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スーツケース

 海外に仕事で良く行くビジネスマン御用達のスーツケースらしかった。とにかく大きいスーツケースを通販サイトで探し、すぐに見つかったそれを特に深く考えることもなく購入していた。サイズが少し小さかったらどうしようかと思ったのは、その翌日のことだ。明日になったら届く予定のスーツケースのことを考え、サイズのことをあまり調べていなかったと気づいた。とにかく、大きいことだけに注目し、具体的な数字は一切見ていなかったが、それは早計だったと後悔を始めた頃には、スーツケースは明日の到着のために動き出している。今から、スーツケースを押し返すことはできないので、ここはサイズ的に問題のないスーツケースが届くように祈るしかない。


 そう思って、必死に祈ったことが功を奏したのか、それとも、最初から祈る必要などなかったのか、スーツケースは問題がないほどに大きかった。ほっとしたのも束の間、俺はすぐさまスーツケースに木箱の中身を詰め込む作業を始める。早乙女柚希の死体に、それを保護するためのドライアイス。目一杯に詰め込み過ぎたため、スーツケースの閉まりは少し悪い。隙間から臭いが漏れないかと心配になるが、運んでいる最中に臭いが酷くなるのも困る。取り敢えず、閉まって死体が転がり出てくる心配がないのなら、この状態で運んでいくと決めて、俺はスーツケースと一緒に家を出る。


 早乙女家までは電車に乗らなければいけない。タクシーという選択肢も考えられたが、スーツケースを頼んでしまったことで、若干の金欠に陥っており、タクシーに乗るだけの余裕はない。スーツケースの中に死体が入っているという状況で、あまり人と接触したくはないのだが、その後の生活のことを考えると、ここでタクシーを選ぶことはできない。

 スーツケースを押して、駅までの道中を歩く。スーツケースを押して歩く姿に振り返る人はいても、その中身を不思議に思う人は流石にいないようで、俺が疑われる気配はない。そう思うのだが、そう思っていても、周囲の目は気になった。何かのアクシデントで、スーツケースが破損したら、俺が死体を運んでいることは一瞬で露呈してしまう。そうなった時、俺の人生は確実に終わりを迎える。死体をスーツケースに入れて運んでいた殺人者と思われるかもしれない。殺してないと分かっても、死体をスーツケースに入れて運んでいた変態になるくらいで、結局白い目で見られることに変わりはないはずだ。


 絶対に知られてはいけない。この中身が死体だと誰かに知られてはいけない。そう思えば思うほどに、周囲の目が気になり、やがて、自分がじっと見られていることに気づいた。立ち止まり、周囲に目を向けると、俺の姿をじっと見つめたまま、立ち止まっている人達が俺を囲っている。子供連れの主婦、仕事中のサラリーマン、買い物帰りのお婆さん、母親に手を引かれている男の子。年齢から性別までバラバラだが、全員が俺を見ていることだけは共通している。


 知られる。そう思えば思うほどに息が荒くなる。心臓の動きが速くなり、食べた記憶のない朝食を路上に吐き出しそうだ。あまりの気分の悪さに、助けを求めるようにスーツケースに凭れかかり、俺はもう一度、周囲に目を向けた。

 驚くことに、さっきまで俺を見ていた人達は軒並み歩き出していた。立ち止まったと思っていた人達も、誰一人として立ち止まっている気配はない。まさか、勘違いか。想像してみて、俺は少しの安堵と、そのような幻覚を見るほどの恐怖で、更に息を荒くする。


 再び歩き出したのは、荒くなった呼吸を落ちつかせ、湧いてきた吐き気に蓋をしてからだった。もう少しで駅につく、と思いながら、懸命にスーツケースを押し続ける。その間も、俺は視線に晒され続けていた。少なくとも、俺はそう感じる。

 しかし、それら視線を確認するために、周囲に目を向けると、途端にそれらの視線は消えていった。立ち止まっている人など俺くらいしかおらず、誰も俺の方を見ていない。何度確認しても、どこを確認しても、そのことに間違いはなかった。それなのに歩き出すと、ずっと視線を感じる。それが何度も続くと、流石にそれが俺の妄想だと気づく。死体をスーツケースに入れているという事実から、ありもしない感覚を覚えているだけだと分かってくる。

 それでも、俺に向けられる視線は消えることがなかった。どれだけ歩いても、どれだけ実際に見ている人はいないと分かっても、視線が消えることはなく、俺の精神は歩けば歩くほどに擦り切れていった。


 半分スーツケースに凭れながら、駅まで何とか歩き、ようやく電車というところで、俺は不意に肩を叩かれた。咄嗟に身体を震わせ、警察、と頭の中で声を響かせる。もしくはあの探偵二人が来た、と思いながら、怯えた表情で振り返ると、俺と同じくらいに驚いた表情をした上杉が立っていた。


「ど、どうしたんだよ…!?」上杉も同じくらいに震えながら聞いてくる。「ビックリするだろ…」

「お前か…それはこっちの台詞だよ」

「どうしたんだ?そのスーツケース」


 俺は咄嗟に頭を回転させ、何とか思いついた単語をそのまま、口に出す。


「実家。実家に帰るんだ」

「どうした?旦那と喧嘩した?」

「旦那って誰だよ。ちょっと用事があってな。悪いけど、急いでいるから」

「ああ、そうなのか。気をつけてな」


 上杉に見送られながら、俺はスーツケースと一緒に電車に乗り込む。空いていた席に座り、少しホッとしたところで、俺は再び視線を感じ始める。そのことに気づいた瞬間、俺は上杉に話しかけられた時には、この視線を感じなかったことを思い出した。「あれ?」と口に出し、周囲に目を向ける。

 どうして、さっきは視線を感じなかったのか。その疑問が解決することはなく、電車は目的の駅に到着していた。

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