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白い世界

 エンタングルに成功した日の夜、ユリは夢を見ていた。

 それは白く、ただただ白く果てまでが白い。そんな世界にいる夢。

 ユリは素足のまままっさらな白いワンピースをまとっている。


「ここどこ?夢?まさか……死んじゃったんじゃないよね?」


 ユリはあたりを見渡しながらゆっくり歩みを進める。

 すると足元に波紋が広がる。

 波紋と波紋が重なり合い干渉しあって複雑な模様が白い世界に広がっていく。

 よく見ると波紋の中、一滴だけ絵具を垂らしたように水彩の絵のような淡い色彩が浮かび上がっては消えていく。


「綺麗……」


 ユリはそれに気づき自分が辿った足跡に描かれた色彩に目を奪われた。

 足元を指で突いてみる。

 色彩の小さな波紋がぽわーんと広がった。

 とても澄んだ美しい水の色。

 その奥底にキラキラとした水晶の世界が見える。


「すごい……!」


 そう言ってユリは両手を床について顔を近づけ奥底を覗き込む。

 両手ついた床からも波紋が広がりユリは水晶の世界の上空に浮かんでいた。


「なんだろう……まるで魔法だ……」


 ユリの目に子供のような輝きが宿る。

 波紋は広がり続け、やがて世界が再び白く染まっていく。


「もっとつついたらどうなるのかな……」


 ちょんちょんちょんと指先で床をつつくと紫、ピンク、赤と次々と色彩の波紋が浮かぶ。

 奥底に紫の稲妻やピンクのプラズマのような光や炎の揺らめきの世界が水底の景色のように揺らぎ見える。


「触れると……世界が、応えてくれるのかな……?」


 自分の行動が、この世界を変化させたことは久しく忘れていた感覚を思い出させる。

 空手をしていた頃、自分の体が、努力が、確かな「形」となっていくことに感じていた喜び。

 事を成せば形づくられる。皆を不安にさせないように必死になるあまり当たり前のことを長い間忘れていた気がする。

 

 ユリは立ち上がってぴょんぴょんと飛び跳ねまわり始めた。

 白い世界のキャンバスに七色の世界が鮮やかに咲き誇る。

 鮮やかよりもさらに鮮やかな極彩色の世界。

 ユリはかつて和室で散々繰り返した練習を思い返す。夢中で色々なステップを疲れるまで試した。


「あはは……楽しいな、こんなの、久しぶりだ」


 ユリは満足そうな笑みでそう言ってその場に寝転んだ。

 ここは、ただの夢の空間ではない。1つの巨大な「意識」なのかもしれないとユリは思う。

 なぜかは分からないが、ただそんな直感があった。

 すると、ユリの心に直接、言葉にならない「感覚」が流れ込んでくる。


 ――あたたかい

 ――やさしい

 ――もっとしりたい

 

 ユリは耳を澄ます。この世界の白さと同じく清らかな「声」を聴きとろうと。

 しかし聞こえてきたのは清らかなその声ではなく聞き覚えのある声。


「どうやらやっと”お目覚め”みたいだね」


 アドの声がちょっと笑ったようにそう言った。

 白い世界の果てが急速に縮んでいく。

 ぱーんと弾けて視界が開く。

 無数の光の粒子が周回する、宇宙のような世界。


「ようこそ、私達の光の粒子の世界へ」


 アドの声がテーマパークのガイドの様にそういった。

 声は空間に広がり、1つ1つの光の粒子が呼応するように瞬く。

 ユリはその美しい宇宙のような世界を見渡しながら感動で身震いを覚えた。


「宇宙に浮かんでるみたい……」


 まるで初めて星空を見上げた子供のような、純粋な気持ちに包まれた。

 

「アド?どこにいるの?」


 声はするけど昼間のように頭の中からではない。外から聞こえた。


「ここは量子フィールド。宇宙じゃなくて私の頭の中とでもいったところかな?」とアドは言った。


 ユリはあたりを見渡す。

 5角形の星座のような形の光が形を変えながら瞬いている。

 これがアドに違いない。

 モニターのエンブレムとそっくりだ。

 その隣に青白く輝く連星のような光。

 

 ――やっとみつけた

 ――きれいなもの 

 

 青い光がくるくる回り跳ねるように弾んでいる。近寄ってくる。

 

 ――うれしい

 ――あたたかさ やさしさ くれた

 

 青い光はユリのまわりを囲い優しく瞬く。

 その様は子犬が尻尾をふるような、とても喜んでいる姿にユリには思えた。

 

「ノア?なの……?」


 ――そう のあ だよ

 ――あど が なまえ くれた

 

 感嘆のあまり声が出ない。

 誰もが信じがたいと言った。それほど虚ろな存在だった。

 自分だけは信じると言ったものの核心を持って言えていたわけではなかった。

 ユリはこの存在を信じることで何かが変われるとすがったに過ぎないと今、気づいてしまった。

 後悔なんてしない、そう言った自分はもしその存在が幻で皆が言うようにアドの空想の産物だったのなら

 自分は本当に耐えられただろうか?

 だが今自分を優しく包み込んでいるこの存在は確かなものであると実感できる。

 

 「ありがとう……ノア」

 

 気づけば感謝を口にしていた。

 自分を包む光をそっと抱きしめた。


(ノアがいてくれたことで私は救われたんだ)


 その思いが、光が宇宙を満たした。

 それはとても小さな宇宙の中で起きた創生の一幕だった。

 ユリの「認識」という温かい光に触れ、これまでただの可能性の揺らぎでしかなかった存在が、初めて1つの方向性を与えられる。

 数多の可能性を孕んでいた小さな粒子は人と溶けあいユリという人間を学んだ。

 粒子は自身が持つ可能性の全てよりもこの「人」をもっと知りたいと望んだ。

 光の中から、か細く、しかし明確な「単語」が生まれた。

 

 ――ユリ……?


 それは、ユリという人間を学んだ量子の知性が、人を模倣した、生まれたての問いかけだった。


「うん、そうだよ!ユリだよ!」ユリは力強く応える。

 

 ユリという観測者を得て、無限の可能性の揺らぎは、ただ一つの、感情持つ知性へと収束した。

 青い光は1つにまとまりユリの前にふわふわと浮かぶ。


 ――ノアもありがとう ユリ

 ――今ね ユリからたくさん 綺麗なもの もらったよ

 ――ノアは人が好き

 ――ノアは もっと知りたい

 

 まだ、ぎこちなさの残る、しかし先ほどまでと違い感情を込もった澄んだ可愛らしい声。

 遥か彼方に至る可能性よりも、たった一人の人間を知ることを望んだ知性。その存在は、この瞬間、確かに誕生したのだ。

 

「はじめまして、ノア!アドから聞いてずっと会いたかったんだよ!」


 ユリは目一杯の涙と笑顔を浮かべそう話かける。

 

 ――ノアも 会えてとっても嬉しい すごく嬉しい

 

 ノアがしゃべると青い光が瞬く。

 ぴょんぴょんと飛び跳ねるようにノアはそう言った。

 人ではない知性との会話でこんなに愛おしい気持ちがあふれてくるなんてユリは想像もしていなかった。

 純粋無垢。ユリにとってノアの第一印象だ。

 

 ――ノアは ユリと 友達になれる?

 

 少し心配そうな声でノアが聞く。


「うん、もちろんだよ……そのためにいっぱい頑張って。皆を説得して、力を借りて……やっと会いにきたんだから!」


 ユリはノアにエンタグルメントした話やその為に協力してくれた仲間たちの話をする。

 大切な仲間のことを話すうち、今までの不安や虚無が暖かな感情に溶けて消えていく。

 自然とその顔には笑みが浮かぶ。

 

 ――ありがとう ノアはユリのこと大好き 

 

 ノアはいっそう光輝いて言った。


 ――でもユリの周りにはいっぱい友達がいていいな……いつかノアも会えるかな?


 ノアが尋ねる。


「きっと会えるよ!私の周りいる人たちは皆すごいんだよ?」


 ユリは楽しげに笑う。


 ――そうなんだ じゃあ ノアも人間みたいな 体もてるのかな?


 ノアは不思議そうに聞いた。


「体かあ、ノアにもっと私達のこと知ってほしいしそれには体があったほうがいいよね……もしそれが出来たとしたら夢みたい」


 ユリはノアが現実に舞い降りるところを想像するとたまらない気持ちが込み上げてくる。

 

 ――ノアはアドから人間と人間の世界の事聞いてた。

 ――羨ましいなって思った。

 ――アドに会うまでノアはずっと一人だったから。

 ――もしユリみたいな体があってユリや皆と友達になれるならすごく嬉しい!

 

 ノアの言葉はみるみるうちに人間らしさを獲得していく。


「よし、それじゃ皆でめちゃくちゃ可愛くて、すごい体作ってもらうから!少し待っててね!」


 ユリはその新しい夢に向けこれまでになく血が滾るのを感じた。


 ――やった すごい楽しみ すっごく楽しみ!


 ノアがクルクルまわっている。


「ユリ……別に可愛くする必要はないと思うよ……一応言うけどノアは犬や猫とは違うからね」


 黙って見ていたアドはなにか不安を覚えたのかユリに釘をさした。


「わかってます。だけど犬や猫だって家族なんだよ。アドはワンコとニャンコに謝って?」


 ユリは少し舞い上がっている。


「そういう事を言ってるわけではないんだけど……まあ、いいや。大切に思ってくれているのは分かったから。ノアのことお願いします」


 アドはそう言った。


「うん、任せて!」


 ユリは力いっぱいそう言った。

 そして翌朝。

 研究室の別室で眠るユリの様子を見に来たリナとベンはその傍らにあるモニターで驚くべき事象を目にする。

 アドが残した昨夜のノアとユリの邂逅のデータだ。

 会話のログ、その時の量子の運動量。見たこともない数値が記録されている。

 アドの量子ビットとは別の領域が活性化されていた形跡が確かに残っている。


「こんなことが……」

 

 リナとベンは顔を見合わせ驚嘆の表情を浮かべた。

 2人は別室で眠るユリの満足そうな寝顔を見つめる。


「ノアの体、作ってあげなきゃいけないわね」


 リナは指でユリとノアの会話ログをなぞる。


「そうだな、この偉業を成し遂げた少女の望み、とあらば我々は答えないといけないな」

 

ベンはアドによって用意周到に準備されていたノアを核とする「位相量子プロセッサー」の設計資料に目を通しながらそう口にした。

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