予兆 8
メイリーは、自身が誘拐されたことについて、わりと簡単に侯爵を許した。
けど、隊員に怪我をさせたことは許さなかった。
もう回復しているけどね。
そういう問題ではないらしい。
ミヤ隊員に精の付くものを食べさせるため、侯爵家の厨房からはいくつか食材が謝罪の品として持ち出されることになったのである。
あと、私にも何か食べさせてくれるらしい。
魔力切れに関しては、食べ物でどうこうなるような話ではないんだけど、メイリーがそれで気が済むならと、任せることにした。
怖い思いもしただろうに、私や隊員の心配までしてくれる。
優しいなぁ。
「師よ……」
などという言葉とともに、侯爵家の料理人たちが食材を運んでくる。
うん。
この光景は何度も見たことあるわ。
彼女の腕を知った料理人たちが、プライドもなんもかなぐり捨てて、師とか呼んじゃうんだよね。
それを横目に、私は国務大臣に話しかける。
「本当にこれっきりにしてくださいね。今回、死人が出なかったのは奇跡ですよ」
「判っておる……」
しょんぼり大臣だが、私だってしょんぼりだよ。
仮にも国家の重鎮たる御仁が、四翼のひとりである白騎士の恋人を誘拐するとか。
こんなもん外部に知れたら、大スキャンダルだって。
やばいどころの騒ぎではない。
なので、今夜のことはなかったことにする。
誘拐事件など起きなかった。
メイリーは、侯爵家で食事を振る舞っただけ。
そして私が迎えにきただけだ。
上意云々は、大臣のほうでつじつまを合わせてくれるだろう。
「では、引きあげるか」
何ともいえない表情のまま、ジェニファが言った。
で、翌日のことである。
またまた御前会議に呼び出された私は、あらためて国務大臣から謝罪された。
そのうえで、メイリーの料理はどこにいけば食べることができるのかと訊ねられた。
これは良い傾向だろう。
美味い料理を持ってこさせよう、または料理人を連れてくればいいって考えていた人が、自分の足で歩いていこうっていうんだからね。
私はメイリー自身は店をやっているわけではないことを告げた上で、彼女の高弟たちが営む高級レストランを教えた。
中には、大臣が赴いたことのある店もあったらしい。
「なんと……あの料理を考案したのはルーンの至宝どのであったのか……」
感慨深げなのは良いけどさ。
なによ? その異称。
吟遊詩人騎士より、ずいぶんと格好いいんでないかい?
私もそういうのが良いなぁ。
白銀の聖騎士とかね!
「どんな心境の変化かの。まるで憑き物が落ちたようじゃな。ベローア」
ほてほてと近づいてくるのはリリエンクローン公爵だ。
なんか笑っている。
「儂は勘違いをしていたようだ。あるいは耄碌していたのかもしれん」
「ほほう?」
「今朝、陛下に辞表を提出した」
唐突に投じられた言葉。
私とリリエンクローン公爵の顔に、驚愕が浮かんだ。
なんでそんな話になってるんですかね。
「少し思うところがあってな。公務と兼任でやるには、やや重いのだ」
そう言い置いて心境を明かしてくれる。
王都コーヴとミシロムを結ぶ街道。
ここにいくつかの宿場町を作るというプランは、昨日のうちに提出している。
なんとベローア侯爵は、その計画に一枚噛むらしい。
具体的には、四つの宿場に四つの高級宿を建てる。
もちろん美食を提供するための。
王都からミシロムへと続く、美食街道だ。
国務大臣という立場で、その事業に参入するのは難しい。
有利すぎるから。
ゆえに官位は捨て、単なるいち貴族として行動する。
「なにが卿をそこまでかきたてるのか……」
少年のように目をきらっきらさせて語る侯爵に、公爵が訊ねた。
「判ったのだよ。リリエンクローン公。料理とは人を幸福にするためにあるのだ、と」
さっぱりわかんねーよ。
なにいってんだ。このおっさん。
「すまんのう。ベローア。お主の言うことはさっぱりわからん」
公爵もまた、私と同じ感想を持ったようだ。
まあ、メイリーご飯に目覚めちゃったんだろうなぁ。
気持ちは判るんだけど、極端すぎる気がするよ。
どんだけの料理を食べさせられたんだろう。
ちょっと食べてみたいような、怖ろしいような。
「しかしウズベル卿よ。ベローアがそっちに手を出すとなれば、八割方が片づいたようなものじゃな」
「ですねぇ」
私が今日の会議に呼ばれた理由は、ミシロム方面の具体的な施策と、その責任者を誰にするかっていうことを決めるため。
本当は昨日の午後のうちに決める予定だったんだけどね。
ほら、昼食で地獄になって、そのあとは会議どころじゃなくなったんだ。
それで良いのか。大ルーン王国。
ただ、一日時間をおいたおかげで、希望者が出てきたわけだから、これはこれで悪くない。
怪我の功名というやつだろう。
後任の国務大臣をどうするのかって話が残るけどね。
「そのあたりは政治の領分で、武人が口を出す話ではありませんが」
「それはそうじゃろうが、貴殿といいライザックといい、どうにも大人しすぎるな。若いのだから、もっとこう、ぐいぐいいかぬか」
「わけのわからんけしかけ方をしないでください」
「つまらんつまらん。陛下は独身、お主もライザックも独身。ねらい目ではないか」
おいぃぃぃ。
不敬罪だぞ。それ。
あと、私にはメイリーがいるから。
「公爵閣下。お口が過ぎるかと」
「なあに。年寄りの繰り言じゃでな。陛下も大目に見てくださるじゃろうて」
ていうかさ。
リリエンクローン公爵って、こんな愉快な為人だったんだなぁ。
知らなかったよ。
会議を終えてオフィスに戻ると、ミヤ隊員が顔を出していた。
今日は休んでいいよって、言っておいたんだけどね。
「隊長。ご迷惑をおかけしました」
びしっと敬礼する。
「もう動いて平気なのか? せっかくの機会だからゆっくり休めばいいのに」
「隊長に無理をさせて、メイリーさまのメシまで食わせてもらって、さらに休みまでもらったら罰が当たるってもんです。守りきれなかったのに」
悔しそうな顔をするミヤ。
いやいや。
そりゃ謙遜ってもんだよ。
馬車にはねられ、大人数に囲まれて切り刻まれながらも、機転を利かせて情報を持ち帰ったじゃないか。
立派な大功だ。
彼の働きがあったから、私たちはすぐにメイリーの居場所を知ることができたし、迅速に行動することもできたんだよ。
まあ、到着したときにはメイリーが自分の手でだいたい解決しちゃってたけどね。
これはこれですごいけど、私たちが行かなかったら侯爵がスカウトに動いたかもしれない。
もし私が彼の立場だったら、年俸に金貨千枚積んだって惜しくないよ。
「よくやってくれたよ。ミヤ。きみに百万の感謝を」
「恐縮です。メイリーさまのためならば、この命いつでも投げ出す所存」
ん?
心構えは立派だけど、いまなんかおかしくなかった?
たしかこいつは白の軍の一員だよな。
忠誠を向けるべきは、国だったり騎士団だったりするわけで、メイリー個人ではないよね。
でも、民を守るために軍は存在してるんだから、あながち間違ってはいないような気もするし……。
「ぬう……」
ジェニファを見る。
なんか笑っていた。
「だいたいあっている。メイリーを守るということは、白の軍を守るのとほぼ同義だからな」
そうなの?
もっのすごくウェイトが高くない?
いちおうあいつ自身は、無位無冠の民間人よ?
騎士の娘だったり、隊長の恋人だったりするだけで。
まあ、部下たちが命がけで私の恋人を守ろうとしてくれるのは、素晴らしいことなのだろう。
きっと。
「隊長」
和気藹々とした空気を破り、隣室から顔を出すパリス。
表情に漂う緊張感は、なんか既視感があった。
キメラ事件のときだ。
あのときも、彼はこんな顔をしていた気がする。




