した。

 その手には、小型ドローンが浮いている。

 

 「合理的に行こう」

 

 そう言うと、ドローンが飛び立ち、プロペラの風で器用に埃を落とし始めた。

 マキとイオの頭にホコリが落ちてくる。

 マキとイオが無言でタケルを睨む。

 

「手伝うなら手伝うでちゃんとやりなよ」

 

 と舌打ちするマキ。

 

「こっちの方が効率的だろ?」

 とタケルは悪びれもなく答える。

 イオはそそくさと埃の立たない場所へと避難する。

 

 「はあ……」

 

 とため息をつきつつもタケルのドローンが落とした埃をマキは箒で集め始めた。

 ユリは、そんなやり取りに、思わず笑みをこぼした。

 どれだけ異常な一日でも、この仲間たちといると、いつもの空気が戻ってくる。

 どうにか掃除を終えた頃には、空がオレンジ色に染まり始めていた。

 

「よし、行こうか、オムニトロンへ!ノアが待ってる!」


 ユリが、空気を変えるように明るく言う。

 3人が校門へ向かうと、そこには当然のように、イオがついてきていた。

 マキが、ついに立ち止まり、イオに振り返る。


「……どこまでついてくる気?」

「別に? 私も帰るところだし」


 悪びれる様子もなくイオが言う。


「ふざけんな。私たちは、これから大事な用事がある。アンタは来るな」


「大事な用事? オムニトロンで? 面白そう。私も行く」


 彼女は、質問ではなく、決定事項としてそう告げた。

 マキの拳が、再び固く握りしめられる。


「お前……いい加減に……!」


 マキが、一歩踏み出そうとした、その瞬間だった。


「マキ」


 静かな、しかし凛とした声。マキの腕を、ユリがそっと掴んでいた。

 ユリは、マキの腕を掴んだまま、一歩前に出た。

 そして、イオの目を、まっすぐに見つめた。

 その瞳には、恐怖も、怒りもない、ただ真剣さだけが宿っていた。


「ごめんなさい、七瀬さん」

 

 ユリが深々と頭を下げる。


「今日の放課後は……私たちにとって、本当に、本当に大事な時間なの。私の、わがままかもしれないけど……今日だけは、そっとしておいてくれませんか」

 

 顔を上げたユリの瞳の奥にある光には揺らぐことのない決意のようなものが見える。

 イオは、その光景を、ただじっと見ていた。

 マキの剥き出しの敵意は、理解できる。

 しかし、今目の前にあるものは、全く違う。

 自分より遥かに強いはずの真壁マキを、たった一言で制止する、この弱々しい少女の言葉。

 その行為が持つ、不可解なほどの力。


(不思議な顔をする……これが、鈴掛ユリ……か)

 

 今日初めて、イオは色々なものを見たし、知った。

 同世代の日本の学生が何に熱狂し何を大事にし生きているのか。

 任務以上に自分にとっての日常とかけ離れたこの学生達への興味は尽きなかった。

 だが今、「知りたい」という好奇心以外の、奇妙な感覚に襲われた。

 自分が決して持てないものを、目の前で見せつけられているような、胸の奥の空洞感。

 彼女は、ふっと息を漏らした。

 それは、いつもの楽しげな笑みではなかった。


「……分かった」

 

 彼女は、あっさりとそう言った。


「今日は、見逃してあげる」

 

 マキが、驚いて目を見開く。


「そんなに真剣な顔をさせるほどの“大事なこと”が、オムニトロンにあるんでしょ? 私も、興味が湧いてきたから」

  

 彼女は最後に、もう一度だけ、ユリの瞳の奥を覗き込むように見つめると、くるりと踵を返した。

 そして、一言だけ、夕暮れの空気に溶けるように、呟きを残していった。


「――また、明日ね」

 

 その背中が夕闇に消えていくのを、3人はただ、呆然と見送ることしかできなかった。

 嵐は去った。しかし、彼女達の「聖域」に、異物の視線が確かに突き刺さったことを、誰もが理解していた。

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