渇いた叫び
ギィィィ
俺はゆっくりドアを開いた。
開けたドアの向こうにいた里佳さん。
「…………」
「…………」
俺たちの視線が絡んで、思わず息を飲む。
彼女の顔をじっと見つめたことはあまりない。
だが、今は視線をそらしてはならない状況なのだ。
なんとかこの切迫した空気を変えたい。
俺はできる限り優しく微笑んだ。
すると彼女は徐々に目を潤ませて……。
「ひっく……うぅっ…っふぅ……ぐすっ」
彼女の目から涙が伝う。
口に手を押さえて泣きだしてしまった。
「っく……う…うぅっ……。ゆ、ゆうきさ……ひっく…」
「どうした?一体何があったんだ?」
「ゆる、して………」
そう言って里佳さんは俺の胸に飛び込んできた。
一瞬体がピクっとなったが、彼女の髪の匂いで力が抜けていく。
こんな事態なのにその甘い匂いが鼻をくすぐってドキドキしてしまう。
「ううぅ…ぁ…っああぁ!」
彼女は服を強く掴んで顔を押しあてる。
俺よりも一回り小さい彼女。
その体を包み込むように、俺は里佳さんを抱きしめた。
「ん?ぐすッ、……っんん。あたた、かい……」
「………………」
「もう、……ひっく、少しだけ……ぐすん。このまま………」
抱きしめると、彼女がとても華奢なことに気づく。
女の子だもんな。
俺は何も言わなかった。
何も言えなかった。
でも、俺は彼女を守りたいと……悲しませたくないと……。
だから言葉の代わりに強く抱きしめた。
「………すん。……うぅっく……うぅっ……」
ようやく泣きやんで落ち着きを取り戻した里佳さんをリビングに連れていく。
彼女の手を握って。
昨日握ったばかりだけど、またこうなるとは思わなかったな。
「とりあえずここに座って。俺、何か飲み物もってくるから」
「はい」
さてと、何か飲み物あったかな?
冷蔵庫にあったのはコーラが1本とカシス・オレンジが2本。
ちなみにカシス・オレンジとは、リキュールベースのカクテルのことだ。
要するにお酒である。
俺はその3本を持ってリビングに戻る。
里佳さんはソファの上にちょこんと座っていた。
「お待たせ。コーラで良かった?」
「はい。え?もしかしてそれって………」
俺の持っている缶を凝視している。
見た目はオレンジジュースの缶っぽくデザインしてあるが、お酒ということに気づいたらしい。
ちなみにアルコール濃度は15%となかなかにきつい。
「それ、お酒ですか。でも、裕樹さんは17歳………」
「大丈夫だ。パッチテストでは全く反応が無かったからな」
「……………」
パッチテストとはアルコールを染み込ませたガーゼを肌に当てて、肌の色からアルコールに対する強度がどれほどのものかを測定するというアレである。
だからといってホントは飲んではいけないのだが、一度味わった快楽から己が身を引くのは難しい。
ぷしゅ、とプルタブを引いて缶を開ける。
そっと口に運びゴクゴクと飲んでいく。
ビールと違ってリキュールは口当たりが良く、うっかり飲みすぎると大変なことになる。
ブブー…、ブブー…、ブブー…
またまた誤解のないように言っておくが、今のは決してオナラではない。
俺のケータイのバイブ音が鳴っただけだ。
「里佳さん、ちょっとごめんな。………………もしもし」
『もしもし、裕樹君。こんばんはー』
「何だ紫苑さんかよ」
『なによその言い草。………まあ、そんなことより、もしかして今、里佳と一緒にいる?』
それを聞いて危うくケータイを落としそうになる。
が、なんとか握り直して持ちこたえた。
まさかこの部屋の中を見られているのか!?
俺は窓のところに行き、さーっとカーテンを引いた。
『実はねー、さっき里佳のおばさんから電話があったんだよ。里佳が訪ねてきてませんか?って』
もしや、里佳さんは無言で俺の家に来たのか?
チラッと彼女の様子を覗う。
『それであたしの家に来てますよって言っておいたんだけど、大丈夫だったかなぁ?』
一瞬、我が目を疑った。
里佳さんが、俺の飲みかけのカクテルを喉を鳴らして飲んでいた。
それはもう、ゴクゴクと。
「わーー!馬鹿、馬鹿ー!!」
『え?やっぱりダメだったかなぁ?』
里佳さんはそんな俺の言葉を無視して尚も飲み続ける。
日本人はただでさえ酒に弱いのに、未成年がそんなに……。
だんだん里佳さんの顔が上を向いていく。
中身が無くなるようだ。
そしてついに、ぷはぁっと飲みほしてしまった。
「あーあ」
『んー、やっぱりダメだったかぁ……。でさ、里佳がどこにいるか知らない?』
とてもじゃないが、さっき俺の胸で泣いてた人と同一人物とは思えない。
急性アルコール中毒にならなきゃいいけど。
ていうか、もしかしてこれは俺のせいになるのだろうか?
「俺、しーらね」
『そっか、知らないか………』
空になった缶をサイドテーブルの上に置く。
そして何を思ったのか、彼女はもう一本のカクテルにも手を伸ばした。
『じゃあ、カズっちにも聞いてみるから。何か分かったら電話してね。バイバーイ。……プツン』
俺がやったのと同じようにぷしゅっとプルタブを引いて缶を開ける。
そしてそれを口に運ぼうとした。
「させるか!」
「あ………」
俺が缶をさっと奪うと、里佳さんは物欲しそうな目でこちらを見る。
そんな目をしたってダメだ!
「あ、紫苑さんのこと忘れてた!…………もしもし?」
『ツー、ツー、ツー、ツー……』
既に電話は切られていた。
どうしよう?怒ったかな?
今度謝っておこう。
電話を切って、さらに電源をOFFにする。
さて、言わないといけないことがある。
「なぁに勝手に飲んでんのさ?」
「いいじゃないですか別に………」
「未成年はお酒飲んだらダメだろ?」
「その言葉、自分に問いかけたらどうですか?大体私を放って紫苑さんと……」
どうやらこの人もお酒には強いらしい。
見た目をことごとく裏切ってくれるんだよな、里佳さんって。
「裕樹さんは………寂しくないですか?」
急に里佳さんから質問がきた。
もしかして、酒を飲むとおしゃべりになる人か?
「寂しい?どういうこと?」
「裕樹さんは一人暮らしですよね?親がいなくて寂しくないですか?
私の親は、私が小さい頃に離婚してしまったんです。
そして私のお父さんはどこかに行ってしまった……。
私が寝る時に握ってもらってた手のぬくもりがなくなってしまったんです……」
「……………」
「しばらく考えないようにしてたのに、裕樹さんのぬくもりが……。
裕樹さんの手のぬくもりで思い出しちゃったんです」
「………そっか」
「子どもの頃はまだよかったんですよ。何も考えていなかったですから。
でも、最近思うんです。私は何のために産まれてきたのかって。
お父さんとお母さんが愛しあって私が産まれたはずなのに……。
2人が離婚したら私は何なんでしょうか?
どうしてここにいるのでしょうか?
そんなことを考えてたら、またあのぬくもりが恋しくなって……」
「だから俺に会いにきたのか」
「……はい。迷惑をかけてるってわかってる。でも、寂しさに耐えられなくて」
「………そっか」
「私を……私を抱きしめて!私のこと愛してなくてもいいの!私をいっぱい抱きしめて!」
「………うん、わかった」
里佳さんの体をぎゅっと抱きしめる。
それは里佳さんの為でもあったけど、同時に俺の為でもあった。
里佳さんが求めているものは俺のぬくもりではない。
彼女のお父さんのぬくもりだ。
彼女の言葉遣いがああなっているのは、きっとお父さんを………。
荻野裕樹では彼女の心まで満たしてあげられない。
そう思うと切なくなった。
故に力いっぱい抱きしめる。
彼女の心が壊れないように。
俺の心が壊れないように。
そっか……………。
やっぱり俺は……………。
里佳さんのことが好きなんだ。
俺たちは寂しさを紛らわすように口づけをかわした。
………それはとても渇いた口づけだった。
車校に通うことになったので、更新が遅れるかもしれません。ご了承ください。