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Interlude~花 h

花ちゃん、トラブルに見舞わる編。


「花さん、重いでしょう。それ、僕が持ちます」

今年入ってきた後輩の星野が資料の入った紙袋を花から奪うように受け取った。

「そんな気を使ってくれなくてもいいのに」

「綺麗な先輩にそんな激重荷物持たせるわけにはいかないですから。花さんはケーキだけ持っててください」

「あらお上手」

「というか、僕、どう持ってもケーキとかそういうの、箱のなかでぐっちゃぐちゃになっちゃうんですよね」

二人は地下深く、階段を降りてゆく。今日は地下鉄移動だ。

「まあ、たしかに先様につぶれたケーキを持っていくわけにはいかないものね。……どうもありがとね」

星野はニッコリ微笑んだ。ああ、この子はたしかに営業向けだと花は思う。外国語に堪能なのはもちろんだが、仕事をモノにするには駆け引きが必要。条件だけじゃあない、最終的に人柄が左右することがとても多い。

この子はちゃあんと育ててあげなくっちゃ。

そういう気にさせる後輩だ。

「今日はタスクさんが先に入ってるって聞いてますけど」

「ええそう。地ならしっていうかな、あの人は以前にもTF社の仕事を請け負ったことがあるから。今回もおそらく大丈夫でしょう」

はぁぁー、と星野は感嘆の息を吐いた。

「タスクさんも花さんも、なんか桁がちがうっていうか」

「なあに?」

「僕らとは格が違うように感じます。いちいち契約取りにに行かなくっても、指名で入ってるじゃないですか。なのに、こうして現場に出て」

「現場の空気を知るのはとても大切なことよ」

「……そう言ってくれる先輩や上司ってあまりいないみたいですよ。大学の同期と話してもなんていうかその」

「職種によるわよ」

「なんですけどね」

地下鉄の扉が開く。星野は花を先に入れるようにしながらも、降車駅階段そばの席をさっさと確保して彼女を座らせる。構内チェックを済ませているのだ。その点にも花は感心する。

「僕は、この会社に入れて良かったと思っていますよ」

「厳しいのはこれからよ。覚悟なさいね」

二人並んで座り、モニターに流れるCMを眺める。女性向けの数々のアイテムの紹介を、よくあるタイプのアナウンサーの解説がテロップで流れている。

ああ、今はああいうのが流行ってるのね。いや、業界が流行らそうとしているのね。わたしには興味が湧かないけれど。

CMは世の中の流れを、空気感を知るのに役立つため、なるべくチェックをするようにしている。CMだけではない、町並みやネットで流れる数々のニュースにも目を遣っている。この積み重ねも経験値の一つだ。

「あの……花さん」

珍しく言いよどむ星野に花は首を傾げる。

「女の人は、ああいうのが好きなんですか」

「どうしたの」

「いや、僕、男兄弟で育ったもので、女性の好みがわからなくって。ケーキだって食えればいいってので振り回しては箱のなかでこう……」

とっくに内容の変わったモニターを凝視しながら星野はつぶやくように言う。

「残念ながらわたしの好みではないし、お国によっても人によっても『好き』は随分変わるからね」

「はぁ」

「友人には花を贈られるのが大嫌いって子もいる。枯れるし腐るし、捨てるのが面倒くさいって理由で。でも好きって子もいる。宝石やらなんやらより、潔く捨てやすいからって」

「今、僕、女性の暗黒面を覗いてしまった気がします」

クスクスと花は笑った。正直過ぎる反応だ。

「ついでに言うと、ケーキやお菓子も時々地雷になるのよ。甘いモノが苦手な女の子って結構多いんだから。名の通ったお店のだったら『一応』気遣いはしてるんだなって受け取りはするけれど」

「それなんて罰ゲームですか」

「これみよがしなのがダメなんだと思うわ。花やお菓子さえプレゼントしておけばいいって」

「花さんも?」

「あ……」

花は男性からもらったプレゼントを思い出す。思い出そうとする。確かレポートを手伝った時に、学食でお昼をごちそうになったことがあったな。

「モノ、もらったことほとんどない……」

「えええええええ!」

声を上げる星野に花は「しっ」と人差し指を口に当てる。

「花さんほどの方が、え? どういうことです?」

「うーん」

女同士のプレゼント交換やらなにやらはよくしている。でも男からというと。

徹底的に男避けに走っていたからか。

でも、どうして? どうしてそんなことを。

「それより、君はどうして急にそんなこと言い出したのかな」

話を逸らす。

「あ。えーっと、もうすぐ彼女の誕生日なんですけど、どうすればいいかなあって。社会人になったことだし、多少奮発もしたいなって」

「ほうほう」

「……幼なじみなんですけど、彼女、本当に物を欲しがらない子で。なんでも喜んではくれるんですけれど。ほら、女の人って演技上手いっていうじゃないですか。だからもしかして喜んでくれているふりを、って、あ!」

まずいことを言ってしまったと、一瞬で蒼白になる星野に花は噴き出した。

「わ、笑わないでください」

「ごめ、なんかかわいい。星野くんかわいい」

先輩に対して不貞腐れた顔もできず、睨みつけることもできず、星野は紙袋に入った資料の山をじっと見つめた。

花はあたたかく見守る。

「星野くん。もしかしてだけど、彼女は確かに欲しがらない女の子なのかもしれない。でもね、それは満足しているからかもしれないわ」

「え?」

「モノはお金で買えるわよね? 女の子でも結構がんばれば買えちゃうものって多いわ。だけど、それでは手に入らないものって世の中にはたくさんあるでしょう? あなたは彼女にたくさんいろんなものを、いつだってプレゼントしているのかもしれないわよ」

「花さん……」

「さっきだって、ほら。荷物持ってくれたじゃない。わたし、とても嬉しかったわよ」

ぱぁぁっと星野の顔が明るくなる。

「まあただ我慢強い子で、男がまるで気付かな不満がたまりにたまって、突然爆発するってこともあるけどねー」

「花さん!」

冗談よ冗談、と、冗談にもならないことを言いながら花は星野の背中を叩いた。大丈夫よ、君なら、君の選んだのならなんでも喜んでくれる。自分のために一所懸命選んでくれた、その行為が一番嬉しいんだから、と。



帰りは社用車でタスクと星野と花の3人が同乗した。運転はタスク、助手席には星野。後処理で荷物を広げるため花は後部座席でノートPCと資料を開いている。

タスクとはあれかな特になにもない。あくまで今までどおりだ。今までどおり。

花も、自然体で接することができている自分に驚いている。

返事を急かされるでもない。問われるわけでもない。

急に答えなど出せぬと承知しているのだろう。そこもタスクらしいと花は思う。

いつもと同じように挨拶をし、仕事をこなし。

星野は今日の成果を嬉しそうに最初からリピートしている。

屈託ない笑顔が、輝いて、見えた。




問題がおこった。

星野チームが担当した案件で致命的なミスが発覚したのだ。

翻訳の解釈が、一部根本的に違っていたこと。納期のミス。

あってはならないことだ。

星野は蒼白になって突っ立ったまま動けないでいる。小刻みに体が震えている。

「いい、俺がやるから」

タスクは星野の肩を優しく叩く。

「お前は出るな。いいね?」

部下のミスは全て上司であるタスクのミスである。補佐である花にも責任がある。

金銭でカタがつけばいいのだが、それでも8桁は下らないだろう。

「花さん、会議室までいいかな。ユウナも!」

「はあい、行っきますよぉ」

ユウナは場違いな明るい声で会議室に向かった。


「あー、なるほどね。こりゃあ新人さんが間違っちゃうのも無理はないわね。母国語じゃあないわけだし、っていうか母国語の人でもこの解釈は間違うことあるわよ?」

「文体が破滅しているから、翻訳は相当難しいのはわかるんですけど」

「チェック漏れだよ。俺も見たんだけどね、気付かなかった。悪い」

「わたしもこのページは見てなかったです。他の……ここと、ここ。このあたりは詳細にチェックいれてたんですが」

「ああ、どうりでスムーズなセンテンスだと思ったわ」

3人で大きなため息をついた。

「どうします? 社長案件に回すべきでしょうか」

「いや、そこまですると星野の首が飛ぶ。俺んとこでなんとか止める。先方とのアポは?」

「3時間後に」

「それまでに二人で完成品を用意しておいてくれ。何人使っても構わない。ただ完全なる『完成品』に仕上げてくれ」

「了解」

タスクは会議室を去った。

どこへ向かったのか二人にはわからない。花とユウナは部屋に戻り作業にかかった。

3時間。

破滅的な文体で綴られた外国語のデータ。論文。資料。

これをここまで日本語英語訳に直した星野チームの実力は大したものだ。この才能を潰すわけにはいかない。

「星野チーム、ユキ、さやの、お前ら来い。2時間で修正し、完璧な完成品に仕上げる。ピンチはチャンスじゃない。ピンチはピンチだ。心してかかれ」

ユウナは起動させてあるPCに書類を流しこむ。

「大丈夫。あたしと花がいる。お前らは全力を尽くせ。あとは上の者の仕事だ」

「あの」

「口開けてる間があったら手を動かせ。頭を使え。2時間だ。こちらには8桁、無効にしてみれば9桁以上の案件だ。もう一度言おう。これはお前らのミスじゃない。あたしたちのミスだ。支えてくれ」

荒い言葉で力強く指示するユウナの横で、花はプリントアウトされてくる書類に手持ちのカラーペンで休みなく、よどみなく、一つ一つの言葉をチェックしていく。

ただの一文字も見逃すものか。

この子たちを守るのは自分たちの役目だ。

与えられたことを成すだけが仕事ではない。

「全体の雰囲気変わっちゃいませんか」

「変わっていい。むしろその方がいいわ。ページ3、5つ目のセンテンス。これは方角じゃない、量で解釈して」

「え?」

「それで行って。多少ずれても直してみせるから。あなた達の「作品」は基本的にはかなりいいの。一部がかなり奇異だから、読み取りが難しい。これは博士の癖なんだろうけれど、そこを直せばいいの。納期だって遅れたわけじゃあないのよ? 誇りをもちなさい、自分たちの力に。さあ、続けて」

大切なのは、自分の後に続く子たちを、強く育てていくこと。

花がそうしてもらってきたように。

「図3と表5をリンクさせて。できたらこっち回せ」

ユウナは恐ろしい勢いで処理を進める。彼女自身も幾つかの案件を抱えているというのに。


2時間と10分後、戻ってきたタスクに書類一式を手渡す。

彼はそのまま手を振って出て行った。ひとりきりで。

花はトイレの個室に閉じこもってひたすら吐いた。

ユウナが様子を伺いに一度だけノックをしたが、そのまま去っていった。

腹筋と胸筋が悲鳴をあげるほどうねった。

喉を過ぎる体液は、どんどん苦く、黄色く濁って口の中を汚してゆく。

誰か、たすけて。

不安で潰れそうなわたしを。

タスクを、星野を。


タスクはその日、社に戻ってこなかった。


まだもう少し、花ちゃんの話が続きます。

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