primo movimento(第一楽章)-a
三月田一希、25歳。仕事中。
投稿したボーカロイドの動画をチェックする。
コメント数が多すぎて、流れてしまったものも多いだろうが現在表示されてる分だけでもチェックする。
いつもの荒らしさんもいるんだろうが、NGにしてるから鬱陶しさは少ない。
褒めてくださっている方、批判している方、感想をただ呟いておられる方。一言一言が新しいアイディアとなり、次につながる。
背景に使っている動画を褒められると、実はすごくうれしい。
高遠野さんが描いた絵を使っているんだ。それを少しいじって、動画にしている。DTMは流石に手慣れてるしサクサクなんだけれど、After Effectの使い方はこなれてなくて愛想がないっちゃあない。
だけど絵がかわいいからね、なんとかなってるんだと思う。
彼女は僕のために絵は描いてくれる。ざっくりとしたものが多いけど。うん、絵はね、描いてくれるんだ……たまに。ほんっと、たまに。本当に曲を気に入ってくれた時だけ。
それはとても稀な出来事。
秋から放送が始まるアニメーションの音楽を担当することになった。監督さんが僕を指名してくださったそうだ。ありがたい。
先日から監督さんや主要スタッフさんとの打ち合わせが続いている。
今日はどっさりといただいた、紙!の資料をえっちらおっちらと持って帰ってきた。
これを全部読むのか。当分ボーカロイドは触れそうにないな。
アニメのコンセプトやキャラクターデザインを始め、現在決まっている(が、決定稿とは限らない)もののチェックをする。まんがやラノベ原作ではなく、制作会社がイチからお話を作るタイプのものなので、元ネタをざっくり読んで把握するということができない。
モビルスーツみたいな四肢のあるヒトガタのロボット。アンドロイド。主人公はがんばれない少年(え?)。あとは妙にいい男そうな青年。おじさん、ジジイ。美少女と外見には触れないでいてあげよう女子に……で、ファンタジーか。魔法はないのね。ファンタジー界で起こるミステリーとかおっしゃってたっけ。
まだまとまってないんだろうか。間に合わなくないかとか思うけれど、そこら辺はプロのみなさんのこと。近々にきっちり形になさるんだろう。3話までの大まかな、ほぼメモな脚本はもらった。うん、メモだねこれ。間違いなく。
僕はここからイメージできるだけの曲をまずは数点提出し、方向性を決める。夢と疾走感のあるもの、と言われているがそれだけではことは済まない。
悲しみ、よろこび、木々の囁き、大空の広さ。先方はそれぞれ場面に合わせたものを使用したいのだ。交響曲を希望されているのではない。短く(長くとも5分ほど)で、世界を表現しなければならない。アイキャッチとか短いものなんて数秒だ。音なんてCDEFGAHしかないのにこれで世界を作らなきゃいけない。
OP・ED曲も任された。ありがとうございます。
ところでお願いです。歌詞を下さい。至急下さい。
何もないより、歌詞を頂いたほうが労力減るのです。もう時間がないんですから。
企業CM曲も入ってるんだよな。そっち先に仕上げようかな……。リテイク少ないといいな。
なんだかんだと10曲提出させられたこともあったな。結局しょっぱなのものがなんの修正もなく使用されることになり、世の中なんて!と防音室で叫んだこともあったな、めんどくさい仕事だった。今では笑って話せるけど。
まあ若造ですからね。べ、勉強させてもらったと思うことにしましたよ。どんなにネチネチやられても、それがお仕事ですからね。好きだけではどうにもならないんだ。
「やなことあってもね、心を殺して我を曲げなければいけないことだってあるわよ。大人の世界なの。多数の共感を得るためには悔しくても悔しくてもそうせざるを得ないわ」
高遠野さんの言葉だ。これはたしか、大学に入った年のことだ。
それははじめての、やや大きい仕事だった。知り合いのバンドに提供した曲を気に入ってくれた中小企業の地方CM。の、コンペ。実質出来レースっぽくって、あっさり僕のが採用された。成り行きに疑問符がいくつもついたけど、有りがたかったけど。で、案の定担当者がクセモノだった。今思えば僕のことが嫌いだったんだろうね。
そんなわけで、その頃の僕は男らしくない愚痴をずっと吐いてた。
高遠野さん、あの時もずっと聞いていてくれたんだな。
聞いて、というかチャットだったけど。メッセね。精神的にやられそうになっていたから、とても助かった。
お世話になった先生にも同じようなことを言われた。
自分の120%を出すことが仕事ではないと。80%の力でいいんだと。それをいかにコンスタントに維持するかが大切。最高のものを作ろうと思うな、クライアントが満足すればいい、そう割り切る勇気を持て、と。
たまには120%出してもいいけどね。
まあ大体そういった内容のことだ。
仕事に対する姿勢。
全力でなくていい。
そしてもう一つ大切なのは、悔しくても大らかに折れてあげる気持ちの柔軟さ。
目からウロコだった。僕はいつだって全身全霊で生きてきたから。
ゆるくぬるい男にしか見えないかもしれないけど、僕は全力だったから。そして頑固だったんだ。
「気を抜いてみなさい。周りがよく見えるよ。ゆとりを持つっていいことだよ。人間の幅が広がるからね」
先生の言葉に従って、息を吐き、僕は僕の周囲を見た。
やっぱり、一番に高遠野さんの姿が浮かんだ。
高遠野さんの、時に足蹴にするような突き放した態度も、上目遣いに見つめる姿も、見下したような呆れた顔も、笑顔も、すべてが音楽だった。
高校の時、僕が作曲をしていることを知っているのは彼女だけだった。誰にも内緒にしていたんだけれど、彼女には知って欲しかった。なぜかそう思った。
次回は三月田と高遠野さん、高校時代のお話です。