来訪者
日本の沿岸近くの太平洋の洋上。鋼鉄の巨大な船体が浮かんでいる。
重油と潮風の匂いが混じり合う、米海軍強襲揚陸艦の広大なウェルドック。
整然と並ぶ軍用車両と、行き交う武装した兵士たち。
その中をコツ、コツ、と軽やかなブーツの音が、巨大なドックに響く。
屈強な兵士たちの間を、場違いなキャリーケースを引いた少女が進む。
細い足首に履かれた黒のコンバットブーツ。
タイトな黒のボディースーツの上に、サイズの合わない大きな赤い軍用ブルゾンを無造作に羽織った小柄な少女。
耳にはイヤホン。
微かに漏れるメロディに合わせて、楽しげな鼻歌が唇からこぼれている。
黒髪が肩で揺れ、ミスマッチな和風の赤い髪飾りが、ドックの無機質な照明を反射している。
すれ違う一人のパイロットスーツ姿の兵士が、彼女の顔を見て挑戦的な笑みを浮かべ、声をかけた。
「Next time we're up there, I won't lose, Agent Io!」
(次の演習では負けないぜ、エージェント・イオ!)
イオはイヤホンを片耳だけ外し、慣れた様子で愛想良くと軽く手を上げて応える。
「Yo! Keep dreaming, flyboy!」
(はいはい、夢でも見てな)
その表情には、この物々しい環境にいることへの違和感など微塵も感じられない。
まるで、近所のコンビニにでも行くかのような気軽さだ。
やがて彼女は、ウェルドックの端にある小型ボート乗り場へとたどり着いた。
待機していた操縦士が敬礼する。
「イオ・ナナセ、お待ちしておりました。ヘリポートへお送りします」
「ん」
イオは短く応えると、キャリーケースを軽々とボートに放り込み、
ひらりと乗り込んだ。
ボートが静かにウェルドックを離れ、艦内の水路を進み始める。
操縦士は、目の前の計器に視線を落としたまま、
世間話でもするように尋ねてきた。
「今回は、どちらへ? また厄介な任務ですか?」
「えーと……なんだっけ?」
イオは鼻歌を止め、少し考える素振りを見せる。
「日本の……SCSA?ってとこ」
「ああ、SCSAですか」
操縦士はすぐに合点がいったようだ。
「日本のシンギュラリティ監視機構ですね。
AIの暴走なんかを鎮圧してるっていう、武装組織ですよ」
「ああ、そう!それそれ!」
イオは大きな赤い瞳を開きポンと手を叩く。
まるでクイズに正解を知った子供のようだ。
操縦士は、少しだけ声を潜めて続けた。
「……ですが、最近は大変みたいですよ。」
「ただの機械の暴走だけじゃなくて……なんでも、
AIが違法なバイオプリンターを乗っ取って、
『Varmix (ヴァーミックス)』とかいう、
気味の悪い生物兵器?をばら撒いてるらしくて。
従来の武装では歯が立たなないようで現場は大混乱だとか」
「えー?そんな事ある!?!そんなの聞いてなかったなぁ……」
イオは、めんどうなことになったら嫌だなとでも言いたげに背を後方に反らす。
「んー……」
そのままのけ反った姿勢でキャリーケースからタブレットを取り出すと端末に視線を落とした。
「取れたっと……」
画面で、SCSAのデータを改めて確認する。
確かに最近、既存の部隊では対応しきれず外資企業から顧問が派遣されたようだ。
「うわーほんとだ……。現存する複数のチームに大きな被害。
ヴィータシンスincから顧問を招集。
Varmix専門の対策チームを組織……
……めんどいことになってそうだなあ」
イオはタブレットを座席横に投げ出すと空を見上げた。
しばらく虚空を見上げたのちに再びタブレットを手に取りスワイプする。
自身が連携する予定の「チーム・ラプター」の資料に目を通す。
隊員の顔写真と経歴。最近の活動記録には、確かに損耗を示す記述も散見される。
(チーム・ラプター……か。リーダーは藤原大樹。
優秀みたいだけど、この様子じゃあんまり期待しない方がよさそうかな)
彼女はタブレットの電源を落とし、キャリーケースに放り込んだ。
ボートは穏やかな波を切り裂き、白い航跡を残しながら目的地の港へと進んでいる。
夕日が海面に反射していた。
イオは、再びイヤホンを耳に戻し白い翼を広げて風に乗っている鳥たちをぼんやりと眺めていた。
同刻。霧浜埠頭。蒼樹市市街地から南へ10キロ。
海岸線に沿って突き出すように位置する古い貨物港エリア。
けたたましいサイレンと、何か硬いものが叩きつけられるような、
断続的な衝撃音が響いていた。
コンテナが不自然にへこみ、街灯が根元から折れている。
整然と並べられたコンテナの隙間を縫うように、異様な影が徘徊している。
バイオプリンターによって製造されたという「ヴァーミックス」。
その怪物は歪な多脚を持ち、
昆虫と甲殻類を合わせたような不気味な外骨格を持っていた。
武装した黒いケブラー繊維の特殊部隊服に身をつつんだ男が一人。
ヴァーミックスに銃口を向けている。
肩掛け式の小型ロケットランチャーに近い形状をした武装。
その銃口の周囲には、電磁コイルが螺旋状に巻かれているのが見て取れる。
彼がそっとトリガーに指をかけ引き金を引いた。
ランチャーから、圧縮された空気の塊が放たれるかのような鈍い衝撃音。
それと共に、淡い青色の光輪が銃口から飛び出した。
それは不可視の電磁パルスだった。
そのエネルギーが空間を歪ませるかのように、
目に見える形で衝撃波を伴って飛翔する。
光輪はヴァーミックスの胴体を直撃した。
”ゴン”と金属同士がぶつかり合ったような鈍い音。
それと共に、ヴァーミックスの動きが一瞬、ぴたりと止まる。
その全身を、微細な青白いスパークが走り、
電子機器のショートを思わせるジジジ、という音が響く。
だが数秒後には痙攣するように動きを再開した。
かと思うとこちらに向き直り粘液に塗れた触手のようなものを彼目掛けて射出する。
「くそっ、やっぱり効き目が薄い!」
遮蔽物に身を隠しながら、藤原大樹が悪態をつく。
怪物から飛び出た触手がガン、とコンテナを震わせて鋼鉄の板がひしゃげていく。
彼が持つEMPランチャーから放たれた電磁パルスは、
ヴァーミックスの動きを一瞬鈍らせるだけだ。
決定的なダメージには至らない。
「大樹、右に回り込む!」
インカムから女性隊員、桐谷ミサキの緊迫した声が飛ぶ。
彼女はライオットシールドを構える。
ヴァーミックスの注意を引きつけようと威嚇射撃を繰り返す。
が、それも気休めにしかならない。
ヴァーミックスは、物理法則を無視するかのような不規則な跳躍で攻撃を躱す。
時折、鋭利な前肢をコンテナに叩きつけ、金属片を撒き散らしていた。
(まったく、冗談がきつい……機械がこんな生物を生み出すだなんて……)
最近報告が急増している、このバイオハザード事案。
SCSA上層部は「AIによる生物兵器テロ」と断定しているが、
現場で対峙する大樹には、その説明では割り切れない違和感が募っていた。
EMPへの耐性、有機的な動き、明確な敵意。
どう考えても自分達の管轄ではないと思えてくる。
その時、後方から重々しい足音と共に、複数の影が近づいてきた。
全身を覆う強化装甲「PKG」を装着した、SCSAヴァーミックス特別対応班。
「エコーズ」の隊員たちだった。
彼らを率いるのは、頭部だけが機械でその下はスーツという異様な風貌の男。
”ヴィータシンス”から送られて来た軍事顧問サイラス・マーサーが、
ゆっくりと歩を進めてくる。
「状況は?」
つるんとしたハーフミラーのフェイスガードの下でLEDが点滅する。
合成音声のような、感情のない声が大樹に問う。
「対象はヴァーミックス1体。民間人の避難は完了しましたが、
EMPの効果が薄く、足止めが限界です」
大樹は、内心の不快感を抑えながら報告する。
エコーズの介入はいつも一方的で、連携という概念が存在しない。
サイラス・マーサーは、大樹の報告に頷くと、ヴァーミックスを冷静に分析しはじめた。
「パターン分析……既存データと78%一致。脅威レベルC。
処理可能。エコーズ、これより対象を排除する。
貴官等は速やかに現場から撤退せよ」
「待ってください!我々にもまだ……!」
大樹が食い下がろうとするが、サイラス・マーサーは冷たく言い放つ。
「君たちの装備では効率が悪すぎる。
これは我々の管轄だ。下がれ、藤原捜査官。」
有無を言わせぬ口調。
背後では、エコーズの隊員たちが、
高周波ブレードや指向性エネルギー兵器を起動させている。
彼らの機械的な動きと、サイラス・マーサーの非人間的な姿。
それが大樹に言いようのない疎外感と無力感を抱かせた。
「……ミサキ、撤退するぞ」
大樹は、唇を噛み締めながら、インカムに指示を出す。
ミサキからの「……了解」という、悔しさの滲む声が返ってきた。
自分たちは、一体何のためにここにいるのか。
最新技術を持つエコーズの引き立て役か?
それとも、ヴィータシンスの実験データを取るための前座なのか?
やり場のない怒りと疑問を胸に、大樹は現場を後にするしかなかった。
背後で、エコーズの放つ眩い光と、金属を切断する甲高い音が響き始める。
(これが……SCSAの現状なのか……?)
重い足取りで特殊車両に戻る大樹の脳裏にはじわじわと侵食されていくような、
言いようのない不安が渦巻いていた。
特殊車両がSCSA蒼樹市支局の地下駐車場に滑り込むと、
大樹は苛立ちを隠せないままドアを開けた。
ミサキと残り2人の隊員も無言で続く。
空気は重く、誰も言葉を発しようとはしなかった。
エレベーターホールへ向かう廊下で、ミサキが沈痛な声で問いかける。
「やりきれないよ……私。まだ戦えたのに」
彼女の握りしめた拳が、怒りと悔しさを物語っていた。
大樹の後ろで大柄な隊員、高橋イサムが呟く。
「エコーズはアメリカの民間企業がそのまま部隊として来ているようなもんだろ。
なんでこんなことが日本の公的機関でまかり通るんだ!」
「ヴィータシンスはITRA傘下だろ?
あそこは日本政府との黒い関係が噂されてるからねえ。
下手に手を出せば……」
と4人の中で一番小柄な男性隊員、碓井ユウが呟いた。
「だからって……」
ミサキはそこまで言って言葉を飲み込んだ。大樹の心にも、
ミサキと同じ悔しさが渦巻いている。
だが、組織人として、無益な衝突は避けるべきだと理解していた。
「あいつら、本当にヴァーミックスを殲滅できるのかな……」
ミサキの言葉には、エコーズへの不信感が露骨に滲んでいた。
「……だといいがな」
大樹は曖昧に答えるしかなかった。
エコーズの装備がヴァーミックスに対し有効なのは事実だ。
が、彼らの技術、そしてあの”機械頭”の冷徹さが、
日本の治安を維持するという目標に向かっているのか?
という疑問がつきまとう。
支局の執務室に戻ると、大樹は自席の端末を立ち上げた。
モニターに映るのは、未処理の報告書と、先行するヴァーミックス事案のログ。
「AIによる生物兵器テロ」。
数か月前に突然始まったその事例はSCSAの在り方を完全に覆してしまった。
防衛省シンギュラリティ監視機構、通称「SCSA」。
この時節、AIによる自律型ドローンやヒューマノイド達は、
もはや生活に不可欠な存在となっていた。
しかしその一方で原因不明の暴走や事件が多発し、社会を脅かし始めた。
政府はその暴走を悪意あるプログラムによるものと断定し、
それを「シンギュラリティコード」と定義する。
ロボット、ドローン、AIに対し、
一定の武力を持って制圧する組織「SCSA」を日本政府は立ち上げた。
彼等の武装は電磁パルスを利用した電子戦に重きを置いた武装であり、
”生物”に対しての抑止力は警察より少しマシというレベルだった。
そこに唐突に現れたバイオプリンターを利用した有機体ベースの新たな脅威。
政府はこれを「暴走したAI」による事件と断定。
政府はそう発表しているが、彼らが対峙したヴァーミックスの動きは、
あまりにも有機的だ。
とてもAIの制御下にあるとは信じがたかった。
そもそもバイオプリンターで自立歩行する生物を作る技術など聞いたこともない。
いくらAIと言えども、あまりにブレイクスルーが早すぎる。
これを「AIの暴走」としてSCSAが担当しているのも疑問が残る。
大樹は眉をひそめ、過去のヴァーミックス事案のログを遡る。
不自然なまでに短い交戦時間。
そして、回収されるヴァーミックスの残骸は、
いつも驚くほど完璧に処理され、詳細な調査を許さない。
(まるで……誰かが証拠隠滅しているかのようだ)
脳裏にサイラス・マーサーの無表情な機械頭がよぎる。
ヴィータシンスは、政府は、何を隠しているのか?
大樹が端末の前で思考に沈んでいた、その時。
ピッと短い電子音が鳴り、
優先度Sクラスの通信要求が大樹の端末に表示された。
同時に、執務室に戻ってきたばかりのミサキ、イサム、ユウの端末からも、
同じような電子音が鳴る。
発信元は蒼樹市支局長。
(このタイミングで全員に……? ヴァーミックスの件か? それとも……)
訝しみながらも、大樹は表示された内容を確認する。
《緊急連絡。ただちにセンタールームへ来られたし》
「えー、ハンガーに集合だって? やっと一息つけると思ったのにさあ」
隣のデスクで、碓井ユウが端末を見ながら、
あからさまに不満そうな声を上げた。
その声を聞いて、大樹は自分の端末に表示された指示と見比べる。
「ん? ユウたちはハンガーに召集なのか?」
ミサキとイサムも頷いている。
どうやらセンター室への呼び出しは自分だけのようだ。
「……俺だけ別件か。ますます、きな臭いな……。仕方ない、行ってみるか」
大樹は小さくため息をつくと、ジャケットを羽織り、
センタールームへと向かった。
廊下を進みセンタールームのドアの前に立つ。
大樹が認証パネルに手をかざすと、短い電子音と共にロックが解除された。
分厚い扉が音もなく内側へとスライドした。
中は薄暗く、壁には一面を覆う巨大なメインスクリーン。
様々なデータを明滅させながら青白い光を放っている。
その光の中に、一人立つ、蒼樹市支局長の姿があった。
彼はスクリーンに映し出された複雑なグラフを見つめていた。
が、大樹が入室した気配に気づくと、ゆっくりと振り返った。
「来たか、藤原捜査官」
支局長の声は低く、部屋の静寂に響いた。大樹は背筋を伸ばし、敬礼する。
「はい。ただいま参りました」
支局長は、大樹の目を見据えると再び口を開いた。
「藤原大樹。極秘任務だ」
支局長の声に合わせて、壁面のパネルが切り替わる。
蒼樹市の俯瞰図、そしてランドマーク「ホライズンツリー」が浮かび上がった。
そして続けて「HERMIT」の文字が浮かぶ。
それはSCSAの頭脳、ハイパーAIである「ハーミット」が起動したことを示していた。
ハーミットから感情の起伏を持たない声を流れ出す。
《ハーミット:米国籍O.A.S.I.S.のエージェント 七瀬イオ。保安レベル・特甲。
チームラプターと共にホライズンツリーヘリポートで合流後、
護衛および作戦補助を担当。詳細は現地で当人から指示。》
(……O.A.S.I.S.?またアメリカの企業?
どうなってんるんだウチの組織は……)
大樹はその指令に言いようのない不信感を感じつつも平静を装った。
「ミッションの内容は?」
《ハーミット:詳細の開示権限がありません。
このミッションには人類の敵性事象への予防的介入事案が含まれています。
なお、当該エージェントには特殊権限が付与されています。全面協力を推奨》
(人類の敵性事象?ヴァーミックスとは別件てとこか?
それとも米国のAIがらみ?丸投げもいいところだ)
大樹は短く「了解」とだけ告げた。
声が、自分でも驚くほど低く、硬くなっているのを自覚した。
胸の内で渦巻く、得体の知れない警戒心と、
組織への深い不信感を抱えながら敬礼し、踵を返した。
センタールームを出て、地下駐車場へと向かうエレベーターの中、
重苦しい空気が支配する。
埠頭で感じた無力感、そしてこの不可解な任務。
全てが繋がっているような、それでいて何も見えない霧の中にいるような感覚。
地下駐車場に着くと、指定されたシャッターの奥に、
見慣れない漆黒の新型特殊車両が停まっていた。
その隣で、チーム・ラプターのメンバーたちが、
どこか落ち着かない様子で待機している。
ミサキが、タブレットを抱えて駆け寄ってきた。
「大樹……!一体どうなってるの? この車も、装備も、
全部ハーミットからの指示で急遽運び込まれたんだけど……」
彼女の声には、隠しきれない不安と苛立ちが滲んでいる。
「……極秘任務だそうだ。これから、アメリカからの『ゲスト』をお迎えして、
その『お守り』役だとさ」
大樹は、自嘲気味に答える。ミサキはタブレットを確認しながら眉をひそめた。
「ゲスト……O.A.S.I.S.とか言う組織のことよね。
……ヴィータシンスだけでも混乱してるってのに、ほんとにどうなってるんだか……」
「さあね。でも、これ見てよ。そのゲストに『専用機』まで用意されてる」
ユウが示した車両の後部には、折り畳まれた重翼と小型のジェットを備えた、
流線形の黒い躯体が固定されていた。
O.A.S.I.S.というロゴが見えた。ぶら下がり式のコントロールバーも見える。
「名前は『Lancer』だって」
ミサキが、タブレットの情報を読み上げる。
「ハングライダーみたいにも使える自律飛行ユニットらしいわ。
開発元はO.A.S.I.S.。どうもアメリカの軍事研究機関の物のようね」
「……中枢機構に“位相中和機構とかいう、
聞いたこともないシステムが組み込まれてる。完全にブラックボックスだよ。」
ユウが付け加える。
皮肉と、僅かな好奇心、そしてそれ以上に強い警戒心が混じっていた。
「これ以上ややこしいことにならなければいいがな……」
大樹は吐き捨てるように呟くと、特殊車両に乗り込んだ。
重いドアが閉まり、外界の喧騒を遮断する。
エンジンが静かに起動し、車両は地上へと滑り出した。
これから自分が迎えに行く『ゲスト』が、この街に何をもたらすのか。
今はただ、不吉な予感だけが、大樹の胸を重く支配していた。




