エピローグ
「お疲れ様」
私はエミリーに声を掛けた。
エミリーは帰ってくるなり、急いで浴場まで入ろうとした。
私は呼び止めたが、そこで後悔することになった。
「う、臭い……」
血の匂いが凄かった。
衣装こそ、おそらく持っていた予備の着替えでだと思うが、髪は金髪だと辛うじて分かるくらい、血塗れて変色していた。
海で洗ったのだろう、パサパサに見えるが、色までは落とせていないようだった。
軽く潮の香りも混じって、それは凄い異臭となっていた。
「お風呂、入ってくるから。報告は後で……」
エミリーはそれだけ言うと、浴室に消えていく。
一時間経っても出てこず、ずいぶん長風呂だった為、私も風呂に入ろうと考える。
エミリーは嫌がるだろうが、この期に親睦を深めようと思った。
さっきの匂いが鼻の奥に残っているが、それよりエミリーとのお風呂は魅力的だった。
偏見は無いが、断じて……私は同性愛者ではない。
「エミリー?入るよ」
お風呂は、何人でも入れそうな程広い。
シャワー設備がいくつもあり、共同浴場と言われた方がしっくり来るくらい。
「……」
特に反応がなかったので、私は風呂に入っていく。
丁度シャワーを浴びて、風呂に入っているエミリーがいた。
「怪我はない?」
エミリーに近づくと、冷たい目線を向けてきた。
「打ち身くらいで、大丈夫よ」
見ると、わき腹のあたりが、青黒く痣になっていた。
「全然、大丈夫じゃないじゃない。残ったらどうするの?」
距離を詰めようとすれば、ささっと距離を開けられる。
これくらいの距離が、近づいて良い距離なのだろう。
なんだか猫のようだった。
とりあえず、近づくのは止めた。
「敵の大将が変だった。あれは、騎士の剣だった」
そこで、わき腹を押さえるように手を当てたエミリーは、傷を庇うように少しだけ背を丸めた。
よほど痛いのか、痣が残ったら大変だと思うが、エミリーは気にしてないようだった。
「……騎士?」
「何と言うか……、我流じゃなくて、正面から敵を打ち据えるような太刀筋。……それも、騎士団長クラスの強さだった」
私は言われても分からなかったが、エミリーが言うのであれば、おそらく正しいのだろう。
そうなると、名の通った人物である可能性は高いが、今となっては分からない。
「この傷なら多分、直るから。心配ない」
それだけ言うと、エミリーは黙って湯船に浸かった。
エミリーは体を隠さないが、それでも筋肉質でありながら、女性らしさが失われていない。
適度に丸みがあって、服を着ている時よりも胸が大きく感じたのは、気のせいか。
風呂を出ると、私達は少し早い夕食を楽しむ事にした。
「三つの島の住人は、ほぼ殺しつくした。居たとしても、ごく僅かな生き残りくらい」
エミリーの仕事が片付いたのは、見れば分かる。
彼女が失敗の報告を恐れるような、無能にも思えない。
出来ないことは出来ないと言うし、断言したという事は確実なのだろう。
「ありがとう。残り4日くらいは、自由にして良いから。後は私の仕事だから」
「じゃあ、先に帰ってもいいかしら?」
「それは……、帰りも一緒に連れて行って」
「冗談よ」
冗談になってないから、この少女の言葉は計りづらい。
それでも、後は私の仕事だった。
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「ミアさん」
私を偽名で呼んでくるのは、数日前に会った女性。
海賊の娘の宝物の中にあった指輪の、持ち主の片割れである女性。
「これを」
懐に入れた巾着袋を開けて、女性に指輪をひとつ渡した。
「どこで……!」
女性は手を出すと、大切なものを確認するように、隅々まで見ていた。
名前が彫られていて、過去に語ってくれた女性の、恋人の名前であった。
「海賊を殺したとき、これを持っていた。その海賊が、娘に送った盗品の一つよ」
「……!」
女性は目を見開いた。
唖然としながら、どこか遠くを眺めるように聞いていた。
自信の恋人が殺され、それで奪われた指輪を、娘にプレゼントする親の感性を疑ったのか。
それとも渡されて喜ぶ、自分達では作れなかった『家族の姿』を羨んだのか。
私には分からない。
「そして、これが娘の日記。このページに受け取った事が書かれていた」
私が血塗れた手で触ったせいで、血の手形が付いている。
女性は躊躇するように、しかし私の示したページを見始めた。
「……」
言葉を失い沈黙した。
丸みを帯びて書かれている文字は、小さな女の子の文字だと、一目で分かった。
「この日記の持ち主は?」
「殺しました」
「そう……ですか」
しばし目を閉じて、黙祷を捧げるかのような様子で、一分ほど口を噤んでいた。
「……ありがとうございます」
それだけ言って、頭を下げてきた。
「貴女の敵、横取りしたけど、良かったの?」
「……私では、その身まで届かなかったと……思うから」
納得したような目、歯切れの悪い言葉。
私は復讐者ではないから、気持ちなんて分からない。
「指輪と日記は、貴女にあげる。焼くなり捨てるなり、自由にして良いわ」
そして私は、立ち去った。
振り返ることはなく、ミシェルの待つ宿に行く。
今回の仕事、私の担当は終わったのだ。
残り少ない休暇を、どう過ごすかだけを考える。
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ただ一つ、海賊の頭領の出自だけは謎だった。
この国の騎士のもので、騎士と言えば、大半が成った時点で貴族位を与えられる。
そんな剣の使い手が、海賊に身を落とすなんて話を、聞いた事がない。
あれほどの剣の腕、何か陰謀があるのか、それとも偶然か。
それを考えながら、その日は眠りに落ちていった。
いつか、私の咎が裁かれる日が来るのか。
それは、今の私には分からなかった。