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予兆 6


 軍務省を出たところで、メイリーはミヤに鉢合わせた。

 というより、隊長オフィスまで案内した後、ミヤはそこで待っていたのである。

 荷物運びを手伝うために。

 五十人分の器だ。

 いくら手押し車があっても、メイリーひとりでは手に余るだろうと考えた。

 このあたり、白の軍の兵士たちは伊達に何度も野営でメイリー軍団を手伝っていない。

 すごく気がきくし、優しい。

 心遣いに感謝したメイリーは、ミヤと連れだってロウヌ家を目指した。

 ちなみにミヤ隊員は勤務中である。

 ここまで堂々としたサボりは、ちょっと珍しいだろう。

 軍務省からロウヌ邸まで、ゆっくり歩けば半刻(一時間)ほどの道のり。

 その最中に異変が起こった。

 貴族街の一角。

 屋敷と屋敷とが充分に離れ、無粋な壁など作らなくても、その距離によってプライベートが守られているような場所だ。

 猛スピードで突っ込んできた馬車が、ミヤを跳ね飛ばした。

 メイリーが悲鳴をあげるよりはやく、キャビンから降りた男どもが彼女の腕を掴んだ。

 最初の一撃で瀕死の重傷を負ったミヤだが、なんとか立ち上がり誘拐を阻止しようと奮闘した。

 しかし多勢に無勢。

 あちこち骨折し、無数の打撲で化粧した彼では、いかに正規軍の一人とはいえ、どうしようもなかった。

 斬られ、刺され、どちゃりと地に倒れる。

 暴漢どもは、ミヤが死んだと思ったことだろう。

 そう見えるように演技したとも知らずに。

 団体戦(トゥルネイ)の練習で鍛えた死んだ真似(・・・・・)だ。

 メイリーをのせた馬車が走り去る方向と、車体に刻まれた紋章を、彼はしっかりと記憶した。

 そして急を告げるため、ロウヌ家へと歩き出した。

 全身を数ヶ所に渡って骨折し、数十に及ぶ刺し傷と斬り傷に彩られた姿で。

「なんという無茶を……」

 ことの顛末(てんまつ)をききながら、私はミヤの傷を癒してゆく。

 いくつかの臓物が傷ついているし、左腕は千切れかけ、右手は指も欠損している。

 生きているのが不思議なくらい、というより、どうして死んでいないかと首をかしげるような重態だ。

 彼を支えたのは精神力。

 必ず生きて情報を持ち帰るという覚悟である。

 私はそれに報いなくてはならない。

 絶対に。

「万物に宿る精霊たちよ。友たるウズベルに力を貸せ」

 左手に灯る魔法の光。

 右手ではすでに回復魔法を使っている。それに加えて精霊魔法による治療をおこなうのだ。

「若。なんて無茶を」

「黙ってろ。ロバート。集中が乱れる」

 二種類の魔法がミヤを癒し、傷をふさぎ、失った部位を再生させてゆく。

 同時にふたつの魔法を操るなど、魔導師(ソーサラー)クラスだって滅多にやらないような難事だ。

 魔法騎士(マジックナイト)の私では、明らかに荷が勝ちすぎるが、そんなことをいっていられない。

「隊長……」

「大丈夫だミヤ。白騎士の称号は伊達じゃない」

 安心させるように笑ってみせる。

 たぶん私の金髪からはどんどん色が失われているだろうけど。

 魔力の使いすぎで。

「……馬車の紋章はベローア侯爵家のものでした……去っていったのは別邸の方角かと……」

 絶え絶えに報告してくれる勇士。

 国務大臣ベローア侯爵。

 昼間、私とリリエンクローン公爵にやりこめられた、あの男だ。

 私への恨みつらみで暴発したか。

 いや、それはないな。私とメイリーが恋人であることを、ヤツは知らない。

 もちろん隠れて交際しているわけでもないので調べればすぐ判るだろうが、今日の今日でさすがに調べはつかないはずだ。

 となれば、狙いは涼皮か。

 器をとりにきた女性を料理人か、その助手だと考えて誘拐した。

 そんなところ。

 思考を巡らせながら一応の処置を終え、私は立ちあがった。

 銀に染まった髪が夜風になびく。

「……いく気ですかい? 若」

 ロバートの問いかけ。

「ああ」

 ごく短く私は応えた。

 すぐに助けるぞ。私のメイリー。

「若が動くのはまずくねえですかい? 大臣と百騎長の争いなんて」

 国を割る事態だ。

 責任のある四翼がやるような真似じゃない。

 四翼には四翼のやり方がある。直接乗り込むなど、騎士の戦いではないだろう。

「立派な騎士として行動する。たぶんそれには万金(ばんきん)の価値があるんだろうな。けどロバート。一人の男として恋人も助けられないとしたら、私にはいったいいくらの価値があるんだ?」

「若……」

「その程度の男を、お前は息子と呼んでくれるのか?」

 にやりと笑ってやる。

 同じ表情を、ロバートも浮かべた。

 どんと胸を小突かれる。

「まだ息子と認めたわけじゃねえですぜ」

 ロウヌ家の使用人にミヤを託し、私たちは夜のコーヴへと歩き出す。

「もちろん、わたしも同行しよう」

 屋敷からジェニファが出てきた。

 すでに戦装束を調えて。




 私が訪ねたことのある貴族の屋敷といえば、アクセル伯爵のそれが記憶に新しい。

 ベローア侯爵の別邸は、そのアクセル伯の屋敷よりさらに大きく、広大な敷地を持っていた。

 侯爵と伯爵。

 (きざはし)がひとつ違うだけだが、格式も財力も権力基盤も、おおきく異なっているのである。

「この広さでは(しらみ)潰しにするというわけにもいかぬか」

 ふむと形の良い顎を右手で撫でるジェニファ。

「いや、それでかまわないさ。屋敷にいるものを皆殺しにすれば、その中に誘拐犯は必ず含まれているからな」

「落ち着かれよ。ウズベル卿。冷静な貴殿らしくもない」

「私は落ち着いている」

「魔力切れで魔法も使えない、屋敷の構造も把握していない、敵が何人いるかも判らない、そんな状態で正面突撃を敢行しようとする男が落ち着いていると? 新しい辞書がいるな」

 ぽんとジェニファが肩を叩く。

 ぐっと言葉に詰まる私。

 しかし、正面から返せ戻せと叫ぶわけにもいかない。

「わたしが忍び込もう。貴殿とロバートどので注意を引いてくれ」

 そうだった。

 彼女の特技は隠形(おんぎょう)

 まったく違和感なく、周囲に溶け込むことができる。

 不可視(インビジブル)の魔法ではない。

 目には見えているのだ。

 ただ、人はそこにジェニファがいることに違和感をおぼえない。むしろ気にしない。

 いるけどいない。

 そんな状態になる。

「では私は、正面から問いかけよう。白の軍の隊長としてな」

「ギュンターがいれば良かったんですがね。やつのかわりは俺がやりやしょう」

 ロバートが副官役だ。

 大きく息を吐いて、侯爵の別邸へと歩み寄る。

 そして、門を守る私兵に来意を告げた。

「百騎長のウズベル・オルローである。この屋敷に我が軍の関係者が連れ込まれたと通報があった。役儀により、あらためさせていただく」

 依頼ではなく、宣言だ。

「な、なにをいって……?」

 狼狽する門兵。

 とぼけているのか、本当に知らないのか、私には判断がつかない。

上意(じょうい)である」

 思い切り尊大な口調で言い放つ。

 上意というのは、ようするに上位者の命令だ、という意味。

 理由を求めるのは無駄だし、そもそも失礼に当たる。

 王国の四翼というのは、じつは上意命令を出せる格式があるのだ。

 国王陛下に直奏(じきそう)する権利を持ってるくらいだからね。

「な、なんと! し、しばし! しばしお待ちを!!」

「長くは待てぬ。早々に主人に伝えるが良い」

 上意に逆らうというのは、ルーン王国に反旗(はんき)(ひるがえ)すのと同義だ。

 ゆえに、門兵ごとぎでは判断できない。

 慌てたように敷地内へと入ってゆく。

 隠形したジェニファと一緒に。

 もちろん門兵は彼女の存在に気付いていない。

 私とロバートしか視界に入っていなかっただろう。

 作戦開始だ。

 無事でいてくれ。メイリー。

 ぎり、と、私は奥歯を噛みしめた。

 もし彼女にかすり傷ひとつでも追わせていたら、絶対に許さないからな。国務大臣。


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