第十一話 決戦前夜
「で……きた……ぜ……」
ユーレンは朦朧とする頭でもって、戦略地図を見据える。盤上には白黒両方の駒が並べられており、味方の駒の下には兵数及び戦闘中の動きまでもが細かく記載されていた。
三日三晩、ユーレンたちが一睡もせずに作り上げた作戦がそこにあった。これぞ、集の力。とてもじゃないが、ユーレン一人では思いつけなかっただろう。
作戦の立案において、諸侯たちに協力を仰いだことは正解だった。奇策として、陽動作戦を提案したところ、諸侯たちは前向きな姿勢で検討に当たってくれた。最早、正攻法では帝国には勝てない。彼らもそう考えての行動だったのだろう。
陽動部隊の移動ルートに関しては多くの意見が出された。各々が領地周辺の詳しい情報を持ち寄り、地図に載っていないような抜け道や近道を教えてくれた結果、行軍にかかる時間を大幅に短縮することに成功した。
「うんうん。これなら陽動部隊も迎撃に間に合うし、帝国軍を混乱させることもできる。まさに一石二鳥ね!」
「そうだな……ってかお前元気すぎやしないか?」
アミの顔から疲れた様子などは全く窺えなかった。いつもの美貌には一点の翳りも無い。
アランを見てみろよ、とユーレンは叫ぶ。彼は立ったまま器用に眠っていた。
「まあ、あたしは魔族だしね。全く疲れてないわけではないけど、まだ平気よ……ふあ」
そういいつつも、あくびを浮かべたところを見ると、さすがに、彼女も精神的に辛い部分はあるのだろうと予想する。当の彼女は顔を赤らめながら首を振り、否定していたが。
「ち、違う! 今のは……あの……その……ふ、ふん! なによ! け、結局あんたって逃げてばっかり、何も変わってないじゃない!」
「ああ、今回の作戦のことか。まあ、逃げることは俺の長所だしな」
苦し紛れの皮肉に対しユーレンは皮肉で答えた。アミは言い返すことが出来ず、悔しがっていた。
戦略地図の上には前回と変わった点がいくつかある。その中でも目立つのが、ユーレン率いる本隊、一万の駒だ。ユーレンは陽動部隊に一万五千の兵を割くことに決めた。間違いなく、帝国軍は好機とばかりに攻め込んで来るに違いない、アランの言葉を借りれば『敵前で本隊をがら空きにする行為などまさしく愚策。王のうつけっぷりには敵も大笑いするでしょう』だそうだ。ユーレンの悪い噂が、後押しをしてくれるわけだ。これには説得力があり、一同納得した。もちろんユーレンは、後でアランを一発ぶん殴ることを忘れなかった。
また、本隊の位置にも大きな変化がある。以前は王都の真下に配置されていた駒が、今はスレイン海峡に面接する、アベリア平原に置かれている。
『最初から逃げに徹すれば、下手に対峙するよりも被害が少なくてすむ』
発案者はやはりユーレンだった。一度アベリア平原にて、帝国軍と見える。ある程度剣を合わせた後は敗走を装い、カルブンクルスへ逃げ帰る振りをする。そのまま帝国軍を誘導し、アベリア平原のある地点にさしかかったところで――
『盆地に隠しておいた、陽動部隊で挟撃する。平原からは死角となっているため、帝国軍からは、敵の大軍が突如降って沸いたように見えるでしょう。歩兵隊と騎馬隊を分断し、敵の動揺を誘います。まさに地の利を生かした戦い方かと』
この三日間で幾度と無く開いた諸侯会議において、そのように有用な進言をしてくれたものがいた。彼の領地はカルブンクルスの南東部、つまりちょうど軍港とアベリア平原を結ぶ場所にあった。
彼が話したところによると、その地域は昔から水はけが悪く雨期になると毎回のように氾濫する巨大な川が存在した。そこで人々は大規模な治水工事を行い、何本もの分流を作ることでこれを調節することに成功した。現在の地図に描かれているのはその分流だと彼は語った。
その次に、彼は地図上に大きな線を南北に引いて見せた。これが本流。北は東部軍港付近から始まり、終わりはアベリア平原まで、今もその本流跡は残っていて、周りと比べ土地が低い。北から南にかけて一直線、さらに緩やかな傾斜が続くので、この本流跡に陽動部隊を隠して行軍すれば、作戦地点まで迅速に移動することが可能。計算上、帝国軍が作戦地点を通りかかるまでには移動を終えることができるとのこと。
そこまで統制が取れた動きが展開できるのかという不安はあるが、そこは彼らにかけるしかない。完璧な作戦などないのだから。
「苦肉の策だ! これ以上は思いつかん!」
そう結論づけて、ユーレンたちは夜を迎え、今に至る。
ボーン、ボーン、ボーン。
柱の時計が十一の文字を刻む。アミはちらりと数字を見やり、『うーん!』と大きく伸びをして、全身の骨を鳴らす。ゴキゴキゴキ、と女性には似つかないような音が室内に響く。
「時間ね、何か伝えることは?」
「全て終わった。明日の正午、王国は動くとだけ伝えてくれ」
「りょーかい」
アミの後姿を見送った後、ユーレンは執務椅子に深く腰掛け、身を委ねる。その顔には疲労感が色濃く滲み出てはいるものの、同時に満足したような至福の表情をも浮かべていた。
明日になれば、王国はついに戦争状態へと突入する。そうなれば、今以上に心労的な負担は大きくなるだろう。気負いすぎて、再び押しつぶされてしまいそうになるときが来るかもしれない。だが――
ユーレンは、口元に涎を垂らしながら、気を失っている補佐官を見つめる。彼のあどけない寝顔を見つめていると、自然に笑いが込み上げてくる。
「そのときは、またこいつらに頼ればいいよな……」
今夜だけは、少し気を抜かせてもらおう。
ユーレンは静かに目を閉じる。束の間の休息、やがて執務室からは寝息のみが聞こえるようになった。
◆◆◆◆
「ハリル将軍に報告いたします! オルデン王国がグロワール帝国に対し宣戦布告を行った模様。更に斥候からの報告。王国軍に動きあり、王都カルブンクルスから東部軍港に向けて、敵兵団が進軍を開始したとのこと。その数およそ一万五千! また、王国東部にある軍港より中型及び小型船団が出航準備に入っていると、内通者より報告あり! 以上であります」
「ご苦労、下がってよい」
「はっ!」
伝令は胸に手を当て、敬礼すると、足早に部屋から出て行った。
戦略拠点アルギュロス。帝国領最北端にあるこの基地は、巨大な港を有しており、主にアダマースと帝国との中継場所として使用されてきた。普段は閑散としているこの基地も、今は対王国用の前線基地として計三万の兵が駐屯している。
「がははは、聞いたかデジール? 王国軍のやつら本国をがら空きにして、アダマースに進軍するつもりらしいぞ!」
将軍ハリルは身をよじりながら笑い声を上げ、部屋の片隅で腕を組んで壁に寄り添っている男に話しかけた。
デジールと呼ばれた男はうざったそうにハリルを一瞥し、苦々しく言葉を吐き出す。
「聞こえている。馬鹿みたいにわめくな、耳が痛い」
「な、何!?」
デジールのあまりに無礼な態度に、ハリルは青筋を立てる。
もし、この男が部下ならばすぐさま叩き斬っているところであろう。悔しくもハリルがそうしないのは、この男が皇帝陛下から直々に、ハリルのもとに派遣されたという理由からである。
ハリルはなんとか怒りを沈め、呼吸を整える。
「ふん、まあいい。だがデジールよ、此度の戦、本当に協力してくれるのであろうな?」
「心配するな。報酬分はきっちり働いてやる」
「……そうか、ならばいいのだが……」
ハリルは再びデジールを見やる。短く刈り込んだ黒い髪に、吊り上った細い目。ぴっちりとした濃藍のレザージャケットから窺える体の線は、女のように細い。腰には、華奢なこの男には不釣合いなほどの豪壮な剣を差している。
はっきり言って、頼りない。本当にこの男が人類最強を謳われた人物かどうか甚だ疑問だ。ハリルは怪訝な表情を浮かべた。
そんなハリルの考えを読んだかのように、デジールがこちらを睨める。
「お前、俺が本当に勇者かどうか疑ってるな?」
突如デジールの体から身を切り刻むような殺気が放出される。全身から血の気が引いていく、例えるならば空腹の虎の前に手足を縛り付けられ放り出されたような感覚。もはや身じろぐことすらままならない。
「これでもまだ疑うか?」
「わ、分かった。分かったから止めてくれ!」
デジールは勝ち誇ったように鼻を鳴らすと、ハリルを視界からはずした。一気に体が軽くなり、冷や汗が止まる。ようやく恐怖から解放されたハリルは、その場で膝をついてしまった。
「はあ、はあ。し、しかし勇者は人間の戦いに干渉しないと聞いたことがあるのだが……」
「あれは、連邦のやつらが作った規約だ。傭兵である俺には全く関係ない」
「な、なるほど」
ようやく呼吸が落ち着いてきた。ハリルは立ち上がる。
「それを聞いて安心した。それでは、遠慮なく利用させていただこう」
王国軍は愚鈍にもアダマースを攻めるつもりらしい。ハリルたち帝国軍が睨みを利かせる中わざわざ王都の守りを薄くするとは……新たな国王噂にたがわない愚か者のようだ。
ハリルの考えはこうだ。まず、速やかに王国領へと上陸し、王都を目指す。王国軍の動きはおそらく、迎撃してくるか、篭城するかの二択であろうから、手早くこれに対処。流れで王都を陥落もしくは包囲した後、兵を分けアダマースに増援を送り、王国軍を叩き潰す。理想とする流れである。
だが、ここには一つだけ問題がある。それは、アダマースの防衛に関してだ。アダマースは難攻不落を謳われた堅牢な砦、それゆえに今まで誰も攻めようとする気配を見せなかった。狙われない拠点に多くの兵を置く必要は無い。そう、アダマースに常駐する兵は多くないのだ。
謀らずして愚王は帝国の隙を突いたわけだ。ハリルはこの点がどうしても気に食わない。別に、アダマースをいったん敵に明け渡しておき、王国本土を占領してからゆっくりと取り返してもいいのだが、一度でも王国に敗れることはハリルの自尊心が許さない。
だから利用するのだ、この男を。
「お主には、帝国軍本隊が到着するまで、アダマースの支援に回ってもらいたい。頼めるか?」
「問題ない」
「よし、多少なりとも兵を融通しよう。いくら必要だ?」
「いらん」
「なっ、何!?」
「俺一人で十分だ。お前は残りの兵を率いて王都を奪取しろ、そちらのほうが、効率がいい」
ハリルは深く考え込む。確かに王都を攻めるに兵数が多いことに越したことは無い。それにデジールは勇者だ。彼の強さは人間の尺度では測りきれない。なにせ千の軍勢でも全く歯が立たなかった魔王を討ち取った男である。だが――
「そうは言っても相手は一万五千の大軍だぞ!? アダマースの守備兵など千がやっとだ。いくらお主が勇者だとしても難しいものがあるのではないか?」
「心配には及ばん。アダマースへの攻略手段は船のみ。しかも、停泊できる港は驚くほど小さく、一万五千が一気に上陸できることなどできはしない。各個撃破ならば俺に適うものなどいない」
それに、魔法での攻撃で事前に数を減らしておくこともできるしな。デジールはいとも簡単に言い放った。
彼の言葉は妙に説得力があった。先ほど彼の力の片鱗に触れてしまった所為かもしれない、ハリルはデジールを信じることに抵抗は無かった。
「よし分かった。アダマースの防衛はお主に任せる。船は……必要ないな」
「ああ。飛行魔法で飛んでいくほうが早いからな」
「さすがだな。それではこれより王都侵攻及びアダマース防衛作戦を開始する。報酬に見合う働きを期待している」
「了解」
無愛想な表情で短く言い放つと、デジールは部屋から出て行った。
勇者か……
部屋に一人残されたハリルは、机の上に置かれた酒瓶を引っ掴むと、そのまま口元に持っていった。喉を焼くような熱さを楽しみながら、その透明な液体を嚥下する。一口、二口、三口、喉を鳴らす度に瓶の中身は減っていく。ハリルはようやく酒瓶を口から離すと、口元を乱暴に拭った。
「ふっふっふ。トライゾンの奴が捕まったときにはさすがに焦りもしたが……いやはや、勇者がこちらに就いてくれるのならば何も問題は無い。敵の王も噂通りの大馬鹿者、戦闘に関して何も分かっていない度素人のようだしな」
再び酒瓶を呷り、中身を全て飲み干す。ハリルは瓶を逆さにし、一滴も残っていないことを確認すると、悪態をつき、床に投げ捨てた。ガラスの割れる耳障りな音が鳴り響く。
次の酒を開けようと、部屋の中を見回すも、見つけられるのは空瓶のみ。どうやら今のが最後の一本だったようだ。
「チッ、飲み足らん」
物足りなさは残るものの、ないものは仕方がない。ハリルはおぼつかない足取りで備え付けのベッドまで歩いて行くと、勢いよく倒れこんだ。
乱暴にするなと言わんばかりに、ぎしぎしとベッドが抗議の声をあげる。
「祝杯は次に取っておくとするか。ひとまずは――」
ハリルは天上へと手を伸ばし、力強くその手を握りしめた。
「――王国をひねり潰す!」
そう呟いたのを最後に、ハリルは深い眠りに落ちていった。
ようやく第一章もクライマックスに・・・
次回 第十二話 始動! アダマース攻略作戦(前編)
明日の21:00 ごろに投稿予定です。