旅行計画
「エミリー、聞いてる?」
前にもこんな光景を見た記憶がある。
隣から私を呼ぶ声が聞こえるが、意地悪で無視をする。
「ねえ、聞いてる?聞いてないよね?」
「……聞いていません」
ミシェルという少女は毎日、飽きずに話しかけてくる。
少し前までは、正体を探りに来たが、最近はそれも無くなった。
当然だ、露骨なコネを使って、正体を突き止めたのだから。
「(じー)……」
育ちは良いはずなのに、無視したりすると、とても面倒くさい性格をしている。
首を傾げながら、覗き込むように私の視界に入り込んでくる。
心のメモに、面倒な特徴を書き記した。
「何?今忙しいんだけど?」
仕事中は、極力敬語を使うようにしているが、彼女が友人として話しかけてくる際は、タメ口で対応している。
「だから!今度、新しく出来たお菓子屋に行こうよ、って話」
「いつ?どこのお店?」
「来週、ここからは遠いんだけど、東の港町。数ヶ月前に出来たお店。とっても美味しいんですって」
港町とは……、少なくとも馬で移動したとしても、数日は掛かるような場所である。
この世界では、馬が主要な移動手段であり、魔物を使役する場合もあるが、速度に大差は無い。
馬の時速が4~50キロ程度だったと聞いた事があるから、それ程、早い訳じゃない。
時速と言っても、夜間は移動できないし、動物だって休ませながら走らせなければ、すぐに潰れてしまう。
そういう意味では、実質的な速度は、もっとゆったりとしている。
「連れて行ってよ」
「は?」
「だから、あんな早く移動できるなら、半日も掛からず行けるでしょ?二、三日くらい休み取ってさ、二泊三日くらいで遊びに行きましょ?」
これは、あれかもしれない。
まだ怒っているのだろうかと、うんざりした気持ちになった。
事の発端は、『裏の任務』の際、彼女を置き去りに、片道で一週間以上も掛けた場所から半日で帰還した事にある。
空を飛び、時速は人の身で300キロ以上は出ているし、私以上に移動できる人物は、おそらくこの世界に居ない。
「うーん……」
休みを取ること自体は、それ程、難易度が高い訳じゃない。
だが、この少女と一緒に、それも私の魔法を使って行くという事実が、どうしようもなく面倒だった。
「駄目?」
上司に魔法を使う事を止められて居る訳ではないし、ミシェルは仮にも正体を知ってる。
暗に、肯定をしないだけで、事実上はもう誤魔化せない。
しかし、癪な感情もあって、素直に頷くのも気持ちが許さない。
「私の最速、見たい?」
ニヤリと、口の端を上げて語る。
「……見たい」
ニヤリと、ミシェルも同じ顔をしていた。
だが、彼女には地獄を見てもらおう。
私の速度は、そんなに甘くない。
興味本位でつついた箱は、パンドラだったと後悔してもらおう。
それだけ話すと、ミシェルは静かにしてくれた。
おかげで、仕事は捗るし、特に問題はなくなった。
「今日の仕事、終わりましたから、帰りますね」
「じゃあねー」
ミシェルは、机に向かいながら、適当に書類を片付けていた。
机の上には最近発売された、恋愛小説が置いてあって、ちょくちょく読みながら仕事を進めている。
そして、私は退出間際に呟いた。
「ミシェルさん、前日の食事は控えめでね。当日の朝も、少なめで」
「え?」
後ろ姿に隠れてはいたが、私は確かに笑顔をしていた。
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今は、変装はしていない。
髪は茶色で、瞳は深い青色をしている。
茶色をベースとしたフード付きマントで、ローブのような格好をしていた。
その下に、皮の防具を着ていて、冒険者と言っても差し支えない格好と自負している。
「待った?」
ミシェルは同性同士、まるでデート中の男女みたいな事を言ってきた。
私がじと目で見ると、余所行きの笑顔を前面に出してくる。
それを見ても、煩い以外の感想を抱けなかった。
「……食事は控えめにしてきた?」
「え?一応……」
ミシェルは、流行りの女性向け旅人服を着ている。
ストールのような、長めの布を羽織り、腰にはレイピアのような細身の剣を指している。
黒いタイツを履いていて、太もものラインが一目で分かる格好だが、露出自体は非常に少ない。
「じゃあ、町を出たら飛ぶから、それまで徒歩で移動しましょう」
浮かれ気味なのか、先日の格好に比べて、お洒落を徹底している。
「私、友人と旅行に行くの、初めてなんだ」
「あら、奇遇ね。私もよ」
「口調、いつもと違うね?」
「プライベートじゃ、こうなの。失礼なら、改めるけど?」
「いや、結構よ。むしろそれが良い!」
「はぁ……」
気さくと言えば聞こえは良いが、馴れ馴れしい。
好奇心が強く、知りたい事を図々しく聞いてくる。
知識欲の塊で、ミシェルの場合、仕事は趣味と実益を兼ねていると言っても、過言ではない。
「寄って。飛ぶから」
「はーい」
腕を組んできた。
振り払うが、奇しくもミシェルの腰を抱くように、その身を抱える。
「舌、噛まないで」
身を屈め、重力の干渉をカットする。
空を飛ぶ魔法は、ふたつの魔法で出来ている。
対象(範囲は曖昧に指定できる)の重力を切り、その身を浮かせる。
次に、その対象に指向性のある力を加え、空を飛ばす。
ただし欠点があり、体感では重力感覚が消えるため、指向性のある方向へ、落下するように感じる。
そのせいで、もの凄い恐怖感が、その身を支配する。
「消えろ、わが身よ」
普段は詠唱なんてしないが、私が作った透明化の魔法、ミシェルが驚かないように呟いた。
すると、腕も体も、全てが透明となり消えていく。
渾身の魔法で、光を操り透明となる魔法で、意外な事に消費魔力は少なかった。
「……」
五分後、最初は賑やかだったミシェルは、沈黙していた。
黄色い悲鳴が、絶望の悲鳴に変わり、それが沈黙に変わるのにさして時間は掛からなかった。
例えば、50メートルのビルから落下する時、落下まで3秒ちょっと掛かり、落下速度は複雑な計算の元、時速100キロに達すると言われる。
対する私は、100メートルを一秒で飛翔する。
単純に、時速360キロを出していて、知覚するもの全てが一瞬で過ぎ去っていく。
人は物凄い速度で落下したら、意識を失う者もいる。
絶叫マシンで意識を失う者も居るし、恐怖への耐性によって、逆に平気な者もいる。
耐えられる恐怖の種類は違うし、高所は大丈夫でも、それより水を恐がる者も居る。
「高い!すごいわ!」
最初こそ喜色を示したミシェルは、未だ知らなかった。
そこがトップスピードではないと言う事に。
「嬉しそうね。……じゃあ、もっと速度を乗せるわ。心して」
「え、ちょっと……あ、……いやああああ」
ミシェルの悲鳴が耳に残っていた。
それだけで、この旅に付き合った意味があると、そう思えた。
「……」
その結果が、ぐったりと力を失った少女である。
後で、恨み言を言われる気がするが、今は顔がニヤけるのをとめられなかった。
「私にも、こんな感情が残っていたのか。友達をからかう、こんな感情が」
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「起きろ、ミシェル」
「……」
ぺちぺちと、頬を叩く。
実際やってみると、化粧が手に着いて、汚い。
私自身、この体になって化粧をしたことはない。
少なくとも、外見を気にする職業ではなく、今はしなくとも見栄えは悪くない。
任務上も邪魔になるなら、最初からしない方が良い。
最も、前世では学生だったから、化粧は入学式や卒業式、イベントがある時くらいしか、縁はなかったけど。
「起きろ、ミシェル」
今度は、胸倉を掴んで揺らす。
そうすると、うっすらと目を明け、起きたようだ。
口の端から、涎が少し垂れているのが、可愛い見た目なのに台無しだった。
「気分はどう?」
「……良い訳ないでしょ?エミリー……」
口元を親指で拭い、ミシェルは手に着いた薄い口紅を、ハンカチで拭った。
「根性が足りないんじゃない?あれくらいで気を失うなんて」
「……鬼畜ね」
私は最初から平気だったが、多くは訓練しなければ、耐えられるものではない。
それを口にするほど、私はミシェルに優しい訳じゃない。
「それは、先に意地悪をした諜報官様が、言えた義理じゃないでしょ?」
「貴女って、ずいぶんと根に持つタイプなのね」