タゴマの啓き
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
好きこそ、ものの上手なれ。
よくきくことわざのひとつだろう。長年やっているものであったなら、ある程度のガワを取り繕うことはできるだろうが、真の上手となるには好きであるという気持ちがなくてはならない。
好きを仕事にすることにあこがれる人は多いが、好きでいるためには熱も時間も自分の好きなようにコントロールできなければ、難しい。勝手がきかず、要望通りに、定められた通りにこなさないとなると、物事が好きであればあるほど負担となろう。
商売的な好き、技能的な好き、両方ともが重なる時勢に生まれたのなら幸運といえる。そして好きであるならば、上手くもなる。
下手の横好き、という言葉もあるが、それはあくまで人間の社会や基準においての評価。世界全体で見たならば、どこかでそれが上手とみなされ、助けとなることもあろう。
ちょっと前に、僕が友達から聞いた話なのだけど、耳に入れてみないかい?
むかしむかし。
友達の地元に、タゴマという男の子がいたようだ。
彼の一族ははるかご先祖様が神様へ歌や踊りを奉納していたと伝わっており、以降代々、神事から民間に至るまで必要とされるときに技芸をおさめてきたのだとか。
その一族にタゴマは生まれた。踊りこそなかなかのものであったが、歌にかけてはとてつもなく音痴だったらしいんだ。
単に一族の歌の程度が高いがゆえの、相対評価であるなどと好意的に解釈することもはばかられる。一般でいう、音の取れていないだろう歌声に混じっても、すぐにそれとわかるほどにタゴマの声はひどかったという。
「あいつ、歌に関してはうちの血が入っているとは思えないほどのド下手だぞ。よその馬の尻から出てきたんじゃないか?」
ひどい言われようだ。それだけ一族が代々継いできた誇りがあるのだろう。
タゴマ、というのも本名ではなくあだ名だ。「他所の駒から生まれ出でたもの」の他と駒を足し、他駒となすというわけ。
踊りだけなら見られたものだが、一族はそれに歌も合わせた複合的な技能も求められた。歌に関してどのようにしても改善が見られぬタゴマも、手を抜いてやっているわけではないが、ついに期限を切られてしまう。
15になるまでに水準に達しない場合は、家に置くことはできない、と。猶予付きの勘当を言い渡されてしまったわけだ。
タゴマは歌が嫌いではない。むしろ大好きであったのに、いよいよ15になっても家の認める基準に達することはできず。ついに家を追われることになり、彼の本当の名も家系図から消えることになってしまったとか。
それより「タゴマ」といういち個人として、彼は生きていくことになる。
変わらぬ務めを果たし続けてる一族に対し、タゴマの足取りはそれより十数年の間は判然としなかったらしい。
ただ時おり、各地で濁りながらも、人のものであろうかという歌声がおよそ誰かが住まうことのないはずの山野にこだますることがあり、耳にした住人に「こだま」の再来であるとうわさされることもあったとか。
この話がちらほらと伝わり始めたころ、とある地域では長い日照りに襲われて、雨がすっかり降らなくなってしまい、雨ごいの手はずが進められていたという。
かの地においては、実に数十年ぶりの事態であったが手順は定まっている。まず村にまつってあるご神体である石像を、泥をはじめとしたさまざまなもので汚す。
こうも汚く、罰当たりであることを天の神様へ見せることにより、その罰である雨を期待するわけだ。不浄を流しつくすための雨をね。
で、それが足りないとなると、選ばれた踊り手たちによる雨ごい踊りが催される。
これは選ばれた者たちが、ひたすらに歌と踊りをおさめ続けることで神様へ雨を願う、というものだ。
さんざん汚れではずかしめておいて、今度は手のひらを返して懇願するとは、なんとも移り気。しかし天気の変わりやすさをしる彼らからすれば、あの手この手と品を変えていく、当たり前の手段だったのだろう。
この雨ごいは多くの人の命がかかっているとあって、踊り手は命懸けだ。
疲れ果ててへばろうとも、気を失うか、命を落とすまでその役目を続けることを望まれる。
常に同時に5人が踊り続け、再起不能とみなされた場合には速やかに次の踊り手と代わることで、片時も停滞することなく奉納を続けられる。雨が降ってくれる、そのときまで。
しかし、この時には7日7晩続けても、空は雲一つなく晴れ渡り続けたという。
数十年の開きにより、人々は平素、歌と踊りを軽視し、たるんでいる。雨ごいの業に長く耐えきれる者はなく、すでに100にものぼる脱落者を出していたという。
このままの調子では、間もなく候補がみないなくなってしまう……その折に現れたのが、かのタゴマであると伝わっているんだ。
髪もまとう衣類もボロボロであったタゴマだが、それはかつて航海の安全を担ったとされる「じさい」そのものかと見まごうほどの不潔さだったという。
タゴマは当初、雨ごいの様子をうかがっていたが、やがて自分が歌い、踊ってもよいか? と申し出たらしい。しかも、歌うのも踊るのも自分一人で構わない、と。
困惑しつつも、ここまで結果の出ない様子ということに背を押され、人々は彼一人のために雨ごいの場を開ける。
そうして歌い、踊り始めたタゴマに対し、皆は目を見張り、耳をふさいだ。
踊りそのものは村の誰よりも流麗なそれでありながら、歌は居合わせた全員にとって、騒がしくも恐ろしい響きであったからだ。
それは雷雲の放つ轟音を想像させるほどで、タゴマの口からは限りなく、稲光をもたらしうる雲の調べが奏でられ続けた。
すると、それに寄せられてか。
まだ昼間というのに、空がどんどんと暗くなって雲も湧いてきた。その急変ぶりは、人々を戸惑わせるばかりで、期待に胸を膨らませるスキなど与えてはくれないほど。
やがて叩きつけるような雨が一帯に振り落ち始めたとき、歌を止めたタゴマがぽつりとつぶやいた。
「我、天を啓きたり」
その声に人々が目をやった時にはもう、タゴマは人込みをすり抜け、足早に村の外へ去っていくところだったという。
それからさらに数十年、各地で雨の絶えるとき、決まってみすぼらしい風体の男が現れて雅な踊りと、恐ろしき歌声を届けては雨雲を呼び寄せ続けた。
タゴマがどこで名乗ったかは分からないが、その奇妙な体験をした村々では、自分たちが救われたのもタゴマのおかげとし、新たに彼の姿をした像をまつったという。
その像は後年、大規模な戦や時の領主の方針により、残らず壊されてしまったが、それまではいずれの地域も、水不足に困ることはなかったと伝わっているな。




