予兆 7
四翼と大臣では、後者の方が格式が上だ。
宮廷序列に従えば。
軍務大臣がいて、その下に軍務監がいて、さらにその下が四翼なのである。
で、国務大臣というのは大臣連中のトップだ。
四翼が国務大臣に対して上意命令を使うというのは、じつはおかしい。
しかし、なんといっても私たちは戦闘部隊を掌握している。実力行使、という手段が取れるのだ。
だからこそ、平時においては大臣たちの下風に立っている。
武力を背景に口を開いたら、国の体裁が保てないからね。
もし門兵が冷静だったら、国を割るつもりか! とか怒鳴り返しても良かったのだ。
そしたら私は、そうだと応えただろうけど。
ややあって、こけつまろびつ戻ってくる門兵。
なかなかに気の毒な役回りだ。
私はまったく同情しなかった。
メイリーを誘拐した連中の仲間である。
斬って捨てなかっただけでも、自分を褒めてやりたいくらいだ。
「ご、ご案内いたします! どうぞこちらへ!」
緊張しまくった声。
ふん。歓迎の準備は整っているってことかな。
いいだろう。
国務大臣ベローア侯爵。
来年の今日が、貴様の一周忌だ。
広大な敷地内を進む私とロバート。
私にとっては恋人を、彼にとっては娘を取り戻すための戦いだ。
相手が大臣だろうがなんだろうが関係ない。
屋敷も、庭に相応しい広さだ。
成金趣味なところはなく、空間というものを贅沢に使った造り。
廊下に敷かれた絨毯とかだって、すごい金がかかっているんだろう。
場合によっては、住人どもの血で真っ赤っかに染め上げてやる。
案内されたのは大臣の私室ではなく、大食堂であった。
そして、地獄のような光景が展開されていた。
それは私の想像していたものとは、まったく異なった地獄である。
「なんだこれ……?」
「メイリーの技が炸裂した結果だな。わたしも目を疑ったが、同時に理解もした」
隠形を解いたジェニファが、私の横に現れる。
「兄ちゃん!」
食堂の隅から声が聞こえた。
私のメイリーの。
一直線に駈けてくる。
もちろん私も駆け寄り、柔らかく抱きとめた。
「助けにきたぞ!」
「怖かったよおおお! あんちゃぁぁぁぁん!!」
泣いてる。
呼称も兄ちゃんにもどっちゃってる。
よほど不安だったのだろうな。
涙と鼻水が軍服につくが、それはどうでも良い。
「大丈夫か? ひどいことをされなかったか?」
鉄灰色の髪を撫でながら。
感動の再会だ。
問題は、テーブルに突っ伏したり、天上を仰いだりしながら泣いてる男たちである。
なにやってんだろう? こいつら。
馬車に押し込められたメイリーは、じたばた暴れたりはしなかった。
隠し持った懐剣の位置を確かめたのみである。
騎士の娘だ。
敵に捕らわれる覚悟はできている。
騎士の恋人だ。
辱めを受けるより前に自らの命を絶つ覚悟だってできている。
しかしそれは、状況を見定めてから。
自分が誘拐されたと知れば、必ず恋人が助けにくる。
殺されたかに見えたミヤ隊員。
じつは死んでいないことがメイリーには判った。
団体戦での演技力を見ているから。
彼は必ず白の軍に報せてくれる。
恋人や父が動くまでの時間を稼がなくてはならない。
沈黙を保ったまま馬車は走る。
流れが変わったのは、何処ともしれない屋敷に連れ込まれてからだ。
壮年の男性が現れ、涼皮の秘密を訊ねたのである。
これには、さしものメイリーも面食らった。
貴族の娘を誘拐までして料理の製法を知ろうとする。
意味が判らない。
判らないが、恋人がなにかの工作をおこなった結果あろうとは予想できた。
器を回収するため軍務省に行ったとき、オフィスに大臣たちの昼食があったことを思い出す。
あれは美味しくなかった。
せっかくの素材を台無しにしていた。
もしあんなのばかり食べてきたのだとすれば、涼皮に並々ならぬ関心をもっても不思議ではない。
チャンスだ、と、メイリーは考えた。
製法を教えないとか強情を張れば、尋問とか拷問とかされるかもしれない。
えろいやつとか。
読書の趣味がやや偏っている彼女としては、そういうのはちょっと遠慮したい。
ならば、料理を作って時間を稼ぐ。
時間がかかることを了承させ、材料を揃えさせ、彼女は厨房に立った。
救援が現れるまでの時間を稼ぐ、一世一代の料理を作るために。
そして厨房には、彼女の腕に応えられるだけの素材があった。
侯爵家の厨房である。
庶民のそれとは比較にならない。
涼皮だけでは間が持たないと考え、メイリーが選択したのはコース料理だ。
前菜からデザートまで続く料理の花。
絶対に生きて帰るという覚悟のもと、最初から本気モードのメイリー。
潤沢な食材。
侯爵家の人々は、一品目の前菜で心を奪われた。
スープで蒙を啓かされた。
メインティッシュで天に昇った。
デザートで神の愛を知った。
恥じた。
誘拐などという暴挙をおこなってしまった自分たちを。
コーヴの、否、ルーン王国の至宝に狼藉を働いてしまったことを。
泣きながら食事を進める男たちが不気味ではあったものの、メイリーは料理に手を抜くつもりはなかった。
涼皮が食べたいという希望にも、ちゃんと応えた。
そのために、コース料理の方はやや少なめに作っていたのだ。
ミシロム村のような辛い草はなかったが、厨房には香辛料もあった。
そして彼女の目を惹いたのは、新鮮な鶏卵。
屋敷の料理人に尋ねたところ、今朝採卵したばかりで、生で食べたって大丈夫とのことだった。
まあ、生で食べるような馬鹿な真似をする人間はいないが。
そこまで新鮮ならば、と、かねてより彼女が考えていた料理法を試すことにした。
沸騰しない程度のお湯で、卵をじっくりとあたため、黄身のみを半熟にしたゆで卵。
半熟卵といったところだろうか。
これを涼皮にのせた。
とどめだった。
とろりとくずれる黄身が汁と混じり合い、えもいわれぬ快感を呼び起こす。
美味いという次元をこえ、侯爵家を打ちのめした。
さながら、神の雷のように。
涼皮を食べ終えた瞬間、ベローア侯爵もその家族も部下たちも、声をあげて泣きながらメイリーに謝罪を始めた。
「という光景が、わたしがここに入ったら展開されていたのだ」
「謎でしょ?」
ジェニファとメイリーが口々に説明してくれたため、私は事情を察することができたわけだが、
「アホですね。国務大臣」
思わず声を投げかけてしまった。
「すまなんだ……すまなんだ……」
涙を流し、両手をすりあわせて詫びてる。
いまさらいうまでもないことだが、メイリーは料理の天才である。
しかも努力を惜しまないタイプの天才だ。
ちょっと手慰みに作った程度のピンチョだって、コーヴの民の胃袋を鷲掴みにしたのだ。
本気で相手を籠絡するつもりで、本気で腕をふるった料理なんか食べたら、カタチだけの美食家なんぞ、ひとたまりもない。
「大臣閣下。私の恋人を拐かした罪、絶対に許されるものではありません。その命で償っていただく」
「かまわぬ……儂はそれほどのことをしてしまった……」
「と、いいたいところですが」
抜いていた剣を、私は鞘に戻した。
充分に反省してるみたいだしね。
「ウズベル卿……」
「ただ、ぜんぶ笑って水に流すというわけにもいきません。私の部下も大怪我をしましたし」
「そうだ! ミヤさんは!?」
はたと気付いてメイリーが叫ぶ。
ようやく判断力が戻ってきたのだろう。
生きて帰るという一心で、料理魔神と化していた状態から。
「大丈夫だよ。私の回復魔法で、もう落ち着いているから」
「良かった……て、兄ちゃん!? 髪!?」
「魔力を使いすぎただけさ。何日かすれば元に戻るよ」
「無茶をして……」
ぐいぐいと抱きついてくる。
バカだな。メイリー。
きみを助ける戦いに、無茶も無理もあるもんか。
一緒なら空だって飛べるって、私は思っているんだよ。
恋人の髪を撫でながら、埒もないことを考える私であった。




