彼女は天然! 3
「物足りなかったね。反省反省」
「いやメイリー。気にしないでくれ。充分に旨いから」
「いい若いもんが遠慮しちゃダメだよ」
そういって席を立つメイリー。
君は近所のおばちゃんかい?
テーブルの大皿に積まれたパンを二つ三つもち、厨房へと向かう。
そもそも私は二十四だ。
十代の少年のような旺盛な食欲というのとは、少しばかり遠くなっている。
「なんです若? 遠慮なんて言葉を憶えたんですかい? 猪口才ですねぇ」
私が小賢しいのではなく、貴様が食いすぎだ。ロバート。
四十代も後半になってどんだけ食うつもりだよ。
太るぞ。このドワーフ野郎が。
「上司に対する言葉遣いではないな。ロバート」
「メイリーと結婚したらあんた俺の息子ですぜい。それはそれで楽しい未来図ですなあ」
楽しくない。
まったく心躍らない。
全力でご遠慮申し上げしたい。
やはり早いうちに斬っておくべきか。
「つまり私は、家庭での鬱憤を職場で晴らせるというわけだな。こき使ってやるから覚悟しておけ」
「じゃあ、その鬱憤は家庭で晴らしてあげましょうかい。若に安眠の日はきませんぜ」
「ふふふ……言ったからにはやってみせることだな」
「くくく……そっくりそのまま若に返しやすぜ」
不気味な笑いを浮かべながら、二人とも椅子の横に立てかけてある剣に手を伸ばす。
心温まる人間関係だ。
なんで父上は、こんなやつを私の傳役にしたのか。
幼少期にこいつに育てられたら、人格が歪んでしまうではないか。
私はそうならなかった理由は、三割は私が人格者だったからだ。
七割はメイリーがいたからだ。
やはりメイリーはすごい。
こんなやつの娘にしておくのは惜しい。
私の妻になって欲しいな。
「ほんと、兄ちゃんと父ちゃんは仲良しだねー」
謎のセリフとともにメイリーが食堂に戻ってきた。
手に皿を抱えて。
君にはこれが仲良しさんに見えるのかね?
良い魔法医を紹介しようか?
「はい兄ちゃん。父ちゃんもまだ食べるでしょ」
それぞれの前に置かれるパン。
「ふむ……焼いた雉肉を挟んだのか?」
「まあね。時間がなかったから簡単に」
「いただこう」
手づかみして口に運ぶ。
メイリーが作る料理だ。警戒心などまったく湧かない。
何を食べても美味いに決まっているのだから。
「ぬお……これは……」
そしていつも、期待は良い方に裏切られる。
やや甘みのある黒っぽいソースと、黄色味がかった少しだけ酸味のある白いソース。
うまい。
「東方から渡ってきたソイソースってのをベースに、ちょっと甘みを足して、ビネガーと卵黄で作ったソースと合わせてみたんだよ。けっこう攻撃的な味になるっしょ?」
「うん。すごいな。がつんときた」
歯応えのある雉肉ともぴったりだ。
そしてこれまた歯応えのあるパンがソースを吸い、しっとりとした食感となっている。
官能すら呼び覚ますほどに。
「これ。こないだからおめえが研究していたソースか? メイリー」
「だよ。父ちゃん。なんとか満足のいく出来になったから使ってみたんだ」
「うめえな……なんぼでも食えそうだ」
「良かったよ」
「けど気に入らねえ。なんで若なんかに一等先に食わせてやんだよ」
「家族だからに決まってんじゃん。父ちゃんの嘘で、ホントの兄妹じゃないって判ったけど、兄ちゃんは兄ちゃんだよ」
ふんすと鼻を鳴らすメイリー。
嬉しい。
この上なく嬉しいがメイリーよ。私が欲しいのは、家族愛でも兄妹愛でもないのだよ。
わかっていただけるだろうか。
……無理だろうな。
にやにや笑っているロバート。
殴りたい。その笑顔。
「それなのだがな。メイリー。真剣に考えてはもらえぬだろうか。私との結婚のことを」
くそオヤジをとっちめるのは後刻としても、きちんと意志を疎通しておきたい。
メイリーとは。
真剣に娶りたいと考えていることを知っておいて欲しいし、彼女にもそのことをちゃんと考えて欲しい。
いますぐに答えが出るような問題ではないとしても。
「うーん。まさか兄ちゃんが兄ちゃんじゃなかったてのは、考えたこともなかったんだけどね」
兄と結婚したい妹は、存在しないとは言い切れないだろうが、たぶん少数派だと思う。
兄弟姉妹など縁の薄いもの。
必要以上に親愛の情は抱かないし、また情が移るといろいろ問題もある。
それらはときに競争相手だったり、明確な敵だったりするからだ。
騎士位でも爵位でもいいが、相続できるのは一人だけだから。
自分は家督を継ぐ気なんかないよーんと言ったところで、相手がそれを信じるとはかぎらないし、信じたとしてもいつ気が変わるか知れたものではない。
であれば、のちの禍根となる前に殺す。
高尚でもなんでもない話だが、べつに珍しくもない。
ただ、あんまりにも家督争いに熱中しすぎて、王国政府の怒りを買い、家そのものが取りつぶされた、なんて話も良く聞いたりする。
どちらにしても、たいして心楽しくない未来図だ。
「判っている。結論を急くつもりはないんだ」
「まあ、私に嫁の貰い手があるなんて、びっくりではあるんだけどね」
メイリーが笑う。
豪快に。
「こんな体型だしさ」
「なにを言っているのだ。メイリーは太っているのではない。健康的なのだ」
自嘲気味の言葉にかぶせるように、私が言う。
視線の隅で、ロバートが大きく頷いていた。
むしろ貴婦人たちの細さの方が病的なのだ。
ごく若いうちから無理な減量をおこない、コルセットなどで過剰に胴を締めあげて細く見せる。
そうまでして宮廷貴族たちの気を惹きたいということなのだろう。
こればかりは価値観の問題なので、私が文句を言う筋ではない。
ただ単に、そのような貴婦人たちより自然体のメイリーの方を好ましく思っているというだけ。
「目も一重で、ぱっちりしてないしね」
「それは思慮深げな黒曜石のような瞳というのだ。でかくて青ければ良いというものではない」
またもかぶせるように言う私と、頷いているロバート。
共同戦線だ。
この点について、私もロバートも一歩たりとも退くつもりはない。
女性の価値とは外見に由来するものではないのだ。
「兄ちゃんも父ちゃんも、そんなに頑張って褒めなくたって、ご飯減らしたりしないよ」
からからと笑うメイリー。
まったく、ぜんぜん彼女は判っていない。
「まあこのまま行かず後家ってのもあれだし、兄ちゃんがもらってくれるなら、それはそれで良いんだけどさあ」
いや。そんな簡単に決めないでくれ。
君と私の人生ではないか。
昼食のメニューを決めるみたいな感覚で選ばれたら、ちょっと哀しいぞ。
とはいえ、先述の通り、結婚というのは家と家との結びつきだ。
本人の意志が介在する余地というのは、あんまりなかったりする。
とくに貴族社会では。
メイリーの例でいうと、いつまでも独身というわけにももちろんいかないので、いずれは家柄の合う相手と結婚することになる。
嫁ぐのか、入り婿するのかは、ちょっと未知数だが。
「だめだだめだ! なんで若なんぞにメイリーをやらにゃならん!」
私の無作為な思考を圧して、ロバートの声が響く。
またか。
本気でめんどくさいぞ。くそオヤジ。
「なにいってんの父ちゃん。今までとなんも変わんないでしょ? ホントの息子が義理の息子になるだけなんだから」
「な!?」
「へ?」
間の抜けた声を出すロバートと私。
こいつの息子になった憶えは、まだないのだが。
「いっつもいってんじゃん。自慢の息子だって。兄ちゃんは俺の誇りだって」
「いってない! 俺はそんなこと言ってないもんね!」
あたふたとロバートが叫んでいる。
えー?
なにそれー?