もうひとつの戦い(前編)
予告していた短編小説です。前編、後編に分けて投稿します。
国王親衛隊隊長アミの朝は早い。外は未だ夜のように暗く、鳥のさえずりのみが、今が朝だと言うことを教えてくれる。無論、城内は静寂に包まれ、使用人ですら寝静まっている。そんな中、王城の最上階にあてがわれた私室でアミは朝を迎える。
「ううん……もうこんな時間か……」
壁にかけられた振り子時計を確認。短い針が四の数字を指している。なんとか体を起こし、ベッドから抜け出す。二度寝の誘惑を未だ断ち切れないでいるのか、アミは視界の端にベッドという悪魔を捕らえたままでいる。
「はあ……」
アミは嘆息しながら首を振り、忍び寄る魔の手を振り払った。
アミには魔王から託された仕事がある。いくらずぼらな性格の彼女といえども、魔王からの命令は絶対だ。無視するわけにはいかない。
アミは衣装棚を開き、お気に入りの服を取り出す。体にピタッと張り付く薄い衣装。周りからは下着のようだ、とよく揶揄されたりもする。しかし、誰が何と言おうが、アミはこの服以外を着るつもりはない。それがたとえ魔王の命令であったとしても。
「うん。この肌に吸い付く感じがたまんないのよね! ようし、今日も一日がんばりますか!」
自らを励ますように呟くと、アミは部屋の中心に置かれた円卓のところまで歩いて行った。
円卓の上に、魔方陣が描かれた羊皮紙を置くと、自らの手を重ね、魔力を流し込む。途端、魔方陣は青白い光を放ち、無事に魔法が作動したことをアミに伝えた。
「後は、アルヴィ様を待つだけね。あ、そうだ! メモ取っておこうっと」
アミは、メモメモと呟きながらペンと紙を用意した。ちなみに魔法には紙よりも羊皮紙のほうが、相性がいい。そういった理由からアミは魔方陣には羊皮紙を使用している。
「だけど、もうちょっと便利にならないのかしら、この魔法……」
アミは恨めしそうに毒づいた。
どうして、一方向にしか音声を伝えられないのか、会話のように双方の会話ができれば便利なのに……通知魔法のそこが気に食わない。アミはフンと鼻を鳴らす。
一度、その不満をユーレンにぶつけてみたところ『お前は一度、未だに伝令に頼っている全人類に謝ったほうがいい』と呆れられてしまった。
「ふん、ユーレンの分からずや。どうせ人間なんかにあたしの気持ちは、分かりはしないわ」
「おはよう、アミ。今日の連絡だけど――」
「うわっちゃちゃ!? 始まっちゃった! メモメモ……ああ、もう! 間違えた! ……ちょ、待ってください! ストーップ!」
「以上で連絡は終わるね。それじゃあ、今晩も定時に報告をしてね。待ってるよ」
アミの静止は届くはずもなく、アルヴィの音声は淡々と伝えられ、魔方陣が光を失うとともに音声も聞こえなくなった。アミの部屋には再び静けさが訪れる。
「……とりあえず、大事なとこはメモできたから良しとしよう。うん……」
アミは力なく笑うと、メモを胸の谷間に挟み込んだ。
アミの服にはポケットなど存在しない。また、身に着ける装備も剣帯のみ。必然的に収納場所は決まってくる。アミはそれを不便だと思ったことはない、むしろ優越感に浸れるので好んですらいる。周りの女性から敵意の篭った視線で見つめられるのも悪くない。
数秒前の失態など忘れたと言わんばかり、怜悧な美貌にいたずらな笑みを浮かべると、アミは悠然と自室を後にした。
迷路のような城内。カツカツ、とヒールが床に打ち付けられる音が廊下中に広がる。ようやく、太陽が働き始め、日の光が窓から差し込む。城も眠りから覚めたようで、徐々に活気を取り戻しつつあった。
幾人かの使用人とすれ違う。彼らはアミを見ると、恭しく頭を下げ通り過ぎて行く。
国王親衛隊隊長でもあるアミを、城内で知らない者はいない。その人目を引く美貌と服装もさることながら、アミの討ち立てた功績によるものも大きい。暗殺者四人からたった一人で国王の命を救った。城内と言わず、国民中誰もが知っている事実である。
アミは尚も歩き続ける。彼女の行く先は決まっており、他のことには目もくれない。挨拶をされれば軽く会釈はするものの、立ち止まることはしない。その姿が無愛想に映ろうがアミの知ったことではない。優先すべきものがあるのだ。それは何物にも変えることはできない。
「隊長! おはようございます! 今日もお早いですね!」
童顔の男がアミと歩調を併せ、隣に並ぶ。
毎朝アミに声をかけてくる男。名前は忘れたが、確かアミと同じく国王親衛隊に所属していたはずだ。つまり、アミの部下ということになる。アミは前を向きつつ、凛とした声色で男に応える。
「うん。戦場は待ってくれないから……。あたしは一秒でも長く戦いに身を投じていたい、ただその一心よ」
無表情に言い放ったアミの言葉。童顔の男の心を揺さぶるには十分だったようだ。彼は顔を輝かせ、羨望の眼差しでアミを見つめていた。
「さすが隊長! 僕もお供させてください!」
「なに? あたしと戦うつもり?」
「いえ、滅相もない! ただ隊長の戦いぶりを、この目に焼き付けておきたいのです! いけませんか?」
「……勝手になさい」
アミは童顔の男を従え、戦場へとその足を急がせた。
通路を進み、曲がり、階段を下る。単調にも思える動作を何度も繰り返し、アミたちはようやく目的の場所にたどり着いた。
「隊長、いよいよですね……」
「ええ。あたしの勇姿をしかとその目に焼き付けるのよ」
挑戦者を歓迎するかのように開かれた巨大な木の扉。ここから先は戦場と化す。すでに戦いの鐘は鳴らされているのか、中からは怒号や歓声が聞こえてくる。そんな喧騒にも全く動じることなく、アミは戦場の中に自らの身を投じた。
食堂――今日一日を生きるためにエネルギーを補給する場所。この場所において、身分という名の飾りは何の意味も持たない。求められるは、ひたすら食べ続ける胃力と強靭な精神力。弱者は席すら与えてもらえず、床に這いつくばる。まさに弱肉強食、下克上。過酷な戦場がここにある。
それまで喧騒が止むことのなかった戦場の空気が一転、静寂に包まれた。扉から入ってくる一人の戦士に皆の視線が釘付けになっている。
銀髪痩身、食という名の戦場に全く似合わないような体型の女。彼女を見て、誰もが食べる手を止める。
「ク、クイーン……!」
誰かが叫んだ。静寂を破るその言葉。たちまち、堰を切ったように“クイーン”の大合唱が巻き起こる。
彼女が前へと進む。一歩、二歩、三歩。彼女の前の人海は、彼女の歩調に合わせて割れ、道を作る。そのまま彼女は歩き続け中央のテーブルについた。
「「うおおおおおお!」」
クイーン――この戦場における、アミの二つ名だ。爆食王の名を欲しいがままにする彼女は、食堂の女王として君臨していた。皆から受ける信頼は、ユーレンに負けず劣らず高い。
アミは湧き上がる歓声を一身に受け、静かに手を上げる。『飯を持って来い』彼女の無言の命令だ。
たちまち彼女の前に大量の皿が用意される。横長のテーブルいっぱいに埋め尽くされたそれは全て彼女のための供物と化す。
「失礼しますよ、クイーン」
アミの対面に男が座る。見ない顔だ。筋骨隆々の肉体に似合わない精悍な顔つき、短く切った金の髪を後ろに撫で付けたその男には、気品すら感じられる。アミは何も感じないが、そこらの女中が彼を一目見て恋に落ちるには十分なのではないだろうか。
「あんた誰よ?」
不躾にアミが尋ねる。この男は食堂という名の戦場には不釣合いだ。格調高い軍服には金の刺繍で獅子が描かれ、胸には数多くのバッジが付けられている。少なくとも彼が一兵卒ではないことが窺えた。ここはそういった身分の高いものが来るような場所ではない。来たとしても自尊心が傷つけられるだけだ。少なくともアミはそう思った。
だが、アミの部下の童顔男は違った。わなわなと唇を震わせ、驚愕の表情を浮かべていた。
「キ、キング……!」
蚊の鳴くような声で、彼がようやく話し始める。
「た、隊長! 彼は隊長が来る前、この食堂のトップに君臨していた男――キングです!」
「キング? こんなやつ、あたし見たことがないんだけど……」
「それは彼が、カルブンクルスから離れていたため……。キングは領地持ち――有力貴族の一人だからです!」
アミはあらためてキングを見る。有力貴族と言えば、ユーレンとともに成敗したトライゾンが記憶に新しい。そういえば、ユーレンが兵力をカルブンクルスに集結させていた。彼もそれに従い、ここに常駐するようになったのだろうか。それならば、今始めて会ったのも頷ける。
「ふうん。貴族ね……だから?」
なるほど、キングが国のトップに近いことは分かった。しかしここでは身分は関係ない。胃力こそが全てだ。残念ながらこの男からは食気(しょくき)が感じられない。
「ほう、クイーンは私の実力を疑っておいでかな?」
「うん。見た目で判断するのは嫌いだけど、どう見てもあなたからは食気(しょくき)が感じられない。あなたがここで、王として君臨していたことすら疑わしいわ」
「ならば、その猜疑心打ち破って見せよう。クイーン、私はあなたにランカー戦を申し込む!」
一気に周りがざわつき始めた。調理人まで手を止め、こちらに注目している。
食堂に身分などはない、しかしその代わり、階級が存在する。それはチェスの駒になぞらえて、ポーンからキングまで計十六の席が用意されている。そして、それぞれの実力に見合う駒へと役が振られていく。新参者は役無しから始まり、まずはポーンを目指すのが常だ。
この階級を賭けて、一対一の食戦を行うことをランカー戦と呼び、勝者は相手の階級を奪うことができる。ランカー戦を挑めるのは自分の階級より一つ上の階級の者、つまりクイーンのみがキングへの挑戦権を所持していることになる。
アミは役無しから瞬く間に階級を上げ、クイーンの座に就いた。キングを名乗るものが今はいないということで、実質アミが食堂の頂点に君臨していたのだが。
「あたしは構わないけど……あんたに利点はないわよ?」
アミは訝しむような目つきでキングを見やった。
キングの座に就く彼がアミにランカー戦を挑み、たとえ勝ったところで、これ以上彼の階級が上がることはない。一方で、彼が負ければキングの座をアミに奪われる。得することなど何も無いのだ。
キングはそんなアミの心配を鼻で笑い一蹴すると、うざったらしく足を組む。
「あくまでキングにふさわしいのはこの私……そのことをこの場にいる全員に思い知らせるためさ。それに、心配しなくても大丈夫。私が負けることなどありえないからな!」
キングはこれでもかというくらい身を反らし、アミを見下した目で嘲笑する。
「こ、この! 隊長を侮辱するなんて、ゆるさ――モゴモゴ!?」
息せき切ってキングに詰め寄ろうとする童顔の部下の口を押さえて止め、アミは彼を隣に座らせる。
どうして止めるのかと不満を爆発させる童顔の部下。アミは彼の肩を優しく叩き、落ち着いた声音で語りかける。
「ここでの階級は絶対。役無しのあなたが出る幕ではないわ」
「し、しかし!?」
「私の戦う姿が見たかったんでしょう? だったら特等席で見せてあげる。あたしの勝利をね!」
「た、隊長!」
感極まってしまったのか、童顔の部下は今にも泣き出しそうな顔になる。その涙は勝利まで取っておいて、と彼に伝えると、アミはキングに向き直り、指を突きつけた。
「今日限りであんたは引退よ! その勝負受けてたつわ!」
食堂の温度は急上昇、割れんばかりの歓声が空気を揺らす。今ここに、キング対クイーンの頂上決戦の火蓋が切られたのであった。
後編は明日の13:00に投稿予定です