マグロ運送
「あった」と思わず声が漏れたのは、ただの噂だと決めつけていたからだ。それくらいに荒唐無稽な話で、そもそも信じてもらおうという気概からしてないと思っていた。その話を聞いた相手も聞いた相手で、上杉雄也というおよそ信頼の置けない友人だったことも、それを噂だと決めつけた理由の一つになる。見つけた時も確認しようと思ったのではなく、ただ何となく、波に攫われるまま、広大なネットの海を漂っていたら、偶然にも発見してしまった形だった。
マグロ運送。新鮮な魚介類でも運んでくれそうな、その名前以外の情報はそこから得られないが、商品一覧に並べられた情報から、信じられないと思っていた上杉の情報が正しいことが分かってしまう。
「性別に年齢、細かいところだと身長とか体重、見た目の雰囲気まで選べるとか何とか」
急に頭の中で上杉が語り始めた。数日前の記憶だ。大学の食堂で昼飯を食べている最中のことだった。このタイミングで何の話を始めたんだと怒りたかったが、あまりに荒唐無稽で、本人も噂の噂くらいにしか思っていないことが伝わってきたため、怒りの矛を収めて黙って聞いていた。
「保存状態によって値段が変わるらしいけど、高い奴でも二十万くらいしかしないとか」
「そんなに安いわけないだろ」
流石にこの時は我慢ができずに俺がツッコむと、上杉は大きく口を開けて笑ってから、「確かに」と納得したみたいに呟いていた。その後もこの話題は少し続いたが、結局、それもすぐに飽きたのか、今度は巷で話題の連続殺人事件が実は政府の陰謀だとか、超一流の殺し屋の仕事だとか、そんな意味の分からない無駄話を繰り広げて、無駄な時間を過ごしたと後悔したところまで記憶が蘇る。そこで不意に記憶の中の上杉が止まって、俺をじっと見たまま、いかにも自分の功績を自慢するように、にやりと笑い出した。その表情が腹立たしいこと、この上なく、俺は今度上杉に逢ったら、一発殴ってやろうと心に決めて、商品一覧を眺めていく。
値段はまちまちだったが、一番安いものでも二万円ほどかかるようだった。そこに送料や諸々の手数料が加わり、大体三万円弱というところが最低のラインらしい。そこから値段は上がっていくのだが、驚いたことに最高でも三十万ほどしかしなかった。諸々の手数料等により、三十数万になるのかもしれないが、それでも想定していたよりもかなり安い。上杉の話は少し間違っていたが、それでも近しいところを当てていたことになる。
その中で本体価格十万円と書かれた記述に目が留まった。年齢は二十代前半、性別は女性、身長や体重も書かれているが、それ以上に気になったのが、それらの隣に書かれた備考だ。保存状態良好。その文字を見つけて、俺は少し考えてみる。
大学に通うために実家を離れ、家賃四万円のアパート暮らし。日々の生活費は月五万円の仕送りと、バイトで稼いだ七万円の合計十二万だけだ。仕送りは家賃と携帯代で飛んでいくので、実質七万円の生活だが、余剰自体はできている。貯金はそれなりにしてきたので、十万円くらいなら捻出できなくもない。
しかし、捻出するかと言われると、そこは非常に怪しい部分だ。十万を払う価値があるのかと聞かれると、いくら想像より安くても、分からない、と答えることが精一杯だ。注文することどころか、こうやってサイトを見ていること自体も危険かもしれないのに、簡単な気持ちで貴重な十万を払うことはできない。
何より、このサイトは本物なのか。もしかしたら、噂を聞いただけの誰かが遊び半分で作っているかもしれないではないか。そうしたら、この十万はただの損になる。やはり、払う価値もない。
ここまでが俺の中の理性の言葉だった。問題はその言葉を押しのけるように現れた本能の言葉だ。第一声が「面白そうじゃないか」だから、困ったことになった。「面白そうだから頼むといい」とか、「何が来ても、詐欺だったとしても、いいネタになるじゃないか」とか、甘くない甘い言葉をさも甘いかのように囁いてくる。それらを甘くないと分かっている俺でも、その言葉を聞いていると、もしかしたら、甘いのかもしれないと錯覚しそうになるほどだ。
「いやいや、危険だって」と理性。その隣で理性をぶん殴る本能。本能と理性がアニメみたいに揉み合って、どんどん土煙に覆われていった結果、最終的に俺の指はマウスを動かし、左クリックしていた。
『購入が完了しました』
画面に映された文字を見て、俺はどんよりと項垂れる。あの友人あって我あり、というところか。知らない間に上杉に毒されていたようだ。俺は通帳から十万円分のお札が飛んでいく様子をイメージしながら、これから送られてくるものを想像していた。
そういえば、一番重要なことを言っていなかった。俺が一体何を悩んだ末に注文してしまったのかというところだが、マグロ運送の名前の通りのマグロが送られてくるわけではない。いや、もしかしたら、狭い界隈でのマグロ、と考えるとそれも間違っていないのかもしれない。そう考えると、マグロ運送の名前はそれが由来なのかもしれないな、と思いながら、俺は注文履歴を開いてみる。
一体の死体。そこまではっきりとは書かれていなかったが、少なくとも、若い女性の形をした何かが送られてくると、そこには明記されていた。