第7話「二つの月」
僕らは、“みずうみのさと”の入口に立った。
今なら旋回する自転車もいない。
ユウタの持つ鏡が、真上の月を映す。
“二つの月”だ。
その間から見張り小屋に向かって懐中電灯を照らすと、ぼんやりとした光が届いた。
薄いスポットライトに照らされた小屋から、見張り番の鬼が出て来るのが見える。
「こんなんで本当に合ってるの?」
鬼は懐中電灯の明かりに気が付いている。
こちらを見ているようだけど、サイレンは鳴らない。
「見てみろよ!」
どこからか静かに水が流れ出ていた。
それを合図に、鬼たちはバラバラと家の中へ入って行く。
水かさはみるみるうちに増え続けた。
これで鬼たちは追って来れない。
きっとあの暗号を解くことが、スイッチになっていたんだ。
“みずうみのさと”は再び湖の底へ姿を消そうとしている…。
家々の屋根が見えなくなっても、僕らはその場を動くことができなかった。
ものの数分で、湖は昼間と同じ風景になった。
訪れる静寂。
鬼の声も、物音も、聞こえない。
…。
「ユウタ、帰ろう!」
「うん!」
終わった。僕らの勝ちだ。
“まよいのもり”の効力は消えたに違いない。
今度こそ迷わず緑の穴に辿り着けるはずだ。
懐中電灯で照らしながら森を通ろうとすると、霧が立ち込めていた。
せっかく明かりがあるのに、前がよく見えない。
でも大丈夫。鬼はもういないし、何度も往復した道だ。
このまま真っ直ぐ進めば森を抜けられる。
そして緑の穴に…。
ぐわん、と視界が揺れた。
何だろう。目の前が覆われて行く。
霧なのか、僕の瞼なのか…。
…。
…。
気がつくと僕は自分の部屋にいた。
今日引越しをしたばかりの新しい部屋。
片付けを中断した時のまま外はすっかり暗くなり、ぽっかりと月がのぞいている。
あれ?どうなってんだ…?
隣の部屋に行くと、ユウタが散らかった床で眠っていた。昼間見たときのままだ。
開けっ放しの押入れの中を見ると、きれいに貼られた壁紙は真っ平で扉らしきものは見当たらない。
僕らが通ったはずの隠し扉が消えていた。
「うーん…」
ユウタが目を覚ます。
「あれっ、お兄ちゃん?」
「ちょっとー、静かだと思ったら二人とも寝てたのー?」
お母さんだ。
散らかったままの部屋を見て呆れたように笑う。
扉も無ければ、鍵も無い。
履いていたはずの新しい靴も消えている。
…夢、だったのか?
「お母さん、お腹すいた!」
ユウタが目を擦りながら言う。
そういえばお腹ペコペコだ。
「ごめん、まだこれから支度するのよ。ごはん出来るまでリンゴでも食べる?」
「えぇーっ!」
「リンゴはちょっと…」
思わず声を揃えて却下する。
「なによー」
絆創膏だらけの僕らは顔を見合わせ、声を上げて笑った。
お母さんもつられて笑う。
「なんだなんだ?楽しそうだな」
お父さんもやって来た。
「ほら、ごはん出来るまでに片付けないと、今夜は寝るとこないぞ!」
「ユウタの部屋から一緒に手伝ってやるよ」
「やった!」
まだカーテンのかかっていない窓には部屋の丸い蛍光灯が映り込んでいる。
まるで、月が二つあるみたいだ。
終