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この世とあの世のはざまで  作者: ちょこみかん
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見えないものとの共生

実話そのもの。わかる人にはわかる。自分の人生の中で自分が思う事を正直に書いただけのものです。

 私は小さい頃から他人が怖く、家族以外とは話せなかった。

母はそんな私を心配していて宗教やら健康食品やら、体のバランスを整えるストレッチやら色々してきた。私にはピアノを習わせたり幼稚園ではスポーツ教室に入らせたり、何か変えさせたかったのだろう。母なりに色々してきた。


父も母も病気をし、今は二人とも元気にしている。妹は私とは違い元気で普通の人生を歩んでいる。私はこの歳になっても堂々と生きていける人間ではない。元気な人間にはそんなの怠けだ。誰でも頑張っているのにと言われるのが当たり前である。

自分が元気だと弱い人間の気持ちが解らないからである。


人の気も知らないで。私がどれだけつらい今までの人生を歩んで来たのかも知らずに人は言う。普通の人生を歩んできた人はただ当たり前の様に生活し、自分の基準で簡単に言う。


私が見えない世界に人生を潰され、ずっと戦ってきたことも知らずに。頭痛、動悸、吐き気、気持ち悪い、体の重さ、人が多いほど疲れる。人の背後に霊がいてそれが自分に乗る。憑く。


でも自分の体の状態が普通の人と違うというのは、教会に入って初めてわかった。しかし教会に入ってますます敏感になった。

「どんより」の言葉が私の感じているものとぴったり合った。


教会に行っても、憑く事の方が多かった。元気をもらいもするが憑く事の方が多かった。ひどい時は一週間体調が悪いままだった。普通の人達よりも教会の人達のほうが重い。体の不調も長引く。そしてどこに行くにも人がいるので、買い物や外に出る度に憑く。家に来る人も霊を連れてくる。その人の霊も私に憑く。家族が外から連れてくる。それも憑く。どこにいても人(霊)、人(霊)、人(霊)………。



霊界が救われたくて、(?)憑くらしい。一般の人よりも、教会の人達の方が頼られて沢山乗っているから、余計重いらしい。でも私に来てもらっても困る。体がきつくなるだけではなく、心もマイナス思考になる。

見えないのでわけがわからない。

金縛りは何十回もあるが、幽霊は一回だけ見た。白い服を着た女の人だった。自分の部屋に入ってきた。妹が夜中に連れてきた。(妹に憑いてきた)

考えてみれば今まで生まれた人間は皆死んでいるので、今生きている人間よりも過去に死んだ人間のほうが多いのは当然の事である。人は皆死ぬ。


でもこの世に未練を残して死んでいった人も多いと思う。人はやはり善と悪が両方入っていて、矛盾した存在だ。自分の中でも善と悪が戦っている。そしてこの世界も善と悪が戦っている。人が浮気や不倫や家庭崩壊や様々な病気に苦しめられているのも、人間始祖が堕落してしまったからで間違いない。そして人間を中心として、人間の為にこの宇宙は創造された。


でも何で未だに神の国は来ないのか。まだ時が来ていないのかもしれないが、わからない。聖書は6000年の歴史が書かれているので、私も人に勧められて読んだ。この宇宙や地球は神が創造したということで間違いないとは思う。人間や動物や植物すべて。


しかし日常生活の中でどうして私はこんななのか、その理由ははっきりしない。先祖の蕩減か、私が感じている霊界は何の理由があって感じているのか、なぜ言葉が出ないのか。何のためにこのように私はこの世に生まれたのか、本当にわからない。自分が謎、謎、謎だ。


人が重いのは小さい頃からずっとだ。だから普通の人の状態がわからない。普通の人は気のせい気にしすぎと言うだろうが、気のせいのレベルではない。体にもろにこんなに受けるのに、絶対に気のせいではない。皆死んだらわかるのかもしれない。


私だって出来れば気にせず体に受けず普通の人のように人生を歩みたいが、生まれ持った体質なのか、なかなか変われない。


最近は考えるのも嫌になってきた。答えのない毎日を仕方なく歩いている。霊界に人生をぶっ潰されたのだ。誰を恨むのでもなく、疲れ果てた。皆が幸せになればいいのになっていない世の中。病気や環境で生きたいように生きられない世の中。


貧富の差、戦争、生きたいように生きられない国、食べ物もなく飢餓で死んでいく人々、上げればきりがないが、今の私達の生活は当たり前ではないという事です。上には上がいて下には下がいるんだけれども、つい周りと比較してしまうのです。


そして自分が周りよりも劣っていると他人が羨ましいし、劣等感が増すのです。普通かそれ以上だと心にも余裕があるのである程度楽しく人生を歩めるのでしょうか。


でも長年きつい状態が続くと人は段々もう生きるのも嫌になり、何もかも嫌になり死を考えてしまう事もあります。だから死にたい死にたいと言う人の気持ちは私は凄くわかります。普通に元気に毎日を暮らしている人はそんな考えは全く、考えもしないだろうけど、人がそんな考えにまで、それほどまでにも追いつめられる、理由があります。


元気な人はそれなりに自分の生きたいように生きられるけれども、私のような人間は本当に生き地獄であって、過去も思い出したくないし、この差は何なのだろうと怒り当たり散らしたくなります。


そして期待はしてなかったが、教会に行って何とかなるかなと望みが少しばかりは、あって行ったのに、行く度に霊が乗り、礼拝でも乗り、もう何のために教会に行っているのかわからなくなってきました。教会に行かないほうがむしろ体調が良い。


でもこのままだと未来が全く希望がない。何をしても希望がない。何で私だけと思う。頑張ってきた人に努力せろや頑張れは禁句です。心が傷つき余裕がない人に努力せろは本当に人を殺す言葉です。

何気ない言葉が傷つきます。あなたは私の人生を何も知らないくせにガタガタ言うなと思います。人並みの幸せの中にいる人がガタガタ言うなよと思います。


笑っている人間や幸せでいっぱいな人間はいつまでも幸せだとは限らないし、人を見下す人間はいつかは落とされるし、調子に乗っている人はいずれ落ちるし、人間長い間苦しみの中にいると、こんな腐った思いにもなります。


私のような人間は、何をするにも、普通の人が簡単に越えるハードルの、何倍もの、高いハードルを越えなければならないし、何をするにも、やはり人並みの人生とは全く違うつらさ、きつさがあります。それを周りは普通の人を基準にして、比較し、矯正するのです。


自分が元気で調子が良く、また大きな挫折もしたことがない人間には、到底わからないのです。体が入れ替わらないとわからないでしょう。体のきつさが違うし心の強さも違います。

努力が足りないとか、努力の質や努力の仕方が違うと言うなら、それでどれだけ素晴らしい結果が出たのでしょうか。人によって課題も違うし、完璧な人間などいないのに。努力は人と比較するものではありません。努力だけでは人生変えられません。その人その人のペースで、自分の心の奥に閉まっておくものです。


世の中には無数の啓発本や精神病の医者もいますが、病院に行っても薬を渡すだけで、解決しません。中には治った人もいるかもしれませんが、その医者も本人の気持ちは到底わかりっこないのです。自分が元気だから。


目に見えて理解される病気はいいけど、本当に理解がない病気は生きづらいです。理不尽な世の中だとしみじみ思います。



また、この世とあの世の(はざま)で毎日生きていきます。













わかる人は少数でも、一人でも読んでもらったら全然それでいいです。

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