放置プレイ
冷ややかな少女の声が頭の中に残っていた。あれから、不気味なほどに物音がしない。代わりに鼻をつく独特な臭いだけが、静寂な空間を漂っている。何が起きたのかは、見えなくても想像できた。誰がやったのかも、頭の中に残っている声が答えだった。
「貴方は違う」何が違っていたのか考える。
マグロ運送の人間とそうでない人間。捕らえられている人間と捕らえられていない人間。違いはいくらでも考えられるが、呟いた本人ではない以上、考えても答えは出ない。そのことは分かっていたが、何も音がしない暗闇の中にいると、それくらいのことでも考えないとおかしくなりそうだった。
不意に恐怖が身体の芯を走った。もしかしたら、このまま誰にも気づかれずに、この場所で干乾びていくかもしれない、と思う。それは妄想などではなく、御厨達がいなくなった今となっては、現実のものとしてあり得ることだ。この場所がどこか知らないが、俺を捕まえて暴行するような場所なのだから、目立つような場所ではないはずだ。
俺はこんなところで死ぬのか、と漠然と考えた。既に暴行を受け、身体はぐちゃぐちゃになっているが、それでも死を考えたら、考えられないほどの恐怖が伸しかかってくる。俺はまだ死にたくないと強く思っている。
一瞬、微かに音が聞こえた気がした。その音が実際に聞こえてきた音なのか、俺の頭が生み出した幻聴なのか分からず、俺はその音に耳を傾けなかった。これが幻聴だったら、希望を持つだけ悲しくなる。
そう思った瞬間、「きゃっ!?」と若い女の声がした。誰か来た、と思うと同時に、その声が酷く気になる。どこかで一度、聞いたことのあるような気がする。
「病気?」別の女の声がした。「救急車を」
「いや多分、もう死んでますよ。あと病気じゃないと思います。傷口が…」
「本当…これは事故かしら?」
「殺人かもしれませんよ」
「やめて。そんな物騒なこと言わないで。これはきっと日付を間違えたジェイソンの仕業よ」
「もっと物騒になってますよ、八雲さん」
不意に聞こえてきた名前に、俺の頭が繋がった。これは八雲という探偵と、小林という探偵助手の声だ。あの二人が誰かの死体の前で話しているらしい。この場所を離れてから戻っていないのは柴田だけのため、恐らく、それは柴田の死体なのだろう。
ゆっくりと二人分の足音が近づいてくる音がした。俺の頭の中に、二人が家を訪ねてきた時のことが思い浮かんでくる。二人は俺が死体を頼んでいたことを知っていた。きっとそのことを調べている間に、この場所を突き止めたに違いない。この場所に俺がいたら、俺が死体を頼んだことも証拠を与えることになる。
しかし、それらのことを考えても、不思議と逃げようという気持ちにはならなかった。両手両足を縛られ、目隠しをされている状態で、この場所から逃げられるとは思えないが、そうでないとしても、逃げようと思わないと俺は思う。
「見て。死体の中でプレイ中の人が」八雲さんの声がした。
「違いますよ。プレイ中に死体ができたんですよ、きっと」小林さんの声が続く。
そもそも、プレイという発想を消し去って欲しいのだが、二人の中にその考えはないようで、その発言を否定する声は聞こえてこない。以前に逢った時も思ったが、この二人の雰囲気はあまりに独特で、地球外生命体と言われても俺は驚かない。
目の前で足音が止まった。目隠しに何かが触れた直後、瞼を覆っていた柔らかい感触がなくなり、視界を微かな光が襲う。部屋自体が暗かったのか、その光は本当に微かなものだったが、しばらく暗闇の中にいた目には、強烈な光として映り、しばらく目の前を見ることができなかった。
やがて、ゆっくりと視界が回復していき、目の前に立つ八雲さんと小林さんの存在に気づく。
「あら、貴方は…」八雲さんが何かを思い出したような顔をする。「誰だったかしら?」思い出していなかった。
「あれですよ。死体購入者の一人の…」小林さんがフォローに入る。「誰かさんです」できていなかった。
「和泉…悠風です……」
仕方なく、俺は自分で名乗ることにした。頬が潰れ、身体がぐちゃぐちゃになっているため、特に何も思わなかったが、正常な状態だったら、きっと恥ずかしさで赤面していたことだろうと想像がついた。
「ああ、そうそう。そうだったわね。いた気がするわ」
「気がするじゃなくていましたよ、多分」
この二人と真面な会話は無理かもしれない。そう思う一方で、刺々しさのない柔らかな会話に俺はいつのまにか、涙を零していた。
「急にどうしたんですか?」小林さんが驚いている。
不意に二人の近くに倒れる二人の男に気づいた。片方は駅で俺にスタンガンを食らわした男だ。それが御厨だとすると、もう一人が斎藤に違いない。そう思う中、俺は急な安堵感に襲われていた。涙は既に止まらない領域に入っている。
「あの…俺……」自然と口が動き始めていた。「死体を注文したんです…」
「やっぱり、そうなんですね」
「マグロ運送で?」八雲さんの問いに俺はうなずく。
「全部、話します…話しますから、お願いします…助けてください…」
俺が涙を流したまま、そう懇願すると、二人はしばらくきょとんとした顔で見合っていた。ゆっくりと八雲さんが俺を見て、軽く小首を傾げる。
「何を言っているの?」本当に不思議そうな声を漏らす。「貴方はもう助かっているのよ?」
その一言で俺の全身から力が抜けていく感じがした。そこを最後に俺はしばらく意識がない。次に目が覚めるのは、それから数時間後のことだ。
俺は真っ白いベッドで目覚める。