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CordeRED

 蒼樹市は、日本の太平洋沿岸に位置する新興都市である。

 かつては漁村として栄えたこの地域は国の推進する「未来都市計画」の一環として設立された。


 国内外を問わず先進的研究開発をする企業を税制面で優遇するなどして

 積極的に誘致したことで現在では様々な企業がこの都市に社屋を構えている。

 その未来的都市の中心部は高層ビル群に覆われその中でも象徴的存在。

 それがホライゾンツリーである。


 チーム・ラプターの面々はホライズンツリーに到着すると地下駐車場に入った。

 大樹を下ろし残ったメンバーは新型の特殊車両に待機する。

 大樹はランドマークタワーのエレベーターから屋上へと昇る。

 エージェントが到着するというヘリポートに向かった。


 ヘリポートで待つこと数刻。

 ローター音と巨大な影が近づいてくる。その振動と風が大樹の肌を刺した。

 やがてアメリカ駐屯軍のヘリが着陸した。


 ゆっくりとドアが開き、人影が馴れた様子でヒョイと降りてくる。

 降り立ったのは一見すると儚げにも見える日系の少女だった。


 タイトな黒のボディースーツに、

 ダボっとした赤の軍用ブルゾンを羽織っている。

 16,7歳くらいだろうか?年相応の可愛らしさと、

 年齢不相応の隙のなさ。


 (まさか、こんな子供がエージェントなのか?)


 しばらく待っていたが他に誰も降りることなく、

 ヘリは彼女を下ろすと再び飛び立っていく。

 赤みがかった彼女の瞳が大樹を捉える。


「Are you my pickup?」

 最初の一言は英語。


 大樹が名乗ろうと一歩踏み出した、その瞬間だった。

 なぜか一瞬で目の前にいる。彼女との距離は7Mはあったはずだ。

 どういうことだ?そう考える間もなく視界が跳ね、地面が近づく。

 肩を取られ、肘を刈られ、重心を崩され——完璧な制圧。

 大樹はすぐに跳ね起き、間合いを取る。

 小柄なエージェントは両手を腰に当て、澄ました顔で小首をかしげた。


 「ね、これが日本のエリート?」


 低いトーンの日本語で彼女が尋ねた。

 ガラス玉のような丸く大きな瞳がこちらをのぞきこんでいる。


(まったく……こんな子供にまで……コケにされるのかよ……

 調子に乗せたままにはできないよな)


 大樹は歯噛みしてイオを見上げる。


「……さっそくお試しってわけですか」


 二、三発。大樹は受けに回りながら、相手の呼吸と視線の癖を読む。

 四発目、タイミングを読み、踏み込んだ。

 それに合わせて後ろに飛んだ彼女はぱっと両掌を見せて降参ポーズをとる。


「OK、OK!やるじゃん」


 一転して屈託のない笑顔。声のトーンも高い。

 彼女は手を差し出す。


「私は七瀬イオ。アメリカ籍O.A.S.I.S.のエージェント」

「SCSA、チームラプター所属の藤原大樹です。……日本語、上手ですね」


 大樹はその手を取ろうとしたが、

 その手には乗らないとばかりに握らずホコリを払う。

 イオは肩をすくめ前に出した手を引いた。


「私、ルーツは日本だからね。勉強したんだよ。」


 彼女はくるりと背を向ける。

「だからこの国にずっと来たいって思ってた」と呟いた。

 

 イオはフェンス際へ駆けていく。

 夜景を見下ろし、両腕を上に伸ばして「ん――」っと、

 子供のように背伸びをする。

 大樹がフェンスに近づいていくと、

 いつも通りの蒼樹市の都市の夜景が目に入った。

 フェンスに寄りかかり町を見渡すイオの瞳には都市の明かりが映りこむ。

 赤みを帯びたその瞳にはやがて虹色の光を帯び始めた。

 ガラス玉の底に七色の光が宿ったかのように、

 その瞳は鮮烈な輝きを放っているが大樹からはその様子は見えていない。

 

 イオの瞳には、大樹の見る夜景とは全く異なる光景が映っていた。

 街を縁取る無数の光の線がワイヤーフレームのように浮かび上がり、

 重層的な光の都市を形成している。

 それはまるで、現実の街の上に、

 もう一つ別の光の街が透けて見えるようだ。

 大樹の目に映るのはいつもと変わらない夜景と自由気ままなゲストの背中。


「自分は司令部からあなたの作戦の手助けをするよう言われています。

 作戦については……」


 大樹が言い終わらないうちに、イオの言葉がその質問を遮った。


「ねえねえ、あれは何?」


 彼女が指差す先は、町の外れにある山間。

 大樹には、ただ古びた神社の屋根が見える。


 「あれは神社……翠柱神社という古い神社ですね」。


 しかし、イオの瞳に映る翠柱神社は、

 緑色の光の巨大な柱が天へ向かって高く聳え立つ、荘厳な存在だった。

 現実の建物の輪郭を無視し、純粋なエネルギーの塊のように輝いている。

 

 「へー……神社。そかそか。じゃあっちは?あのガラスの箱みたいの」


 次にイオが指さしたのは、洗練された近代的な施設。


「あれはオムニトロン。先端医療、メカトロニクス、

 AIなど近代技術全般の開発をしている複合企業ですね」

「近代技術……なんの研究してんだか……」


 イオの目にはそのビルの上空に、無数の青い光の粒子が立ち上り、

 まるでオーロラのように淡く揺らめく光が立ち上っている。


(こっちの話は全然聞いてないし、さっきからなんなんだこいつ)

「何が気になるんです?」


 その光景が見えていない大樹はため息まじりに訊く。

 イオは答えない。

 その視線はオムニトロンの敷地から逸らせずにいる。

 夜の通用口から出てきた二人の女学生らしき人影に釘付けになっていた。


 一人は車椅子。もう一人がそれを押している。

 制服のスカート、肩にかけたカバン。

 場所を考えなければ、ただの帰り道の風景。

 イオにとってはそうではなかった。

 車椅子の少女から、薄く青白い光が立つのが見える。


「……うわ」


 イオは無意識にフェンスに身を乗り出していた。

「すごい、あんなの初めて見る。これのことか……」


 頬が紅潮し、丸い瞳を大きく見開く。

 今まで一番高いトーンの囁き。


「どうしたんです?」


 と大樹がいぶかし気に聞く。

 ふと彼女の横顔を見ると瞳に虹色の光が宿っているのが見えた。


(なんだ、この瞳の色?!)


 大樹の表情に気づくと、イオは悪びれもせず言った。


「あ、ごめん、ごめん。そういやまだ何も説明してなかったね」


 彼女は虹色に光る瞳で大樹をまっすぐ見つめ、自分の目を指差して言う。


「私の目は人と違うものが見えるんだよ。”兆視”って言ってね。

 まあ、いろんな兆しが色に見えるとでも思って」


 イオは大したことではないとでもいいたげな口調でそう告げる。


(一体なんなんだよ、こいつ……)


 大樹が彼女への不信感を募らせていた最中、

 ミサキの声が大樹のヘッドセット越しに耳を叩く。


「監視カメラ抜いた。送る」


 大樹の端末に映るのは、制服の少女が二人。

 車椅子の少女とスラッとした長い髪の少女。

 いつのまにかイオが横から覗きこむ。

 その瞳には、まだ抑えきれない興奮の色が残っている。

「よし」と言いイオは翻る。


「あの子たちのとこに行こう」

 

 そう言い少し辺りを見回すとエレベーターの乗り口に向かって走り出した。


 (こんなに早く見つけられるなんてついてる!)


 イオの中に秘められた期待がその足を突き動かしていた。


 その瞬間。

 大樹のヘッドセットとタブレットに、

 けたたましいアラート音と共に全域通信の警報が響き渡り、

 空気を一変させた。


《CODE RED。蒼樹市外縁、鶴鳴橋付近に敵性反応。

 高レベル災害に準ずる危険を警告します》


 CODE RED――集団の人命に関わる最上位警報。

 数年に一度あるかないかの異常事態の知らせ。


(CODE REDだって?!高レベル災害?ヴァーミックスとは違うのか?!)


 大樹は即座にインカムを司令部へのチャンネルに切り替えた。


「司令部、こちらラプター・ワン!鶴鳴橋でCODE RED!状況を!」


 イオは走り出そうとした足を止め、忌々しげに舌打ちすると、

 再びフェンス際へ駆け寄り、夜景に瞳を凝らす。

 視界が瞬時に切り替わった。都市の光のレイヤーを捉える。

 橋のたもと――遠目にも分かる、禍々しい一本の赤い柱。

 そして、その中心に蠢く者。

 丸みを帯びた目に、鋭い光が宿った。


「……禁忌だ」


 凝視しながら、イオは不愉快そうに、しかし確信を持って呟いた。

 その時、大樹のインカムに、割り込むような形で別の声が入ってきた。

 それはハーミットでも、支局長でもない。フラットで、

 感情のない合成音声――ヴィータシンスの戦術顧問、サイラスの声だった。


《――藤原捜査官、その必要はない。

 当該事案はエコーズが既に対応を開始している。

 貴官らは極秘任務とやらに専念せよ》


「待ってください!CODE REDですよ!?

 エコーズだけでホントに対応できるんですか!」


 大樹は思わず声を荒らげる。

 CODE RED対象にエコーズだけで対応するなど、

 いくらなんでも無謀としか思えない。


《エコーズの装備は対ヴァーミックス―いや、あらゆる脅威に最適化されている。

 君たちの旧式装備では足手まといになるだけだ。繰り返す、待機せよ》


 一方的で、有無を言わせぬ口調。大樹は唇を噛む。またこれか。

 組織の命令と、ヴィータシンスの横槍。

 そして、目の前には得体の知れないO.A.S.I.S.のエージェント。


「待って」


 静かだが、有無を言わせぬ響きを持つ声が、大樹の葛藤を遮った。

 イオはフェンスから離れ、大樹に向き直る。

 その瞳から、先ほどの興奮の色は消え、氷のように冷徹な光が宿っていた。


「あれは、そんな生易しいものじゃない」


 先ほどまでの飄々とした態度とは全く違う、真剣な声色。


「あれは”禁忌”そのもの。

 あれに比べたら、ヴァーミックスなんてのはただの虫同然だよ」


 イオは、大樹のインカムを指差す。

「その『エコーズ』とかいう部隊を行かせたら……全滅する。

 間違いなくね。アレはつい最近も軍事拠点を壊滅させてる」


(全滅……?軍をだと……?)


 大樹は息を呑んだ。目の前の少女が口にしている言葉の重み。

 それは単なる憶測ではないという、確信に満ちたものだった。


(どうする……?一体、何が起こってるかは分からないが、

 放っておいていい問題じゃない……)


 イオは、大樹の返事を待たずに、踵を返した。


「タイミング悪いけど……仕方ないか」


 イオは目を閉じ頭の中でこう念じた。


(”Wake up, Lancer”)


 特殊車両のハンガーで重翼の機体「ランサー」が起動シーケンスに入る。

 彼女は再び大樹に向き直ると、ランサーの起動シーケンスを確認しながら、

 一方的に告げる。


「ランサーを起動した。すぐ出すよ。準備、できてる?」

「え、あ、ああ……もちろん」

 

 大樹は反射的に答える。


「ミサキ、ランサーを出す!俺もすぐ下に行く!」

「了解!」


 ミサキの声がインカムから返る。


「ハッチ解放急いで!」


 ミサキが叫ぶとその後ろでイサムとユウが起動し始めたランサーを見て、

 慌ててハッチを解放していた。


(……これが人類の敵性事象ってやつのことなのか?

 正直、何が何だか分からないが……言ってる場合じゃなさそうだ)


 点滅するCODE REDシグナルを見つめると大樹は腹を決めた。


「作戦の詳細はあなたからと聞いていますが、指示は?」


 大樹はこのエージェントの能力をいまだ知らない。

 この事態にどう対処するべきか正直まだ図りかねている。


「指示ね」


 イオは感情のない人形のような表情で言った。


「何があっても私より前に出ないで。」

「……?」


 大樹が彼女の意図を図りかね不思議な顔をする。

 イオは続けた。


「死人が増えるから」


 感傷を無くしたような口調で彼女は言った。

 そんな光景を沢山見てきた、とそう告げているかのようだ。


「とにかく、決して前に出ないで。――分かった?」

 そうイオは有無を言わせぬ口調で告げた。


「――了解」

 

 大樹はこの時、なぜか素直に従ってしまう凄みをこの時感じた。

 イオは、名残惜しそうに一度だけオムニトロンの方向を見ると、

 大樹に向かってまっすぐな目で見据える。


「これからあなた達が向き合うのは長らく禁忌とされているもの。

 ……生きて帰れるといいけど」


 ブオン、という重低音と共に、

 黒いカーボンの躯体「ランサー」がフェンス越しに舞い上がる。

 イオの黒い髪が夜風に激しく煽られる。


「やばいと思ったらすぐ撤退。誰も責めはしない」


 イオはそれだけ言ってランサーにぶら下がると、

 瞬く間に都市の闇へと消えていった。

 大樹は小さくなっていくイオをあっけに取られた様子で見ていた。


「くそ……碌な説明もなしに、

 不吉なこと言うだけ言って行きやがって……!」


 エレベーターホールに向かう合間、大樹は一人毒づく。

 だが、彼の心は決まっていた。

 インカムにミサキを呼び出す。


「ミサキ、状況は変わった。エコーズのことは忘れろ。

 ラプターはこれより、エージェント・イオを追って鶴鳴橋へ急行する!」

「……了解!」


 ミサキの、どこか吹っ切れたような声が返ってきた。

 唐突すぎる展開。組織への不信感。そして、未知の脅威。

 言い知れぬ不安が渦巻く中、しかしCODE REDという事実は変わらない。

 大樹はラプターと合流すると、夜の闇を切り裂くように、

 イオの後を追って鶴鳴橋へと向かう。

 特殊車両が夜の蒼樹市を疾走する。

 大樹はインカムのスイッチを入れ、

 SCSA司令部のメインチャンネルに接続した。


「こちらラプター・ワン。現在、鶴鳴橋へ向かっている。

 現場の状況を報告せよ」


 あえてサイラスの命令を無視した形での報告。通信の向こうで、

 オペレーターが一瞬息を呑むのが分かった。


「……ラプター・ワン、エコーズからは待機命令が出ていたはずだが」

「CODE RED事案だ。現場の戦力が不足していると判断した。

 繰り返す、エコーズの状況を報告せよ」

 

 大樹は、有無を言わせぬ口調で畳みかける。

 数秒の沈黙の後、オペレーターが諦めたように答えた。


「……了解。エコーズは現在、対象と交戦中。映像と音声を転送する」


 車両の前面モニターに、

 エコーズ隊員のヘルメットカメラからの映像が映し出される。

 霧が立ち込める鶴鳴橋。街灯の光が滲み、視界は悪い。

 強化装甲を装着したエコーズの隊員たちが、

 橋の中央に立つ”人影”を包囲するように展開している。


 「おい……人間じゃないのか?あれは?」

 

 映像からははっきりとは分からない。

 災害レベルの何かは人の形をしている。

 エコーズの隊員が一定距離を保ちその不審者を警戒している。

 そこにいたのはヴァーミックスやヒューマノイドでもない、

 黒いスーツにハットを目深く被った男。

 しかしその体躯は一般人のものではない。

 軍人かプロレスラーがスーツを着ているような違和感のある風貌。


 「この地区はCODE REDによって現在封鎖されている。ここで何をしている」


 エコーズの隊員が男に警告する。

 しかし男は何も答えずじっとこちら静観している。


《各員、距離を維持。対象のバイタル、エネルギーパターンをスキャン》

 後方からサイラスの合成音声が指示を出す。


 サイラスはエコーズが敷く布陣の後方から、

 その機械化された頭部のセンサーから細いレーザーを幾筋も照射し始めた。

 

 彼のモニターに表示されるバイタルサインやエネルギー分析の数値が、

 目まぐるしく変動している。


《対象の分光スペクトルを分析……組成パターン、

 データベースに該当なし。

 炭素同位体比異常……未知の長鎖高分子を検出》


 サイラスは、意外なほど慎重だった。

 すぐには攻撃命令を出さず、データ収集に勤しんでいる。

 まるで、未知の生物を観察するのを楽しむように。


(サイラス、何を考えている……?)


 大樹は通信を見ながらそんな風に考えていた。

 帽子の男が、顔や手にかかるレーザーを見つめる。

 彼は初めて反応を見せた。

 

 男の背中がボコボコと蠢く。

 袖口やスーツの隙間から赤黒い液体が湧き出たと思うと、

 そこから狼のようなものがずるりと這い出し、実体化する。

 

 CGでもホログラムでもない。生々しい肉体と、

 血の匂いを感じさせる確かな存在感。

 男は静かに口を開きしゃがれた低い声で呟く。

 

 “Advance, two by two.”

 

《これが……”禁忌アノマリー”……ようやく巡り合えた!》

 

 サイラスは歓喜の声と共に腕を振り上げ攻撃命令を出す。

 エコーズ隊員たちが腕部に装着されたブレードを起動させ、

 狼へと襲いかかる。

 しかし、狼たちは驚異的な俊敏さでそれを躱し、

 あるいはブレードを受け止め、逆に隊員の装甲を容易く引き裂いていく。


「ぐあっ!」「装甲が!」「こいつら、切っても再生している!?」


 屈強なエコーズの装甲兵団が次々と蹂躙されていく。

 大樹が見つめるモニター越しに、

 エコーズ隊員たちの悲鳴と混乱した声が飛び込んでくる。

 ミサキが隣で息を呑むのが分かった。


「何これ……ヴァーミックスとかそういうレベルじゃない……」


 大樹たちが対峙したヴァーミックスとは、明らかに次元が違う。

 帽子の男が、さらに低い声で呟く。


 “Suppress right flank.”


 右翼の狼たちが一斉に咆哮すると、

 その音波だけで周囲のコンクリート壁が粉塵を吐き、

 エコーズ隊員のバランスを崩させる。

 銃撃を加えるが、弾丸は狼の体表で飲み込まれるように消えてしまう。


《……想像以上だ。やはり物理法則が……歪んでいる?

 全ユニット、最大出力で対象ごと焼き払え!》


 サイラスの声に、若干の焦りの色が混じる。

 エコーズ隊員たちが肩部のマイクロ波照射器や火炎放射器を構える。

 しかし、彼らが発射するよりも早く、帽子の男が再び動いた。

 数頭の狼が、エコーズの隊列の間をすり抜ける。


 “Breach now.”


 狼は彼らの背後で自爆するように爆ぜた。

 橋の路面が抉れ、爆風と破片が隊員たちを襲う。

 モニターの映像が激しく乱れ、ノイズと共に次々と暗転していく。


「エコーズ!応答しろ!」「ダメです、通信途絶!」「生存者、確認不能!」


 司令部オペレーターの悲痛な声が、大樹のインカムに響く。


(全滅……だと……!?)

 

 その時、かろうじて繋がっていたサイラスの視覚センサーからの映像が、

 モニターに映し出された。

 彼は部下たちの壊滅には目もくれず、ただ目の前の男を睨みつけていた。


《……興味深い。実に興味深いが、これ以上の損耗は許容できん》


 次の瞬間、サイラスの機械化された頭部、

 その中央部分が音もなくスライドし、内部からレンズのようなものが現れた。

 レンズが青白い光を収束させていく。


「おいおい、嘘だろ……あんなもの隠し持ってるって……

 エコーズはなんでもありかよ!」


 車両でその様子をモニターしていた大樹が声を荒げる。

 閃光。

 一条の高出力レーザーが、帽子の男の胸部を撃ち抜いた。

 傍にいたエコーズの強化装甲が蒸発していく。


 帽子とスーツが焼け落ち男の体が露出している。

 ただその体黒く煤けているが、無傷だった。

 レーザーは彼の体を透過したかのように、

 背後の欄干に命中し、溶けた金属を撒き散らした。


 男は、ただ静かに、レーザーが照射された自身の胸元を見下ろし、

 そして、ゆっくりと顔を上げる。

 その瞳には、何の感情も浮かんでいなかった。


《……馬鹿な。エネルギーが……透過……?そうか、これが位相転換……》


 サイラスの声に、初めて完全な動揺が走った。

 彼の計算と理解を、目の前の存在は完全に超えていた。

 男が、ゆっくりとサイラスに向かって歩き出す。絶望的な状況。


「くそ、間に合わない……」


 後500M先を右折したら鶴鳴橋というナビゲーションの表示。

 その時、大樹たちの車両のフロントガラス越しに、

 夜空を切り裂いて降下してくる黒い影が見えた。

 漆黒の翼が右に傾き旋回していく。

 イオはランサーの腹部ハーネスにぶら下がったまま、

 足先で路面との距離を測る。


「ここでいい、降ろして」

《DROP:OK》


 ランサーの機械音声がイオの頭上から響く。

 ボディスーツの金具とハーネスが外れ、

 イオはコントロールバーの上に腹ばいになる。

 ランサーが地面近くを飛び男とサイラスを視界に捉えた。

 

 イオのコンバットブーツの底が淡く光る。

 イオは勢いよく一瞬上に跳ねると、

 鉄棒のようにくるっと回りコントロールバーから飛び出した。

 その勢いのまま男に目掛けてドロップキックの姿勢で突進していく。

 ドゴン!という鈍い音が響いた。


 イオのブーツの底が男の胸部を直撃し、

 数メートル先へと男を吹き飛ばしている。

 イオは橋上の男が立っていたあたりでゆらりと立ち上がる。

 ブーツやボディースーツに淡い光の筋の模様が浮かび上がっている。


 「そこの人、やばい相手だって分かるでしょ?早く下がって」


 イオはサイラスの不気味な機械の頭を一瞥すると冷たくそう言った。


《……そうか、ラプターの護衛対象がまさか君のことだったとはね。

 アリューシャンの亡霊殿》


 イオはチっと短く舌打ちした。


 「知ってるなら、あとは専門家に任せてくれるかな?」

 《では、ここはお言葉に甘えよう》


 サイラスはそういうと橋のたもとのエコーズの車両まで後退していった。

 橋の中央、街灯の円の中心で倒れていた男が立ち上がる。

 彼の腕や背、足は“赤黒く”染まり血に染まった狼のようなものが、

 体から直接ずるり、ずるりと這い出していた。


 《CAUTION:PHASE INTERFERENCE》


 イオの頭上でホバリングしていたランサーが警告を発する。


 「分かってる。黙って上空待機」


 イオの瞳が虹色の粒子で満たされる。兆視の焦点が合うと、

 男は“群れを従えた赤黒い大きな狼の影”として映る。

 狼は獣の息遣いをしながらも、赤く光る視線は冷たく統一され、

 その足は規則正しく地面を叩く。


「データ照合。一致。コードネーム、”ローン・パック”。

 禁忌の存在を目視で確認。」


 橋上、イオと男が15M程度の距離を開けて対峙している。


「ローンパック。シンガポールでは随分暴れてくれたみたいだね。」


 イオが声を投げると、ローンパックは軽く顎を上げただけだった。

 遠くでサイレン。けたたましいタイヤのスキール音と共に、

 チームラプターの特殊車両が橋の手前に滑り込んできた。

 ドアが開き、藤原大樹とチーム・ラプターの隊員たちが飛び出してくる。


 「な……んだ、これは……!?」


 破壊されたエコーズの強化装甲の残骸と亡骸。

 そして、その中央で、異形の狼を生み出し続ける男と、

 それと対峙する小柄な少女。

 先ほどの通信で聞いていた状況を、遥かに超えた異常事態だった。

 イオの言っていた「全滅する」という言葉が、

 現実のものとして目の前に突きつけられる。


「ラプター・ワンより司令部!現場到着!

 エコーズは……壊滅状態!対象は依然健在!」

 大樹はインカムに叫びながら、部下たちに指示を出す。


「各員、距離を取りつつ警戒態勢!」


 イオは大樹たちを横目に見る。


「もっかい言うけど。死にたくないなら、そこから前に出ないで。」

 大樹は短く頷く。口の中が乾き、心臓が嫌な音を立てていた。

 ローン・パックは、SCSA部隊にも意を介さない様子で、低い英語で呟いた。


 “Regroup. Analyze.”

 

 数頭の狼が、イオを取り囲むように、

 しかし距離を保って動き始める。

 先ほどエコーズに見せたような、単純な突撃ではない。

 相手の能力を探るような、慎重で、統率の取れた動き。

 背中からはさらに狼がにじみ出て、次々と路面に爪を立てる。


 “Suppress right flank.”

 

 右側の群れが一斉に咆哮。空気が震え、橋の壁面が再び粉塵を吐いた。


 「うわああ!!」

 

 たまらずユウが拳銃を発砲する。

 弾が命中しても狼は崩れず、歩を止めない。

 

「ユウ!冷静になれ!!くそっ!どういう原理だ……」

 

 大樹が息を呑む。イサムが動揺したユウの肩を揺すり諫めていた。

 

 「分からない……でも見てるだけで気分が悪くなる……」

 

 ミサキは嗚咽をもらす。

 

 「禁忌とされた存在、人の皮を脱いだ者だよ」

 

 イオは視線をローン・パックから切らずに言った。


 「ま、こっちも似たようなものだけど」


 彼女は片手を上げ上空に止まるランサーを見上げる。


 「ランサー、NineJailナインジェイル

 《DELIVER:NineJail》


 機体腹部が開き、

 淡く光るサークル状のモジュールがイオの腕へと滑り込む。

 サークルは不思議な光を放ちイオの腕で回転している。

 掌より少し大きい円環の“リボルバー”

 周縁に細いピンが装填され、

 各ピンにはなにか文字のようなものが刻まれている。


 イオは右腕を前に突き出し、引き金を引くように指をわずかに曲げる。

 "ブオン"という低音があたりに反響し、円環が高速で回転する。

 一射目。光を帯びたピンが空間へ飛び、”基底位相”を捻じ曲げる。

 世界が元に戻ろうとする復元力が、ピンをその座標にがっちりと固定した。

 淡く光る波紋が空間に煌めく。

 二射目を対になる位置へ。

 3、4、5――続けざまに撃ち込む。回転するたび微細な振動が重なる。

 ――7,8,9。空間に点を刻み、光の格子が繋がる。


 それは大昔の陰陽道が九字と呼んだ結界を思わせた。

 完成した瞬間、空気の肌触りが変わる。

 世界が裏返る。

 イオの背中越しにその光景を見ていた大樹はそんな感覚を憶えた。


「逆位相、展開して」


 イオは片手で印のような動作をしがら、

 そう言うと立体に配置された「九字」が光の牢獄を築く。


《PHASE:REVERSEFIELD:ONLINE》


 ランサーが機械的な音声を上げる。

 ローンパックの狼が格子に触れ、弾かれる。

 もう1頭牢獄にもぐりこんだ狼はささくれ立ち、

 赤黒い体毛が裂け、霧散する。


《なるほど……フェイズシフトしなければ根本的な対処はできない。

 そういう仕組みか……》


 サイラスが離れた場所からその様子を伺い、データを収集していた。

 大樹は固唾を飲んで見守る。


(よし、効いてる……!だが、ローンパックはまだ動かない。

 様子を見ているのか?)

 

 イオの来ているボディスーツが虹色の粒子に反応し、

 極細の金属繊維に光脈を走らせた。

 空中にピンを三本射出する。

 瞬時に形成された三角形の光の格子に飛び乗ると、

 彼女は空中の足場として利用した。

 ブーツの底がフィールドに触れる瞬間反作用を起こしたように淡く光る。

 イオはその1歩で10Mほど飛ぶと別の狼の間合いに入り、

 顎元に掌底のような動作。掌が淡く光る。

 そこから生まれた波動が狼を包む。


 ボンという鈍い断裂音。狼は形を失い、赤黒い霧のように消える。

 後方に翻り跳躍すると他の狼に背中に拳を突き刺した。

 返す刀で別の狼を蹴り上げると浮いた狼の腹部に掌底。

 ボン、ボン、ボンと断裂音と共に次々に狼が霧散していく。

 ローン・パックは、そのイオの動きを静かに観察していたが、

 やがて距離を詰めながら、新たな指令を下した。


 “Target the reinforcements. Breach.”


 数頭の狼が左右に分かれイオを無視し後方のラプター部隊に突撃する。

 かと思うと顎が裂け咆哮し、爆ぜた。


 「下がれ!」大樹が叫ぶ。

 橋の路面が抉れ、ラプターの隊列が分断される。


(くそ、なんなんだ、どっちも化け物すぎて……何もできない……)


 大樹は唇を噛む。

 イオは広範囲にピンを打ちこみ再び九字を切る。

 牢獄はイオの背中側に複数の格子を括り直した。


 「ランサー、出力を上げて!」

 《OUTPUT:UP》

 《110……120》


 陣が鳴動すると、

 大樹達を包囲していた狼の群れを霧のように次々と霧散させていく。

 ローンパックがゆらりと動く。


 “Encircle!! Kill zone established!!”


 獣の咆哮が辺りに響きわたる。

 ローンパックを中心に赤黒い大きな血溜まりが発生する。

 そこから大量の群れが這い出ようとしている。

 まるで一瞬の間に地獄が広がるようだった。狼が橋上を埋め尽くす。

 橋全体が赤く染まるほどの物量。橋上は完全に闇の者たちの狩り場になった。

 狼が音もなく陣を組む。

 ラプターの退路が消えた。

 大樹は反射的に拳銃の照準を合わせるが、腕がわずかに震える。

 かまわず打ち続けた。

 血濡れた狼は銃弾を受けてなおヒタヒタと距離を詰める。


「駄目、押し切られる……」


 ミサキも大樹に続けて打つがじりじりと道路亀裂へと追い込まれている。

 イオの声が鋭く響く。


「そこを動ちゃだめ」


 瞳の虹色が強い光を帯びた。

 

「――今、開けるから」


 彼女の前には、いつの間にか飛来していたランサーが、

 垂直に浮上し、”盾”のように浮かんでいる。


「ランサー、位相励起最大。モード“アバランチ”」

 

 イオの声が響き渡る。

 ランサーの機体中央部が花のように開き、

 内部から蒼い光を放つコアが露出する。

 そこから、花弁が6本射出され、前方の空間に、

 六角を描くように複数空間に固定された。

 ブォォォン、と震えるような重低音が響き渡り、

 ランサーの機体が、盾の形状から「砲台」へと変形していく。


「――リリース」


 瞬間、六角陣の内側の空間に、

 パキパキとガラスが砕け散るような音を立てながら、

 前方へ空間の書き換えが始まった。

 

 位置と色がずれ、亀裂と歪が空間を侵食していく。 

 そして、凝縮された何かが、前へと解き放たれた。

 それは、世界の理そのものを削る、空間位相の雪崩だった。

 狼たちは、その絶対的な破壊の流れに、なす術もなく飲み込まれていった。

 

「今!」

 

 ラプターが隊列を組み直し、橋の外へと滑り出す。

 大樹が最後尾で振り返ると、

 ローンパックは警戒したのか欄干へと避難している。

 ローンパックとイオは視線を逸らさず睨み合っていた。

 ローンパックは一言も発さない。


 次の瞬間、残った群れは霧のように収束し、ジョンソンの体表へ吸い戻された。

 ローンパックは踵を返す。

 気配ごと、夜の闇に溶けていく。


 静寂――では、終わらなかった。

 パン。乾いた一発。

 大樹の頬に熱が走り、裂ける。体が勝手にしゃがみ込んだ。

 イオは即座に顔を上げ、視線をそこに送る。

 川岸の遠いビル屋上、伏せるライフルのようなものを構えた影。

 川岸の闇には、もう1つの影が立っていた。

 長身の男。見ているだけで重苦しい気分になる。


「カリム……」


 イオが短く吐き捨てる。

《LANCER:RTB?》

「うん。追わない。向こうもその気はないみたいだしね」


 スナイパーが長い髪を靡かせて翻る。長身の男の影もすっと消える。

 川風が巡り、橋はいくつかの傷跡を残し静寂の夜の姿が戻る。

 事の成り行きを見守っていていたサイラスに、

 冷たく抑揚のない声が秘匿回線を通じて語りかけた。


「禁忌のデータは取れたようだな」

《はい、予想以上の収穫です。帰投しだい報告に上がります》

「分かった。」


 通信が終了するとサイラスは翻り、

 エコーズの車両に乗り込み霧の中へと消えていった。

 大樹は息を吐き、手の震えを押さえながら立ち上がる。

 視界の端で、イオのボディースーツがまだ淡く光っている。

 大樹とミサキはさっきまで人間の形をした何かと、

 人間の形をした何かが戦っていた場所を呆然と見つめる。


 巨大な竜巻にでもあったかのような爪痕がそこかしこに広がっている。

 敵も味方も化け物だった。

 自身の理解を超えた現実を見た今、

 得たいの知れない何かがこの街で始まるであろうことを直感した。

 

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