第十四話 アダマースの死闘(後編)
「ははははは!」
デジールは両手を広げ、込み上げる笑いを惜しげなく披露していた。未だ右手にはアルヴィを斬りつけた感触が残っている。
デジールの必殺の袈裟斬りはアルヴィの咄嗟の反応によって防がれはした。だが、その上から与えたであろうダメージは相当のものだ。それは眼下に広がるこの巨大な穴が証明している。
「アルヴィ様! アルヴィ様!」
「うるさいぞ、娘! お前の魔王様はもう終わりだ。くくく、こいつを殺した後、じっくりとかわいがってやるからな!」
デジールはソフィアの体を舐めるように値踏みし、下卑た笑いを浮かべる。
「アルヴィ様はあなたなどには負けません!」
「ほう、随分と強気なお嬢さんだ。この状況下でもまだそんなことが言えるとは……」
「あの方が勝つとおっしゃった以上、それは絶対です! 私はアルヴィ様を信じています!」
「だったら、とっととそれを証明してみろよ! 俺を殺してな!」
「ああ、そうさせてもらおうか」
「な、何!?」
突如、デジールが地面に穿った穴から極太の赤い光が飛来する。
ズガン
間一髪で避けた紅蓮光は、そのまま天井に突き刺さり、屋根ごと吹き飛ばした。ぽっかり空いた穴からは、太陽の光が入り込んでくる。
「アルヴィ様!」
階下から浮上してきたアルヴィにソフィアが顔を輝かせる。
「大丈夫だよ、ソフィア。僕は絶対に負けない。君が信じてくれる限り」
「はい!」
デジールは毅然とした態度を見せるアルヴィに、苛立ちを募らせていた。
先ほどまで、満身創痍だったアルヴィが嘘のようだ。両手の出血はおろか、切り裂いたはずの腹部の傷まで見当たらない。それに、気になるのはアルヴィの手に握られている一振りの長剣。真紅のオーラを纏い、耳障りな振動音を奏でている。
「その剣には見覚えがあるな……確か、前の魔王が使っていた。名は確か、魔剣“ダーインスレイブ”!」
「そう。ちょうどこの下が宝物庫になっていたらしくてね……君が僕を下に落としてくれたおかげだ。ありがとう、礼を言うよ」
「なるほどな。さっきの攻撃魔法といい、傷の回復といい、全部その剣のおかげってわけか……」
「そういうこと。さあ、第二ラウンドと行こうか。この剣が君の血を吸いたくてしょうがないらしくてね!」
「ほざけ!」
デジールは頭上に大量の光弾を浮かび上がらせ、発射。着弾時の炸裂音が、断続的に響き続ける。
全弾命中。デジールはほくそ笑む。新たな武器を手に入れたところで、近づけさえしなければ意味などない。詠唱不要の、勇者の圧倒的スペックをもってすれば、他愛もないことだ。
「もう終わりかな? たいしたことないね」
「ば、馬鹿な!?」
立ち込める煙の中、アルヴィは何事もなかったように現れる。アルヴィの体は、薄い赤色の球体で覆われていた。アルヴィが腕を下げると、球体ははじけるように消失する。
「た、対魔障壁なんぞに俺の魔法が防がれるなど……あ、ありえん!」
「僕ではなくて、ダーインスレイブが作ったものだからね、君の魔力程度では破れないさ。さあ、次はこっちから行くよ!」
眼前のアルヴィが掻き消える。
は、早い!
デジールの目をもってしてもアルヴィの姿を捉えることができない。ただ物体が高速で移動する際に発生する音のみが聞こえる。
バチバチバチ
「はああ!」
「く、くそ!」
魔剣と聖剣が衝突。聖と魔、相反する力がぶつかり合い、火花を撒き散らす。
重い!
剣を持つ腕が痺れる。先ほど切り結んだとき以上の一撃の重さ。おそらくアルヴィの膂力がダーインスレイブによってさらに助長されているのであろう。
「ぐはっ!」
アルヴィの一撃を受け止めることができず、弾き飛ばされてしまう。
体を一回転させ、なんとか体勢を整えるデジール。しかし、目前には既に魔剣のおどろおどろしい輝きが迫りつつあった。
「せ、閃光よ!」
聖剣が再び強烈な光を発する。
奴の目が眩んでいる隙にいったん距離を取らねば!
デジールは前方の空間に向けて移動を開始する。
「っ!?」
デジールの動きが途中で止まる。見ると、何者かに足首を掴まれていた。
「勇者が逃げるなんて……カッコ悪いよ?」
デジールの体が猛烈な勢いで降下。地面に叩きつけられる。
王の間を大きく揺らし、巨大な窪みを作る。
「はあ、はあ……き、貴様あ!」
デジールは肺にたまった血を勢いよく吐き出し、なんとか立ち上がる。
ゆっくりとアルヴィが地面に降りてくる。瞳の色がさきほどの薄いワイン色から、血のような赤色に変わっている。
「あははは! 簡単には終わらせはしない。たっぷりといたぶって、悲鳴を楽しみながら、最後の最後に虫けらのように殺してやる!」
デジールは全身の毛が逆立つのを感じていた。今目の前に立つのは先ほどまでのアルヴとは全くの別人だ。言葉遣いも、発せられるプレッシャーも全く違う。どちらのアルヴィがデジールにとってより脅威的なのかは明白であった。
善の殺意と悪の殺意。同じ殺意でも勝手はまったく違う。心の奥まで冷えわたる濃密な殺意。デジールに向けられているのは後者であった。
「ば、化け物め……」
なんとか搾り出した言葉は震えていた。がちがちと噛み合う歯の音が、耳の奥に五月蝿いほど鳴り響く。
「くっそおおお!」
デジールは、震える体に渇を入れ、アルヴィへと襲い掛かった。
勇者デジール――勇者派遣機構によって驚異的な能力を授けられ、この世界へと送られた。当時君臨していた魔王を倒し、与えられた使命を全うしたデジールは、人間たちに勇者と崇められ、永遠の安寧を約束された。
俺は最強だ。
自分の強さを過信していたわけではない、ただそれが事実であっただけだ。
そんな中、突如現れた“魔王”。デジールが最強であるという事実を否定しようとしている。
そんなことはさせない――いや、あってはならない。あくまで、最強はデジールだ。このことは覆ることのない真理。そう信じてきた。だから――
「お前なんぞに……お前なんぞに! この俺が――勇者が! 負けるはずがないんだああ!」
一筋の赤い線が目の前をよぎった。視界が真っ赤に染まり、直後、視野一杯に地面が広がる。舐めるように地面に這いつくばったデジールは、体を起こそうと力を入れる――しかし、それは叶わなかった。
デジールは首だけを動かし、後ろを見やる。そこには直前まで自分の体であった“モノ”が転がっていた。今頃になって、ようやく腰の辺りに焼け付くような痛みを感じる。
しかし、デジールが痛みを感じたのは一瞬のこと、すぐに意識は消え、無へと帰った。
「ふう……」
「大丈夫ですか!? アルヴィ様!?」
ソフィアがこちらに駆けて来る。糸の切れた人形のように倒れこんだアルヴィを優しく抱き起こした。
「ああ、ちょっと……疲れただけさ」
「良かった……」
ソフィアが声を詰まらせ涙ぐむ。
「ソフィアは僕が負けるとでも思っていたの?」
「アルヴィ様はわたしがそう思っているとでも思っていたのですか?」
「そんなこと夢にも思わなかったさ」
これは一本取られたね、とアルヴィは楽しそうに笑った。
アルヴィはゆっくりと体を起こし、周囲を見渡す。荘厳な雰囲気を醸し出していた王の間はどこに行ったのやら、今では横転する玉座だけがその名残となっている。
「少しやりすぎちゃったかな?」
「なあに、部屋などすぐに直せばよろしいではないですか」
配下の魔族に肩を貸してもらいながら、タナトスがこちらへと歩いてくる。
「タナトスさん。怪我のほうは大丈夫なの?」
「ええ、親衛隊のものに治癒魔法をかけてもらったので、傷は塞がりました。もう心配はありません」
「それでも、失った血は戻らないんですから、安静にしないといけませんよ!」
アルヴィ様もですよ、とソフィアは頬を膨らませながら釘を刺す。
アルヴィとタナトスは顔を見合わせると、笑いながら頭を振った。
「しかし魔王様、よくぞあの状況から復帰できましたな」
「そうですよ! 穴から出て来たときに、傷が治っていたので驚きました」
「ああ、それはこの剣のおかげさ」
アルヴィは腰の魔剣を外すと、胸の前に持ってくる。
「おお、それは“ダーインスレイブ”! やはりアダマースにあったのですな!」
「“だーいんすれいぶ”?」
キョトンとするソフィアに、この剣について教えてやった。この魔剣がソフィアの父の所有物であったこと。そして、極限状態にあったアルヴィに力を貸してくれたことも。
ソフィアは、まるで御伽噺を聞く子供のように目をキラキラ輝かして、話に聞き入っていた。
「それではお父様の形見がアルヴィ様を救ってくれたのですね!」
「そういうことになるね。ソフィアのお父上には感謝しないとね」
「ふうむ、私もその剣について多くは知らなかったのですが……人の血を吸えば吸うほど強化されるとは、いやはやまさに魔剣ですな」
「うん、僕も驚いたよ。しかも剣自身が魔法を使えるなんて」
デジールとの戦いにおいて、ダーインスレイブは、アルヴィの意志とは関係なく回復魔法、防御魔法、攻撃魔法を放った。それぞれが絶妙のタイミングで、まるで剣が生きているかのように。
アルヴィは手元にある魔剣をまじまじと見つめる。
あのときアルヴィに話しかけたのは確かにこの剣だ。今は、声は聞こえないが。
しかし、アルヴィにははっきりと分かる、この剣は自己を持っていると。それはアルヴィと一体化し、今もアルヴィの一部として存在している。
アルヴィが手足を動かすように、この剣もまた動く。身体の延長として扱える、そんな感覚だ。
「これからよろしく頼むよ」
「え? なにか仰いましたか、アルヴィ様?」
「いや、なんでもないよ。」
アルヴィは少し、はにかんで見せる。
「さあ、僕らの仕事は終わった。これでアダマースは僕らのものだ。洞窟に残っている魔族たちに、ここに移るように伝えなきゃね」
「そうですね! わたし行ってきます!」
「いや、今晩通知魔法で連絡するから大丈夫……って行っちゃった」
天井に空いた穴からソフィアは飛び出して行った。相変わらず物凄い速さで。
「まあ、ソフィア様の速さならすぐに向こうに着くでしょう。それよりも――」
「ユーレンたちのことかい? 大丈夫だと思うよ、彼は僕が認めた人間だ。きっと上手くやってくれるさ」
アルヴィはうーんと伸びをする。その表情に緊張感などは全くなく、ユーレンたちの勝利を毛ほども疑っていなかった。
「ああ、今日は疲れた。頭もくらくらするし……少し休みたいな」
「ならば、寝室にご案内しましょう。ルキフェル様が使っていた部屋をお使いください」
「大丈夫、自分で探すよ。タナトスさんだってぼろぼろじゃないか、あなたも休んだほうがいい」
「はっはっは、それではお言葉に甘えさせていただきます。久しぶりのベッドが楽しみですな!」
タナトスは王の間の外で待機する魔族たちの方を向く。
「よし、お前ら! ここでひとまず解散とする。余裕のあるものは城内の死体を片付けておいてくれ、私と魔王様は今から眠る。以上、解散!」
今回の立役者であるアルヴィとタナトスに誰一人として意を唱えるものはなく、皆嬉々として城内の片付けにあたった。
第一章エピローグは明日の21:00に投稿予定です。