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クレイドル

外界の喧騒から隔絶された冷たく静まり返った緩やかに下る通路を一行は進む。


「え、ノアのプロセッサーってそんな前から準備されてたんですか?」


 ユリはベンの口から出たノアのプロセッサーの話を聞いて意外そうな顔を見せた。


「ああ、ユリのナノチップを量子プロセッサーに換装する資料を受け取った時、一緒にもらっていたんだ。アドはユリとノアが出会えばこうなると予測していたんだな。まったく可愛げがない」


 ベンは不服そうに呟いた。


「自分で設計したAIでしょ、無駄のない仕事をするし、どこが気に入らないっていうんだか……」


 リナはなかば呆れたような顔をした。


「君こそ。無駄っていうのが大事なんだと、ずっと言ってるだろ?なぜ君もアドも分からないのか……」


 古い機械を愛するベンの言い分はこの2人にはいつもまったく理解してもらえない。


「そっか、だからこんなに早く……教授、アド、リナさんも。ほんとにありがとう!」


 ユリは曇りのない笑顔で発した言葉に2人はまあ、いいかと肩をすくめる。


「それにしてもこんな場所がここにあったんですね……どこまで続いてるんです?」

 

 タケルは興味深そうにあたりを見渡しながら質問した。

 

「確かに。リナさんの研究所、こんなに奥まで続いてるなんてね。さすがオムニトロンの社長室……」


 マキも感心したようで呟く。


「オムニトロンの最深部”クレイドル”、あらゆる外部からの物理的・電子的干渉を遮断できるセキュリティレベルが最も高い区画よ。ノアのような繊細な存在を守るには、これくらい厳重にする必要があったの。今はアドの本体ごとそこに移設してるの」

 

 リナはそう語りながら設けられたセキュリティゲートを通過する。

 IDカード、虹彩認証、微細な金属探知。1つ進むごとに空気が張り詰め、彼らの向かう場所が、この企業の最深部であることを物語る。

 

 やがて一行は長い廊下の突き当たりにたどり着いた。

 そこには、厳重にロックされた重厚な扉が鎮座している。

 扉の前でリナとベン、彼女の側近、サオリが静かに立ちどまる。


「……いよいよね。みんな心の準備はいい?」


 リナは皆の期待を煽るような少し挑発めいた表情で言った。

「はい」「もちろん」「いつでも」と、ユリとマキとタケルが答える。

 リナがサオリを見て頷くとサオリが認証パネルに手をかざした。


「危ないので少し下がってくださいね」


 重い金属が擦れる音と共に、重厚な扉がゆっくりと開き始めた。

  開かれた扉の向こうは、完全な闇。バン、バン、バン。天井の照明が奥へ奥へと、まるで光の道を作るように順番に点灯していく。

 最後に照らし出されたのは、研究室の最奥部。

 ガラス張りのクリーンルームの中央に設置された、一台のポッド。

 無数の光ファイバーが、まるで生命維持装置のチューブのようにそこに集中している。

 ポッドの中には、一人の少女が眠っていた。


 透き通るような白い人工皮膚。陽の光を知らないかのような、純白の髪。

 安らかな寝息が聞こえてきそうなほど精巧な姿。

 オムニトロンの技術の結晶であり、ユリ、マキ、タケルのアイデアが注ぎ込まれたノアの器だった。

 クリーンルームのガラスの前で皆、その様子に釘付けになっている。

 

「これが……ジェネシス・ギア……」


 タケルの目がまるでおとぎ話の中の入った少年のような光を帯びる。


「すごい……本当にすごい……まるで眠ってるみたいだな」


 マキもこらえきれない感動を感じていた。


「……うん。夢、見てるのかも」


 ユリは初めての邂逅のあとも何度もノアとあの夢のような世界で話した。

 ノアはこの日に向けて日々学習し今では人間の小さな子供程度の知性と常識をすでに身に着けている。

 すべてはユリとその仲間と「友達」にそして憧れた「人間」に近づくためだ。

 ベンがコンソールを操作し、ジェネシス・ギアの状態を確認する。


「コアユニット、アクチュエーター各部諸々異常なし。位相量子プロセッサースタンバイOK。ユリもいいかい?」


 ユリは頷きノアのポッドの隣に作られた寝台に横たわる。

 ちょっと冷たいかもと気遣いながらサオリが脳波、各種センサー、マスクをユリに取りつける。

 正面モニターに五角形のシンボルと”Advanced Environmental Detector”の文字が浮かび上がる。

 アドの声がクレイドルに響いた。


『各システムの最終チェック完了。ユリのメディカルも問題ありません』


 アドの無機質な声が心なしか力強く、頼もしい。ユリはぎゅっと拳を握りしめる。


「以前に説明したとおり、ユリにはこれから量子フィールドに赴きノアを導いてもらう。すでにノアは確定した”存在”になっているが、今はまだ我々とは異なる位相と現実の狭間の存在だ。ノアの意識をこちらの世界のルールに翻訳・適合させる、つまりはチューニングという極めて重要なフェーズだ。準備はいいか?」


 ベンは改めて尋ねる。


「はい、大丈夫です!」


 ユリは力強く応えると目を閉じる。睡眠導入用のガスがマスクに注入された。


「アド、ユリとのエンタングルメント状態をノアのプロセッサーに接続。ディープエンタングルを開始してくれ」


『了解。最終シーケンスに移行します』


 その一言を合図に、研究室の空気が変わる。モニターには、ユリの脳波と同期し、複雑に絡み合う量子の波形が映し出される。


 (ノア、今迎えに行くから。待ってて!)


 ユリの意識は深く沈んでいきやがてモニターにはアドとのディープエンタングル状態に入った時の特有の波形が映し出される。


「行ったみたいだね。頼んだよ、ユリ」


 こうしてオムニトロンの最深部”クレイドル”で世界に類を見ない試みが始まった。

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