恋愛とはどんなものかしら?
久しぶりに穏やかな朝を迎えたアシュティンは、朝早くに目が覚めてしまった。侍女がくるまでの間、手持ち無沙汰に恋愛本を読んでみた。
「ふしぎね、こんな出会いはきっと現実ではありえない。でも、もしかしたらと思うとわくわくする。うーん、どの本も恋についての描写が違うわ。恋とはどんなものかしら…」
軽いノックと共に侍女たちが入ってきて朝の準備を始め、アシュティンは本の分析を最後まで行うことはできなかった。
「ねぇ。貴女は恋を知ってる?」
「恋ですか?」
今日はフォールロックの侍女が力強く立候補してきたので、全員がフォールロックの侍女だった。アシュティンの髪に普段と違って髪油を塗り込み、銀箔を散らして輝きを増やしながらクオーターアップの髪型にしていた。くしとピンを持つ手を止めて、動揺したようにアシュティンを見つめている。
「昨日、先生から恋愛の本を受け取ったのだけど、どれも恋の描写が違うのよ。だから恋ってどんなものかと思って気になっているの。」
「恋、恋…一応経験はございますが…お聞かせできるほどのものか…」
「どんなものか知りたいの。どんな話でもいいから聞かせてくれない?」
口を開いては閉じて、侍女は何を言っていいのか悩んでいた。
「…ごめんなさい。難しいことだったら断ってくれていいから…」
命令で無理を言っている状態かと危惧したアシュティンは、慌てて話を打ち切ろうとした。
「いいえ、いいえ。難しくはないのです!!」
「私ども、王妃様ともっとお話ししたいと思っておりました。」
「もしよければですが、王妃様の元婚約者さまとの恋のお話を聞かせていただけますか?」
慌てて侍女が首をふると、フォローするように他の侍女たちが口を開く。
「私の元婚約者の話?良いけど、それこそ楽しくないわ…」
「聞きたいです、何でもいいので王妃様のお話を聞かせてください!」
(あら?フォールロック側の侍女と今までおしゃべりしたこと、そう言えばあんまり無かったかも…?)
エイブラムから連れてきた侍女たちとだと母国語でしゃべれて楽だった故に、指示や頼み事以外でフォールロックの侍女たちと交流できていなかったことにアシュティンはようやく気が付いた。
「良いわよ、その代わりにここにいる侍女たちは私に恋の話を聞かせてね?」
「「「はい!」」」
フォールロックの侍女とアシュティンとの距離が縮まっていく様子を不安げに見つめるエイブラムから連れてきた侍女が数人。それとは別に何かに怯えた様子を見せながら、アシュティンとフォールロック側の侍女たちのやり取りを眺めているエイブラムの侍女も何人かいる。
アシュティンはそんな彼女たちの様子に気が付きながら、試すように目を伏せた。フォールロック側の侍女たちに昼休憩のときに自室にくるように頼んで、王妃教育の準備に意識を向ける。
その日の午前中はあっという間に過ぎ、アシュティンとフォールロック側の侍女たちはそわそわと昼餉の席についた。
「それで誰から話しましょうか?私の話はあまり楽しくないから、最初でいいかし…」
「あたしから行かせていただきます!」
「で、では王妃様が最後になるように時計回りで話していきましょう!」
「王妃様の話は最高のデザートですので、ダメですよ!!」
右端の赤毛の侍女が慌てて挙手をしてアシュティンの話を遮った。便乗するようにポニーテールの侍女、ダブルお団子頭の侍女が言葉を続けていく。
(…本当に私の話はおもしろくないのだけど…)
期待値が上がってしまっている彼女たちを眺め、アシュティンは必死に幼馴染の騎士との記憶を掘り返しながら、話に耳を傾けた。
「あたしの初恋は、庭師の息子です!鼻先に毛虫を見せられたことがきっかけで喧嘩相手から意識するようになって…近々婚約する予定なんです」
「わたしの初恋はお兄様で、その次は年の離れたいとこで、その次は年の近い叔父様で、え?家族ばっかり好きなってる?そうなんです、禁断の恋に弱いみたいで…」
「私の初恋は馬で初乗りをしたときに、一緒に練習していたどこかの子息が馬に飛ばされて綺麗なアーチを描いて川に落ちた瞬間で…恐怖に満ちたあの顔が忘れられなくて、今も初恋を引きずっているんです…」
(な、何?何か皆さん特殊な状況で恋に落ちているわ。もしかして恋って特殊な環境によるときめきを勘違いして起きる錯覚のようなものなのかしら??)
たまたまである。たまたまフォールロック側の侍女たちが特殊な環境で恋に落ちていただけであるが、アシュティンは恋を誤解した。勿論、侍女たちの中には恋を体験しておらず苦し紛れに嘘を混ぜた者もいたが、はしゃぐ彼女がそれに気づくすべはなかった。
お昼休みが半分を過ぎた頃にアシュティンの順番はやってきた。皆がご飯を食べ終わり、デザートに口をつけずに彼女に話に目を輝かせて待機していた。
「うーん、わたしと幼馴染の婚約について、だけど…」
(色々考えたけど、変に嘘をつくより本当のことを言った方が後々困らないよね…せっかく恋の話を聞けたのだもの!)
熟考して彼女は腹をくくった。
「私と幼馴染の騎士…クラウスとの婚約は害のない結婚になる予定で組まれたの。」
「害のない結婚、ですか?」
「そうなの。直系の血族の保存とでも言い換えたほうがわかるかしら…あんまりロマンスのある話じゃないのよ。」
アシュティンとクラウスの結婚は貴族たちに安心させ、かつ王族の血を絶やさないための婚姻になるはずだった。
アシュティンの祖母でエイブラム国初の女王になった人の姉妹たちは皆大きな大陸の王族や皇室に嫁いでいた。
アシュティンの父で国王の姉は、フォールロックとエイブラムの隣にある皇国の皇后になった。王弟の何人かは公爵家にそれぞれ婿に入り、王妹たちは宰相や神殿の大神官へと嫁いでいる。
そうして王家の力は婚姻による縁で凄まじい権力を持つようになっていったのだ。
それは国の繁栄と同時に王家の絶対権力に繋がる可能性を含むものだった。
当然、貴族たちは王家の独裁国家になることを警戒した。エイブラム王家に暗殺や計略が横行を始めたのはちょうどアシュティンが生まれた頃だった。
このままでは貴族の革命が起きる可能性を危惧した王は、第一王女であるアシュティンを護衛で手柄をたてて名誉貴族になったばかりの騎士の家に嫁がせることを決めた。
忠誠心高く、強い騎士を輩出している家系なら何かあった時に彼女を、王家直系の血筋を守り切れると考えたのだ。
権力の集中化を疑う貴族たちには、アシュティンを護衛騎士の家への褒美として下賜することを宣言し、王家にこれ以上権力を集中させるつもりがないことを暗に悟らせることが目的だった。
これがアシュティンとクラウス・ガルシアとの婚約だった。
その後、アシュティンの後に王子と姫の誕生が続いて、末っ子の第二王子が生まれる頃には革命の危険は一時的に鎮静化に向かった。しかし、数年の時間をあけて第二王女をとある伯爵家へ、第三王女もとある準侯爵家へと国内で婚約を組むようになったところで再び事態はややこしくなった。王女たちと婚姻を結んだ家がアシュティンを馬鹿にし、蔑ろにする事態が度々起こり始めたのだ。妹たちもだんだん婚家に影響されて彼女に対して冷たくあたり、アシュティンにとっては胃の痛い日々が続いた。勿論、王と王妃は周囲を諫めてアシュティンを守ろうしたが、守ろうとすればするほど、アシュティン贔屓だと妹たちとの関係は悪化していった。
アシュティンにとっての絶対の味方は、一緒に育った婚約相手にして護衛騎士のクラウスだけだった。年頃になって専属の侍女や女の子の友達がアシュティンにできるまで、彼は婚約者という立場を使ってどこへ行くにもアシュティンについて回り、彼女を心身ともに守ってくれた。実の弟妹たちよりも彼女とクラウスは仲の良い兄妹のような関係だったように思う。
そんなことを思い出しながら、アシュティンは言葉を選んで口を開いた。
「クラウスはね、いざというときはキリっとしたお兄様になるんだけど、普段はぽやっとした天然だったの。俺は騎士だから勉強しない!!とか叫んだかと思ったら、こっそり泣いてた私を連れ出して藪に突っ込んで二人して全身を蚊に刺されて怒られたり…、私がアレルギーのある食べ物を差し入れされて困ってたら、俺が食べちゃうんだ!!って全部差し入れを口に入れて窒息しかけてたり…。どこに行っても一緒で、彼には守られていたと思うの…、今も彼のことは好意的に思っているわ。でもそれは、恋の相手というよりは仲の良い兄妹という関係で、の話だと思う…。」
隣国との和平のためにエイブラムの第一王女は幼馴染で護衛騎士との婚約破棄した。それは美談として各地に伝わっていることはアシュティンも知っていた。
侍女たちは何も言わずに次を待っている。
(クラウスとは、大人になった時にどうしてもお互いに恋する相手が見つからなかったら結婚しようとは約束してたけど、結局のところ私はジャンカルロに嫁いだ。今となってはそれでよかったかもしれないわ。)
身分の低い相手に下賜として嫁がされる第一王女。
彼女の腰巾着だとクラウスも妹たちに馬鹿にされていた。それがどうしても悔しかった。
「彼ね、別れる際に私から解放されて楽になるって頭を乱暴に撫でてきたのよ。恋人同士のすることじゃないでしょ?でも、ガルシア家には国の問題での婚約破棄だからって、お詫びに子爵の位が授けられたから私もホッとしてるの。しかもね、後で聞いたんだけど私の護衛騎士からお父様の近衛騎士の任務にクラウスったら就いたらしいから、大出世だと思わない?私と結婚する未来よりいい結果になってるのよ。…あんまり事実は美談じゃないでしょ?」
ホームシックな気持ちで少し寂しそうに笑うアシュティンになんと声をかけていいのか、侍女たちは言葉を探していた。
その合間を割って入るようにエイブラムの侍女が一人で部屋に入ってきて、アシュティンに食後のお茶を届ける。
夜明けのお茶、ブルーマロー。
アシュティンが好きなハーブティーだ。彼女が嬉しそうに受け取り、その場の空気が柔らかくなった。
エイブラムの侍女はフォールロックの侍女たちを得意気に見て、鼻で嗤った。ムッとしたフォールロックの侍女たちが睨みをきかせながら、王妃と食事を共にしている現状を顎で指して逆に鼻で嗤い返した。
バチバチと彼女たちの間で火花が散るが、再びホームシックになった王妃は彼女たちの争いに気づかない。
何とか気持ちを切り替えたいアシュティンはレモン果汁をお茶に沢山入れた。
(花の香りと酸っぱい味のバランスも最高なのよね…)
真っ青なお茶が綺麗な赤に変わる瞬間を今か今かと待っていたが、色は変わらなかった。
「あら…?」
硬直したアシュティンは声色暗く、エイブラムの侍女に声をかける。
「お茶を準備した者を全員連れてきてくれる…?」
てっきり喜んでくれると思っていた侍女はわけもわからずに、他のエイブラムの侍女たちを呼びにいった。
凍りついた表情のアシュティンを心配そうに見つめるフォールロックの侍女に、護衛と毒の監査を司る騎士を呼ぶように頼む。
しばらくして、朝の準備の際に怯えていた侍女たちが捕まった。彼女たちは海港に土地を持つ貴族の出身で元妹付きの侍女だった。
「貴方たちの中に、家業で毒を持つ高級な海の幸を扱う家があったわね…?」
「お許し下さい、お許しください。」
「家族が、家族が人質に取られたんです。」
これまでにはっきりアシュティンが毒殺されかけたと思うことはあまりなかった。しかし、今回ははっきりとわかってしまった。
(敵国だったとはいえ、私は隣国の王族に嫁いだ。結局、エイブラム王家に権力が集中している現状を覆すには、私を殺すのがてっとり早いでしょうねぇ…それとも、妹たちのだれかの国境を越えた嫌がらせかしら?)
祖国の内政争いに、元敵国を巻き込んでしまっていることを申し訳なく思いながら、戦争の火種を危惧したアシュティンはそれを口にはしなかった。
引っ立てられていく祖国の侍女たち、ランチは毒の調査用に回収されていく。楽しかったはずの恋の話の時間はすぐに終わってしまった。
ブルーマローの検査結果はアルカリ性の魚の毒が入っていた。
お茶がレモンの酸で反応できないほどの量で、致死量をはるかに超えていたのだ。
(私は、祖国でもこの国でも味方はほとんどいないのだわ…)
自分の死を望まれることをアシュティンは悲しいほどに理解していた。
午後は王妃教育どころではなくなり、首謀者を探すべく妃宮は騒がしくなった。バタバタと薬師だけでなく医師も呼ばれて、他の侍女たちも拘束されていなくなる。目まぐるしく動く光景はアシュティンが嫁いでから何回か目にした光景だった。
あっという間に日が暮れて、夕食をとることができた頃には朝の明るい気持ちはどこへやら、彼女はぐったりとしていた。湯あみを早々に頼んですぐに布団に潜り込んだが、疲れた体とは変わって頭は冴え冴えとして眠ることはできない。
(クラウスかぁ…もし彼が今もそばにいてくれたなら何て声をかけてくれたかしら?)
懐かしい話に優しいかの人を浮かべる。兄の様に親しかった、許婚で幼馴染の騎士見習い。
(笑顔の明るい彼は別れ際にどんな顔をしていたのかしら…)
思い出にふける彼女は再びノックで現実に呼び戻された。返答するべきか迷って沈黙をする彼女の耳に、昨夜と同じくジャンカルロの声が響く。
(昼間の毒殺未遂の件かしら…?)
そっと扉から顔をのぞかせた彼女に甘い匂いが誘ってくる。
「夜遅くにすまない。少しだけ話をさせてくれ。」
沢山のスイーツとお洒落なティーセットを乗せたファンシーカートを押すジャンカルロの姿は、彼のキリっとした真剣な顔とマッチせずにいた。そんな彼をみてアシュティンは呆気にとられ、笑いをこぼしていた。
「ふふ、どうぞ。」
昨夜と同じくベッドサイドのテーブルに2人で座る。違うのは沢山の書類の代わりに沢山のスイーツが並んだことだ。
「…昼間の件ですよね?」
座ると同時に好きなベリーパイを差し出され、戸惑いながら受け取った。彼は頷きながら、果物をふんだんに入れたフルーツティーを淹れている。
「結果は数日先になるが、念のため怪しい者は警備の騎士に預けている。代わりの者は明日から着任する。すまない、一応お付きの者たち全員の持ち物検査をさせてもらっている。」
「構いません。今までと同じように結果の書類を私にください。祖国へは私から報告書をまとめます。」
「わかった。では、そのようにしよう。代わりにうちの国の者を妃宮に動員しているから、何かあれば声をかけてくれ。」
神妙に頷いてアシュティンの前にお茶を差し出してくるので、お茶も受け取った。そのまま渡されたものに手を出すか迷いながら、質疑応答を進めていけばそう長くかからずに二人の間に沈黙が流れた。
(報告会は終わったけれど、この沢山のスイーツはどうしたらいいの?ふ、太ってしまうわ!!でも、王自らが給仕してくれたものに手をつけないわけには…あら…?)
コロコロしたマカロンにツヤツヤとジャムの輝くベリーパイが魅惑の誘いをかけてくる。ついでにしょぼんとした顔の王が彼女の様子をみてきた。
「…食べないのか?」
「…一緒に2人だけで食事するのは初めてだったので、戸惑っておりました。あの、よければ一緒に食べたいのですがよろしいでしょうか?」
「そ、それは…う、うむ!構わない。」
何やら真剣になったジャンカルロがパイをいくつかに切ってアシュティンの口元に運んできた。
「え?…あ!そういう意味では…うぐぅ。」
「新婚ならこうするのだったな?」
否定を口にしようとして、パイが口に入ってくる。咀嚼しつつなんと伝えるか悩んでいる間に、マカロンを指定して口をあけるジャンカルロが目に入った。動揺して頭が回らなくなった彼女は腹だけくくった。
(そうよ、夫婦だもの!)
「…え、えーい!」
「アシュティン様、ノックをしましたがお返事がなかったので失礼し…ました!!」
焦ってマカロンを口に突っ込んだ瞬間に扉が開き、昼間に恋バナをした侍女たちが入ってきて、出て行った。何やら昼の件で話があったようだが、瞬間移動のように消えた。
「今、誰かきたか?」
「さ、さぁ?…今度はこちらをどうぞ!」
自棄になってアシュティンは夫の口に追加でマカロンを突っ込んでいく。酷くキョロキョロして真っ赤になったジャンカルロはひたすら口を動かしている。
「見間違いじゃない?王様はまだ…きゃあ!」
「ほら、やっぱりー!」
扉から微かな声が漏れ聞こえてくるも、どう決着をつけていいかわからない二人はひたすら無言でお互いの口にスイーツを入れていく。
全て無くなる頃には、二人のお付きの者たちが王と王妃のやり取りをみてしまっていた。
(私は何をさっきまで考えていたのかしら…)
テーブルのスイーツが消え、お茶を注いでくれるジャンカルロを見つめて彼女は満腹になったお腹を押さえた。
(ふ、太る。確実に太ってしまう…どうしましょう、どうすれば。…そうだわ!頭を使うと糖分を消費できると聞いたことがある!)
茶器以外をカートに全て戻し、帰り支度をするジャンカルロにアシュティンはカードゲームを持ち掛けた。
「まだ夜も更けておりませんし、よければ珍しいカードゲームをしていきませんか?」
「何、ゲームか?勿論だ!」
「ひぃ、まずいぞ!皆、逃げろ!」
「巻き込まれたら嫌でも終わらない!!」
子供の様に笑って喜ぶ王と対照的に、先ほどまでひしめいてこちらの様子を伺っていた者たちが“ゲーム”の単語で全員いなくなった。さもありなん。
「相変わらず、俺からゲームという言葉が出た時の逃げ足は速いな。」
憮然とした顔で静かになった扉を見つめ、呆れたように自覚無しはため息をついた。そんな彼を微笑みながら横目に、アシュティンはタロットカードを取り出した。
「タロックというタロットカードを使った遊びは知っていますか?」
「いや、知らないな。教えてくれないか。」
「では、まずカードを54枚準備しまして、その中から切り札になるタロックカードを22枚抜き―」
最初はアシュティンが教える形で勝っていたゲームは、昨夜と同じく数回目でジャンカルロの圧勝に変わっていった。
「そなたは俺とのゲームを重ねても嫌がらないのだな。」
「勝敗よりも勝負の過程が好きなんです。」
「そうか、うん…それなら良かった…」
20回を超えるゲームも終盤となり、それぞれのカードを回収していく。何かを納得しているジャンカルロは勝利条件最後のカードであるタロックで2番目に最強のカード「世界」をアシュティンに差し出した。最後まで運がいい彼からカードを受け取ったアシュティンの最後のカードは「王様」だった。切り札を除けば最強のカードだ。
(正位置にある世界と王様のカードの意味ってなんだったかしら…?)
両方ともいい意味だった気がするが、お腹がこなれてきて疲れと睡魔がきた彼女には思い出すことができなかった。
「ジャンカルロは、恋についてどう思っていますか?」
「恋?どうしたんだ急に…」
「気になるのです。もし恋についてご存知なら教えていただけませんか?」
うつらうつらとする頭は、うっかり相手を考えずに朝から気になっていることを紡ぎだす。お皿やティーセットの乗ったカートを押して出ていこうとした夫は、戸惑ったように立ち止まった。
「…上手く答えられない。また日を改めてそれは話そう。貴女と俺のことは長い付き合いになるから…」
思案した彼の言葉にアシュティンは安堵を覚えた。
(長い付き合い、そうね。この人とは本当に家族になったんだわ。)
「っふ、ふふふ。そうですね、長い付き合いになりますものね。約束ですよ。」
「あぁ、約束だ。…俺は君とならできる気がしているよ。」
「約束、ですね。」
何やら誤解を生んだことに気づかない少女は、幸せな顔をして微笑んだ。
ジャンカルロ視点
(アシュティンは俺と恋愛をしたいと考えてくれているのか。自分の恋愛なんて考えたこともなかったな…)
相手を違う意味で意識しだす彼は、浮足立たないように妃宮を後にする。そのまま王城の本来の執務室に戻ってきた。
エイブラムの侍女たちの資料の他に、毒の入手経路の調査依頼書を書き進めていく。その横でギレルモがやつれた顔で地図を確認しながら、印をつけている。
「今回で毒殺未遂は30回を超えましたね。半年でよくもまぁ、こんなに思いつくものです。」
「彼女はこれで数回だと思ってくれているようだ。そろそろ毒を持ち込むこと自体をやめさせたいところだが、警備を何回見直しても隙をつくから厄介だな 」
「やはり先王の代に人が逃げていて、優秀な人材が人手不足で痛いですよ。せめて情報を流す人間を捕まえたいところですね。侍女と侍従の中の間者もそろそろ尽きるのではありませんか?」
「いっそ身1つで嫁いできてくれた方が守りやすかったかもな…」
呆れたようにため息をついて判を押し終えた彼は、顔をあげた。
「それはそうとお前、さっきはのぞき見をした上に真っ先に逃げただろう!不敬だぞ?」
「なんのことです?それよりも“王妃様と親しくなったらやりたいリスト”が1つできて良かったですね」
「は?な、なんで、なんなん何のことだ?」
不敬にかこつけてトランプを持ち出そうとした王の手からカードが零れていく。すぐに必要な書類だけ差し出して、ギレルモはサッと距離をとっていく。
「当てずっぽうですよ。猫が乱入した際に床に散らばった本の間に隠されていたリストなんて、何も見ておりません。」
「見ているじゃないか!お前ふざけるなよ!!ちょっと待て、どこまで見たんだ!!」
「日付もちょうど変わりましたし、これで失礼させていただきます。」
流石にギレルモは昨日のように逃げることはできなかった。
真っ赤になった王に側近は飛び掛かられ、元気な悲鳴とカードを切る音が丑三つ時まで響いていた。