terzo movimento(第3楽章)-a
花ちゃんからの連絡が突然途切れ、一希は落ち着きません。
三月田一希は、香田の事務所にやってきていた。
イベントの音構成について具体的な打ち合わせを始めるためである。直接の交渉は香田が仲介をし、監督やスポンサーに要望を伝える。一希が作曲編曲に専念していればいいように取り計らう。同時に彼は若手イラストレーター展の開催プロジェクトも進めている。海外から彼らにまわってくる注文も、香田とスタッフがうまく回しているのだ。
「展示会にはあんたの音楽使わせてもらうわね。金なら払う」
一希はいつも感心する。彼の手際に。
「さてさて、ここのオーケストレーション、手が回らなかったら誰かに頼む?」
「ああいえ、大丈夫です。それは自分でします。新曲の問題ですよね」
「若手新人使いたいってまた打診がきたわ。音源回ってきたから聞いといてね。一応、この子か、この子。どっちも歌が上手いわけではない。声優としても使いたいらしいのよ」
「はっきり言いますねぇ」
渡されたSDカードをノートPCに差し、ヘッドフォンで音声を確認する。
「……めっちゃありがち…」
「カラオケレベルよねぇ」
「っていうか、好きに作れってことで作りましたけど、この子たちの声域では無理ですね。2オクターブ以内にはしてあるんですけれど、作りなおさなきゃいけないですかね」
「誰か心当たりがあるんならこの子たち蹴っても構わないわ。あんたの音の価値を下げるようなことはしたくないからね」
最近の声で、最近の歌い方で。喉を閉めて出す歌声は、男女問わず一希の好みではない。タレント事務所としては、人気の作曲家を使って売り出したいのだろうが、1曲で消えていく可能性のほうがずっと高い。というわけで、作曲家にひたすら媚びる。お抱え歌手になれれば願ったりかなったり。実際一希が好んで使う歌手はやや年配の外国人が多い。その中に若手の女性歌手がもぐりこめればしめたもの、ということだろう。
「心当たりですか……」
思い浮かぶのはいつも1人だけ。断り続けられて10年になる彼女だけ。
作品のことは、依頼内容についてはいつも念頭に置いている。イメージはしている。しかし、彼女に聴いてもらいたいという気持ちは、あの人に喜んでもらえる曲を作っていたいということは変わらない。花の笑顔をずっと見ていたくて。
一希は胸ポケットのスマホに手を当てた。
その花から、ここ数日連絡がない。
今まで一度もこんなことはなかった。こちらからメールを送っても、電話をしても通じない。
彼女に何が起こったのか、不安が広がる。
「なあに、心配事? それはこの若手さんに対してかな、イベントに関してかな、プライベートかな」
目ざとく香田が声をかける。一希は静かに首を振る。
「この子たちを使うというなら、歌のレベルをごまかすために編曲mp相当工夫しないといけないなって。まあやれと言われれば仕事ですからやりますけれど、あの」
「ん?」
「こういう子たちに付きまとわれるの御免なんですけど」
くすっと笑って香田は一希の頭をくしゃくしゃ撫でた。
「OK。釘を差しておくわ。男にしか興味ないとか言っておきましょ。さて、と。お紅茶入れてくるわね。ケーキもあったかな。カロリー取りなさいよ、糖分取りなさいよ。脳の活動にどれだけの酸素と糖分が必要か、自覚なさい」
ウインクして彼が出て行くのを確認してから、一希はスマホを取り出した。
花からの連絡は、やはりない。
『あ? 何よ、珍しいわね』
電話の向こうで姉である瑞希は開口一番、こう言った。
『何かあったの? 一希』
事務所の廊下で、声を潜めながら一希は答えた。
「……高遠野さんから、何か連絡とかなかった?」
『ああああああああああぁ???』
すごい声がした。
『花ちゃん!? 花ちゃんに何かあったの? あんた何したの。花ちゃんになにしたの、え、何、どういうことなの!!』
「いやなにも……」
『何もしてないってそれはそれでアンタ』
「……連絡がとれない」
電話口で瑞希が息を呑むのが伝わってくる。
『どういうこと』
「わかんない」
『……アホか』
瑞希はぼそっと低い声でつぶやくように言った。
「……これから、えと、打ち合わせがおわったら、高遠野さんちに行ってみようと思うんだ。たしか最寄り駅は○○○だったよね?」
『いや、○○の方が近い』
「そう。僕行ったことなくて」
『ないんかい!』
そうか、姉さんにも連絡はないのか。
もし眼の前に姉がいたら、殴られたろうな。義兄にも相当締められそうだな、などと一希は考えてしまった。
「……女の子の一人暮らしの家になんて行けるわけない」
『ああもう。なんていうか、もうどうでもいいわ。住所はわかってんのよね?』
「うん。年賀状もらってるし」
『さっさと花ちゃんに顔面蹴られてこいや』
ブツっと回線が切られた。
そういえば、姉は勤務中だったなとようやく一希は気づいた。
近くまでタクシーで、そこからはマップを見つつ、一希は花の住む小さなマンションに辿り着いた。女性が1人で暮らしている家に訪ねるのは初めてだ。それも花のなんて、と、妙に緊張する。花の実家も訪ねたことはない。送っていったことは何度もあったけど。
いつも彼女が一希のところに来てくれていたから。実家にも、アパートにも。
そういえば、ボロアパートから今のマンションに移ってから、花が来たことがあったろうか。引越の手伝いで姉と当時婚約者だった義兄とともに来てくれただけで、それっきりではないか。
アパートにいたころは、頻繁にやってきた。いつも食べ物を持って。
あれはもしかして、哀れみだったのだろうか。すぐに飢えて死んでしまいそうな自分を見捨てることができなくて。
ただの同情で。
捨てられた犬の面倒をみるように。それだけの意味で。
よそのお宅に伺うときは、手土産をと躾けられてきたためになんとなく乾いたバウムクーヘンが(人気らしくよく差し入れでもらうので、間違いなかろうと)、何やら虚しさを醸し出していた。
そもそもこんな昼間に花が在宅しているわけもなく。
かといって、もし室内でなにかあったらという心配もあるわけで。
ああ、ままよ! と階段をのぼる。このマンションはオートロックでもないのか、それも一希の心をあおる。
3階の東側が花の部屋らしい。あそこを曲がれば、
と。
「高遠野さん……!」
花がいた。大きな荷物を肩にかけて、随分とやつれて細くなってしまった彼女が、下りてきた。
「 」
声もなく、花は肩からカバンを落とし、そのままこちらへとやってきた。
一希の腕を掴んで、無言のまま彼の胸に自分の頭を押し付けた。震えている。
「高遠野さん?」
返事はない。
どうすればいいのか、一希は腕をとられ、階段から落ちないようにするのが精一杯だった。花は全力で彼に凭れていたから。
「高遠野さん」
とられた腕を反転し、花の腕に触れる。アイロンのかかったブラウスは糊がきいていた。
どれくらいそうしていただろう。
不意に花の力が抜け、腕が解放された。
「ごめん、来てくれたのね。心配かけちゃったかな、ごめんね」
「いや、そんな、謝ることなんて」
花は何度も首を振っている。うつむいたままで。
「ありがとう……。もう少ししたら、きっと連絡するからね。ごめんね」
「高遠野さん、僕」
花は落とした大きなバッグを担ぎ、階段を下りていこうとした。
「持つよ、荷物」
「……ありがと」
振り返ること無く、花は走って行ってしまった。
バウムクーヘンは、渡せないままだった。
続きをどうぞ、お楽しみに。




