ほろ酔いの告白と月下の独白
「おはようございまーす!あーさでーすよー!!」
寝室に明るい低音の声が響き、その懐かしい声色にアシュティンは寝ぼけた。顔にかかるサラサラの髪をなでて、起こさないでと祈る。
「アーティ…くすぐったい…」
その耳朶を打つのは、更に低い声。
(あら…?アーティー??)
聞きなれないあだ名になでる手をとめて、ゆっくり目を開ければ新緑色の目とあった。手触りのいいストレート茶髪の主は、くすぐったそうに微笑んでいる。
「ううん?…あ、ジャンカルロ…じゃなくて…ジェイ…」
「起きたか?そろそろ起きないと怒られてしまいそうだ。」
昨夜一緒に寝たことを思い出して、彼女の意識はすぐさま覚醒した。
慌てて起き上がろうとして、自身の髪がひっぱられる痛みで夫の胸に飛び込む形になった。
「きゃっ」
「うっ…?すまない、俺の体の下に髪をしいてしまっていたな。」
よくみればアシュティンの長い髪がジャンカルロの体に絡むように巻き付いて下敷きになっている。
ウェーブする分、あちこちにひっかりやすいのだ。ジャンカルロがアシュティンごと自身の体を起こせば、髪が滑り落ちて自然と顔が近くなった。
「あの、昨日は…」
「アーティー目を閉じてくれ…」
2人の顔がそのままくっつくかというときにまた明るい低音が響く。
「なぁー、朝だって!!ギレルモ補佐官に陛下引きずってでもつれてこいって言われてるんだけどぉ??」
「…クラウス!?いたの??」
「ちっ、いいところを邪魔するな…」
メイド服にほうきをもった長身の男が、腰に手をあてて妨害してくる。アシュティンは慌ててベッドから降りた。残された方は不満げに、睨んでいる。
「侍女さんたちはお二人の邪魔できないとか言ってたけどぉ、俺には関係ないから。護衛交代の時間だぜぇ!」
「あらあら残念、あたしもうちょっと見ていたかったわ。」
「シェルピンクさん、いらっしゃったんですね??」
天井から赤い異国衣装のシェルピンクも降りてくる。予想より人が多く、アシュティンは真っ赤になって部屋の外で待機していた侍女をよぶ。
「さぁ陛下いくぞー。最悪は首根っこ掴んでもいいって聞いてるけど、やろうかぁ?」
「結構だ、触るな。」
野郎2人が寝室から出ていく。
アシュティンが寝巻からドレスに着替え終わる頃に、クラウスだけが戻ってきた。侍女に髪を結ってもらいながら、アシュティンは振り向いた。
「あら、早かったわね?」
「俺の仕事は陛下を送るところまでだったから、後は補佐官どのと侍従がやってくれるんじゃねぇ?」
「そう…」
今日のアシュティンの髪型は髪にリボンと真珠を結いこみながら、右サイドにゆるく三つ編みにしていく。その姿を見ながら、壁によりかかってクラウスは彼女を見つめていた。
「‟アーティー“…ねぇ。新しいあだ名、良いじゃん。」
「ちょっと、その名でよんでいいのは陛下だけよ。やめてよね。」
剣のかわりにほうきを腰に持ったまま、クラウスは肩をすくめた。アシュティンのあだ名は、昨夜のゲームで惨敗した後に考え抜いたジャンカルロが決めたものだ。
「アッシュ」が祖国でのあだ名なら、自分だけがよぶ愛称がほしいと言ってくれたのだ。「ジェイ」もアシュティンがジャンカルロの為に考えた彼女だけのあだ名だった。
「ごめん、気をつけるよ。」
「アッシュなら、プライベートでこれからも他の人に呼ばれていいって陛下がおっしゃったから、そっちでよんで…」
「わかった」
あっさりと頷いた後も、クラウスはアシュティンをじっとみていた。その視線が気になってつい視線を合わせて見つめ返す。
「何か変かしら?気になるところがあるなら言って?」
「いやぁ…なんでもない。人って1年みない間にずいぶんと変わるなぁって思っただけ。」
「服装と髪型のこと?エイブラムの時と比べると珍しいかもしれないね。」
首を傾げるアシュティンを寂しそうな笑顔で、クラウスは見ていた。
「皇国と食事交流会ですか…」
「そうだ。この間アシュティンとの結婚一周年を迎えただろう?」
「そうですね。あれからもう1年ですか。早いものです…」
ジャンカルロと昼食をとりながら、午後の公務の打ち合わせを進める中で不穏な気配をアシュティンは感じた。
「皇国と言えば半年前の誘拐の件はどうなりました?」
「それを聞き出すことも目的の一つだな。上手くいけば、貴方の妹姫のお相手もわかるかもしれない。」
「ふむ…」
もうすぐ臨月になる妹を思い出して、アシュティンは食事の手をとめた。彼女は未だに幽閉されている。
(2の姫をだました人物。その人がここにくる…?)
全く予想できず、彼女の視線が宙をかいた。
「では、異国人とは…皇国の人間で確定したということですね…?」
「エイブラムから特定のむねを書いた書類が届いたんだ。希望するなら、後で資料を渡そう。」
心配そうなジャンカルロが、口ごもりながらも提案をしてくるのですぐに快諾した。
「時間が空いた時でいいので、お願いします。」
「あぁ、わかった。…話は変わるが、結婚1周年記念を盛大にやりたいのだが、どうだろう?」
「ふふふ、はい。規模によりますが是非やりましょう!!」
ジャンカルロの都合が悪くなると露骨に話題を変えてくる癖に気づいてアシュティンは、笑いをかみころしながら頷いた。
(最近気が付いたのだけど、ジェイって気を許した相手には結構わかりやすいのよね。可愛いと思ってしまうのはどういう意味の感情かしら…?)
それは恋の先の感情に変わり始めているもだった。
とある日の夜
夫から皇国のお茶の飲み方をしてみようと提案を受けたアシュティンは、ほろ酔いになっていた。
妻を酔わせたことにより、ジャンカルロは自業自得の危機に落ちていたが、助ける人はいない。
「こんなつもりじゃなかった…。アシュティンがここまで弱いなんて…」
か細くうめいて、ゲームのスパイス程度に考えていた自分の浅慮を彼は呪った。
彼女らが飲んだのは、カルヴァトスというリンゴ酒を紅茶に数滴たらして飲むものだ。
普通の人なら酔うほどではない。だが、紅茶を半分飲んだだけでアシュティンは酔っぱらってしまった。お酒に弱い体質なのだろう。
手つかずのお菓子とゲーム盤が、王の視界の端に先ほどから放置されている。
王妃はふにゃふにゃと笑い、ジャンカルロの頭をその胸の中に抱き込んでいた。
「よしよし。いつも頑張ってて偉いねぇ。」
「こんな酔い方をするタイプは初めてみた…絡み酒か??俺以外にもこんなことをしているのか?」
全身を真っ赤にして硬直し、座ったまま呻くようにジャンカルロがこぼす。下手に動くこともできない態勢になっている。
座っているところをアシュティンが後ろから頭に抱き着いてきたのだ。
「酔ってないですよー。うふふふ。ジェイ可愛い。良い子良い子。」
「待ってくれ、どうしたらいいんだ。」
新手の誘惑かと、混乱して彼の手がさまよっては膝の上で拳を作った。上機嫌のアシュティンが歌うように言葉をつむぎだした。
「ねぇ、ジェイ。私とっくにあなたのことが好きで好きで仕方ないんです。」
「え?んん??アーティー?」
「好きだから、甘やかしてあげたい。頑張っているから力になりたい。」
まだ告白の返事を聞けていなかった彼が息を飲んだ。それに気づかず、抱き込んだ頭部にキスを1つおとして更に上機嫌に彼女は言えなかったことを告げる。
「あなたが望むなら、どんなことも応えたい。叶えたい。私はとっくにジャンカルロが気になって仕方ないの。好きで好きで、大好きで…そうね。もっともっと何か言い切れない感情、愛しいと思う。そんな、かんじょう…ん?あら…わたし、今何を…」
途中で声がゆっくりになり、正気に返ったアシュティンがぎこちなくジャンカルロから離れようとした。
だが、いつの間にか無言の王の片手が腕に、もう片腕が腰に回った。そのまま引っ張られて、膝の上にのせられる。
「あっ…」
「…。」
無言の夫の顔をみて、アシュティンはすぐさま膝から飛び降りて逃げた。
妻を引き留めようとしたジャンカルロの手がとまる。
「…今夜はお互い別で寝よう。春先だが熱すぎるようだ。」
「そ、そうですね。おやすみなさい。」
「おやすみ。」
真っ赤になって悩まし気な顔の王がカートを乱暴に押して、急ぎ足で出ていく。うっかりのみかけのお茶と数滴しか減っていないリンゴ酒を忘れていってしまった。
1人になったアシュティンは、残りのお茶を一気にあおる。
「苦くて、甘くて、酸っぱい。」
物足りなくて、そのままほとんど手つかずのリンゴ酒を直接のもうとした。
「だめだ。そこまでにしとけよ。」
ごつごつした手がその酒を回収してく。
ジャンカルロと入れ違いで来たらしいクラウスだった。
メイド服でなく、簡素な騎士の格好だ。
長髪はカツラだったのか、短く刈り上げた懐かしい髪型に戻っている。
「エイブラムの国王様も宴会の時、乾杯の1杯目しかお酒を飲んでいなかったよなぁ。お前も同じ体質なら、明日は吐いてのたうちまわることになっちまうぞ。」
「…じゃあお水持ってきて。」
「酔いさましのハッカ飴もついでにやろうな。」
受け取った透き通る青い飴はエイブラム産の特産品だ。懐かしいそれに急激にアシュティンは頭の中が冷えていくのを感じた。
(なんだかさっきとんでもないことをしてしまった気がするわ…それにジェイのあの顔…なんだか、見てはいけないものをみてしまった気分…)
真っ赤になり、よくわからない感情におそわれて悩み、明日どんな顔をすればいいのかわからない百面相のアシュティンに水の入ったコップがさしだされた。
「ありがとう。」
「ほら、ゆっくり飲んで。」
「うん。」
1杯飲み終わると2杯目がつがれた。今度は更に時間をかけて水を飲んでいく。
「お前さ、いつもこんな感じで陛下と夜に過ごしてるのか…?」
「どういう意味…?」
「いや、なんか…うん。俺が何か言うことじゃねぇな。」
ぐしゃっと久しぶりに頭を撫でられた。乱暴に撫でられて、首ごとアシュティンの頭が揺れる。
「目が回るー。やめてやめて。」
「はははは、うん。俺はこっちの方がいいや。」
「さっきから何がしたいの??」
1人で納得して、1人で笑い出したクラウスにアシュティンは頬をふくらませた。
「なぁ、アッシュが最初に悩むことが、一番気になることだと思うぜぇ。それを解決しない限り他の問題も手が付かなくて、どれも解決しなくなっちまう。だから、1つ1つ解決していけよ。一緒に悩むだけの俺と違って、あの人なら解決まで手伝ってくれるんじゃないか。」
「急にどうしたの?」
穏やかに笑って、クラウスが更に頭をなでる。今度は真っ当なアドバイスをくれた騎士に、アシュティンは目を白黒させた。
「百面相してたから、一人で悩む癖でもついちまったのかと思ってさぁ。違うならいいんだ。」
「そうだけど…よくわかったね?」
「ずーっと見てきたからな。もうじきわからなくなりそうだけど…今だけは、まだ譲れないな。」
「???」
アシュティンはアドバイスはよくわかったが、その後の発言は彼女にまだ知らない嫉妬という感情を含むものだった。
首を傾げる彼女に早く寝るように言って、リンゴ酒と空のティーカップを回収しながらクラウスは退室していった。
????視点
妃宮を後にするクラウスのことを月明りが照らしている。
記憶の中の幼い彼女と今のアシュティンはどうしてもクラウスの中で別人に感じるほど変わっていた。
1人で見送った時の小さな後ろ姿は、大事にしてくれる人たちの手で綺麗な大人びた女性になってきている。
さっきのアシュティンの顔など、彼は一度も見たことがないほど、艶っぽい表情だった。
「アッシュ、…綺麗になっていたなぁ。」
「わかっていると思いますが、馬鹿なことをしないでくださいね。」
悲しそうな彼の元へギレルモが近づいてくる。その手には数本の度数の高いお酒があった。クラウスの手にあったリンゴ酒だけ回収して、代わりの酒瓶を握らせる。
「飲んで忘れろってぇ?いいよぉ、わかった。」
「せっかくなので、私もご一緒しますよ。失恋の愚痴とゲーム疲れの愚痴を交互にさかなにしませんか?」
「え、陛下の元にいかなくていいの??」
先日からゲーム被害者の一員になったクラウスは、執務室のある方へ顔を向ける。
先ほどの使い慣れたエイブラム語の会話と違い、間延びした幼子のような彼の喋り方は少し泣いているようにも聞こえる。
「今夜の陛下はそれどころじゃないと思いますので大丈夫です。と言いますか、寝た子が起きる前に何とやら。という状態ですね。急いで離れましょう。」
「補佐官さんと陛下って仲いいよねぇ。」
ヘラリっと笑ったクラウスは、ゲーム被害から逃げるべく、いつの間にか合流してきた側近たちとギレルモと一緒に侍従大部屋控室へ消えていった。
ジャンカルロ視点
カートをメイドに任せ、王は人払いをして執務室にいた。
誰もいないことを良いことに、床でもんどりうっては立ち上がって書類を書き、また思い出しては床に転がるといった奇行を繰り返していた。
「未成年の王妃が可愛すぎる!!あんな言葉をきいて手を出さなかった俺を誰かほめてくれ!!」
耳もとでささやくように言われた告白の言葉。ここ数か月ほしかった言葉だった。だが、彼が予想しているよりも熱烈な返事をもらったせいで、顔に集まる血が中々下がらない。
「誰かにあんな風に言われたのは初めてだ。こんなに胸が何かで溢れそうな、苦しくて嬉しい感情になるのか…」
彼以外誰もいない執務室にポツリと言葉が響く。親しいといえども側近たちは友人で側近でしかない。
彼のことだけを深く思う人はこの先、アシュティンだけだろう。
「政略結婚だぞ、ましてや元敵国に嫁いでくれた未成年だ。それなのに…彼女に深い恋とは、な。」
はやる心臓が、また先ほどのやりとりを思い出させてくる。
「酒に酔っての発言だ。不本意ではなかっただろうな。初夜までの猶予はまだ一年ある。あまり深く追求しないほうがいいだろうか…」
逃げ腰になりかけたジャンカルロだったが、ふと思いついて妃宮へと再び足を向けた。
先ほどから一刻以上経っている。
「酒に酔っているなら、もう寝ているだろう。寝顔をみてこよう。」
静かで暗い廊下を速足で進む。護衛役の誰かが、慌ててついてくる気配を感じながら、アシュティンの寝室がある宮まで到着した。
軽くノックをして、返事をまつ。何も返って来なかったことを確認して、厳重な鍵を音を立てないように外した。
部屋の奥まった場所、ベッドの中でアシュティンは静かに目を閉じいていた。
先ほどの熱烈さが嘘のように、静かに彼女はそこにいる。
月明りの下で海の波のような群青色のウェーブした髪が白い肌をいっそう際立たせていた。
青いまつげに縁どられた瞳はしっかり閉じられているようにみえる。
「好きだ。俺だって君のためなら何でもしてやりたいし、ずっと傍にいたい。」
ささやくように言葉をこぼして、ベッドから出てしまっていた手をとった。
あえて甲でなく、手中に口づけを落とす。まだ熱を持つように熱い手をそっとベッドの中に戻そうとした。
しかし
「ちゃんと起きている時にしてくださいな。」
その手は握り返してきた。
いつの間にか、閉じていた瞳が金と青が混じった不思議な色彩をみせている。
月下の中で緑と青の2人の瞳が交差していた。
「アーティー、起きていたのか。」
「ちょうど眠ろうとした時のノックだったので、誰かがわからず目を閉じておりました。」
さっきの今で、二人とも顔が赤い。
「その…前にもいったが、好きだ。さっきの言葉は本心として受け取っていいか?」
「もちろんです。ずっと言えなかったのですが、私はあなたに恋をしています。ジェイに嫁いで良かった。」
握った手をアシュティンはそっとひいた。
彼女から夫に口づけをする。
リンゴ酒の甘酸っぱい味がジャンカルロの唇に伝わった。続くようにミントの爽やかな香りが追いかけてくる。
「もうお酒は抜けてます。だから聞いて下さい。」
突然の彼女からのキスに呆けるジャンカルロの耳に、心地の良い声が響いていく。
「あなたが好き。私はこの先、何があってもあなたを信じます。力になりたい。傍にいたい。あなただけがほしい。これが告白の返事です。」
「アシュティン!!」
華奢な体が軋むほどジャンカルロは彼女の体を抱きしめた。
この日、国王夫妻は本当の意味で両想いになった。
「陛下、わかっていると思うけどあたしが天井で見てるからね??とてもめでたい事だけど、それ以上手をだしたら…わかってるわよねぇ?」
見つめ合い、思いを確かめ合う2人。
甘い時間は、シェルピンクが敢えて水をさすまでのことだった。