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戦国時代

奮戦 真田昌輝

作者: Lance

「信綱兄上、どうか御無事で」

「喜兵衛、お主も勝頼様をしっかりお守りするのだぞ」

「はい! お任せ下さい!」

 兄と弟の微笑ましいやり取りを見ながら、昌輝は破顔した。

「よう、喜兵衛よ、ワシの無事は祈ってくれんのかの?」

「え? ああ、勿論、祈ります、昌輝兄上!」

「よいよい。喜兵衛は本当に兄上が好きだの。三尺三寸の太刀を自在に操る武辺者、正に真田の英雄じゃ。ワシも兄上に憧れるわい」

 昌輝が言うと喜兵衛は目を輝かせ素早く頷いた。

「その通りでございます!」

「止めんか、昌輝も。顔が熱くなってきたぞ」

 長兄の信綱はそう言うと真剣な顔をして右手を突き出した。

 そこに喜兵衛が重ねる。昌輝は最後にその上に手を置いた。

「勝つぞ!」

「応っ!」

「必ず!」

 こうして決戦場の設楽原へと信綱と昌輝は向かった。



 二



 武田騎馬軍団は負け知らずだった。

 敵は織田と徳川の連合軍。随所に騎馬の突撃を阻む高い柵と鉄砲隊が配置されている。

「信綱殿、隣が真田殿とは心強い」

 最右翼の馬場信房が言った。不死身の鬼美濃の異名を持つ猛将だ。

「それはこちらもですよ、馬場殿」

 信綱が応じる。

「あの、馬場殿。それがしもいるのですが」

 昌輝が言うと馬場信房は笑った。

「おう、分かっている。戦いの前に、ちと意地悪がしたくなってな」

「酷いですな」

「お主らの弟も本陣で勝頼様のために戦うのだったな。年若いながらなかなか利発だと聴いている。本陣は安泰だな。あとは我らの活躍次第だ」

 馬場信房の言葉に真田兄弟は頷いた。

 そして各々の持ち場に着く。

 静かなものだった。

 昌輝は大きく息を吸った。

 太鼓が鳴り響いた。

「陣触れだな」

 馬場信房、兄の信綱の軍勢が動く。

 騎兵が馬蹄を轟かせ疾駆する。

「我も行くぞ!」

 昌輝が声を上げると付き従う兵達は鬨の声を上げた。

 騎馬を駆けさせる。

 勇壮な武田の騎馬軍団が右にも左にも広がっていた。

 甲州に海は無いが津波の如くとはこういうことなのだろうか。

 と、前方に柵が築かれていた。

 武田の突撃を阻むための工作だ。

 これが予想以上に厄介だった。

 騎馬の流れは狭まり制限され、そして。

 鳴り響いたのは轟雷か。

 武田の騎馬武者達が次々落馬する。

 鉄砲の音だった。

 辛うじて命を繋ぎ止めた者、あるいは死んでしまった者で大地は埋まり始める。

「怯むな! まずはこの邪魔な柵を取り払え!」

 信綱の声が聴こえた。

 そして真田信綱隊は柵を取り壊しに掛かった。

 その間にも鉄砲は止まなかった。

 雷鳴のような音がした瞬間、誰かが馬から落ちる。

 昌輝は焦った。

 鉄砲とはこうも連射が可能なの代物なのか。

「我らも柵を取り壊しに掛かれ!」

 其処彼処で、武田の騎馬武者達が馬を下り柵を破壊している。その間にも銃声は轟き、武田の兵の命を奪っていた。

 昌輝は必死に指示を出し、自らも柵に取りついて倒し始めた。

「こんな卑怯な手を使いおって! 織田信長は卑怯者だ!」

 配下の兵が歯噛みしながら吐き捨てた。

 卑怯? 否、我らが織田信長を侮った結果なのかもしれない。戦に綺麗事は通用しない。

 信綱の叱咤激励が続く。

 昌輝も汗を飛ばしながら続いて兵達を鼓舞する。

 何とも滑稽な光景になってしまったものだ。天下無双の武田騎馬軍団が、馬から下り、この邪魔な柵を取り除くことに躍起になっている。その間に倒れる兵、数知れず。

 柵が倒れる。

 すると急報が入った。

「内藤昌豊殿、お討ち死に!」

「何!? 内藤殿が!?」

 昌輝は思わず声を上げた。

 政務にも軍務にも明るい武田軍の武者の死だった。

 ふと、武田の屋台骨が崩れる音がしたような気がした。

 今になって嫌な予感が身を過ぎる。もしや、この戦、我らの負けなのでは?

 そもそも御館様、いや、信玄様が亡くなってから武田の運命は風前の灯火だったのでは?

 だが、昌輝は正気に戻り、声を上げる。

「恐れるな! 柵を次々取り壊せ! それさえなくなれば、我ら武田騎馬軍団の猛威を発揮できる! 必ず織田に勝てるぞ!」

 鉄砲の音が止まない。斃れる者も止まらない。時にはすぐ隣にいた者が鉄砲の贄となった。

 設楽原は今や武田の屍に溢れていた。

 おのれ、織田信長! 必ず貴様に一太刀浴びせてくれようぞ。

「昌輝!」

「応、兄上!」

「この先に小高い丘がある。そこを奪え!」

「承知! いくぞ、武田騎馬軍団! 真田昌輝の後に続け!」

 昌輝は先頭を駆けた。下がった味方の士気を少しでも上げるため、将が意地と度胸を見せねばなるまい。

 小高い丘の上から次々鉄砲が襲って来る。

「そこか!」

 昌輝は勇躍し、馬の速度を上げた。

 グングン織田の兵達に迫る。

 銃弾が頬を掠めた。

 これだ。これこそ、戦場。ようやく俺の戦ができるぞ。

「突撃!」

 昌輝の声に続き、騎兵達も速度を上げる。

 そして織田の鉄砲の前に斃れながらも、その軍勢を蹴散らした。

「皆、聴け! ここは要所だ! 織田に居座らせるな! 我らが奪うぞ!」

 馬上で槍を振るい織田の兵の首を刎ねた。

 鮮血が昌輝の鎧に降りかかる。

 血の祝福だ。

 兵達が馬から下り織田の兵とぶつかり合った。

「敵将と見た、勝負せい!」

 織田の兵の中から騎馬に乗った敵将が駆けてきた。

「俺を真田昌輝と知って挑むか!」

「それが将の宿命!」

「そうだな!」

 両者の槍が交錯する。

 一合、二合、三合、穂先が煌めき、ぶつかり合う度、鉄の音と火花を散らす。

 敵もさる者、なかなか決定打が打てない。

 だが、槍を交え、馬を操る昌輝には一つだけ気付いたことがあった。敵は馬の扱いは自分ほどでは無いと。

「はっ!」

 昌輝は馬を旋回させ、槍を突き出す。

 遅れを取った敵将の脇の下を槍は貫いた。

 槍を引き抜くと思いきり振り抜いた。

 敵将の首が落ちた。

 首を失った胴体が馬から崩れ落ちる。

「なかなかの剛の者だったな」

 昌輝は一息吐いた。

 徒歩となった兵達が織田の兵を相手に押して、押されて、あるいは揉み合っている。

 昌輝も馬を進め、槍を繰り出して織田の足軽を蹴散らした。

 斬っては突く。突いては薙ぐ。阿修羅の如く槍を操りそっ首を放り出す昌輝は狂ったように見えるかもしれない。あるいは鬼神の降臨かとも思わせたかもしれない。敵は恐れ、味方は意気を上げる。

 急報が届いた。

「山県昌景殿、お討ち死に!」

 武田騎馬軍団の顔でもあった、山県昌景もまた逝った。

 だが、昌輝を止めるものはない。武田のために刃を振るい、血を浴びる。

「それそれ、どんどん敵を押し返せ!」

 昌輝は気合一刀の下、雑兵を斬り斃して声を上げる。

 戦場を支配せねばなるまい。

 まだだ。まだまだ。

 一発の鉄砲の音が木霊した瞬間、昌輝は胸に強い衝撃を受けて落馬した。

 痛む。胸が痛む。撃たれたのだな、俺は。

 戦場の音が遠ざかって行く。

 冗談ではない。昌輝は眼をキッと見開き立ち上がると吼えた。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 味方の足軽の間に踏み込み、瞬く間に敵を切り伏せる。

 魂が荒らぶっている。

「我が名は武田が将、真田昌輝! 我を恐れぬ者はかかって来い!」

 一瞬、織田兵が躊躇した。

 昌輝は飛び出し、次々槍を振るい、無数の首を天へと飛ばした。

 息が荒くなる。痛みが怒りとなる。死んだ兵達の亡骸が自分を鬼へと駆り立てるのが分かる。

 皆の思いを背負って、俺は鬼となる! この身が燃え尽きるまで!

 昌輝の槍は止まることを知らなかった。小高い丘の頂上で鬼は血を浴び刃を振るう。

「昌輝!」

 信綱が合流した。

「おう、兄者! お待ち申しておりましたぞ」

「昌輝、お前まさか」

 瞠目する兄に向かって昌輝は不敵な笑みを浮かべた。

「いざ、武田のために共に武器を振るいましょう!」

「……そうだな、昌輝。我が名は真田信綱! 我が首が欲しいものはかかって来い!」

「でなければ、俺がお前達をあの世へ送り届けてくれようぞ!」

 信綱が言い、昌輝が後を引き継ぐ。

 真田兄弟は共に兵に交じって得物を振るう。

 二人の修羅が阿鼻叫喚の戦場を形作って行く。

 思えば戦場ではいつも一緒だった。兄の背に追いつき追い抜こうとしていた。だが、共に戦えるのはこれが最後だろう。どこまで自分の命が保ってくれるかは分からない。鎧の内側で血がどんどん流れて行くのを感じる。

 時に前方が霞んで見える時もあった。だが、足踏みし、活を入れる。

「織田勢の指揮官は佐久間信盛であるようです」

 兵が馳せて言った。

「佐久間だな。すぐに辿り着いてみせようぞ。クカカカカッ!」

 昌輝の槍は血糊でついに切れなくなった。

 槍を捨て、抜刀する。

 雑兵達が功名欲しさに挑んで来る。

 それらをほぼ一撃で捻じ伏せ、代わりに彼らの首を得る。

「佐久間は何処だ!? 佐久間、腰抜けが! 出でて勝負せい!」

 昌輝は敵将の名を叫びながら命の炎を燃やし続けた。

 雑兵達が次々襲い掛かって来るが物ともせず、斬り捨て、鮮血に塗れ、赤き鬼となって進んで行く。

 その時、撤退の合図が鳴った。

「撤退!?」

「ああ、撤退だ、昌輝!」

「兄上、我らが殿軍ですな」

「そうだ。行けるな?」

「ええ、この魂が燃え尽きるまで」

 馬場信房から伝令が届き、殿軍を務める旨を使いは述べた。

「その役目真田兄弟にもお任せいただこう。そう、馬場殿には伝えよ」

 信綱も覚悟を決めたように言った。伝令が去って行く。

「さて、どうにか喜兵衛の顔をもう一度見たいところだが」

「見れますよ」

「そうだな」

 敵軍が一斉に押し返してくる。

「踏ん張れ、踏ん張れ、武田の意地を見せるのだ!」

 信綱が叱咤激励し飛び出した時だった。

 銃声が轟き、その身体は揺らめいた。

「兄上!?」

 昌輝は驚き駆けた。

 まさか、まさか、そんなことが。逝くのは俺の方が先のはずだと思っていた。

「昌輝。すまぬ、先に逝く。き、喜兵衛に会いたかった……なぁ」

 兄、真田信綱はそう言い残した。

 虚ろに天を見上げる目を昌輝は手で閉じた。

「おさらば、兄上。一足先に三途の川でお待ち下され。間もなくそれがしも参りましょう」

 そして昌輝は震えた。全身を怒り、悲しみ、誇り、あらゆる思いが駆け巡る。

 振り返る。

 俺はやらねばならん。せめて殿軍を務め上げねばならん。

「アアアアッ!」

 咆哮を上げ雑兵を押し退いて、昌輝は剣を振るった。

 身体が重い気がする。死がじわじわとこの身を包み蝕み始めている。

「まだまだ、まだああっ!」

 昌輝は再び阿修羅となって剣を走らせる。

 刃が幾つもの肉を裂き骨を断つ。血はバシャバシャと昌輝の鎧を顔を祝した。

 鉄砲が鳴り響いた。

 バタバタと味方の兵が斃れる。その魂を背負って己は戦うのだ。

 と、兄、信綱の愛馬が横に現れた。

 昌輝はニヤリと微笑んだ。

 最期は馬上で。

 落ちていた朱槍を拾い上げると馬腹を蹴った。

 雑兵の間を抜け、馬上の人となった昌輝は突き進む。

 銃弾が足に当たる。腹に突き刺さる。再び腹に当たる。が、さほどの苦痛でも無い。生きるための燃え滾る最期の魂の糧となって内で轟々と燃え滾る。

「退け退け退け、我が名は真田昌輝!」

 槍を振るい鉄砲兵を掻き乱す。喉を切り裂き、袈裟切りにし、首を刎ねる。

 混乱をきたした鉄砲隊を見てか、あるいは昌輝の勇者ぶりを見てか、兵達が付き従ってきた。

「鬼神だ。昌輝様は鬼神だ!」

「昌輝様、万歳!」

 次々敵陣へ斬り込んで行く足軽達。

 それを見た瞬間、昌輝は悟った。

 ああ、俺の役目は終わったのだ。

 だが、一握りの命の炎がくすぶっているのを感じ、昌輝も馬を駆けた。

「佐久間アアアッ! 出でやアアアッ!」

 絶え間なく送り続けられる織田兵を斬り殺し、その屍を踏み拉いて昌輝は突き進む。

 すると、馬上に跨る黒い影が前方に見えた。

「織田の将、佐久間信盛、ついに見付けたり! 雑魚は退け退けええいっ! 佐久間アアアッ! そのそっ首を」

 目の前に鉄砲隊が並んだ。

「撃ってみよ! そのようなもので武田の真田の魂を消せると思うてか!」

 銃声が鳴り響く。

 無数の銃弾が当たり、馬が斃れ、昌輝は地に投げ出された。

 やれやれ、最期は馬上でと思ったものを。

 地面に手を付き身を起こそうとするが力が入らなかった。

 ああ、俺の役目は終わったのだな。

 身体が動かない。徐々に冬の様な寒さを感じてくる。魂の炎が消えようとしていた。

 兄上、それがしも三途の川へ今参りまする。

 意識が遠のき、解き放たれた安らぎを感じた。

 真田昌輝は二度と起き上がることは無かった。

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