第一話 魔王降臨
「分かった俺の負けだ! 今回の合格はお前に譲るぜ」
両手を挙げ、ややひきつった笑顔で男は言う。前髪が汗で額にくっついている。
よくもまあそんな口が聞ける。声をかけられた少年は足元に転がる“ヒトであったもの”を蹴飛ばした。
「な、なあ、俺ら友達だろ? 入学してからずっと一緒だったじゃねえか、アルヴィ?」
「そうだね、君は僕の親友だった……」
少年――アルヴィはそう言い放つと、一瞬にして男との距離を埋め、禍々しい黒の光を纏った右手で男の首を掴む。
「試験が始まって真っ先に僕が狙われた。あの秩序の取れた動き、事前に誰かが手を引いていたとしか考えられないんだけど」
アルヴィは気持ちのいいくらいの笑顔を男に向ける。
「し、知らない、本当に何も知らないんだ!」
顔中から脂汗を噴出させ、死に物狂いで身の潔白を訴える男をアルヴィは鼻で笑う。
「いいよ。別に裏で誰が躍っていようがどうでもいいことだ」
「そ、そうか」
男は瞬間、安堵の表情を浮かべたが、それはすぐに苦悶の色へと変わる。
アルヴィの右手が高く持ち上げられ、男の体を宙へと誘っていた。
「や、やめ……ろ……」
みるみるうちに、男の顔は血の気を失い、骨のような白さへと変わる。男は抵抗を試みるが、小柄な少年の体は鋼のように硬く、逆に殴った手の甲からぽたぽたと血が流れ出る始末だ。
ゴキゴキゴキ
嫌な音を立てて男の首がありえない方向へと曲がる。その瞳からは既に色が失われていた。
アルヴィは手を離し、“友達だったもの”を地面に捨てる。ソレがなんであったか、全く興味のない表情がそこにあった。
ぱちぱちぱち。
殺伐とした雰囲気に場違いなような明るい表情を浮かべ、教官はアルヴィに近寄ってきた。
「おめでとう、これにて試験は終了だ」
教官はそう言うと、丸めた羊皮紙を少年に渡した。
アルヴィはそれを開く、中には大きく“修了書”と書かれていた。
「これでようやく魔王になれたわけですか……」
数多存在する人間の世界を全て魔族のものにする、その理念を基に作られたのがここ魔王養育機関である。優秀な人材――魔族だけでなく、異形種、さらには人間をも――を各世界から集め、魔族を率いる魔王にふさわしい器にするべく、彼らを教育する。そして、五年に一度行われる選考試験に突破したものに“魔王の称号”を与え、異世界に送り込む。
魔王となったものは、その世界を統一する使命を負う、しかし同時に見返りも与えられる。“支配権”、魔王はその世界をまるまる一つ自分のものにすることができる。理念に反しない限り、その世界でどのような行為を働こうが構わない。酒池肉林や桃源郷、己が欲望を全て体現できる権利が与えられるのだ。
アルヴィもまた、そういった理由から魔王を目指した一人だった。ただ、彼の場合は世界を手に入れたいという単純なまでの支配欲、他のものが目指すような煩悩にまみれたようなものとは方向性が違っていた。
「どうした、アルヴィ? あまり嬉しくなさそうだな?」
修了書を手にしてもほとんど表情を変えないアルヴィを不快に思ったのか、教官は腕を組み不満げな様子だ。
「合格したのは嬉しいですが、最終試験の内容には納得いかないものがありました。『魔王たるもの、能力よりも脳力が優れていなければならない』と口癖のように講釈を垂れていたのに、結局最後はこれですか……」
アルヴィは眼下に広がる地獄絵図を腕で示す。壁には絵の具をぶちまけたように血飛沫の跡が残り、床にはここが部屋だったとはとても信じられないような、巨大な穴がいくつも空いている。
厳しい試験に最後まで駒を進めた精鋭十人による殺し合い。それが最終試験の内容であった。まさに教官の教えに相反する内容であったわけだ。アルヴィが不服を漏らすのも当然である。
「仕方ないだろう、私も上の命令には逆らえんのだ、許してくれ」
「……まあ、いいです。内容はどうあれ、僕が魔王になれたのには変わりは無いのですし」
「うむ、その通りだ。それにしてもその若さで修了するとは……確か十七歳だったか? すごいな、おそらく歴代最年少記録だろう」
教官は感心したようにうなると、あらためてアルヴィに賛辞の言葉を送る。
アルヴィが機関に入ってから合格するのに費やした期間はわずか五年。通常は二十年ほどかかることを鑑みると、とてつもない早さである。
「ありがとうございます。それで、僕の配属先は決まっているのですか?」
教官の賛辞をさらっと受け流し、アルヴィは尋ねた。
「ああ、ちょうど空きがでているところがあってな。前任者が指定した時間がちょうど明日に当たる。そこに行ってもらうつもりだ」
「その世界はどのような構成なのでしょうか? 人型以外の種族はいたりしますか?」
世界は星の数ほど、それこそほぼ無限大に存在する。故に、必ずしも普遍的な種族構成など存在しない。又聞きした話ではあるが、とある人型の魔王が人型の存在しない世界に飛ばされてしまい、一人だけ異形種のような目で見られ、配下の者たちの信頼を得ることができなかったとかなんとか。アルヴィもそのようなことを危惧しての発言であった。
「心配は無い、基本的に人型の魔族と人間しか存在しないようだ。後ほど詳しい資料のほうを届けさせよう」
「ありがとうございます。それではこれで失礼します」
礼を言い、足早にその場を去ろうとするアルヴィを教官が慌てて呼び止める。
「ちょっと待て、まだ伝えなければならないことがある。勇者派遣機構についてだ」
勇者派遣機構――世界の災厄を取り除くために、各地に勇者を派遣する機関である。その性質上、たびたび魔王養育機関とは対立し、魔王対勇者の構図が生まれることが多い。
歩みを止め、アルヴィは振り向き、教官に尋ねる。
「つまり、前任者は機構に派遣された勇者によって倒されたということでしょうか?」
「その可能性が高いだろう、彼は人間が束になっても敵う相手ではなかった。なにしろ、この道二百年の古参株だったからな」
元来、勇者は自然に生誕するもの。しかし、生誕した勇者は成長するのに時間がかかる。また、幼いうちに命を落とす可能性も少なくない。
そこで、代わりに、成熟した勇者を送り込むのが勇者派遣機構である。成熟した勇者は、魔王に負けず劣らずの力を有していて、養育機関が派遣した魔王が討ち取られる事案も増えてきている。
「まったく、五百年前まではこんな機構は存在しなかったのに……迷惑な話だな。
時間を取らせてしまって申し訳ない、話は以上だ。明日からがんばってくれ、君の活躍を期待しているよ」
アルヴィは物憂げな表情を浮かべた後、恭しく礼をすると、その場を後にした。
◆◆◆◆
総勢二百人ほどが空の玉座の前で跪いている。全員が頭まですっぽり覆うローブを身につけ、静かに時を待つ。王が討たれた日からちょうど十年、魔族たちはなんとか逃げ仰せ、人里離れた洞窟に身を隠していた。
父の遺言どおりならば、今日新たな指導者が現れるはずだ。しかし、待てど暮らせど一向に現れる気配がない。
「ふう」
ソフィアは小さくため息をつく。
もし、何も起こらなければどうしようか、一抹の不安がソフィアの頭をよぎる。
成長したソフィアはタナトスから指導者の任を譲り受け、父の遺言に従い今日まで皆を必死に率いてきた。指導者として、配下たちに弱みは見せるまいと、彼らの前では気高にふるまい続け、毎晩のように一人父を思っては涙を流した日々……
それでも今日まで耐えてこられたのは、唯一残された希望があったからだ。だが、もしその希望が絶望に変われば、なんとか保ってきた緊張の糸が切れてしまうだろう。
ソフィアは両手を組み、まだ見ぬ指導者に、強く祈りを捧げる。無責任かもしれないが、ソフィアにできることはこれしかない。ローブに隠れた瞳からは一筋の涙が流れていた。
「おお!」
周囲からどよめきの声があがった。ソフィアはおずおずと前を見る。なんと、玉座に光の束が降り注いでいた。
いったいどこから、ソフィアは天を仰ぐ。光はむき出しの無骨な石天井から降りてきていた。光は徐々にその強さを増していき、閃光を浴びたようにソフィアの視界をフラッシュアウトさせる。辺り一面に広がる光の世界。あまりの眩しさにソフィアは思わず目を瞑ってしまう。
しばらくすると、ようやく光は収束したのか、世界は徐々に色を取り戻していった。
ソフィアは霞んだ眼をぬぐい、あらためて玉座を凝視する。先ほどまで空だったその場所には誰かが座っていた。まるで夜をそのまま写し取ったかのように、全身を黒で統一した細身の少年。顔にはまだ幼さが残っている。歳はソフィアと同じくらいであろうか、ワイン色の瞳をきらきらと輝かしている。
ソフィアは声を出せないでいた。おそらく彼こそが父の予言した新たなる指導者なのであろう。しかし、彼はソフィアの予想以上に若く、悪く言えば頼りなさそうに見えた。眼光鋭く、貫禄のある魔王を想像していたソフィアは言いようもない不安に駆られる。
周りの者もソフィアと同じことを考えていたようで、『これが新たな魔王様だと!? 信じられん』などと、ひそひそと声を漏らし始めた。ざわつきは徐々に大きくなり、狭い部屋には戸惑いと落胆の声が充満していく。
少年は玉座の上からその様子をしばらくの間静かに眺めていた。そのいやに余裕のある態度からは、まるで自分には関係のないと決め込んだ傍観者のような雰囲気すら感じられる。
「僕は――」
彼がようやく第一声を上げる。若々しく、よく通る声が喧騒を破る
静まり返った王の間。一同は視線を少年に集中させる。
「僕はアルヴィ、僕が前任者から今日来ることは伝わっていると思うんだけど。この地で新しく魔王を務めさせていただきます。これからよろしくね」
眦にしわを寄せて微笑むアルヴィ。
期待はずれだ。
ソフィアを含め、配下二百人の思いは一致していた。死に物狂いで十年間耐え忍び、指導者を待った。それには、前魔王と同じくらい、いやそれ以上の存在を待ち望んでいた。それが、まさかこんな頼りない少年だとは。ソフィアは失意に陥り、表情を暗くする。
誰も言葉を発することなく、時間だけが過ぎて行く。
希望は絶望に変わった。もうどうでもいい、できることならば今ここで事切れてしまいたい。悲観的な考えがソフィアの心に満ちていく。
「この世界――いや全ての世界には二種類の存在がいる」
静寂の中、ふいに発せられたアルヴィの声が壁に反響し、神秘的な空間を作り上げる。なおも彼は続ける。
「それは勝者と敗者。金、権威、女、前者は全てを欲しいがままにし、栄華を極める。一方で後者は、勝者によって貪り食われた世界で、地べたを意地汚く這いずり回り泥水をすすり、絶望への道を歩む。君たちは無論後者だ」
あざけるように言い放った少年の言葉に、何人かの魔族たちは憤慨し、立ち上がる。もはや彼らの目にはアルヴィが魔王だとは映っていないようだ。どんどんと雲行きが怪しくなっていく中、ソフィアは諦めたように顔を伏せ、涙で地面を濡らした。
「お、おのれ! 我らを侮辱する――」
「――だが、僕は勝者の道を知っている!」
空気が変わった。アルヴィはその双眸の輝きをいっそう強くし、凛とした態度で立ち上がった。彼からは先代である父と同じ以上、いやそれ以上の威厳を感じる。 ソフィアが顔をあげるのと入れ替わるように、先ほどまで激昂していた魔族たちが、おずおずと元の体勢に戻っていく。
「君たちは敗者の味を知っている。十年間も舐め続けたその味に、反吐が出そうなその味に、別れを告げたくはないのか! 僕が君らに与える選択肢は二つ! 失望うんぬん抜かして、ここから出て行き、一生を敗者として過ごすか――」
アルヴィはニッコリと微笑む。
「――僕を信じ、ともに勝者の道を歩むか! さあ、選んで!」
時間が凍るかと思った。実際にはソフィアがそう感じていただけなのであろう。ソフィア以外が静止しているように見えるこの瞬間、ふいにアルヴィと目が合った。
「わたしは――」
気づけば立ち上がっていた。ソフィアに集まる視線に少々たじろぐものの、胸に込み上げる言葉は臆することなく飛び出した。
「わたしは魔王様を信じます! ともに、勝者の道を歩みとうございます!!」
「君は……?」
「前魔王の娘ソフィアです!」
「ソフィアか……」
アルヴィは玉座から進み出て、前列の中央に佇むソフィアの前まで歩いてきた。人懐こい笑顔を浮かべ、ソフィアの目を覗き込む。
「ソフィア、お父上が亡くなってから、よくぞ皆を引っ張ってくれたね。君がいたからこそ、皆も希望を失わずについて来れた。お父上に代わってお礼をさせていただく、本当にありがとう。」
「っ!?」
思いがけず、ソフィアに投げかけられた思いやりの言葉。それはソフィアが十年間被り続けてきた偽りの仮面をいとも簡単にもぎ取ってしまう。心の中で糸が切れる音がした。ソフィアのなかで押し殺していた感情が堰を切るようにあふれ出す。
無能と陰口を叩かれもした。
ついていけないと離れていく者もいた。
でも、ようやくむくわれた。
ソフィアは両の手に顔をうずめ、嗚咽を漏らした。
そんなソフィアを優しく抱き寄せ、アルヴィは皆に呼びかける。
「僕はここに、君たちを慰めに来たのではありません。この世界を統一し、再び僕らのための世界を築くためです」
アルヴィは一呼吸置き、全体を見まわす。先ほどまでの温厚な表情とは一転した、冷酷な表情がそこにあった。
「そういえば、まだ他のみんなの答を聞いていなかったね……もう一度聞こう、君たちは誰と道を歩むのか!!」
「お、俺は魔王様についていくぜ!」
「私もだ!!」
「僕も!!」
至る所から聞こえる賛同の声。そして、口裏をあわせたように、総勢二百人が言下に答える。
「「魔王様とともに!!!」」
もはや彼らの顔にアルヴィを疑う表情など全く無い。ただただ、熱い視線でアルヴィを見つめていた。
アルヴィもまた、力強い視線でそれに応える。一つ大きく頷くと、魔族たちに向かって宣言する。
「今ここに魔王軍の結成を宣言します。立ち上がりましょう! もう、ひそひそと隠れ通す必要はありません! 君たちは魔王の庇護のもとにある!」
握り締めた拳を突き上げる。アルヴィの凛とした声は、氷山のように冷え固まった彼らの心を瓦解し、ふつふつと燃え盛る炎のように再奮させた。
「やってやるぞ!」
「魔王様バンザイ!」
「見ていろよ、人間ども!」
奮起の言葉が雨あられと降り注ぎ、王の間は大歓声に包まれる。皆の期待をその一身で受け止めるアルヴィの姿は、堂々としていて、巨大な山のように頼もしく見える。
未だ鳴り止むことを知らない歓喜の嵐の中、ソフィアもまた歓喜せざるを得なかった。
そしてソフィアは思う。この少年――アルヴィならやってくれるに違いないと。
本日は2話まで投稿します。