愛せなかった人
それは3年前の事だった。
まだ転校は2回しかしていない頃。
俺が、とある中学校に通っていたときの話である。
「おはよう、ユーキ君」
「おはよう」
教室に入るといつも俺に挨拶してくる人がいる。
彼女の名前は『二宮 楓』という。
この学校に編入してきて、席が隣になった人である。
クラスでもそこそこ人気があるらしい。
「でさ、昨日の約束、忘れてないよね?」
「ああ。弁当のことだろ?」
「ピンポーン♪大正解!」
実は昨日、昼に食うはずのパンを家に忘れてしまったのだ。
それで仕方なく隣だった彼女に弁当を少し分けてもらった。
それがとてつもなく美味しかったのだ。
『美味いな……。あんたの母さんは料理が上手なんだな』
『その弁当つくったの私だよ?』
『え……。マジでか?』
『気に入った?なんなら明日作ってきてあげようか?』
ということになって作ってもらうことになった。
そんな訳で今日の午前中の授業は上の空で全く集中できなかった。
だって女の子が俺に弁当作ってきてくれるんだぜ?
そう考えただけで思わず顔が緩んでしまう。
楽しみだ。早く昼休みにならないかな。
バッシーーン!!
そんな痛々しい効果音と共に、俺の頭はカクンと前倒れになる。
頭を本か何かで叩かれたような衝撃。
「荻野。ニヤニヤしてないで授業聞け」
「はい」
先生の一言でクラスの皆がクスクスと笑った。
めちゃくちゃ恥ずかしかった。
楓さんも口に手を当てて笑いを堪えていた。
待ちに待った昼休み。
今いるのは屋上だ。
もはや授業中にかいた恥のことなどすっかり忘れた。
目の前には楓さんの弁当がある。
定番の卵焼き、唐揚げ、ウィンナーなどなど。
「美味そうだな……」
「ユーキ君の為に作ってきたんだよ」
「今のセリフ、もう一回言って?」
「ユーキ君の為に作ってきたんだよ」
ジーーーン。
嬉しいねぇ。
かわいい子が弁当を”俺の為に”作ってくれる。
”俺の為に”ていうのがポイントなんだよ。
男にとってこれほど嬉しいことは他に無いだろう。
「いただきます」
卵焼きを一つ食べてみる。
少し半熟気味で、塩や砂糖の加減もバッチリだった。
「最高だよ」
「ホントに?そんなに美味しい?」
「ああ。めちゃくちゃ美味い」
「えっと……。じゃあさ、これからも作ってこようか?」
「え、いいのか?大変だろ?」
「弁当の場合は0から1になるのは大変だけど、1から2になるのはそんなに変わらないよ」
「うーん。じゃあお願いしようかな」
「うん、まかせて」
そう言って彼女は微笑んだ。
トクン!
不意に胸が高鳴りした。
今思えば、まさにこの瞬間だったのかもしれない。
俺がこの人に恋をしてしまったのは………。
──放課後。
俺たちはゲーセンにいた。
楓さんは前から来てみたかったらしいが、一人では来づらかったらしい。
そんなワケで彼女に誘われたのだ。
「うわぁ。ゲームセンターってうるさいね」
「まあな。しかし慣れると全く気にならない」
「そんなもんかな?」
「そんなもんだ」
さて、楓さんにもできそうなモノは何かないか。
歩きながら色々と探ってみる。
「ねえユーキ君。あの台はなに?」
「うん?ああ、あれはエアーホッケーていうんだ。横に置いてある奴で円板を相手のゴールにぶち込んで点が高かった方が勝ち」
解説をして気づいたが、これなら彼女も出来るかもしれない。
「やってみるか?」
「うん!」
………
……
…
「あっはっはっはっはっは!」
「…………」
「ご、ごめんねユーキ君。で、でもっ笑いが止まらないよ……っぷくくく」
楓さんは大爆笑していた。
俺と彼女はエアーホッケーをしたワケだが、なかなか熱戦になった。
そこまでは良かったのだが、最後に打ち返した円板が宙を舞い、俺の顔に直撃した。
正直言ってかなり痛い。
なんとか涙は堪えたものの、おでこが真っ赤である。
そんな俺を見て、彼女は大笑いしているのである。
「いいかげん笑うの止めんか!」
「だ、だって〜。っく、あはははは」
笑いすぎたせいなのだろう、彼女は涙目になっている。
泣きたいのはこっちなのに酷い話である。
それから俺たちはクレーンキャッチャーをしたりメダルゲームをしたりと満喫した。
お金もそろそろ少なくなってきて、帰ろうと彼女に言おうとしたが、彼女は何かをじっと見ていた。
「何見てるんだ?」
「いや、ゲームセンターにもプリクラがあるんだなと」
「プリクラ?何だそれ?」
「知らないの?写真撮って貼り付けできるやつ」
「これはそんな機械だったのか。全く知らなかった」
「撮ってみない?」
彼女に誘われるまま中に入る。
設定とかが全然わからないので彼女がやってくれた。
流石に派手なフレームは嫌だったので、スタンダードなやつを選んでもらった。
「じゃあ撮るよ、ポチっとな」
楓さんはそう言ってボタンを押すとカウントダウンが始まる。
3…2…1…カシャッ
2回も撮られた後、印刷して出てくるのを待つ。
なんだか証明写真みたいな機械だなと思いつつ、出てきたプリクラなるものを見てみる。
親指ぐらい小さい写真がいっぱいでてきた。
「お!上手く撮れてるねー」
俺と楓さんは写真の中で笑っている。
こういうのも、なんだかいいもんだな。
しかし、これじゃまるで俺たちが恋人みたいだな……。
その後、アイスを食べてから俺たちはゲーセンを出た。
俺と楓さんは並んで帰宅していた。
彼女の家は俺のマンションのすぐ近くだった。
「いやー、楽しかったね。一番はやっぱホッケーだったよ」
「その話はやめてくれ」
「はーい。ね、また今度行こうよ!」
「ああ」
楓さんも楽しんでくれたようで良かった。
しばらくはゲーセンの話だったが、いつの間にか話題はあれこれ変っていく。
「それにしても今日の授業は大変だったな。数学が3限もある日なんて、そうそうないぞ」
「時間割変更するにしてもひどいよね」
「まったくだ」
俺たちは二人そろって数学が嫌いだった。
今やっている相似とかは意味がさっぱり分からない。
ただ図形の大きさが違うというだけなのに、それが一体なんなのか。
まったく謎な分野である。
「でも明日は数学ないから楽だよ」
「そうだな」
長々と続いた会話だったがその一言で止まってしまった。
だが、しばらくしてその静寂は楓さんによって破られた。
「ねえユーキ君」
「なんだ?」
「ユーキ君ん家って引越し多いの?」
「どうだろうな。今のところ2回目だけど」
「ふーん……。すぐには引越さないよね?」
どうして彼女はそんなことを訊くのだろうか。
「ああ。引っ越さないよ」
「そっか。あたしはこっちの道だからまた明日ね」
「おう。また明日」
手を振って彼女と別れる。
なんとなくその後ろ姿を見ていたが、少しして家に帰った。
「ただいまー」
「おかえり」
帰ると母さんがリビングから返事をした。
靴を脱ごうとすると、ある異変に気がついた。
父さんの靴がある。
つまりもう帰宅しているということになる。
だが、父さんが帰ってくるのは、いつも8時過ぎだったはず。
今日に限ってどうしてこんなに早いのだろうか。
まあ、いいか。
どの道、訊けばいい話だ。
靴を脱いでリビングに向かう。
「おお。おかえり」
「ただいま父さん。今日は早いね」
「ああ。大事な話があってな」
「話?」
「ああ。母さんも来てくれ」
父さんが呼ぶと、晩飯を作っていた母さんも作業を中断してリビングに来る。
3人そろってサイドテーブルを囲うように座った。
父さんは話をせずにただ俯いている。
「それで話ってなんなの?」
もったいぶっている父さんに母さんは質問した。
その言葉で腹をくくったのか、父さんは重い口を開いた。
「……二人にはすまないんだがな。また、転勤することになった」
「………え?」
突然の通告に俺は言葉を失った。
「あらぁ。まだ半年も経ってないのに?」
父さんが転勤する。
「ああ。本当にすまないと思っている。だが、上が決めたことには逆らえないんだよ」
それはつまり……。
「お仕事だから仕方ないわね」
俺も転校するということだ。
「そういうことなんだ。ごめんなみんな」
さっき楓さんと約束したのに……。
「いえ。私たちは大丈夫よ。ね?裕樹」
引っ越さないって約束したばかりなのに!!
「裕樹?」
「え?」
「あんたも大丈夫よね?」
………
……
…
自室に戻った俺はベットに崩れこんだ。
結局俺は反対できないまま現在に至ってしまった。
もう何がなんだかって感じだった。
瞼を閉じると色んな言葉が頭のなかを乱雑にリフレインしてくる。
『すぐには引越さないよね?』
『すまないんだがな。また、転勤することになった』
『おはよう、ユーキ君』
『いえ。私たちは大丈夫よ。ね?裕樹』
うるさい……。
『いやー、楽しかったね』
『お仕事だから仕方ないわね』
『あたしはこっちの道だからまた明日ね』
『まだ半年も経ってないのに』
『ユーキ君ん家って引越し多いの?』
やめろ……。
『大事な話があってな』
『じゃあさ、これからも作ってこようか?』
『すまないんだがな。また、転勤することになった』
『おはよう、ユーキ君』
『ユーキ君の為に作ってきたんだよ』
『ホントに?そんなに美味しい?』
『すぐには引越さないよね?』
『あっはっはっはっはっは!』
やめてくれ!!
気がつくと俺は泣いていた。
水滴は頬を伝っていき枕元をぐっしょりと濡らしていった。
ダメだ……。泣いちゃダメだ……。
そう思っても、奥のほうからとめどなく溢れてくる。
いつしか俺は泣き疲れて眠っていた。
──数日後。
俺は学校の屋上にいた。
この時間はまだ午前の授業すら終わっていない。
だが、もう俺にはそんなことは関係ない。
『もう一度聞くが本当に転校するんだな?』
『はい』
『そうか……。まあ親御さんの都合なら仕方ないな』
『すみません』
『お前が謝らなくてもいいだろ。世の中どうしようもないことはある』
『はい』
『次の学校は決まっているのか?』
『○○中学校を受けようと思っています』
『ふむ。まあ、お前ならそこは大丈夫だろう。がんばれよ』
『ありがとうございます』
『それでクラスの皆には言ったのか?』
『そのことですが、クラスには内緒にしてください。一部の人には伝えてありますから』
『わかった。お前の意思を尊重しよう』
一部の人には伝えてあると言ったが、それは嘘である。
誰にも転校すると伝えてなどいなかった。
もちろん楓さんにも……。
だからそのことを彼女に言いに来たのだ。
俺が好きになった唯一の人。
その人にだけは別れを言いたかった。
自分勝手だとは思うが、そうでもしないときっと後悔するだろう。
だから俺はずっと待ち続けている。
あと少しで4限目が終わる。
そうしたらきっと楓さんはこの場所に来る。
キーンコーンカーンコーン
昼休みを告げるチャイムが鳴った。
下のほうから椅子をガタガタと動かす音が聞こえる。
もうすぐだ。
別れのカウントダウンが始まった。
………
……
…
ガコンッ!
屋上と屋内をつなぐ扉が開いた。
中から現れたのは……楓さんだった。
「ユーキ……君?」
俺を見るやいなや驚いた顔をする楓さん。
まあ、無理もないだろう。
ここ数日、俺は家の都合を名目として休んできた。
今朝も俺が欠席であることを先生が話したに違いない。
その俺が学校の屋上にいるのだから。
「久しぶりだな」
「やっと……来てくれたんだね」
「ああ。約束、守れなくてごめんな」
「ホントだよ。私ずっとお弁当作ってきたんだから」
彼女の手元を見るとお弁当が2つあった。
「お弁当作ってきたけど、ユーキ君は休みだって先生に言われて……。
そのお弁当は結局無駄になって……仕方なく捨てちゃった。
次の日も作ってきたけど、また休みって言われて……。その次の日も休みだって……。
家の用事だって言われたから、ユーキ君のところに訊きにいけなかったし」
聞いているだけで辛かった。
楓さんはずっと俺の弁当を作ってきてくれたのである。
俺との約束を果たすために。
何度も何度も。
そして今日も俺の為に弁当を持って屋上に来てくれた。
それなのに俺は約束を守れなかった。
「ねえ……。何で休んだの?」
「…………」
「教えてよ……ユーキ君。ねえ!」
楓さんは泣き出してしまった。
いや、違う。
俺が……泣かせたんだ。彼女を。
だから俺もちゃんと言わなければならない。
「俺……転校することになったんだ」
「え?」
泣きながら俺を見る楓さん。
彼女のその目は赤く充血している。
「なん……で?」
「………」
「ユーキ君言ったじゃない。どこにも行かないって!」
「ごめん」
「何で謝るのよ!どうして……どうしてあんな嘘ついたのよ……」
必死に俺を責める楓さん。
だが、最後のほうはだんだん声が小さくなっていく。
そして彼女は俯いてしまった。
彼女はきっと分かってはくれないだろう。
だから、俺は心を鬼にしなければならない。
どうせもう、会うことはない……。
「何であんたがそんなにムキになるんだよ?
俺たちは別に恋人でもなんでもないだろう?」
楓さんの体が俯いたままピクッと動いた。
とうとう言ってしまった……。
俺と楓さんとの間にあった何かが間違いなく壊れた。
手で目をこすってゆっくりと顔を上げる楓さん。
その顔は……なぜか……
………笑顔だった。
「そうだよね。私たちは別に恋人じゃないんだし……。ごめんね、困らせちゃって」
「………」
「でもね。私はユーキ君のこと好きだったよ」
ズキンッ
その言葉に胸が痛んだ。
しかし、今の俺にはどうすることもできない。
転校しなくちゃならないんだよ……。
「何も言ってくれないんだね。今までありがと。……そして、さよなら」
彼女は頭を下げてそう口にした。
顔を上げて振り向こうとする時、見えてしまった。
笑顔の裏にずっと隠れていた……悲しみの顔が。
手を伸ばしたかった。
俺も好きだよって言いたかった。
俺は一体何を間違えた?
どうして彼女をあんな顔にさせてしまった?
彼女のその顔は脳裏に強く焼きついてしまって、この先ずっと忘れることはなかった。
もう俺は…………恋なんてしない。
そう強く心に誓う。
ポケットから彼女とゲーセンで撮ったプリクラを取りだす。
俺はそれをビリビリに破って屋上から投げ捨てた。