第十三話 アベリア平原の陣(後編)
完全に挟み込まれてしまった帝国軍。その数は既に王国軍を下回っている。指揮系統は完全に麻痺。いったん退却して体勢を立て直そうにも、もはや逃げ道などは存在しない。
このままでは負ける。
ハリルの顔に初めて焦りが見え始める。
当初予定していたのは三万対一万の戦。初めから勝負など決まっているようなものだった。
しかし、現状は違う。まんまと敵の策にはまり、退却することすらままならず、王国軍のなすがままになっている。
いったいどこで計画が狂ったのか。
ハリルが追撃命令を出したところであろうか? いや違う。
それでは、ハリルが一番槍として突入したところか? いやそれでもない。
最初からだ。
王国側が守りを薄めたのを好機として、侵攻を始めたとき。このときから既に敵の手の平の上で踊らされていたのだ。ハリルが能無しと揶揄した敵の王によって。
「うがああああああああ!!」
ハリルは力任せに手綱を繰り、反転。単騎敵の中に突撃する。
「こうなれば、貴様らの王ごと道連れにしてやる!」
まさかハリルが転進してくるとは思っていなかったのか、王国兵たちは意表を突かれ、路上の石とともに弾き飛ばされる。
ようやく異変に気づいた王国兵たちが、猛烈な勢いで突き進むハリルに容赦なく槍を突き立てきた。ハリルのマントが真紅に染まる。しかし、それでもハリルは止まらない。体中に切り傷を作りながらも何とか前へと進む。
帝国軍を挟み込む形で展開している王国軍ではあるが、序盤の帝国軍の猛攻によりその数は大きく減らされていた。もしかすれば、退却するよりも攻めに専念すれば突破できたかもしれない。ハリルは強く唇を噛む。
ハリルにそうさせなかったのも含めて、敵の戦略の内だろう。賞賛の気持ちと悔恨の念に、同時に苛まれる。
「ふんっ!」
「ぐああああああ」
最後の人壁を突破し、開けた場所に出た。目の前には緩やかな台地が広がっている。ここより少し離れたところに、戦場には向かなそうな、線の細い青年が立っているのが目に入る。彼の首に下げた巨大な赤の宝石は、異様なまでに輝いていた。
「貴様が……貴様があああああああああ!!!」
ハリルは口から唾を飛ばし、がなり立て、青年のもとに驀進する。
うつけと呼ばれた男、ハリルの自尊心を完膚なきまでに粉砕した男、そしてハリルから勝利を奪った男。
憎い――彼が。
憎い――自分自身が。
ハリルの中で渦巻く怒りの感情を、殺意に変えて、青年に全てぶつける。
ハリルの威に当てられた青年の顔が、見る見る内に青ざめていくのが分かる。怖気づいてしまったのか、避ける動作すら起こさない。
殺れる。
ハリルはそう確信する。まもなく槍の間合いに突入する、そうなればこちらのものだ。誰にも防ぐ手立てはない。
「!?」
唐突に、ハリルと青年の間に人影が乱入して来た。細身の剣を両の手に持ち、こちらを見上げている。
“女”であった。その細い肢体を惜しげなく見せ付けている。来る場所を間違えたのだろうか、戦場にではなく、色里にいそうな装いをしている。
「どけ、女! 轢き殺すぞ!」
女は動じない。尚も、底の見えない深い闇のように黒い目で、こちらを見続けている。
応じないのならば仕方がない、前に出てきた以上は敵とみなす。
「死ね!」
軍馬と女が接触。突如、体中に強い衝撃が走り、天と地とが交互に入れ替わる。皮膚が焼けるような痛みを訴える。
ハリルは鞍から投げ出されていた。全身を強く打ち、呼吸することすら困難になる。体を折りたたむようにして、口から血の塊を吐き出す。歯が何本か折れてしまったようだ。
どうにかして立ち上がると、先ほどまでハリルのいた場所を見やる。
女は真っ赤に染まっているものの、一歩も場所を動いていない。
「な、なんだと!?」
ハリルは女の傍に倒れている愛馬を見て驚愕する。数々の死線をハリルと共に潜り抜けてきた戦友。彼はもう二度と大地を駆けることのない姿に変わり果てていた。
「許さないわ……」
女が低い声で呟く。腕をだらんと伸ばし、ゆっくりとハリルの元へ近づいてくる。一歩、また一歩と、どんどん大きくなってくる彼女の姿に、歴戦の猛者であるハリルでさえも萎縮してしまう。
「あたしの王の命を狙う奴は……絶対に許さない!」
カッと目を見開き、女が駆け出す。見る見るうちに女の体が迫ってくる。
「ぐう!」
なんとか、腰の剣を抜き放ち、第一撃を受け止める。女のものとは思えない膂力に、腕の骨がきしむ。
「はあああ!」
三百六十度、あらゆる角度から、剣撃が飛来する。まるで腕が別々に意志を持っているかのように不規則に踊る。
あまりの手数の多さに、捌ききることは不可能に近い。装甲の薄い部分を切り裂かれ、鋭い痛みを感じる。
「ちいっ!」
ハリルは後ろに大きく後退し間合いを取る。
「逃がさないわ!!」
女の蹴りが、下がりつつあったハリルを捉える。鎧の上からであるにも関わらず、まるで鈍器で強く殴られたかのような衝撃がハリルを襲う。
「ぐふっ!!」
ハリルの体が再び宙を舞う。やけに、ゆっくりに感じた滞空時間に別れを告げ、大地に背中から倒れ込む。
メキメキメキ
硬い地面に打ち付けられた腰椎が悲鳴を上げる。全身を走り回る激痛、常人ならば動くことすらままならないであろう。しかし、ハリルは立ち上がった。彼をそうさせたのは、彼女から感じられる強者の意志に彼の武人としての本能が反応したからかもしれない。
この女の強さは異常だ。帝国の中でも一位二位の強さを誇るハリルが手も足も出ない。だが、そのことがどうしようもなく嬉しい。今までハリルを支配していた怒りの感情から解き放たれたような気がする。目の前に立つ強者、彼女と剣を合わせることにしか興味はない
「おい、お前! 名は何と言う?」
一瞬、躊躇するような表情を見せたが、女は淡々と答える。
「ユーレン国王親衛隊隊長、アミ!」
「アミか……俺の名はグロワール帝国、将軍ハリル! いざ!」
揺れる視界でアミに焦点を合わせる。痛みでふらつく脚に鞭を打ち、どうにか地面を蹴り出した。
「うらああああ!」
「はっ!」
鋭い叱声を上げ、迎え撃つようにアミも走り出す。
ハリルとアミの体が交叉。互いの立ち位置を入れ替えたような形を取り、静止。どちらも動かない。
誰一人として声を出さず、息を呑んで、勝負の結末を見届ける。
ドサッ
鈍い音を立てて崩れ落ちたのはハリル。満開の花が散るかのごとく血を撒き散らし。そのまま事切れた。
グロワール帝国、将軍ハリル、アベリア平原に散る。
「大丈夫か!? アミ!」
ユーレンが血相を変えてアミに近寄る。返り血が付くことも厭わずに、彼女の露出した肩を掴み、強く揺すぶる。
「わ、わ、わ! そんなに揺すぶらないでよ! 大丈夫だから!」
アミが目を丸くして抗議する。驚いたことに、彼女はほとんど無傷のようだ。この手で触って確かめたから間違いない。
「ちょっ! あんた、どさくさに紛れて変なとこ触ってないでしょうね!」
「そんなわけあるはずないだろう! たくっ、せっかく人が心配してやってるっていうのに……」
「ありがとう」
「へ?」
「だから、心配してくれてありがとうって言ってるの! ……どうしたのよ? そんな不思議そうな顔して」
「い、いや、アミが素直なのって珍しいなあって思っただけで。その……なんだ。素直なアミも悪くないぞ?」
「っ!?」
アミの顔が一瞬で真っ赤になる。いや、もともと返り血で真っ赤に染まっていたのであるが。言葉の綾というやつである。
「ば、馬鹿! そ、そんなことより! ほら、敵将を討ち取ったんだから、何かする事があるんじゃないの?」
アミは顎でハリルの亡骸をしゃくる。
「おお、そうだったな! すっかり忘れてたぜ!」
ユーレンはアミから手を離すと、すっかり黙ってこちらを見つめている兵士たちに向き直る。
「よく聞けええええ!! グロワール帝国、将軍ハリルは、国王親衛隊隊長のアミが討ち取ったああああ!!」
ユーレンは拳を空高く突き上げる。
「俺たちの勝利だああああ!!」
「「「うおおおおおおおおおおおおおお!!」」」
各々手に持った獲物を高く突き上げ、大地を揺るがさんとばかりに兵士たちが咆哮する。王国軍の勝どきの声はアベリア平原中に響き渡り、抗戦の意志を帝国兵から奪っていった。
「オルデン王国に栄光を!」
「国王陛下バンザイ!」
まだまだ鳴り止まぬ歓喜の声。兵士たちは手を取り合って喜んでいる。
興奮冷め止まぬ中、ユーレンはそっとアミに近づき、耳元で囁く。
「ありがとうな」
「何を?」
「俺のことを守ってくれて。あのときのお前カッコよかったぜ!」
「べ、別にあんたのために戦ったわけじゃないわ! だ、だってあんたを死なせたら、アルヴィ様に怒られちゃうもの!」
「出撃前に、仕事とか抜きでどうのこうの、とか言ってなかったか?」
「うっ!」
アミは俯き黙り込んでしまった。
アミが嘘をつくときはすぐに分かる。目を伏せてユーレンと目を合わせないようにするのだ。
あえてそれを指摘せず、目の前でまさにその仕草を見せるアミに語りかける。
「まあいいや。俺が勝てたのはお前のおかげだ。本当に感謝してるぜ」
アミは応えない。平原に吹く風が彼女の前髪を揺らしている。
ユーレンは空を見上げる。
「後は、アルヴィたちが上手くやるだけだな……」
隣でアミがコクリと頷く。
雲ひとつ無い青空は、勝利を祝福するかのように、清々しい光をユーレンたちに注いでいた。
無事に勝利を収めたユーレンたち、一方でアルヴィたちはアダマースを攻略せんとしていた。
次回、第十四話 アダマースの死闘(前編)
明日の21:・00投稿予定です。