Il movimento finale(最終楽章)
最終話です。
お元気ですか。
僕の、
僕らのコンサートが近づいてきました。チケットをお送りしますので、よろしければ来てください。受付で名前を言ってくれればスタッフ証が出るように手配してあります。バックヤードに入れますので、興味がありましたら。
あなたに聴かせたい音楽があります。
聴いていただければと思います。
僕があなたにできることはとても少ない。
これが精一杯かと笑われるかもしれないけれど、あなたに伝えたい。
美容院につれていかれた。
スーツを仕立てた。これら全部経費で落ちるからいいものを選べと言われ、でも、と言い返したら付いてこられた。香田の見立てはたしかだ。いいものに仕上がった。スーツを仕立てるなど、成人式以来だ。
今回、一希の楽屋は一人部屋だ。今回の主役なんだからという。監督やプロデューサーはどうなるんだと申し出てみたが、見た目の問題だからとわけのわからないはぐらかせ方をされた。主役はアニメそのものじゃないかと思うが、たしかに「音楽コンサート」と名付けられているのだからそういうものかな、となんとか納得してみた。
スタッフや声優さんたちとの挨拶も終えた。リハーサルも無事済んだ。中には泣きながら演奏しているヴァイオリニストがいた。一希はタクトを振り終え、涙でアイラインが流れた彼女に一礼した。ああ、こんな風に心に自分の音を刻んでくれる人がいる。そのことがとても嬉しかった。お化粧崩した申し訳ない気持ちとともに。
そして実家のピアノを任せている調律師さんに、今一度舞台上に設置したスタインウェイ(事務所所有)の最終のチューニングをしてもらう。彼は三月田家の好み、一希の好きな音を知っている。今日のコンチェルトの話をし、合わせてもらう。もっと右に、ふわっと、など抽象的にすぎる要求に応えられる数少ない調律師だ。
一希にアプローチを続けている女性声優が相変わらずもつきまとっていたが、さすがにこれは監督が追い払った。「気を散らせるんじゃねぇ」 怒鳴りつけられた声優は涙目で逃げていった。顛末はあとでSNSにアップされるかもしれないが、そんなことをしたら彼女の仕事がなくなるだけだ。この監督はチャラ男っぽいが、かなり業界での顔が利く。悪い子じゃないんだけれど、若さゆえの猪突猛進型で随分損をしているように思う。方向さえ間違えなければ大成するタイプではないだろうか。
一希の父は海外出張、母もついて行った。姉夫婦は含み笑いをしながら欠席を申し出た。子供ができ、体調が思わしくないらしい……というのは表向きの理由だなと一希は踏んだ。企んでるときの顔だった、あれは。「どうせBlu-rayで出るんだったらそれで見るわ~なんかめんどくさいしぃ」らしい。弟の晴れ舞台は別にどうということはないらしい。学生時代に一希が出ていたコンテストには来るなと言っても押しかけていたものなのだが。
観客が入るまでのひととき、一希は会場をひとめぐりすることにした。階段をのぼり、客席へ。ロビーには山のようなダンボール。会場限定グッズなどが運び込まれている。商売上手なものだ。ちゃっかり一希が今まで出したCDも並ぶ。香田所長がこのチャンスを逃すわけがない。壁にはイラストレーター描き下ろしのポスター見本に手書きの料金表。ざっと計算するとかなりの金額になる。マニアは全て買うのだろうか、出費だろうにと一希は思う。好きとはそういうものか、何かにのめり込めるのは素晴らしいことだとも思う。自分とて珍しい楽器をみかけると欲しくて仕方なくなることがある。民族楽器であるとか、新しい音源であるとか。特定のアニメにのめり込むのも同じ事かもしれない。
静かなこのロビーが喧騒にまみれるまであとすこし。
楽屋。テーブルの上にはスマートフォン。
「どうもありがとう」
花からの返事はそれだけだった。
彼女は来てくれるのだろうか。
そうであればいい。
連 絡が途絶えている間、彼女に何があったかは知らない。聞くこともしない。彼女が言わないでいるのだから、尋ねるべきではないと一希は考えていた。
花は来てくれる。
そう思った。
会場のざわめき。
にぎやかに踊る空気。
スタッフの走る音。
紛れる場内アナウンス。
開幕までもう時間がない。
呼ばれて一希は舞台袖まで急ぐ。金色一色の派手すぎるスカートスーツの香田が親指を立ててニカッと笑う。誰もあの衣装は止めなかったのか、ただでさえゴツい男がスパンコールスカートスーツって、あれどこに売ってたんだ。一希の脳内のクエスチョンマークが湧き出てくる。さっきまでグリーンのスーツだったはずなのに、あんな隠し玉持っていたのか。恐ろしい。
監督の挨拶に続き、プロデューサー、キャラクターデザイン・メカニックデザイナー、メインキャラの声を宛てた声優が3名と紹介されていく。プロデューサー・デザイナーが退場したあと、声優による朗読ドラマが始まる。
少し明かりが落とされ、一希が舞台中央へと歩いていく。
その時、会場がどよめいたように思えた。
なぜなら、カズくんが輝いていたから。
人前に顔を出すのは、コンテスト以来初めてだって言ってた。自己主張はあまりしない人だもの。目立つのはあまり好きではないって。音楽以外ではね。
それに彼はとても格好がいい。ご両親やお姉さんもとても綺麗だけれど、カズくんもとても整った顔立ちをしている。スタイルもいいし。多分、あの人が自分で思っているよりずっと。会場にいる人はきっと、予想外の見た目にびっくりしたんだと思う。
でも、きっと。輝いているのは外見のせいじゃない。そうじゃなくって、だってあの人は作り出す音楽そのままのとても素敵な人だから。お人好しで優しくて、人に迷惑をかけるのがこわくってなんでも抱え込んでしまう意地っ張りで臆病な人。その実すごく頑固で、いざとなったらとてもとても強くて。
ずっと助けてもらってた。あの人はわたしを助けたことなんてないと思ってるに違いないけれど。あなたの存在がどれだけわたしを力づけてくれたことか。
家のこと、学校のこと。就職のこと。仕事でのこと。未来への焦燥感。不安感。過去への悔恨。きついなあと思ったらあなたに話した。だいぶんとぼかしたり、ぜんぜん違う話題にしてたけど、どんなに忙しくっても話し相手になってくれた。締切は?ってきいたら2時間語って言ってたこともあったわね。あのときは本当にごめんなさい。知らなくって。
ああ、音がはじまる。
Aの音。2点ハの音。たんたんたんたん。OP曲だね。何度も聴いたよ。一番奥に設置されているスクリーンにアニメーションが流れる。ピアノとオーケストラの生演奏。そして生の歌。OPは声優さんじゃなくって、歌手の人を使いたいということで所長が見つけてきたって言ってたっけ。発声がぜんぜん違うからって。
ああ、カズくんの音だ。あの人の音が世界をつつむ。
わたしは両手で胸を抑える。息苦しくて。彼の音が全力でぶつかってくる。
OP演奏が終了した。
拍手の中、司会を担当している目立ちたがりの監督が一希と歌手を紹介する。一希はマイクを押し付けられ、挨拶をと促されるものの、
「三月田一希です。この度はみなさん、お越しくださいましてどうも有難うございました」
とだけ口にした。あとは話し上手の監督と歌手に任せて、客席を見回した。
彼女だ。
奥の関係者席。小さくともわかる。彼女だけはどこにいてもわかる自信があった。
どうか最後まで聴いていて欲しい。
一希は強く願った。
音楽を作っていた。
最初に作ったのは、覚えているのは4歳のとき。ピアノを習い始めたころだ。生まれて間もなくからピアノには触れていた。まだ歩けないころから、母に抱かれて鍵盤を叩いていた。
週に1度やってくる先生に、姉ともども習っていた。彼女が帰ってから、復習も兼ねてずっと鍵盤に向かっていた。思いつくまま、なんとなく曲になってくると姉がヴァイオリンをかぶせてきた。連弾になることもあった。それが楽しくて嬉しくて、しょっちゅう奏でていた。母や姉が気に入った曲は、すぐに書き留められた。その頃の曲は今でもインスピレーションの源流としてしばしば引っ張り出してきている。そして同時に簡単な編曲も教えられた。
幼いころの経験は、ずっと体に残っている。
高校生になって、デジタル音楽を覚えた。音源さえあれば、うちにない珍しい楽器の音も使える。そんな夢のようなことができるなんて。
ネットにアップしたらそこそこの評判となった。
調子に乗ったわけではない。未熟なのは十分承知していた。
でも、あの子に聴いてほしかった。
笑われるかもしれない、キョトンとして突っ返されるかもしれない。
彼女がCDを聴いてる間、そうポカリを買いに行って階段を登っていたときは、人生で一番大きく鼓動が打たれていたと思う。 世界から消えてしまいたいほどのいたたまれなさと、彼女の反応見たさがせめぎ合っていた。
ステージはどんどん進行する。
オケの紹介や、アニメの裏話。声優トークなどが続く。
一希に話が振られることもあったが、雑念をいれさせるわけにはいかないという監督の意向で、最小限に抑えられた。
そうしてついに最終楽曲の発表となる。
一希が書き下ろした交響曲だ。
曲を気に入ったスタッフの進言で、これに合わせて新規カットを含めたアニメ再編集が背景に流れることになった。
一希がピアノの横に立ち、客席に向かって一礼する。
アメリカから招聘したトランペッターと目を合わせ、右手を続いて左手を上げ、
下ろす。
トランペッターは目を閉じ、世界に最初の音を生み出した。
天より降り注ぐ喇叭の音。
カズくんがわたしに最初に聞かせてくれた音楽だ。
ネットにアップもしていない、私たちだけが知る音楽が舞台から流れてきた。
思わず両手で口元を抑えてしまう。声が出そうだったから。
涙があふれてしまったから。
彼のピアノの音が続く。わたしが大好きな音だ。カタカタ言わない、クセのない素直な音。きれいに和音がそろった音。
彼はピアニストとしても十分やっていけると思う。だけれど、作曲家として生きることにした理由は。
もしかしてわたしのせい? あなたの音楽がとても好きで大好きで、新しい曲を聴かせてくれるたびに大喜びしていたわたしの。おこがましい考えかしら。でも、もしそうだとしたらとてもうれしい。だってずっとあなたの音を聴いていたいと思っていたから。あなたと一緒に。
ね、カズくん。
祭の時間は終わってしまった。
なかなか席を立たない観客に対し、何度めかのアンコールで舞台に上がった監督が、出演者全員が出口でお見送り待機しているので早く帰ってね、撤収に時間かかると延長料金かかって大変なんだお察しください! などと言いながら追い立て、ようやく会場が空になった。
もうしばらくすると打ち上げを兼ねたパーティーが始まる。会場へ移動するためのバスが来ることだろう。
一希は舞台袖から観客席に下り、ずっと後ろからさっきまで自分が立っていた場所を眺めた。
あそこで、全てをさらけ出し、力の限りをつくし、演奏した。清々しい気分だ。
今日まで生きてきて、出来ることは全て出し尽くしたと自負できる。
クスリと微笑んで、一希は観客席を後に楽屋への廊下を進んだ。
目の端に映る、曲がり角に人影。
「あ……」
短くなった髪。一回り痩せた体。ふんわりとあたりを包む空気。
少し首をかしげて微笑む姿。
花だ。
スタッフ証を首からぶら下げて、一希を見つめている。
「花さん……」
一希は駆け出した。そして我知らず花を力いっぱい抱きしめた。
「カズ……?」
戸惑った表情を見せつつ、花もそっと一希の背に腕を回す。
「すごく素敵だった。かっこよかったよ、カズくん」
一希は花の頭を右の手で撫でながらぐっと体に引き寄せる。ピアニストの大きな手に長い指で。
「僕、やっぱり花さんのことが大好きだ。君がいたから……」
と、花がくすくすと一希の胸に顔を埋めながら笑いだした。
「花さん?」
大きな瞳をうるませながら花は一希を見上げた。
「やっと言ってくれた」
「?」
「わたしのこと、花って呼んでくれたの初めてよ? わたしを好きって言ってくれたのも。やっと言ってくれたのね」
「え?」
予想外の言葉に一希は目を丸くする。
「僕、言ってなかった?」
「ずっとあなただけ、高遠野さんって呼んでたじゃない。それに『僕は高遠野さんの声が大好きだ』とは、よく言ってくれてはいたけど。声しか好きになってもらえないのかと思ってたのよ」
「そうだった?」
自覚してなかった。それにしても高校1年製のころから、こんなに好きだったのに伝わってなかったのだろうか。
声だけじゃない、君の全てが大好きだと。
うふふと笑って、今度は花が一希を抱きしめた。
「そんなカズくんも大好きよ」
やがて体を離し、一希は改めて花の手をとった。細く骨ばってしまった手。
「痩せた」
「うん」
「体は」
「大丈夫」
「ほんと?」
「ほんとう」
不安げに一希は花を見つめた。
そのまましばらくたったところで、花が一希の頭をそっと撫でた。
一希は花の顔を両の手で包んだ。
「……君に、話したいことがいっぱいある。だから」
「えーっとあの、君たちィ」
ふいに後ろから声がした。
「パーティー会場への送迎バスが来てるんだけどね」
「監督!?」
「そろそろ乗ってもらわないとね。みんな待ってるんだよね。彼女も一緒でいいからさ」
いいオジサンである監督は、いたずらっぽくウインクしてみせた。
いつからそこにいた、どこから見ていたと一希は背筋が凍ったが、冷えた背を花が両手であたためた。
「わたしもあなたとたくさんお話がしたい」
「はい、お二人さん急いでくれるかなあ?」
一希は花の手を握り、花は一希の指と絡めた。
10年におよぶ春の予感は、ようやく花開こうとしている。
天から降り注ぐ喇叭の音。
それは祝福の音。
fine
ここまでお付き合いくださいましてどうも有難うございました。
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次の長いお話も準備中です。「なろう」以外でも書きますので、Twitter等でチェックしていただければ幸いです。
今後共どうぞよろしくお願いいたします。
佐藤




