キケンなオンナたち 6
「兄ちゃんってさ。じつはバカでしょ?」
メイリーが言った。
私がアクセル伯爵の屋敷に赴いた日から数えて十日後のことである。
アイシア嬢に咎めはなかった。
ほぼ計算通りだ。
もちろん私や白の軍にも処罰はない。
流れたのはあくまでも噂であり、なにか証拠があっての深刻な疑惑ではない。
風聞をもとに、貴族や百騎長を処断することなど、できるわけがないのである。
どうよ?
この深慮遠謀。
そんな私をつかまえてバカとは、我が乳兄妹はとても辛辣だ。
泣いちゃうぞ?
「バカっていうやつがバカなんだぞ。メイリー」
ふんすと鼻を鳴らす私。
「そもそもさ。この一件で、兄ちゃんはなんにも得をしないじゃない。それなのに駆けずり回ってさ」
メイリーが肩をすくめた。
だって仕方ないじゃない。
乗りかかった舟だもの。
アイシア嬢は充分に苦しんだ、と私は思う。
これ以上、彼女を責めるべきなにものもないだろうと。
「あげく、上役からお説教とかされたんでしょ?」
「まあ、誤解を招くような行動は慎むようにって、軽く注意されただけさ」
優等生という看板が、こういうときに役に立つ。
私は、父親をうしなって困じ果てているアイシア嬢を助けるために一肌脱いだ。
ただそれだけ。
それを宮廷雀どもが、おもしろおかしく騒ぎ立てたにすぎない。
軍上層部は、そのように解釈した。
これもだいたいは計算通りだ。
はあああ、と、メイリーがため息を吐く。
おいおい。
そんな残念そうな目で見ないでくれよ。
誰も傷つかない良い手じゃないか。
「兄ちゃんは傷ついてるじゃん。変な噂まで立てられて」
「それを含んでの計算さ。私がちょっと恥をかけば丸く収まるのだからな」
「それがバカだっていってんのに」
「無駄だメイリー。ウズベル卿はこういう御仁だと、きみは昔から知っているだろう」
口を挟むのはジェニファである。
この大柄な美女まで、なんか疲れたような顔をしている。
私は、信用できる連中にことの顛末を説明した。
どのような情報工作をおこなうかまで含めて。
パリスとロバートは、無言で肩をすくめたのち、それぞれの役割を果たしてくれた。
具体的には、アクセル伯爵領が安堵されるための、さまざまな政治工作だ。
文句は出なかった。
ぶーぶー言ったのは、メイリーくらいだ。
まあ、ジェニファも微妙に同調しているけど。
「ひどい目にあった女性を、自分が利用されかけたからという理由で見捨てるようなお人ではない。吟遊詩人騎士にとっては、この程度の泥など被ったうちに入らぬのだろうよ」
「お? 褒めているのか? ジェニファ」
「いいや。まったく。ただの皮肉だ」
ひどい話である。
まあ、吟遊詩人騎士とかいっている時点で、褒めてないのは明白だよね!
「兄ちゃんが強い人なのは知ってるよ。昔からね。でも憶えておいて。いくら強くても、傷ついて良いって話はないんだよ」
「メイリー……」
「家族が傷ついて嬉しい人はいないんだよ。他の誰が傷ついたって、ひどい目にあってたって、兄ちゃんが傷つく方が私は哀しいんだよ」
「いや、メイリー。それは」
「判ってる。ただのわがまま。だからこの話はこれでおしまい」
にぱっと笑う。
きっと、たくさんの言いたいことを飲み込んでくれたんだろうな。
私の天使はそういう女性だ。
だからこそ、今後は心配をかけないようにしないと。
「判ったよ。メイリー。以後気を付ける」
「よろしい。晩ご飯たべてくでしょ?」
「むろんだ」
わだかまりを解く笑顔を、私も浮かべた。
「ええ……」
なぜか不満そうな顔をするジェニファ。
「ウズベル卿が混じると、わたしの取り分が減る……」
すこしは遠慮しろ。
お前さん、まだ軍務についてないのよ?
ただの無駄飯喰らいなのよ?
一日、私のオフィスに客があった。
それ自体は妙でも珍でもないが、訪れた相手がアイシア・アクセル伯爵では、ちょこっと政治的な意味合いがでてきたりする。
「ウズベル卿。此度の骨折り、感謝の言葉もございません」
深々と一礼する女伯爵。
「顔をあげてください。私はたいしたことをしておりませんよ。アクセル伯」
もうアイシア嬢とは呼べない。
ここにいるのは、私よりはるかに格上の貴族なのだから。
くすりとアクセル伯爵が笑う。
「本当に、貴方は奇妙な御仁です。物堅いのか柔軟なのか、近くで見ていてもさっぱり判りません」
「褒め言葉ですか? それ」
「妾としては、最上級の賛辞を送ったつもりなのですが」
嘘くせー。
こんな賛辞があるかよー。
そもそも、私は他人がいうほど真面目ではない。
必要な儀礼を、必要程度に守っているだけだ。
内心では、けっこう他人の破滅を願っていたりする。
たとえばロバートとかのな!
なんとかあのくそオヤジをぎゃふんと言わせる方法はないものか、いつだって考えているのだ。
「それで、伯爵閣下が軍務省に何用でしょうか」
「もちろん、お礼を申し上げるためですわ」
「わざわざありがとうございます」
「というのを口実に、惚れた殿方にお別れを言いにきたのですわ」
冗談めかして肩をすくめる。
私に惚れた腫れたとかいうタワゴトはともかくとして、アクセル伯にはもう恋愛の自由はない。
伯爵家の当主の結婚というのは、そのまま政治だから。
仮に、私に対してアクセル伯が恋愛感情を持っていたとしても、その恋は絶対に成就しないのである。
伯爵ともなれば諸侯の位。それが王国正規軍の四分の一を指揮下に置く百騎長と結婚する。そんな事態になったら王国政府が黙っていない。
国を割る事態に、容易に発展してしまう。
地位があがればあがるほど、自由からは遠ざかってゆくものだ。
もちろんアクセル伯は、知っていてその道を選択した。
世を儚むのであれば、父親を殺害した時点で自らの命も絶ってしまえば良かったのだ。
そうしなかったのは、家族や家臣の人生を背負う覚悟を決めたからである。
茨の道と知りつつ。
私は彼女の選択を笑うことも蔑むこともできない。
だから、
「それは残念です。私が釣り上げかけて逃がした魚は大きかったですね」
微笑してみせる。
「まったくですわ。日ごと夜ごとに後悔に苛まれればよろしいのですわ」
アクセル伯も、微笑んでみせた。
二人の物語はこれで終幕である。
もともと接点がほとんどなく、今後の関係もない。
人生という航路が、ほんの一瞬、交錯しただけ。
そういうものだ。
「いつまでもご壮健で。アクセル伯」
「貴公も。ウズベル卿」
「美男美女の別れのシーン。なかなか絵になりますが、少しお邪魔します」
わけのわからないことを言いながら、隣室からパリスが姿を見せた。
口調とは裏腹に、目は真剣である。
もちろん私は怒らなかった。
変事あらば、たとえ情事の最中でも駆け込むべし、というのは騎士だろうと貴族だろうと常識である。
悪い報告だから後に回すというわけにはいかないのだ。
軽く頷いたアクセル伯が、一礼して退室する。
ここから先は武人の領分。
彼女に出番はないし、聞いて良い話であるとも限らない。
「何があった? ギュンター」
扉が閉まったのを確認し、私は副官に問いかける。
「幕引きくらい、しっかりと決めさせてあげたかったのですが、申し訳ありません」
「いいさ。私じゃたいして気の利いたことも言えないしな」
「キメラが出ました。コーヴ市中に」
「馬鹿な。誤報ではないのか?」
思わず自分の耳を疑った。
合成獣の研究。魔術協会が禁じた魔法の中でも、最大級の禁忌である。
二種類以上の生物を合成し、あらたな生命体を生み出す。
あまりにも人倫にもとる行為。
「事実です。すでに犠牲者も出ております」
「なんてこった……」
沈痛な面持ちの副官に、私は頭を抱えた。




