Interlude~花 d
今回から花ちゃん編です
花の職業は主に翻訳である。
フリーランスではなく、そこそこ大きな諸外国を対象とした業務委託を請け負っている極めて専門性の高い仕事に就いている。
特許取得や会社登記、学会の通訳、国際会議の同時通訳など高度な技術を必要とされる。
仕事上、日本語圏以外の人間との交流が多いが、自己紹介の際「花」と言う名と意味を伝えるとクライアントには大概1度で覚えられるため、彼女の実力への信頼度も含め非常に有利に業務を進めることができた。珍名名字故に、簡単で覚えやすく美しい名をあえて「花」を選んだ両親に感謝は尽きない。
「花さーん」
同僚たちも彼女を「高遠野」と呼ぶことは少ない。「花」「ハナ」「お花ちゃん」など親しみをこめた愛称を用いている。
「アップル・トムから感謝のカード届いてたんだ。目を通しておいて」
「アップル……ミスタ・ラッセル?」
「そう、こないだのパーティのお礼だって」
花は記憶をたどる。そういえば先だって行われたレセプションパーティで、朝に昼に夕に林檎を食べないと気がすまない男性がいた。アメリカのIT企業CEO、成功者の一人だったなと、カードを開く。
「日本の林檎サイコー!ってさ。あれは君のお手柄だね。おかげで独占契約だよ」
「最初に交渉の糸口を引き出してきたのはタスクさんです。わたしは補助にすぎない」
「サポートなしでできる仕事があると思う? あるとしたらそれは大したことはない」
タスク、と呼ばれた男はウィンクをした。普通なら気持ち悪がられるところだが、イヤミのない整った顔立ちだとそれが似合ってしまう。
「僕にはいい林檎の見分け方なんてわかんないからさ」
お店の人に聞けばいいことですよ、とは言わないでおいた。
あの日、どうしても林檎が食べたいと騒ぎ出したラッセル氏は、ホテル側が提供したものでは不服で、極めて機嫌が悪かった。成功する者には、何かにつけ強いこだわりを見せるものだ。
花はレセプション会場を抜け出し、手近な百貨店へ赴いて見栄えがよく歯ごたえもあり、酸味の少ないものをいくつかセレクトしてCEOに差し入れすることに成功した。
子どものように不機嫌な彼の顔は真っ赤に破顔一笑、花をハグした。
その後まもなく、契約が成立したとの報告が来た。これは億単位のセールスにつながる大口だ。
「優秀なサポーターがいてよかったわ、花ちゃん」
5期上の先輩にあたる同僚が、花の肩をポンポンと叩いた。
「あなたって女子力が高いっていうか……人間力が高いのね」
「そんな、ユウナ先輩には遠く及びません」
花は恐縮する。ユウナとタスクはこの部署の切り札と言われるほど有能だ。どんな案件も彼らに任せれば安心だと。
「だってあたし、あんなおいしいオニギリ、握れないもの」
「こないだの、なんか佃煮っぽいの入ってたけど、あれって花さんが作ったんだって?」
「え? マジで?」
花の周りに人が集まってくる。
仕事はどうした、と言えば、成果制の故かフロアはいつもゆったりとした空気が流れている。それだけ優秀な人材が揃っていると言えよう。
「まあ……売ってたので、小魚とかしじみとか」
フロアの隅にはキッチンがある。諸外国と折衝するのに日本時間は関係なく、真夜中でもそこそこの人員が業務についている。そのため手の空いたものが夜食を手配するなり、作ったりすることが多い。ちなみにホテル並みの仮眠室もある。
花は料理が得意ということもあり、予め材料を用意し、軽食を準備することが多い。手料理を振る舞った方がデリバリーよりも業務効率があがることを考慮しての上だ。
「なんていうの、もうプロって感じよね。手際もいいし、おいしいし」
「花ちゃんのごはん食べたらヤル気出るんだよね」
「習ってたの? お母様がお上手だったとか?」
「……知り合いのおばさまにずっと教えていただいていて」
一希の母である。三月田の女性陣は料理の腕がすこぶる高い。一希の父親も、彼自身もそれなりのものだが、母親と姉である瑞希が突出している。
高校時代からよく三月田の家に行っていた花は、いつしか一緒にキッチンに立つようになった。包丁の握り方、菜箸の持ち方、出汁のとり方から炒めもののタイミングまでしっかり教えこまれた。実の娘でもないのに、「どこに嫁に出しても恥ずかしくないよう」仕込まれた。いろいろと勘違いされているのかも、と、当初花は困惑気味だったが、1対1の人間として気に入ってもらえていることを感じ、そのまま三月田の家族との付き合いが続いている。
「じゃあ、あたしは花ちゃんに習っちゃおうかな。次に作るときには誘ってね」
そう言ってユウナは自席に戻っていった。それを機に、同僚たちも去っていった。
残ったのは花とタスクである。
「ありがとうございました。カード、お返しします」
「記念にとっとくと価値があがるかもよ? CEO直筆のカード」
花は苦笑する。
「それはそうと花さん……良ければ今度どうかな。一緒に食事でも」
他スタッフに聞こえぬよう、声をひそめてタスクが言った。
「? ランチですか? いいですよ。じゃあ、お昼になったらいつものところで」
「そうじゃなくって」
タスクは頭を掻いて、花を壁際に誘導した。
「その、つまり、夕食を」
花にはタスクの本意がわからない。打ち合わせ後にスタッフと食事をして帰社することはままある。ふたりきりだったこともある。仕事帰りにバーや小料理屋に行くこともある。
何を今更、としか思えなかった。
「君と二人で、えーっと」
花はきょとんとして首をかしげる。
タスクが言いよどむことなど今までなかった。いつだってハッキリした物言いをする男だ。
「僕と、つきあってもらえないかな」
花はそのまま瞬きも忘れて固まった。
続きをどうぞ、お楽しみに




