幕間:修道院のミオ2
神殿の麓は巨大なハンガーになっていた。
白衣を纏った研究者。油にまみれた作業服のメカニックたち。
皆、慌ただしく手を動かしている。
中には修道院で見知った顔もあり、ミオに気づいて親しげに手を振ってくれた。
ミオが満面の笑みで振り返すと、エヴァが「こっちだよ」と前方を指し示す。
その先には、エスカレーターの階上に聳え立つ建築物が見える。
ギリシャのイオニア様式を思わせる円柱が連なる先には、
様々な彫刻が施された重厚なファサードが広がっている。
エスカレーターを上り切ると荘厳な神殿が姿を現した。
「すごーい!これいつからあるの?」
「さあね?少なくとも軽く1000年以上昔だろうね」
ミオは悠久を感じさせる円柱を見上げながら進んでいく。
石扉の前に立つと、巨大な「翼」を象った青銅の意匠が、
重さを感じさせない静寂を伴って左右に分かれた。
目の前に広がったのは、先ほどの喧騒とは打って変わった、静謐な空間。
フロア中央のホールは天井まで突き抜けていた。
壁側には幾層にもテラスが張り巡らされている。
各階には個別の部屋へと繋がる扉が整然と並んでいたが、
ミオの視線は、中央に鎮座する「それ」に釘付けになった。
フロアから天井までを貫くように屹立する、巨大な箱。
ガラスのように透き通るその中では淡い光を放つ幾何学の紋様が、
まるで生き物のようにゆっくりと脈動していた。
その透明な箱を囲うように様々なセンサーが配置されている。
「ふわあ……きれいだね……」
ミオは吸い寄せられるように、歩み寄る。
透明な箱の拍動に合わせて『囁く者』が、かつてないほど心地よく囁く。
《קכה……עב》
「……コケヘ……アブ?
えーと、数字にすると、683 72だから……」
ミオは聞こえた囁きを懸命に変換しようと試みるが、
初めて聞くゲマトリアを「言葉に戻す」ことは容易なことではない。
ミオが指折数えて悩んでいるとエヴァがミオの頭にポンと手を乗せる。
「72(アブ)は”ケセド”、683(コケヘ)は”共鳴核”
”ケセド共鳴核”、つまりその結晶体のことだよ。
私達は単に”レゾネーター”と呼んでる。」
「すごい!エヴァもゲマトリア分かるの?」
期待に満ちた瞳で見上げるミオに、エヴァは苦笑いを返した。
「まさか。解読は無理だよ。これが”コケヘアブ”だって知ってただけさ」
「なんだ。んー、”けせどけっしょうたい”って何?」
エヴァの言葉にミオは少し落胆したように唇を尖らせた。
「”ケセド共鳴核”な。700年前に遺跡から発掘された遺物でね。
誰が作ったのかも分からない、不思議な力を持った石だよ」
「そうなんだ!」
ミオはそう言うと途端に目をキラキラと輝かせて、
続けざまにエヴァを追い立てるように質問を浴びせかけた。
「ねえ、どんな力があるの?!」
「ふふ、興味が湧いたかい?
こいつはね、特別な魂を持つ者を見つけることができるんだよ。
ただし、それは人間だけじゃなく、恐ろしい化け物も含まれるがね……」
「すごーい!ね、化け物って?そんなのがいるの?どんなやつ?」
化け物と聞いても怯えるどころか、
ワクワクした表情を浮かべるミオに、
エヴァは内心で舌を巻いた。
その純粋さは頼もしくもあったが、
いつかこの子が戦いに身を投じていく未来を思うと、堪らなく心が痛む。
エヴァはミオを抱きかかえ、レゾネーターのすぐ傍へと近づいた。
「青い光と赤い光の粒が見えるかい?」
レゾネーターに脈動する幾何学模様の中に、
淡く大きな青色、そして点在する赤い小さな火花、
さらには静かに揺らめく緑色の光が見える。
「うん、これは何?」
「最初はこれがなんなのか誰も分からなかった。
けれど、これが見つかって100年が過ぎた頃、
レイブンスウッドという名の貴族が謎を解明して見せた」
「どうやったの!?」
ミオの瞳が好奇心で大きく開かれる。
「聖ジュリアンという”幻視”の力を持つ聖女を連れてきたのさ。
するとこの箱は青く発光しだした。
彼女の持つ魂の光、”イェヒダー”に反応したんだ」
ミオはすっかり夢中になったように体を上下に揺さぶっている。
「聖ジュリアン……特別な魂を持つ人だったんだ!」
エヴァは優しく頷いた。
「ああ、彼女こそ最初のシグネチャーズさ。
異能はね、特別な魂”イェヒダー”から生みだされるんだよ。
だから異能を持つものは皆、特別な魂を持っている」
「私も?エヴァも?」
「そうさ、だからレゾネーターは青く光ってるだろ?
聖ジュリアンは彼女の異能”幻視”を使って、
レゾネータに残された”意思”を読み取った」
「意思?」
「うん、ここには人が乗り越えなければならない試練と、
その方法が刻まれているってね」
「しれん……て何?どんなの?」
エヴァのいつになく真剣な語り口に、
ミオはどんどん引き込まれていた。
「あそこに光る小さな赤い光があるだろ?
あれは人の皮を被った化け物”調律者”の存在を表してるんだ。
遥か昔、そいつらは人間の数を目一杯まで減らして、
自分達にとって都合のいい世界を作ろうとした。
その時にほとんどの人間と文明が失われたそうだよ」
ミオの顔が、わずかに曇った。エヴァは静かに言葉を継ぐ。
「その時に抵抗してた僅かな生き残りがレゾネーターを遺したんだよ。
いつか人類が増えすぎた頃、また同じことが起きると警告する為にね」
ミオはエヴァの話に怯えを見せつつも、その瞳の光は失われていない。
「でも、どうすればいいかも書いてあるんでしょ?!」
エヴァはミオの頭を優しく撫でた。
「ああ。ミオは賢いな。
そう、青い光は私達のような異能をもつ”シグネチャーズ”の所在を表す。
レゾネーターはシグネチャーズと調律者の居場所を知らせてくれてたのさ。
シグネチャーズが団結することこそが試練を超える唯一の鍵なんだ。
レイブンスウッドはその後600年の時間を掛けシグネチャーズを集め、
古の神秘と、現代の科学を融合させた技術を生み出した。
そうやって試練に備えてきた。
そして出来たのが私達”セブンゲート”という組織なんだ」
ミオは「んー……」と唸って何かを考え始めた。
さすがに6歳の子供には難解すぎたかとエヴァが思った時、
ミオがはっと何かに気づいたように口を開く。
「つまり……私の”囁く者”も必要なんだね!私も役に立てるかな?」
僅か6歳のミオはこの難解な話を感覚で理解していた。
ミオにとって、自分を抱きかかえるエヴァの手はいつも温かい。
この手が自分を必要としている――そう感じたことが、
彼女のまだ幼い知能をフルに突き動かしたのだろう。
エヴァはその恐るべき聡明さに、驚嘆を覚えていた。
「まあ……そう慌てて答えを急ぐことはないよ。
ここはセブンゲートであると同時に、
れっきとした”孤児院”でもあるんだ。
あんたは皆と一緒に楽しく生活していく、
ただそれだけでも十分なんだよ」
そう言うエヴァの声を聴き終わる前にミオは口を開いた。
「でもレオ兄もエルザ姉も、くんれんしてた!
私もしたい!エヴァの役に立ちたい!」
エヴァの予想を裏切りミオは頑なな態度を見せる。
エヴァは何が彼女をそうさせるのか――考える前に言葉にしていた。
「まったく……簡単に言うけどね。
セブンゲートってのはね、命が掛かった仕事なんだ。
分かるかい?死ぬのは怖いだろ?もう少しちゃんと考るんだよ」
エヴァが困ったように顔を曇らせるのを見て、
ミオは唇を震わせ、再び沈黙した。
「それは怖いけど……でも……」
ミオの大きな瞳に、みるみるうちに大粒の涙が溜まっていく。
「役に立てないのほうが……いらないって言われるほうが……もっと怖いもん」
堪えきれず、ミオはその場で泣き出してしまった。
エヴァは自嘲気味に天を仰いだ。
エヴァは自分のこの役割が心底心苦しかった。
第4の門ケセドは通称慈愛の団。
異能の子供を引き取り、適正のある団に送り出す。
子供達をシグネチャーズとして育てる学校ような役割。
そのシグネチャーズの学校”セミナリウム”という仕組みが、
第4の門ケセドには含まれていた。
門主であるエヴァはせめても抵抗として、過酷な訓練に参加するかどうかを、
最終的に子供たち自身の意志に委ねることだけは譲らなかった。
(ホント、私には向いてないんだよ、こんなのは……)
それが元来武闘派として前線で鳴らしてきた彼女の本音だった。
「分かった、分かった。
その代わりミオはまだ小さいんだからね。
すぐエリザ達みたいになれるわけじゃない。
ミオが思うより、ずっと訓練は辛いし、苦しい。
泣きたくなることだってきっと何度もある。それでも、いいんだね?」
ミオの顔が一瞬でぱあっと明るくなる。
「うん!それでもいい!私頑張るから!」
瞳に涙を貯めながら太陽のような満面の笑みを浮かべる少女。
エヴァンジェリンは深いため息をつきながらも、
この小さな少女を一人前の戦士として育てる覚悟を、静かに固めた。




