揺り籠に咲く花1
クレイドルの庭園を見下ろす、貯水塔の上空。
夜風を切り裂き、黒い影が舞い降りる。
「目標ポイント到達。一時潜伏して様子を見る。
ダイキは単身で潜入を開始して。ミサキは車両で待機」
一方的な通信の終了と共に、イオは空中で身を翻す。
シュコン、という金具の外れる音を響かせランサーがイオを切り離す。
解き放たれたイオの身体が、貯水塔の屋根へと音もなく着地した。
「相変わらず好き勝手言いやがる……。
ミサキ、ユウとイサムにも応援の要請を。
ヘリで向かわせろ。
こうなったら、こっちも好きにやらせてもらう」
通信機越しに大樹の悪態が響く。
彼は車両から飛び出し、オムニトロンの敷地へと姿を消した。
「了解!あとで文句言われようが関係ないよね、特権だし!」
諸々の溜まったウサを晴らすようにミサキが答えた。
イオは塔の頂に立ち、青い光の発生源に向き直る。
(青い光の束が収束してる……?)
ホテルから目撃した、天を貫くほどの強大な『青の光柱』。
それが今はその輝きを潜めていた。
代わりにそこには、より濃密な気配が漂っている。
一人の少女――鈴掛ユリを中心として渦巻く、
ジェット気流のような青い煌めき。
(ランサー そのままサイレントモードで警戒ポイントへ)
イオの思考に呼応し、闇に紛れたランサーが、
クレイドルの庭園へと滑空していく。
イオはジャケットから戦術用ゴーグルを取り出し装着した。
視界にランサーが捉えた映像と音声がリンクする。
モニター越しの世界。
そこには、まるで家庭のような穏やかな時間が流れていた。
青い髪の幼い少女――ノアが、ユリの腕の中で深く安らかな寝息を立てている。
月の光を吸い込んだようなその髪は、夜風に揺れるたび、
絹糸のように艶やかな光沢を放っていた。
「完全に……寝ちゃったね」
「沢山のエネルギーを使ったんでしょうね。
見るもの全て、感じるもの全てが初めての体験だったんだから」
ユリの小さな呟きに、リナが優しい笑みで返す。
ノアがユリの腕の中、その胸に顔をうずめて、
すやすやと安らかな寝息を立てている。
そのあまりにも無防備で、愛おしい姿を、マキも、タケルも、
そして大人たちも、ただ微笑みながら見守っていた。
そこには、敵意も、恐怖も、打算もない。
ただ純粋な「幸福な風景」だけがあった。
(……なんなの、これは)
イオは吐き捨てるように呟いた。
イオにとって青い光はミオの命の煌めきとも同義のもの。
あのスペインでの惨状が今も彼女の脳裏に焼き付いている。
この光景とあの時の光景のとのあまりの落差。
胸の奥がチクりとする。
湧き上がった胸を刺す痛みを振り払うように、小さく頭を振る。
ゴーグルをずらし、自らの虹色の瞳――”兆視”で、その光景を直視する。
デジタルのフィルターを通さない、肉眼での視界。
鈴掛ユリを中心に高密度に圧縮された、炎のような煌めき。
ユリを初めて見た時纏っていた淡い光とは次元が違う。
ミオが命を燃やして灯したあの時の『青い炎』すら凌駕している。
一言で表すなら鮮やかすぎる青。
純粋すぎるエネルギーの奔流。
(ミオの『青』と色は同じ……なのに、この”密度”は……。
……これではまるで”源泉”そのものだ)
視線が、ユリの腕の中で眠る、青い髪の少女に移る。
(……この小さな子は何?)
その小さな存在も淡い光の残滓を放っている。
(分からない。だけど、これは放置できるレベルじゃない。
他の組織が接触する前に手を打つべきだ)
ミオと同じ色の少女、ユリ。
イオの中に燻り続ける「ミオの痕跡を見つけたい」という、切実な願望。
彼女がその答えであればいいと、イオはどこかで縋っていた。
(でも、あれは……違う)
数々の異端者との戦場の記憶が。
余りあるほどの”死”を見てきた本能が、冷酷に告げている。
(……あいつは”化け物”だ。
高位調律者と同等かそれ以上の……)
――なのに。
胸の奥、喉の奥。どす黒い熱が燻り上ってくる。
「なんで……」
ユリとマキ、大人達に囲まれた幸せそうな笑顔。
傷つけ合うことなく、お互いを守り合い、心から笑い合っている姿。
その光景が網膜に焼き付き、身を焦がすような熱を帯びていく。
――君たちは、選ばれた『英雄』だ。
脳裏をよぎるのは、そう鼓舞するアリューシャン局長の声。
その言葉を信じ、慟哭をあげながら無残に散っていった姉妹たちの姿。
(英雄?……違う、ただの使い捨ての化け物でしかなかった……)
――生きて、イオ。
そう言って最後に青い炎となって消えたミオの姿。
(みーは何の為に犠牲になった……)
記憶の奥底、チューターが答えた。
――平和のためにこそ、その力は使われるべきである。
(平和?……何も知らずに……幸福だけを貪るこの光景のこと?)
何度も繰り返し見てきた悪夢と、眼下の現実。
残酷な対比となってイオを責め立てる。
「なんで……お前達だけが……幸せそうに笑い合ってる?」
イオの視界の中、屋上庭園と貯水塔の間を遮る闇。
それが一層、その影を濃くしていくようだった。
イオは静かにランサーに「戻れ」と告げた。
クレイドルの屋上を渡る夜風が、冷たさを増していた。
リナが冷たい風を肌に感じて少し身震いする。
「さて、だいぶ冷えてきたしそろそろ戻りましょう」
リナがそう言ってエレベーターへと向かう。
庭園の中央にいたタケルとユリが立ち上がり皆のほうへと歩こうとした時。
シュウンと、風の切る音色。
何の前触れもなく、全員の肌が、ぴり、と粟立つような、静かな圧迫感。
マキが、獣のような勘で、いち早くその異変の源を探して振り返る。
「……っ!」
ドンッ!!
鈍い衝撃音。
草花の茂る庭園の中心に花びらが舞い上がる。
そしてゆっくりと重力に従い舞い落ちる花びら。
人影が、まるで天から落ちてきたかのように、そこに立っていた。
「なっ……!?」
タケルが叫ぶ。
マキは、反射的にユリと、その腕の中で眠るノアの前に立ちはだかった。
そこにいたのは、黒いボディースーツ。
赤い軍用ブルゾンを羽織った小柄な人影。
フードを目深く被ったその奥で、瞳が虹色に揺いでいる。
カシュン、という、冷たい金属音。
彼女の背後、闇に溶け込んでいた「ランサー」が、展開を開始する。
機体中央部が花のように開く。
内部から蒼い光を放つコアが露出する。
盾の形状から「砲台」へと変形していく「アバランチモード」。
クレイドルの美しい緑の庭園に黒い金属とカーボンの花が開く。
その花が象徴するのは、”絶対的な破壊”だ。
「青い光……シグネチャーズ……」
「……ミオという名に、心当たりは?」
ふいに口から出たその問い。
イオは自分が発した言葉に自嘲した。
(笑える……こんなの、尋問にすらなってない……)
ユリがそれを知らないことくらい分かっている。
これは自分自身への決別の為の問い掛けだ。
(何を”浮かれて”いたんだろう?)
”日常”に焦がれているのだと自分では思っていた。
(でも違ったよ、みー。)
所詮、自分達は使い捨ての化物。
”日常”とは、かけ離れすぎていると、よく分かった。
でも、それ以上に分かったことがある。
(私はこんなにも"日常"を憎んでいたんだ)
目の前の光景が、イオには痛いほど眩しく、そして許せなかった。
胸の奥で暴れ出しそうになる叫びを、イオは無理やり飲み込む。
「七瀬……さん……なの?」
『声紋の一致を確認した。七瀬イオに間違いない。
背後の構造物は……おそらく兵器だ。警戒して』
ユリが、フードの奥の人影の声に、かろうじて気づき、震える声で呟く。
脳内でアドがすぐさま解析結果をユリに告げた。
マキは、即座にユリとノアの前に立ちはだかった。
「イオ……?!てめぇ、やっぱり……。
何しに来やがった……!」
しかし、フードの人影はマキなど見ていない。
その視線は、ただ一点。
マキの背後、眠るノアを抱きしめながら、
困惑と恐怖に顔をこわばらせるユリにだけ注がれている。
「――質問を質問で返すのは、失礼だって教わらなかった?」
感情のない声と共に、人影はゆっくりとフードを上げる。
月光に照らされた七瀬イオの顔が浮かび上がった。
マキが激昂し、イオに遅い掛かる。
しかし、その背中を、何者かが静かに掴んで制圧した。
壁をよじ登り侵入していた大樹だった。
「全員、そこから動くな」
大樹はマキを背後からがっちりと拘束する。
「アンタ、あの時の……放せよ、おい!!」
マキは暴れて藻掻いていたが大樹に力では及ばず制圧される。
イオとランサーは、その横を悠々と通りすぎ、ユリの返答を待っている。
「マキ!」
ユリが叫び声をあげる。
同時に頭の中で再びアドの声が聞こえた。
『ユリ、冷静に。まずノアをタケルに預けて。
彼女の目的がノアなのかをどうかを見たい』
ユリは、恐怖に耐えながら、ノアをそっとタケルに託し小声でタケルに呟いた。
「……ノアを連れてできるだけ私から離れて」
タケルはノアを連れてじりじりと後退する。
ユリはタケルが下がったことを確認するとイオに向き直った。
彼女の視線は自分に向いている。
ユリは脳内でアドの問いかける。
【光とかシグネチャーとかミオって何かわかる?】
『分からない、だが目的はノアではないようだね。ここは正直に答えよう。
危険を察知したらすぐ知らせる。最悪未来演算を使うから、その覚悟で』
【分かった】
アドとの脳内会話でこの異常な事態もなんとか対策ができる。
それによってユリは比較的平静に対応することができた。
「……知らない。光?シグネチャー……?ミオって人のことも、私、知らないよ」
「そう。ならいいんだ」
イオは立ち止まり、短く、それだけを呟いた。
その瞳から、光が消えていく。
ユリの目にはその瞳の奥に何か違和感を感じた。
――キーン
金属音と共に何か囁くような音。
彼女に近づいた時に聞こえたあの音だ。
まただ、とユリは思った。
そしてその囁きから漏れ出た言葉を確かに聞いた。
(もういい……)
アドの声ではない。
学校で聞こえた時よりもはっきりと聞こえる。
これは七瀬イオの心の声なのだろうか?
彼女の態度が、完全に任務遂行者のそれへと変わっていく。
「さっきまで、ここから巨大な位相の波を検出した。
あれは何? 鈴掛ユリ、あなたがやったの?」
(私には……無理だったんだよ……)
声が再びユリの頭に木霊する。
それとともにズキっと軋むような心臓の痛み。
フラッシュバックのように幻影が次々と脳裏に浮かんだ。
見たこともない景色。
見たことのない少女。
――おねがい……
見覚えのない少女がこちらに向かって何かを言っている。
異変に気づいたアドが脳内で声を発しているが、
囁く声と幻影の強すぎるイメージがその声をかき消す。
『ユリ?大丈夫かい?ユリ?』
【そうか……この声】
任務を遂げようとするイオの肉声。
何かを諦めようとする心の声。
それとは別の”誰か”の願い。
時間にすれば一瞬、だがユリの思考にはそれに見合わない、
誰かの願いとイオの心の底にある情報の渦が流れ込んだ。
それはノアと培った言葉を超えた交流が可能にした、
ユリの特異な力が開花した瞬間だった。
ユリは何かを悟ったように凛として言い返す。
「さっきも言ったけど私には何も分からない。
七瀬さんは何がしたいの?ちゃんと、説明してほしい」
「ふーん……」
イオの唇の端が、わずかに吊り上がる。
「しらを切るつもりなら、少しだけ試させてもらおうかな」
(ずっと……みーを追いかけて……日本にまで来て……)
再びイオの心の声がユリには聞こえる。
イオが、指をわずかに動かす。
瞬間、ユリの全身を、見えない空気の壁が襲った。
ランサーからの波動がユリを目掛けて襲う。
ドンッ!
「きゃっ……!」
ユリの体が数メートル後ろへ押しやられる。
「……あなたの化けの皮を剥ぎ取る」
ドンッ!
(ようやく私が理解できたのは……友情なんかじゃなくて……)
「う……くっ……!」
二度目の衝撃。
ユリの足元を支えるアクチュエーターから、バチバチと火花が散った。
「イオ、止めろ!!くそ、はなせ!」
マキが悲痛な叫びを上げている。
「なんで……こんな……?」
地面に手をつき、かろうじて倒れるのを堪えながら、ユリが呻く。
何故こんな敵意を自分は向けられているだろう?
だが、それ以上に深い悲しみに満ちた囁きがユリの胸を締め付けた。
(憎しみ……だったんだから……)
イオは、ゆっくりと彼女に近づきながら、
心の奥底にある矛盾を、冷たい言葉に乗せて胡麻化した。
「こんなものじゃないでしょ?
……早く、あなたの『シグネチャー』を見せてよ?」
(ごめんね……みー)
(私……沢山真似したけど……)
(みーみたいにはなれない……)
ユリに届く悲痛な声。
【みー……ミオって人のこと?】
朧げだった少女の幻影がより鮮明に脳裏に映る。
ピンクがかったブロンドの髪。
イオに向けられたであろうその少女の沢山の笑顔。
その少女が語り掛けてくる。
――おねがい……
―ーイオを……救ってあげて……
【やっぱり。ミオ……さん、なんだ。この人が……】
擦りむいた膝がひりひりと痛む。
マキが絶叫しているのが聞こえる。
アドが何か脳内で叫んでいるが耳に入らない。
ユリには痛みよりも友の絶叫よりも。
もっと悲痛で救いを求めるものが胸を締め付けていた。
「憎しみって言うけどさ……じゃあ、なんで……そんなに……」
火花を散らすアクチュエーターを抑えながらユリは立ち上がる。
その目がイオをじっと見つめている。
なにか呟いていた声はイオには聞き取れなかった。
だがその目に宿っている何かを感じてイオは一瞬言葉を失う。
「本当に……怪我しても知らないよ!!」
ドンッ!
3度目の衝撃。
ユリはそれを受け止めていた。
そのせいで口の中を切ったのか血を滲ませている。
受け止めたのは痛みだ。
それは自分ものではない。
傷だらけのイオの心の痛みだった。
「なんで……悲しそうな顔してるの?」
【知ってる……私は……。
……自分じゃどうにもならない……。
これは誰かに救いを求める声……だけど】
「七瀬さん……教えてくれなきゃ……分からないんだよ」
なにか意味の繋がらない会話。
その場にいる誰もが戸惑いを覚え始めていた。
それはイオも同じだ。
さっきからユリの様子がおかしい。
理不尽な暴力を前に怯えるでもなく、
懇願するでもなく対話を求めている?
「なんなの……?悲しそう?私が?」
そう感じた心とは裏腹の言葉が口をつく。
「いつまでもそうやって……普通のふりするんだ……」
「あんただって……”化け物”のくせに……!」
大樹は違和感を感じ始めていた。
ホライゾンツリーや学校で見たイオからは想像もつかない、
苦悶に満ちたイオの表情。
「七瀬……?」
大樹はそのイオに起きている変化に戸惑いを持った。
彼女が化け物と呼んだユリはどう見ても普通の高校生にしか見えない。
イオが4発目を発射しようとした刹那。
大樹のその一瞬の気の緩みをマキは見逃さなかった。
軽く前方へ体を捻る。
と同時にバランスを崩した大樹の右脇腹の肝臓付近を蹴り上げる。
綺麗に三日月蹴りが突き刺ささった。
「ごふっ――」
たまらず大樹が悶える。
一撃での行動不能を狙ったその蹴りは大樹の身体機能を奪った。
大樹はその場にうずくまる。
「イオ、てめえはー!!」
反転、すかさずマキはイオを背中から急襲した。
背後から十分な助走距離の効いた胴回し回転蹴り。
完全に普段の冷静さを欠き、不意を突かれたイオ。
「――チっ!」
ズドン!
間に合わず腕を十字に組み防御する。
バランスを失いかけたイオは跳躍しその場から距離を取る。
ゆらりとマキが立ち上がる。
「てめえ……絶対ゆるさねえからな……」
月明りの中、鬼のような形相でマキがイオを睨みつける。
「はあ……」
(知ってる。鈴掛ユリには真壁マキがいる)
「もう、めんどくさい……本当もう」
(お前が守ってるつもりのそれだって……)
(私と同じ化け物だってのに……)
「大丈夫か?」
そう言ってユリに手を差し伸べて守るように立ちはだかるマキ。
そして背後に守られているユリ。
ユリとマキ、イオは2人の姿に恨みを込めた視線を送る。
”親友”というキーワードが胸を抉る。
私にはもういないのに……
なんで……
あんた達だけ……
喉の奥になんとか押しとどめていたドス黒い身を焦がすような熱。
それが溢れ出て来るのが分かった。
「全部……」
イオの中の悲痛な叫びがミオの最後の囁くものの慟哭と、
シンクロしたようなドス黒い情動を渦巻いていく。
「――無くなってしまえ!!!」
その叫びにランサーが反応し花弁が展開する。
花弁が射出され6角形の陣が組みあがる。
ピリピリと空気が震え世界を裏返すような異質な空間が出現しようとしていた。
ここまで読んでくださった方がいましたらありがとうございます。
次回で第一部の終幕です。




