彼女は天然! 8
「うめぇ!!」
「なんだこれ! これ保存食なのかよ!!」
兵士たちの騒ぐ声が聞こえる。
一日目の野営。
基本的に、朝と昼は小休止程度で、ちゃんと温かいものが食べられるのは夜のみである。
その野営地でコック軍団が披露したのが、ペミカンとかいう保存食だった。
刻んだ肉や野菜やキノコを炒めて型に入れ、バターやラードなどで固めたものらしい。
栄養満点で、そのまま食べても良いが、パンに挟んだりスープにしたりすると絶品だ。
ただ、暑い季節だと溶けてしまうので、今回は最初の野営で供されることとなった。
街道沿いの牧場で分けてもらった牛乳と一緒にコトコトと煮込み、保存用の堅焼きパンを浸して食べる。
カタチとしては、普段の野営と大差ない。
「なのに、美味いな……」
しっとりとスープを含んだパンの、なんと美味く感じることか。
これが野戦食だなどと、誰が信じられるだろう。
行軍で疲れた体に、滋味が染み渡ってゆくようだ。
「難点は、ぜんぜん足りないということですね」
じっと私の方を見ながらパリスが言う。
彼の器は、舐めたみたいにきれいになっていた。
どんだけがっついて食べたのか。
「やらんよ? そんな目で見られても」
「隊長は意地悪な人だと、隊に吹聴しましょう」
「アホか」
我々は軍隊である。
好きなものを好きなだけ食べる、というわけにはいかない。
決まった量をきちんと食べるというのも仕事のうちだ。
お残しも、おかわりもないのである。
「そだねー 最初だからちょっと量が判らなかったかも」
にこにこと笑いながらメイリーがやってくる。
うしろに控えるは、寸胴鍋やバスケットを抱えた料理人たちだ。
「一応、おかわりをもってきたよ。ギュンターさん。食べる?」
「ぜひっ!」
光の速さで突き出される器。
行動に迷いがないね。お前さん。
盛りつけられたのは、器半分ほどのスープと堅焼きパンが一つだけだ。
「計算のうえだと、さっきので一食には充分だからね。食べ過ぎ注意だよ」
すげえ残念そうなパリスを尻目に、メイリー軍団が去ってゆく。
次のほどこし希望者を求めて。
「これでおしまいか……」
「冷めないうちに食えよ? せっかくもらったんだから」
「食べたらなくなるじゃないですか」
「当たり前だろうが」
なにいってんだ。この男は。
すでに堅焼きパンを三つと、一杯のスープを食っているのだ。
飽食した軍隊というのは、かなり控えめに言っても役に立たない。
「お。こうするとさらに美味いかも」
なにやらパリスが発見したらしい。
パンを器にしずめ、スープと一緒に匙で食べる。
「たしかに、その方が水分を吸いそうだな」
私も試してみる。
うむ。
なかなかのものだ。
「しかし、隊長は羨ましいですな。将来は毎日こんな美味いもんが食えるんですから」
「毎日ペミカンなんぞ食ったら不健康すぎるけどな。ただ、そうなるまでには障害が多いさ」
ロバートのくそオヤジしかり、鈍感なメイリーしかり。
肩をすくめる私に副官が笑う。
「恋を貫くのも勇気ってもんです。隊長がどこぞの貴族のご令嬢と結婚したら、小官は軽蔑してあげましょう」
「ひどいね。お前さん」
まあ、応援してくれるだけでも良しとしたものだろうか。
なんとなく夜空を見上げる。
晩春の星座たちが瞬いていた。
四日の行程で、メイリー軍団はすっかり隊の中心になってしまった。
まさに胃袋を掴むというやつだ。
なんかね、私の命令よりメイリーの命令に従うんじゃないかって感じだよ。
大丈夫か?
白の軍。
キミたちは、四翼と称えられる我が国の最精鋭の一角なんだよ?
「そろそろミシロムの領域ですな。これだけ目立った行軍ですから、当然相手も気付いているでしょう」
馬を寄せたパリスが進言する。
もちろん私も承知している。
というより、わざわざ敵に察知させるように動いているのだ。
気付いてくれなかったら、がっかりである。
軽く頷いてみせる。
整備された広い街道には、我々しかいない。
白の軍が動くという報が先に走っているため、戦闘に巻き込まれるのを嫌がった旅人や行商人たちは、ルートを変えるか、どこかの宿場で嵐が過ぎるのを待っているのだろう。
このあたり、庶民たちの情報網と伝達速度は、往々にして正規軍のそれを凌駕する。
「となれば、そろそろ仕掛けてくるかな?」
「ですなぁ。このタイミングで仕掛けないような連中なら、話が簡単で良いんですがね」
肩をすくめる副官。
ここより前で仕掛けた場合、敵は後退するのにも街道を駈けなくてはならない。
騎馬隊を含んだ白の軍を相手に、それは非常な不利を背負うことになる。
逆に、我々が森に入ってから仕掛けた場合には、条件が互角になってしまう。
互いに、森の木々を利用して戦うことができるからだ。
そうなれば数の多い私たちが有利なのは自明だろう。
つまり、我々が街道にいて、敵が木々を盾にできる今こそが、最も仕掛けるべきタイミングなのだ。
その程度のことが判らない敵ならば、怖れるに値しないとパリスは言っているのである。
「そういうことにはならんだろうね」
私が口にした瞬間、森の中から矢が放たれる。
飛び立つ野鳥の群れのような音を立てて。
「そらきた」
「各員! 防御姿勢!」
私の声は、パリスの叫びによってかき消された。
大盾を掲げ、重装歩兵たちが前に出る。
後衛を任された隊が、さっと方円陣を組んで、輜重隊を守る体勢を整える。
はやいな。おい。
私が指示するより前に動いてるぞ。
一の矢が着弾するまでの間に、我が白の軍はすっかり防御態勢を築き上げてしまった。
どんな練度だよ。
豪雨のような音を立てて矢が降り注ぐ。
が、音ほどの損害はない。
彼我の距離がまだ遠いから。
戦場において弓箭兵が矢を水平発射する、などという事態はほとんど起きない。
むしろ、距離を置いての射撃戦が本領のアーチャーたちがゼロ距離射撃なんぞしなきゃいけないような戦況なら、ほぼ詰みである。
ぎりっぎりまで引きつけて一斉射撃、という戦法がとられたことは皆無ではないが、これ失敗すると後がないんだぜ?
接近されたアーチャーほど、哀れな存在はいないからだ。
基本的に軽装で、盾すら持っておらず、近接戦闘用の武器といえば小剣くらい。
そんなのが騎兵や重装歩兵なんかに寄られたら、どうなるかって話である。
「さて。どう動きますかね」
「どうもこうも、こんなのは牽制だろ。焦って動くような状況じゃないさ」
指示を求める副官に、私は苦笑してみせた。
遠くから山なり軌道の矢をいくら放ったところで、白の軍は揺るがない。
これで敵の数が万単位とかだったら、こちらの防御が崩れるだろうが、仮に四百がすべて弓箭兵だったとしても我々の半分にも達しないのだ。
「では待機ですね」
「ああ。それが相手にとって一番嫌だろうからな」
「相変わらず戦術選択がいやらしいですなぁ。いやらし隊長と呼んで差し上げたいくらいです」
なんだその意味不明な称号は。
そもそも、射程距離に入った瞬間に矢戦を仕掛けてきた時点で、敵の狙いはだいたい判るだろう。
効果の薄い攻撃でおたつくか否か。
おたつかなかったとして、次にどういう行動を取るか。
寡兵と侮って突撃するか。
それとも、次の手を見極めようとするか。
ようするに、こちらの戦術能力を量るための先制攻撃だ。
馬鹿正直に付き合う必要はない。
「せっかく主導権を取りたがってんだから、取らせてやるさ。望み通りにね」
我々が動かなければ、敵には次の行動を選ぶ権利が生まれる。
押すか引くか。
「けどまあ、数に劣る方が街道に出てくるわけがないよな」
囲まれて袋叩きにされるだけだから。
森に引き込み、木々を盾に戦わなくては、彼らに勝算はないのだ。
「さてさて。戦術能力を試しているのはどちらかな?」
私は人の悪い笑みを浮かべる。
「そういうことばっかり言うから、いやらし隊長って言われるんですよ?」
うっさいわ。
お前しか言ってないだろうが。