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primo movimento(第1楽章)-c

新進気鋭の作曲家で編曲家の三月田一希。こっそりボカロPやってます。

そんな彼が高校時代、初めて作ったボカロ曲を高遠野さんに聴いてもらおうとCDを渡してしまったのが前回。


コンビニまで僕は駆けた。

体が勝手に動いた。

何だコイツと思われたに違いない。でもきっと、あのCDを聴いているに違いない。

どんな顔をしてるだろう、どんな風に彼女の耳に響いているんだろう。

聴いてられるかって数秒で停止ボタンを押されているかもしれない。本当に気に入らなかったら。僕だってきっとそうする。

でも最後まで聴いて欲しい。いや聴いてほしくない。

汗が吹き出ているのは暑さのせいだけじゃない。

コンビニの冷たい空気も僕を冷やしてはくれない。

ドリンクコーナーの冷蔵庫を開ける。一層冷えた空気が僕を包む。

ポカリを2本取り出して、静かに扉を閉める。パタン。

落ち着け、落ち着くんだ。

えーっと、戻ったらなんて言おう。

これ、僕が作った曲なんだ。

それだけでいい、それだけで、いいのに。胸の中の空気で喉が圧迫される。

いつまでもここで時間を潰しているわけにはいかない。

ああ、早く家に帰ってシャワーを浴びたい。パンツまでぐっしょりだ。

精算をすませ、自動ドアから出るとフィールドが変わったように日差しが肌を刺す。たしかにコンビニは涼しかったんだ。僕が勝手に暑かっただけで。

歩幅がいつもより狭い。

こんなに怖いの、コンクール以上だ。

あんまり出ないけど。

順位とか気にしないから、コンクールって緊張してなかったわ。

高校入試も気を抜いていたわけではないけれど、怖くなかった。

入学式では、新しい世界に飛び込むんだっていうワクワク感はあったけれど。


こんな怖かったことはない。


怖さと期待と、落胆に備える

気持ちの安全装置を起動させてる。

ゲートを抜けて校内に戻る。

すぐ横で自転車が止まった。

「よ! 三月田。まだ帰ってなかったのかよ」

「お、おう」

「俺、今から塾!」

チャリに乗ったまま田村は手を振って去っていった。

校舎の中、日の当たらない階段の壁だけはひんやりしていて。

足が重い。腿が持ち上がらない。

教室が近づいてくる。少しずつ。僕が近づいてるはずなのに、向こうが迫ってきているように感じる。

勇気を。

どうか僕に勇気を。

CDは渡してしまった。プレーヤーも渡した。

カバンは教室に置いたまま。

入らないことには家にも帰れないし、これからの人生どうしようもない。

教室の中には高遠野さんがいる。帰ってはいないと思う。


息を止めて、天井を仰ぎ見、僕はガラリと扉を開けた。

イヤホンをしたまま、逆光の中の高遠野さんはこちらを見た。帰ってなかった。

顔が影になっていて表情はわからない。

「おっと、お帰り」

イヤホンを外しつつ、彼女は停止ボタンを押した。聴いてくれていたんだ。

僕はゆっくり窓際へ歩み寄る。

「あー、あの、ポカリ買ってきた。飲む?」

何言ってるんだろう、もっと聞きたいことがあるのに。言葉が上手く出ない。

舌がもつれそうだ。

「え、いいの?」

「暑いし」

「おごり?」

「うん」

「じゃあ今度はあたしがなにかご馳走するよ」

そんなのいいのに。僕はここから逃げてただけなんだから。

「ひやぁぁぁ、冷たい。気持いいや」

彼女はペットボトルの白い蓋を回した。プシュって音がした。

「ねえ、三月田」

「ん」

「このCDってあんたオススメの曲なん?」

ごくごくごく、と瞬く間にポカリの量は減ってゆく。彼女の喉を通ってゆく。

僕はどう返事をすべきか、目線が泳ぐ。

高遠野さんはシャーペンで机をトントンしていた。

「聴いたことない曲なんだけど、何コレ。誰の曲?」

あ……僕の曲です。聴いたことなくて当然です、すみません。

「もうびっくりしたわ。1曲めとか何よこれ。ファランドール聴いた時みたいにドキドキしたわ。ほんと。もう3回聴いたわ。今4回目」

「ファラン……?」

「『アルルの女』のやつ」

そしてファランドールの出だしを歌い始めた。

う、わ……

なんて綺麗な歌声なんだ。高遠野さんの声はもともと透明感があるっていうか、響くっていうか、とにかくすごく綺麗なんだ。

音楽の授業で合唱してても、彼女の声ならすぐに聞き取れる。何人で歌おうと彼女の声だけはわかる。

他に誰もいない教室で、僕にしか聞こえない声で、『アルルの女』を歌う彼女。

誰得って僕得。

「今、あたしの目覚ましファランドールなんだよね。朝っぱらからこれなんだよね。うるさいけどテンション上がるよね」

てへ、と笑う。

え。

目覚ましにそれってことは、嫌いな音楽じゃないってことだよね。僕の曲をビゼーにたとえてくれた??

「すごい好きだわ。この……出だしっていうか詳しい言い方わかんないけど半分よりちょっとあとの、こう音が静かに降りていく感じ? そこがすごいいい。すごい好き」

僕は目をまんまるにして彼女を見つめていた。硬直してた。止まってた。

「何ぼーっとしてんの。汗ぐっしょりよ。熱中症じゃないでしょうね」

そう言って手持ちのポカリを僕の首筋に当てる。あまりの冷たさに心臓が止まりそうになった。

「死なないでよぉ。でさー、2曲め? あれは何?」

高遠野さん、声のトーンが急に下がった。

「曲はめっちゃいいのに、声はなんなの。気持ち悪くてごめん、1番しか聞けなかった」

2曲めって……あの。あの、それはですね、実は。

「3曲めも。なんで? なんでアレなの? 普通に人が歌ったらきっととても素敵なのになんで? 勿体なすぎない? キーキーっていうかピーピー音。不自然すぎるというか、これ加工しすぎじゃない??」

「あの、それ……」

「『ワレワレハウチュウジンダ』なコンピュータボイスの方がよっぽど自然!」

……。

…………。

こんなバッサリとボーカロイドをdisる人は初めて見た。

2曲めと3曲めはボカロを使った曲だったんだ。

ネットでも確かに性に合わないんだろう、気持ち悪いっていう書き込みはちょこちょこ見かけるけども、目の前で言われると結構くる。

「うわー、ほんっと悪いんだけどあたし無理。1曲めだけは何もかもすごい好きだけど」

「あの……」

「あんたは聴いててキモいとか思わなかったの?」

えーっと、僕はなんと答えればいいんだろう。

脳内の語彙引き出しをひたしら開け閉めする。

「大丈夫? 顔青いよ。ポカリ飲みなよ、やっぱ熱中症なりかけなんじゃない」

高遠野さんは僕のポカリを開栓して、むんずと突き出した。

僕はそれを受け取り、しばらく見つめてから口を開いた。

「あのね、高遠野さん」

「ん」

ペットボトルに口をつけたままの彼女に、僕は意を決して告白した。

「僕が、作ったんだ」

「ん?」

「これ、僕が作った曲なんだ」

「んん?」

「3曲とも、僕作品」

今度は高遠野さんの動きが止まった。

おそろしく長い時が過ぎた。

「この、ファランドール……?」

「……うん」

「ファラン?」

「うん」

「ピーピーコンピュータボイス……」

「……僕。そういうソフトがあって」

ひっって彼女は言った。言ってから、

「えええええええええええええっ」

って校舎中に響きそうな声で叫んだ。



なんともマヌケな言葉のやり取りの後、少々冷静さを取り戻した僕らは着地点がわからないままペットボトルを右に左に持ち替えていた。

「コンピュータボイスは、ボーカロイドって言うソフトでね。最近話題になってるやつなんだ。人の声をひとつひとつ録音して、パーツみたいにして、自在に操れるようにしたもの」

「ふむ」

「歌が苦手な人とか、歌って貰える人がいないけど曲を作ってみたい人とか。DTMで完結させたい人とかにとって夢のソフト。完売続きだったんだけど、こないだやっと手に入れることができて」

「DTMって」

「デスクトップミュージックの略。パソコン内で完結する音楽」

「シンセサイザー駆使してパソコンで音楽作っちゃうみたいな?」

「それ」

高遠野さんの目がキラリと光った。興味があるって証拠だ。やった!

「ボカロ……ボーカロイドっていうのは本当に画期的で。電子の歌姫って言われてて」

携帯で画像を呼び出す。

「この子が歌ってる設定」

 高遠野さんが顔を寄せて携帯画面を覗き込む。近い、近い!

「……キモくない?」

…………この段階でキモいと言われたら、僕はもうボーカロイドをどう擁護すればいいのかわからない。

人の声をひとつひとつ採取して、いじれるようにして、単純でインターフェイスも簡略化され、誰でも音楽に触れられるようにした、本当に画期的で素晴らしくて未来しか感じないこのソフトと、ブルーグリーンの髪の女の子の設定というのが、




      一般女子には無理なもんだったのか。




気持ち悪いと言わせてしまった半分以上は、僕の技術不足のせい。素人だしな、それは重々承知している。

それ以前に、僕は根本的なことを失念していたのかもしれない。

高遠野さんはマニアックな趣味があるわけでなく(多分)、ごく一般的な女の子だ(おそらく)。

普通に読書もするし、携帯も駆使するし、漫画もアニメも見るし、かわいいもの好きだろうし、でも。

ああ、こっちの世界の常識は彼女の世界と相容れないものだったのか。

彼女もオタクは痛い人って思っちゃう人だったのかな。

ボカロ動画巡回するような人間、ドン引きって人だったんだろうか。うん、確かにそういう人きっといっぱいいると思う。そもそも日がなPCに向かってるとか健全な高校生かと問うたら、6割方は「えー」って言うだろうし。え、僕変態? 変態だったの??

ああ。高遠野さんは音楽って面で話が合うと思ってたんだけど、彼女の中で僕はちょっと無理な人になっちゃったのだろうか。

あれ、さっきまであんなに暑かったのに、なんでこんなに寒いんだろう。

うるさかった蝉の声も聞こえない。校舎ってこんなに静かだったっけ。

「あのさー」

空っぽになったペットボトルで、高遠野さんは僕の頭をポンポンと叩いた。

「みーつーきーだー?」

口の中がカラカラだ。ああ、僕はきっと嫌われたんだ。CDなんて聴いてもらうんじゃなかた。渡すんじゃなかった。なんてこった。

高遠野さんと席が前後になって、小学生の頃から封印してきた音楽の話ができるようになって、毎日楽しくてしようがなかったのに。

終わったんだ。

もう終わったんだ。

「どしたの? 三月田」

顔を上げるとそこには笑顔の高遠野さんがいて。

「ごめん、今、あたしすごいディスったよね。ごめん」

「あ……」

「でもさ、何も声にこんなキャラつけなくてもいいんじゃない? 単品で勝負すればいいじゃない。なんで媚びてんの?」

高遠野さんが何を言ってるのかわからなくて、僕はただ彼女を見つめた。

「特定層に媚びてる、みたいなのがあたしはいやだな。声も加工しすぎてやだな。ほら、ストリングス(弦楽器)とか不自然でしょ。シンセサイザーのって」

シャーペンの芯をノックしてへこませてから、彼女はペンケースにしまった。

「あの加工されたストリングスは、部分的に使うからこそ効果的なわけで。全面に押し出されても不自然さが際立つだけじゃない。ピアノの音はうちのクラビノーバですらかなり質が向上したと思ってるけど、でもどこかおかしく感じることがある。肉声らしいのも内蔵されているけど、やっぱ妙だし」

父さんの部屋にクラビノーバがあったのを思い出した。「VOICE」は古いSFの宇宙空間みたいな音だったな。フアアアアー、ハアアアアアーって感じで。

「三月田、アンキャニーバレーって知ってる?」

「?」

高遠野さんは続けた。

「ロボットとか人工物を人に似せようとして、似せすぎて恐怖や不快感を与える事象。本物じゃないのに本物じゃない違和感。『不気味の谷』とか言ったかな」

彼女の言いたいことがなんとくなくだけどわかってきたような気がする。

「ひょっとして物珍しいからこういうのが一時的に流行るかもしれないけど。でもこれが主流になるとは思えないな。よほどよほど上手に扱わないと。音の不自然さに本能で拒否反応を示す人も多いと思う。それでは音楽じゃない。音を楽しめない。もしかして時代の過渡期かもしれないわ。うまく扱える人がいなければ、過渡期を乗り越えることすらできないかもしれない。もっともっと、とんでもなく録音と加工技術が進歩する日まで」

彼女は感じたことをそのまま僕に伝えてくれているんだと思う。

彼女の感性は多分本物。そういえば高遠野さんはリコーダーだってチューニングする人だった。少しの音の具合も納得しない。もちろん彼女一人がアルトリコーダーのチューニングをしたって、他の大半が行ってないんだから合奏の音が美しくそろうはずもない。とりあえずAの音はAに聞こえるからって理由で音楽教師も気にしやしない。プロになる生徒なんてまずいないわけだし、そこまで求めたってしようがない。

でも彼女はアルトリコーダーを組み立てながらこっそり調整してる。見ちゃったから、僕。

高遠野さんの体には音が染み付いているんだ。多分、細胞の一つ一つに。

「三月田」

 彼女はまっすぐに僕を見つめた。

「あたしね。あんたの音、好きだわ」

ウッ。

体中の毛穴という毛穴に針が刺さったような痛みが走った。雷に撃たれたら多分こうなるだろう。

えーっと、高遠野さんは今、なんて言った?

「あんたの音にこの電子音は合わないわ。この空から降ってくるような天上の音にコンピュータボイスはそもそも合わないと思う。ジャンルが違う。もし、あんたがこのボーカ……?」

「ボーカロイド」

「ボーカロイドが好きで歌わせたいなら、この分厚くって透明な壁をぶち破ることね。

でなけでばあんたの音楽に合わせないで。ほんともったいない。もしくはあんたがこの子に寄りそうか」

そういってニヤリと笑う。

「あんたがそこまで歌姫を育てることができるんならね」


 育てるってことを『調教』って言うんだってことは流石に言えなかった。



あれから何度も何度も緑色の髪の歌姫を調教、いや、調節し、高遠野さんが「聞くに堪えなくはない」レベルまで持っていくのに15日かかった。睡眠時間削って調整した。ボカロの調節だけじゃない、アレンジも徹底的に変更した。

それを毎日毎日聴いてもらった。

「だから好みではないってば」

そう言いながらもダメ出しをしてくれた。

やっとOKをもらったその作品は、動画サイトにアップした。

初投稿の曲はなかなか人の目にはつかなかったけれど、誰かがオススメしてくれたのをきっかけにランキングトップ10に入った。




高遠野さんがあの時言ってくれた、僕の音が好きという言葉。

あれが全てのはじまり。

僕に生きる勇気をあふれさせた暑い日のことは、多分一生忘れない。


「ファランドール」というのはビゼーという人が作った組曲「アルルの女」にあります。すごく有名なので、よろしければ検索してみてください。きっとご存知だと思います。素敵だよ。


次回投稿のお知らせはTwitter(@khronos442)にて随時行います。

多分、現在の三月田君話になると思うよ!(おもうよ!) お楽しみに。

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