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この手を振り払ったのは

作者: 上田 成

リスペクトしているユウキ様作『今更気づいてももう遅い』とは世界観が全く異なります。

救いのない人物も登場します。あの秀逸な作品と比べると、あまりの違いに落胆するかもしれませんのでご注意ください。

 

「ベル、私の可愛い婚約者。君だけを生涯愛すると誓うよ」


 婚約が決まりベルナデッタの細く白い手を取った婚約者の王太子は、そう言って微笑んだ。

 王太子の言葉にベルナデッタはあどけない笑顔を見せると、差し出された王太子の手に自分の手を重ねた。


 この国の王太子と侯爵令嬢であるベルナデッタの婚約が決まったのは政略的なものだった。

 しかし王太子は初めて会った日から美しいベルナデッタに恋に落ちた。

 輝く銀髪に紺碧の瞳を持つベルナデッタは誰もが振り返るような美しい少女であったから、それも仕方のないことだった。その上彼女の会話は理知的で所作も王妃が認めるほど完璧で優雅であり、護衛や侍女への気遣いも忘れないような優しい淑女であったため、王太子は会う度に益々ベルナデッタに傾倒していった。


 婚約者として定期的に王宮へやってくるベルナデッタを歓待し、彼女に愛の言葉を囁き続ける王太子を周囲は微笑ましく眺めていた。

 王太子のストレートな愛情表現に最初は戸惑っていたベルナデッタも、彼の自分に向ける深い愛にやがて好意を抱くようになっていった。


「私も、殿下が好きです」


 王宮の庭園で、いつものように婚約者へ愛を告げていた王太子へ返したベルナデッタの微かな呟きに、彼は飛び上がる程喜んだ。そのまま嬉しそうに王太子はベルナデッタを引き寄せ、抱きしめる。


「どうかいつまでも、私を好きでいてくださいね」


 鈴を転がすような声で零したベルナデッタの言葉に、王太子は何度も頷くと初めての口づけをした。


「ああ、君を愛している。いつまでもベルと一緒にいることが私の唯一の願いだよ」


 庭園の片隅で甘く微笑みあう美しい令嬢と王太子は眩しい位輝いて、二人の幸せな日々はこのままずっと続くかに思われた。


 しかし、学園に入学してから王太子は変わってしまう。

 入学してから出会ったベルナデッタの双子の妹であるルルデナッタとばかり行動するようになり、ぴったりと寄り添って談笑する様子や、姉とそっくりな銀髪を愛おしそうに撫でている姿が散見されるようになっていった。

 それに変わったのは王太子だけではなかった。

 今までは双子を分け隔てなく接していた彼女たちの両親であるルクソール侯爵夫妻まで、急にルルデナッタばかりを可愛がるようになりベルナデッタを冷遇しだしたのだ。


 元々ルルデナッタは我儘なところがあった。

 ベルナデッタの物は何でも欲しがったし、頻繁に王太子へ会いにゆくベルナデッタを狡いと言っては周囲を困らせたりもした。だが両親はルルデナッタの我儘を窘めこそすれ、増長させることはしなかった。

 けれど今は完全にルルデナッタの言いなりで、ベルナデッタを罵り酷い時には鞭を打つことさえするようになった。


 元々大人しい性格だったベルナデッタは王太子と両親の変貌に戸惑いながらも、耐えるように日々を過ごしていた。

 学園を卒業してしまえば王太子との結婚は目前だ。そうすればまた幸せな日々が戻ってくる、そう考えて辛く悲しい毎日をやり過ごした。

 そんなベルナデッタの願いを嘲笑うかのように、卒業パーティーの最中に王太子はベルナデッタに人差し指を突きつけ言い放ったのである。


「ベルナデッタ・ルクソール! 妹を虐めるお前は最低だ! 二度と私の前にその顔を見せるな!」

「わ、私は妹を虐めたりしていません」


 華やかな会場の中心で、突然、王太子に糾弾されたベルナデッタは表情を青褪めさせながらも震える声で反論した。

 しかしそんなベルナデッタを、王太子は侮蔑の眼差しを向けながら糾弾する。


「とぼけるな! 本人が虐められたと言っているんだ! ルルデナッタが嘘をつくわけがないだろう!」

「そんな……殿下は私の言うことを信じてはくださらないのですか?」


 ベルナデッタが王太子へ縋るように伸ばした手は乱暴に振り払われた。ベルナデッタはその手を呆然と見つめる。王太子に手を振り払われたことなど一度もなかった。

 息を呑むベルナデッタに王太子は忌々しそうに吐き捨てる。


「可愛いルルデナッタを虐めるお前の言うことなど、信じられるわけがない! 同じ顔だというのに、平気で嘘を吐くお前はルルデナッタと違って醜悪だ」

「殿下、どうして? 私を……私を信じてください! 生涯愛すると誓った私を……」


 銀色の髪がはらりと頬にかかり、紺碧の瞳を不安に揺らしながらベルナデッタは王太子に懇願する。学園に入学してから王太子が妹と親しくしているのは知っていたが、あれほど自分に愛を囁いてくれていた王太子が自分より妹の肩を持つことなど、ベルナデッタには信じられなかった。


「お姉様、往生際が悪いですわ。私の殿下が困っているではありませんか」

「……私の?」


 そこへ王太子の隣で成り行きを見守っていたルルデナッタが困ったように声を掛ける。

 双子のため自分そっくりな顔に嘲りの表情を浮かべたルルデナッタが発した言葉の意味が解らず、ベルナデッタは紺碧の瞳を瞬いた。

 背格好も輝く銀色の髪も顔つきさえも酷似している双子が唯一似ていないのが瞳の色で、ルルデナッタはベルナデッタの紺碧よりも明るい青の瞳を細めると、くるりと王太子の方へ向き直る。


「ええ、私のですわ。ね? 王太子殿下」

「ああ。私はベルナデッタとの婚約を既に破棄し、新たにルルデナッタと婚約を結んだ。私の全てはルルデナッタのものだ」


 そう言ってルルデナッタを抱き寄せた王太子は、彼女の銀髪を一房手にとりその髪に口づけた。

 その光景を目にした瞬間、今にも泣き出しそうだったベルナデッタの表情から一切の感情が消え去る。


「……そう……殿下はもう……私を愛してはいないのですね……」


 能面のような表情をしたベルナデッタの瞳から一筋の涙が零れ落ち、ドレスに染みを作る。

 それを見た王太子の心が何故だか激しく動揺した。

「当たり前だ! お前のことなど愛していない!」そう言おうと思ったのに、これを言ってしまったら取り返しがつかなくなるような気がして口を開けることができない。

 首元に鋭いナイフを突きつけられているような恐怖に駆られ、何も言えないまま立ち尽くす王太子に、ベルナデッタが先程ぞんざいに払われた手を握り締め、静かに頭を下げる。


「殿下、ずっとお慕い申し上げておりました。……さようなら、お元気で」


 深々と頭を下げ消え入るように立ち去ってゆくベルナデッタを、周囲が好奇と同情の眼差しで見つめる中、王太子だけは押し寄せる言いようのない不安に戸惑っていた。


 二度と顔を見せるなと言ったのは自分なのに、ベルナデッタの姿が見えなくなったのが堪らなく悲しく思える。腕の中にいるルルデナッタが満足そうな笑みで見上げてきたので曖昧に微笑み返したが、王太子の胸の蟠りが消えることはなかった。

 そうして盛り上がらないまま終わった卒業パーティーの後、王宮に戻りモヤモヤとしたまま就寝した王太子の抱いた不安はすぐに現実のものとなる。




「ベルナデッタが亡くなった?」


 起き抜けに従者から告げられた言葉に、王太子は城の回廊を転がるように謁見室へ向かった。

 今朝がた、辺境の魔物討伐のため長らく王都を留守にしていたこの国一番の魔法使いが帰還し、国王へベルナデッタの悲報を告げたのだという。


 謁見室のドアを乱暴に押し開けると、真っ黒い旅装のまま国王へ対峙している魔法使いの男の姿が見える。

 国王は飛び込んできた王太子を一瞥したが、すぐに視線を魔法使いの方へ向きなおすと深々と溜息を吐いた。


「それで? お前がルクソール侯爵家へ出向いた時には既に侯爵夫妻は自害していたというのだな」

「はい。使用人達の聴取から、侯爵夫妻はおそらく私が魅了魔法を解除したことで、自分達が娘を虐げていた事実に耐えられなくなり、自殺を図ったものと思われます。

 王太子殿下のご様子がおかしいと陛下よりご連絡を受け急いで帰還したときは驚きました。まさか禁忌とされた魅了魔法を使用できる者がこの王都にいるとは思っていなかったものですから……。王都には普段、魅了や幻術の魔法を制御する結界が施されていますが、どうやら私が魔物討伐で留守にした間に結界の魔力が弱ってしまったようですね。すぐに結界を強め魅了魔法の解除を施し、発動者の元へ向かってみればルクソール侯爵家だったというわけです」

「ま、待て! 魅了魔法? ルクソール侯爵家だと!? まさか……!?」


 魔法使いの言葉に王太子が焦ったように頭へ手をやる。

 学園に入学してから常に頭に靄がかかったようなぼんやりとした毎日を過ごしていたが、久しぶりに今朝はすっきりとした気分だった。だが伝えられた情報が突拍子もなくて頭の中で処理ができない。

 フラフラと魔法使いの方へ歩き出した王太子に、国王が吐き捨てるように告げた。


「魅了魔法を使用した者はルルデナッタ・ルクソール。お主が先日婚約したルクソール侯爵令嬢だ」


 国王の言葉を聞いた王太子は歩いていた足をとめ、その場にペタンと尻もちをつく。


「……私の婚約者がルルデナッタ? 違う……違う……! 私の婚約者はベルナデッタだ! そうだ、ベル……ベルを迎えに行かなければ……今までのことは誤解だと、会って許してもらわなければ……」


 虚空を見上げ呆然と呟き始めた王太子を国王が痛ましい者を見るような眼で見つめ、魔法使いは視線を伏せて国王へ報告を続けた。


「王太子殿下へ魅了をかけたルルデナッタを捕らえるため私がルクソール侯爵家へ到着した時には、ベルナデッタ・ルクソール侯爵令嬢は既に冷たくなっておりました。捕らえたルルデナッタは既に我が屋敷に幽閉し、研究材料として生涯監禁する予定です」

「わかった。魔物討伐を終えてすぐの魅了魔法の解除と結界の強化、どちらも手数をかけた。暫くはゆっくり休むがいい」

「はい。ありがとうございます」


 国王へ一礼した魔法使いが踵を返すと、謁見室に王太子の地を這うような低い声が響く。


「嘘だ……! ……嘘だ! ベルが私を置いて亡くなるわけがない……彼女は私と結婚するのだから……」

「だが、彼女と婚約破棄をしたのはお前だろう?」


 責めるように言われた国王の言葉に王太子が怯む。


「それは……魅了のせいで……あんな、あんな魔法さえなければ、私はベルと婚約破棄なんて真似は絶対にしなかった!」


 頭を抱えて、額を床に擦りつけ叫ぶ王太子に、立ち去ろうとしていた魔法使いが足を止めた。


「確かに魅了魔法は魔力のない者には防ぐ手立てはありません。けれど、真実想い合っている者がいる場合は効果が弱まり違和感を覚えるそうです。現にルルデナッタは婚約者のいる高位貴族を何名も魅了していたそうですが、数名の令息は彼女に不快感を覚え近づこうとしなかったそうですよ。こう申し上げては何ですが、王太子殿下には魅了魔法につけ入られる隙があったのではないですか?」


 不敬にも当たる魔法使いの言いように、王太子は一瞬怒りを露にした表情で顔を上げるが、またすぐにがっくりと頭を下げる。


「……ベルの気を引きたかったんだ。嫉妬する彼女の顔が見たくて、少しだけルルデナッタと仲良くしてみたら、どんどん何も考えられなくなっていって……。それにルルデナッタはベルと双子で同じ髪と顔をしていたから、ベルと一緒にいるような錯覚に陥ってしまっていた。彼女は私の愛するベルじゃないのに……私は何て愚かなことをしてしまったんだ」


 項垂れたまま頭を掻きむしる王太子に国王は静かに目を伏せ、独り言のように呟く。


「ベルナデッタは、きっとお前に婚約破棄をされ絶望して死を選んだのだろう。もっと早くお前たちの変化に気づいて手を打っておけばこんな悲劇は防げただろうに……そのことだけが悔やまれる」


 国王の小さな呟きはしんと静まりかえった謁見室に響き、暗い影を落とした。


 魔法使いが城を出て、国王が執務に戻っても、王太子は暫く謁見室の床に座り込んだまま動くことができなかった。

 そうして半日以上呆けていた王太子だったが、やおら立ち上がると何かに突き動かされるようにルクソール侯爵家へ向かい始める。

 王太子は愛するベルナデッタが死んだことを、どうしても認めることができなかったのである。


「死ぬわけない……ベルは私と結婚するんだ……死ぬわけがない。だってこんなにも好きなのに、私を置いて逝くわけがない……」


 そんな儚い願望を抱きながら到着したルクソール侯爵家で王太子が目にしたものは、棺に横たわった愛しい人の物言わぬ姿だった。

 王太子は足を縺れさせながら彼女の元へ駆けよると、死んでなお美しい銀色の髪を掬う。


「ベル? 起きて、ベル? ……ベルナデッタ! 目を開けてくれ! お願いだからその輝く紺碧の瞳をもう一度私に見せてくれ! 鈴の音のような清らかな声を聞かせてくれ! お願い……だから……」


 棺に縋って懇願するが、ベルナデッタのきっちりと閉じられた瞼が開くことはなく、冷たくなった身体は、まるで美しい人形のように動くことはなかった。


「うわあああああ!!!!! 好きだったのに……愛していたのに……私は、私は……! ベル! ベル! ベル!!!」


 王太子の悲しい絶叫だけが誰もいなくなったルクソール侯爵邸に木霊する中、一つの影が扉の隙間でゆらりと揺れた。

 周囲から認識されないその影は、泣き崩れる王太子の慟哭を、銀色の睫毛に彩られた双眸で静かに見つめている。

 向こう側の景色が薄らと見える透き通った身体はふわふわしていて頼りなかったが、細められた紺碧の瞳は濁った愉悦の色を映し出していた。


「ねえ? 私が死んで悲しい? ねえ? 私がいなくなって寂しい? ねえ? その苦しみも痛みも、全部貴方が招いたことよ?」


 棺の中の真っ白な手を取って泣きじゃくる王太子に、紺碧の瞳の彼女は嗤う。


「貴方が私のことを好きだということは知っていたわ。私も貴方のことが好きだった。私のことだけを愛してくれる貴方が。私も貴方だけを愛していた。

 それなのに裏切ったのは貴方でしょう? 私に愛を囁いたその口で違う女に口づけをした悍ましさは今でも忘れられないわ。

 魅了魔法? 私の気を引くため? 知らないわ、そんなこと。私をこんなに好きにさせたくせに、そんなことで離れてゆく貴方がどうしても許せなかった!」


 感情のままに叫んだ彼女は冷めた瞳で王太子を見つめると、やがて静かに呟く。


「だから死んでやろうって思ったの。貴方にとびきりの絶望を味わわせてやりたくて。もうどれだけ願っても貴方の私が目を覚ますことはないわ。でも……」


 言いかけた後、言葉を止めた彼女は少しだけ期待するように王太子を窺うが、相変わらず彼は人形のような手に縋って泣き続けるばかりで何かに気づいた様子はない。

 そのことに彼女は落胆したような表情を浮かべると、自嘲するように笑った。


「でも………………その手は本当に貴方が愛していた者かしら?」


 たっぷりと間を開けて放たれた言葉は、嗚咽を漏らして泣き叫ぶ王太子に届くことはない。

 それでも彼女は言い聞かせるように話を続ける。王太子が大好きだった鈴の音のような声で。


「だってあの子は言ってたじゃない? 私の王太子殿下って。だから二人いつまでも一緒にいられるように、願いを叶えてあげたのよ。私の身代わりになれば魅了が解除されても一緒にいられるもの」


 クスクスと歪んだ笑みを浮かべる彼女に、優しい淑女と言われた面影は最早皆無である。


「ナイフを振りかざした私を妹は人殺しって言ったわ。まるで悪魔の所業だと言わんばかりの言いぐさで。でも、それが何だと言うの? 私が味わった絶望をそんな安い倫理観なんかで抑えられるわけないじゃない。とんだお花畑だと呆れたわ」


 彼女は自分の掌を開いてじっと見つめる。

 透き通っているはずの掌には真っ赤な血がべっとりと貼りついて見え、妹を刺した時の鈍い感触がまだ残っていることに、声を上げて嗤いだす。


「あはははは! 刺された時のあの子の顔ったら本当に私そっくりで、まるで自分で自分を殺しているような不思議な感覚だったわ! ……でも貴方の願いは叶えてあげない。貴方と一緒になんていてあげない。だって私が誰よりも復讐をしたかったのは貴方ですもの! ねえ、王太子殿下。私の手を振り払ったのは貴方、でも貴方を捨てたのは私。……ざまぁみろだわ!」


 吐き捨てるように冷たく言い放った彼女だったが、その紺碧の瞳からはとめどなく涙が溢れ出る。


「ねぇ、親切な魔法使いさん。貴方のおかげで最高の喜劇を見ることができたわ。でも何だか酷く疲れたの。だから……私を殺してくださる?」


 振り返った彼女は溢れる涙を流しながら、ずっと後ろで静観していた漆黒の男に晴れやかに微笑む。その顔は狂気を孕む前のベルナデッタ・ルクソールの美しい笑顔だったが、やがてその紺碧の瞳から光が抜け落ちてゆき、死を見据えた無の表情になっていく頃、ルクソール侯爵家の悲劇を知った王都の家々から、鎮魂の鈴の音が鳴り始めたのだった。


 ◇◇◇


 魅了魔法を解除した魔法使いが出所を探知して、ルクソール侯爵家に到着した時に目にしたのは、ルルデナッタの部屋で妹をめった刺しにして座り込んでいるベルナデッタの姿だった。

 魔法使いを見上げて壊れたように嗤いながら、血塗れの銀髪の隙間から絶望と狂気と愉悦が混ざった紺碧の瞳を見せた彼女を、魔法使いは美しいと感じた。


 既に息がないルルデナッタを確認して、稀少な魅了魔法の遣い手を研究材料にできなかったことを悔やむより、血塗れの中で虚ろに嗤うベルナデッタを手に入れたいという衝動の方が大きかった。

 だから魔法使いはルルデナッタの刺し傷を表面上だけ綺麗に見えるように魔法で癒した。

 ルルデナッタをベルナデッタの身代わりにするために。


 そうしてすぐさまベルナデッタを己が屋敷へ囲い込もうと考えたのだが、綺麗に修復されたルルデナッタを見た彼女は梃でもその場を動こうとせず、抱き上げようと伸ばした手は頑なに拒まれた。仕方なく認識阻害の魔法を施し、彼女の気が済むまで成り行きを見守ることにしたのだが……。


 ずっと呆けたように座り込んでいたベルナデッタの紺碧の瞳が、王太子が現れた途端に感情を灯したことに魔法使いは軽く嫉妬を覚えた。だが同時に激情のまま叫ぶ壊れた彼女を見てゾワリと感情が昂った。

 昔、王宮の庭園で二人を見かけた時はままごとの恋愛だとシラけたものだったが、美しい顔の下にこんなにもドス黒く苛烈な感情を隠していたことを知って、魔法使いの心が揺さぶられる。彼女からこれほどまでに一途な感情を向けられる王太子を羨ましく思った。

 だが棺の前で懺悔を繰り返すだけの男は、愛しい人を手にする機会を永遠に失ってしまったのだ。自らの浅慮のせいで。


「腐敗を止める魔法をかけたから、その身体が朽ちることはない。偽りの愛しい人の亡骸を抱いて一生罪の意識に苛まれるといい。幾ら双子とはいえ、その醜悪な物体が愛しい女ではないと気が付かないお前にはお似合いだ」


 渇いた笑みを浮かべて王太子へそう告げると、人形のようになったベルナデッタを横抱きにして、魔法使いはルクソール侯爵邸を後にした。


 文字通り魔法で空を駆けながらベルナデッタの白い手を優しく握ると、彼女の透き通っていた身体が色を取り戻したが、その手が握り返されることはない。

 そのことに自嘲の笑みを浮かべて握っていた手を彼女の顔の前に翳すと、ベルナデッタは安堵したように紺碧の瞳を閉じた。


「さよなら、ベルナデッタ」


 淡い光とともに意識を失ったベルナデッタに魔法使いは独りごちる。


「血塗れのお前を見た時に誓った通り、お前を永遠に愛してやる。だからその狂おしい程の愛を全て俺にぶつけてくれ。何、くどく時間はたっぷりある。あんな間抜けな王太子に絆されたんだ。俺に靡かない道理はないだろう? 今度こそお前は、お前だけを愛する男を手にいれたんだ。もう二度とその手が振り払われることはないから安心して生まれかわれ」


 パチンと指を鳴らす音で瞼を開いたベルナデッタはきょとんとした顔で、自分を抱き上げた男を見上げる。

 不思議そうに紺碧の瞳を瞬かせたベルナデッタに魔法使いは優しく囁いた。


「はじめまして、ルナ。今日は月が綺麗だな」


 そう言って微笑んだ魔法使いの言葉に、ベルナデッタは星のない細い糸のような月だけが浮かんだ夜空を仰ぐ。


「本当……今なら手が届きそう」


 虚空へ伸ばした手を男に握られたベルナデッタは、まるで幼子のように無垢な表情であどけなく微笑み返す。まるで自分を愛してくれる人と初めて出会ったあの日のように。


 王都に響く鎮魂の鈴の音が漆黒の闇夜に溶けてゆき、夜空に浮かんだ下弦の月だけが二人を照らしていた。


魔法使いはベルナデッタに精神退行と忘却の魔法をかけました。

壊れたままでも一向に構わなかったのですが、死を望む彼女を生かすにはこの方法しか思いつかなかったわけです。

偽装死ネタと一生後悔王子、この性癖ドンピシャな組み合わせを書くことができて自分的には満足していますが、目標にしていた爽快な読後感にもっていくことができず、まだまだ力量不足を感じています。

ご高覧くださり、ありがとうございました。


最後に『今更気づいてももう遅い』を拝読させていただき、偽装死ネタ最高! と悶えた私の、パクってもいいですか? (←ここまではっきり言ってはないですが……)要望に快く応諾してくださったユウキ様に感謝を申し上げます。


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