動乱の幕開き 3
陛下は、まずは民に詫びを入れた。
幾代もの長きに渡って、王が責任を果たさず、貴族たちが国政を壟断してきたことを。
そのせいで多くの民が職を失い、路頭に迷い、野垂れ死んでいったことを。
失業率の増加とか、世情の不安定さを招いてしまったことを、まずは謝ったのだ。
その上で、陛下は減税を宣言した。
無条件で五年間。
三割の減税だ。
おいおいって数字である。
政治に明るくない私だって、その危険度は判る。
一気に財政が破綻すんじゃね? それ。
しかし次の言葉によって、私は陛下の真意を悟った。
「これで諸君らは少しらくになると思う。その上で、少しだけ予の頼みを聞いてはもらえぬだろうか。商家の諸君、その浮いた金でルーンの人間を雇用してはくれまいか。国民諸君、その浮いた金でルーンの人間が作った品物を買ってはくれまいか」
狙いは内需の拡大だ。
まずは民に安定した職を与える。
生活の安定こそが、国の基だと陛下はいっているのである。
ルーンにルーン人の職場を。ルーン人の作った商品の購入を。
すげえ。
これなんだよな。私たちの求めていたものは。
陛下の話は、アトルワの内乱にも及ぶ。
彼らの理想は尊いし立派だと。
だけど現実を見ようと。
「なぜなら、予は獣人の王でも亜人の王でもなく、諸君らルーンの民の王だからだ。予にとって民とは、諸君らのことだからだ」
もうね。
会場大興奮だったわ。
みんな両手を振り上げ、女王の名を連呼するんだ。
救世の女王アルテミシアってね。
私やメイリーだって、そりゃ称えたさ。
だって、理想じゃご飯は食べられないじゃん。
まずは生活。
私たちがミシロムでやったことだって、食い詰めた貧民たちに仕事を与えるってのが主目的だしね。
崇高な理想を掲げるのもいいけど、地に足をつけた生活をしようって。
聖賢の姫君に対する救世の女王。
言い得て妙な異称だと思うよ。
「けど、ちょっと気になるかも」
じっと陛下に視線を注いでいたメイリーが呟く。
「どうしたんだ?」
「陛下の顔色。悪くない? お化粧で隠してるけど」
「化粧してたら顔色なんかわからないぞ」
「わかりなさいよ。鈍感兄ちゃん」
ひでえ。
私は何を求められているんだ。
化粧越しの女性の顔色が判るほどの境地にまで、私は至らないといけないのか。
無理すぎる。
「ちゃんと食事とかされてるのかな? 陛下」
「そりゃあ食ってるだろうよ。王宮にはちゃんと料理人だって……」
そこまでいって私は口をつぐんだ。
思い出したから。
大臣弁当を。
ありゃだめだ。
日常的にあんなもん食ってたら、病気になってしまう。
いや、病気以前の問題として、食欲なんか出ないだろう。
「涼皮は食べたんだっけ?」
「と、思う」
私はそのシーンを見てないんだよね。
自室で召し上がられるとか、そんな感じだったし。
ただ、侍従が三人前くらい確保してたっぽいから、けっこうな量を食べたんじゃないかなあ。
頷きながら話を聞いていたメイリーが、私を見上げる。
鉄灰色の瞳に決意を込めて。
「陛下に食事を届けたいんだけど、取りはからってくれる? ウズベル」
「それはかまわないけど。なんでそこまで」
「私には政治のことは判らないけど、たぶんいま陛下は倒れちゃダメだと思うんだよね」
倒れて良い指導者なんていない。
けど、メイリーの言いたいことは理解できる。
アルテミシア陛下がくしゃみをしたら、ルーン全体が風邪を引いちゃうのだ。
「わかった。時間がかかるかもしれないけど、必ず取りはからおう」
「お願いね」
けっこう真剣な顔のメイリーだった。
その日は思ったより早くやってきた。
たぶん陛下は、白の軍の料理人のことを憶えていたんだろうね。
美味しいものが嫌いな人なんかいない。
我が軍の料理人が陛下に食事を届けたがっている旨を伝えたら、すぐにスケジュールを調整してくれた。
ちなみにメイリーが持参したのは軽食である。
パンに鶏肉と野菜をはさんだだけの。
ただし!
つかったのは、必殺ともいえるあのソースだ。
東方のソイソースからつくったやや甘いやつと、卵とビネガーから作った白いやつ。
私だって初めて食べたときの衝撃は忘れてないよ。
たかがパン、たかが鶏肉ではないのだ。
夢中で頬張る女王陛下を見て、私とメイリーは会心の笑みを交わし合った。
やはり陛下はここしばらくまともに食事も摂っておられなかったのである。
若いから無茶もきくだろうが、こんな生活が長続きするわけがない。
これはメイリーの持論なんだけど、食べない寝ないで治る病気なんか、ただのひとつもないそうだ。
まずは食べる。
これが大事。
あっという間に食べ尽くした陛下が、切なそうにメイリーを見つめる。
わかるわー。
中途半端に食べたから、逆にお腹がすいちゃったんだよね。
軽食だから、満腹になるような量じゃないし。
「メイリー。私と結婚しなさい」
うおい!
言うに事欠いて、なんてこといいやがる! この悪王め!
思わず剣に手を伸ばしかけるが、落ち着け私。
こんなんでも主君だ。
それ以前の問題として、ルーンでは同性の結婚は認められていない。
くすくすとメイリーが笑う。
まあ、言われ慣れてるんだよね。彼女は。
結婚までトチ狂ったことを言う人は稀だけど、師とか。
「あなたは何者なの? どうやってこんなもの作ったの?」
メイリーの笑顔で落ち着いたのか、陛下がご質問あそばした。
たぶん涼皮のこととかも思い出してるんだろうね。
さすがに説明しないといけないだろう。
メイリーの食道楽のこととか、コーヴで食べられている料理のいくつかは、間違いなく彼女が考案したんだってこととかね。
私の恋人だってことは、べつに言わなくても良いよね。
女同士だから、取られる心配とかはないし。
「メイリー。私の秘書になりなさい」
えー?
なにそれー?
ダメだこの女王さま。はやくなんとかしないと。
結婚よりは穏当だけどさ、なんで私のメイリーを取ろうとするんだよ。
ちらりと視線を動かす陛下。
国王の執務室は、ちょっと散らかりすぎている。
来客用のソファの上まで書類が積み重なってるってどうよ?
私たちだって、座る場所を確保するために書類を退かしたんだぜ?
どんな王様の部屋だって話だよ。
整理能力がない上に、没頭すると他のことが目に入らなくなるんだってさ。
それはいいとして、メイリーを渡すわけにはいきませんよ。陛下。
「ですが陛下。メイリーは政治のことなど判りませんよ」
「判ってるわよ。私の私生活を支えてって言ってるの。体調管理とか掃除とか食事とか食事とか食事とか」
五分の三が食事ですかっ!
それ秘書じゃないですよねっ!
メイドとか家政婦とか、そういうヤツですよね!
やだよ。
なんで私のメイリーを、そんなしょーもないことにとられなきゃいけないんだ。
掃除するなら、私の部屋をやってよ。
私のご飯を作ってよ。
渋面を作る。
白の軍の連中に振る舞ったりもするからね。
陛下にだけ独占させるわけにはいかないんです。
ちょっと困った顔のメイリー。
それを見た陛下は、なんと作戦をかえやがった。
「王宮の食材、使い放題」
ぼそりと。
な!?
そのカードをいま切るのか!
メイリーは知ってる。大臣弁当に使われていた高級食材の数々を。
彼女は王宮の料理人に配慮して、責めるようなことを一言もくちにしなかった。
けど思っただろうね。
これだけの食材があったら、どれほどの料理が作れただろうって。
「そういうことでしたら、つつしんでお受けいたしますわ」
にこりと笑う。
けど、私は見逃さなかった。
鉄灰色の瞳がきらりと光ったことを。
知ってる。これ。
料理魔神モードになったときの目だ。
「王宮の食材。腕が鳴ります」
「いっとくけど無限に予算があるわけじゃないからね? お願いだから食費で国を傾けないでよ?」
「……残念ですわ」
「や。そこで残念がられても」
女性たちが笑い合う。
メイリーと陛下は一歳ちがい。
同世代だ。
あるいはこれはこれで友情が生まれるのかなぁ。
そういうことなら仕方ないかぁ。
断腸の思いで、私は頷いた。
だが陛下!
あなたにメイリーは渡さないぞ!




