第2話『吸血鬼、屋台に露る』
了解しまし
──夜の風は、こんなにあたたかかっただろうか。
月光がこぼれる石畳の通りを、日和は一歩ずつ確かめるように歩いていた。
吸血鬼の国〈シュヴァルツヘイム〉、その第三王女となった彼女は、城の外に出るのはこれが初めてだった。
「お姫様。はぐれないでくださいね」
傍らを歩くのは、宰相の孫であり、近衛見習いの少年・ラオ。
彼の瞳は琥珀色に光り、どこか警戒心をにじませながらも、日和の一歩先を歩いていた。
「……大丈夫。ちゃんと歩けるから」
「え? あ、いえ、その……はい!」
日和がそっと微笑むと、ラオは耳まで赤くなって慌てたようにうなずいた。
そう──この世界に来てから、日和の中にある力が少しずつ芽吹いている。
その一つが、“魅了”。
日和が心から微笑むだけで、周囲の空気がわずかにゆらぎ、相手の心に何かを落としていく。
まるで月夜に露が降るように、静かで、不可避な変化を──。
「わあ……」
屋台通りにたどり着いた日和の目が輝いた。
木製の屋台がずらりと並び、香ばしい匂いや甘い果実の香りが夜風に乗って漂ってくる。
「あれは……焼き花穂? あっちは蜜月草の飴!」
「……姫様、詳しすぎませんか?」
「えへへ、城の図書室で調べてたの。いつか外に出られたら……って」
その時だった。
――パタン。
ひとつの屋台で、ひっそりと品物が倒れた音がした。
人影がないはずの空間。だが日和は、ふっと顔を上げ、静かに呟いた。
「……いるね」
彼女の紅の瞳が、闇の中に宿る影を見抜いていた。
「誰……?」
数歩、近づいた先。屋台の下から、小さな少女が這い出てきた。
痩せた腕。ほつれた金髪。だが瞳だけは、どこまでも深い紅だった。
「……血、欲しい」
その子は吸血鬼だった。だが、表情は幼く、怯えていた。
「でも、あたし……噛んだら、怖い顔されるから……」
日和はそっとひざを折り、小さな手を取る。
自分の過去と重なった。その孤独、怖さ、何も言えずに泣いた夜のこと。
「ねぇ、名前は?」
「……リィナ」
「リィナちゃん、わたしは日和。友だちになってくれる?」
「……お姫様、なのに……? あたしみたいな、捨てられた子と……」
「私も、捨てられたことがあるんだよ。前の世界で……」
日和は自分の指先を見つめた。そして、そっとリィナの胸元に手を置いた。
「あなたに、少しだけあげるね。わたしの“灯火”」
すると──
日和の指先がかすかに光を宿し、リィナの胸元が赤くあたたまった。
「これ……あったかい……なに、これ……?」
「それはね、生きる力。私がもらったもの。今度は、あなたに」
月が雲間から顔を出し、二人の姿を銀色に照らす。
ラオは少し離れた場所から、それをただ見守っていた。
第三王女・日和は、血ではなく、“灯り”を与える吸血鬼だった。
夜は静かに、深く、澄んでいた。