第十話 決意を胸に(後編)
十話後編です。
「入るよー」
「ダメだ」
ドカン
もののためしにと、入室を拒否してみたが、案の定無視された。まあ、この女に常識を求めるほうが間違っているのだろう。ユーレンは哀れみにも似た感情を覚える。
「今日はえらく早いじゃねえか、いつもは昼過ぎに来るのによ」
「今まではさほど重要な報告が無かったからよ。今回は違うわ」
アミは一瞬アランを見やり、難しい表情をしたが、『まあいいか』と呟き、言を紡いだ。
彼ももう慣れっこのようで、部屋の端で置物のように佇んでいる。
「今朝アルヴィ様から連絡が入ったわ。出撃命令よ、準備が出来次第、早急に帝国に宣戦布告をしてくれだって」
「ついに来たか! で、その後はどうすりゃいい?」
「帝国領アダマースに進軍する振りをする。あたしが承ったのはこれだけよ、後はユーレンに任せるって」
「は?」
全くアルヴィの意図が読めない。彼は一体何をさせたいのであろうか。
「ちょっとだけヒントをあげる。アルヴィ様はアダマースを攻めるおつもりよ」
「なるほど、それで分かった」
アルヴィたちは王国軍の傘を借りて、行動したいのであろう。そうすればアルヴィたち魔王軍の存在を隠すことができるからだ。
宣戦布告からの陽動、帝国側からすれば王国軍がアダマースに進軍しているように見えるだろう。もしアルヴィたちがアダマースを落とすことができれば、それは王国軍の仕業だと世間の目には映る。
「その後は任せるか……よくもまあ、そんなことが言えたものだな」
ユーレンの顔は笑っているものの、吐き出された言葉はひどく陰鬱なものだった。
おそらく陽動隊が動き出せば、帝国軍は兵力の薄くなったカルブンクルスに侵攻しようとするはずだ。ユーレンはそれを迎撃し、打ち破らねばならない。もし、ここで負けてしまうと、そのまま進軍してきた帝国軍に王都を取られ、オルデン王国が滅亡してしまうおそれがある。そうなれば、たとえアルヴィたちがアダマースを手に入れたとしても、すぐに大量の帝国軍がアダマースに派遣され、奪い返されてしまうだろう。いくらアルヴィが強くても、物量で勝る帝国軍を撃退するのは難しいと思われる。
つまり、ユーレンとアルヴィは一蓮托生の関係にあると言える。
「あいつ、俺たちが勝つことを前提に作戦を実行してやがるな」
ユーレンは苦笑する。
「『ユーレンならば問題ないだろう』だってさ、責任重大だね!」
アミが他人事のように言い捨てた。
「言ってくれるぜ……。なあ、アミ? アルヴィは陽動部隊の人員を指定してきたか?」
「んー、そこまでは聞いてないかな。さっきも言ったけど、アダマースに行軍する振りをするとしか聞いてないわ」
「……そうか。おい、アラン! 王国軍の兵力をもう一度確認させてくれ!」
先ほどまでの会話を聞いていたのにも関わらず、全く表情を変えることなく軍事帳簿を手渡してきたアラン。彼の神経の図太さには本当に感心する、王が誰かの指示を仰いでいると知っているにも関わらず、何食わぬ顔で補佐を務めているのだから。もしかすれば、オルデンの補佐であったときから何かしらの口封じをされ、慣れているのかもしれない。
「多く見積もって、二万五千か……」
表面上だけ見れば、一国の兵力を集中させて、二万五千という数は少ないと感じるかもしれない。しかし、つい十年前に世界を巻き込む大戦が起こったばかりなのだ。魔族には勝利したものの、人間側の被害も甚大であった。未だその傷は完全には癒えていない。そのことを考えれば二万五千の兵を集められたのは上出来であろう。
傷が癒えていないのは帝国も同じ。ただ、おそらく帝国軍の兵力は、同じ土俵に立っているとは言え、王国軍のそれをも上回るだろう。帝国は王国の二倍以上の国土があるが故だ。
さて、どうすっかな……
陽動部隊にどれほどの兵力を回すか、ユーレンは頭を悩ませる。本来ならば、最小限の人員に抑えたいところである。しかし、それは叶わない。仮にもあのアダマースを攻める素振りを見せるのだ。送り込む 兵が数千程度では怪しまれることは確実。かといって、大多数の兵を送ってしまえば、帝国の思う壺。上手く騙せたとしても、陽動部隊が身を翻す前に、本陣が破られてしまえば元も子もない。
ユーレンの思惑としては、兵力を半々に分け、上手く帝国軍を挟み込みたい。挟撃の形を取れれば、戦闘を有利に進めることができ、願わくば帝国軍を打ち破ることもできるかもしれないからだ。
ユーレンはアランに指示し、机上に戦略地図と駒を並べさせる。白が王国、黒が帝国だ。
『なんだか、おもちゃみたい』と、にべもなく言い放ったアミに感服したことも追記しておく。
「ひとまず盤面を整理しよう。まずは、一万三千の陽動部隊これを東部軍港――とまではいかないが、王国との四分の三ほどの距離で反転させる」
コトリ、と白駒を置く。
東部軍港は王国の有する軍港の中で、アダマースまでの距離が一番近い軍港である。場所的には、東部海岸から沿岸を南下し、ちょうどカルブンクルスの真東に当たるところに位置している。王都からは少し距離があり、馬の足で丸一日といったところだろうか。
「次だな、できるだけ帝国軍と接触するのは遅いほうがいい。なので、俺たち本隊はカルブンクルスの少し下だ」
「ちょっと待って! そんなに王都の近くで戦うつもりなの?」
それはないでしょ、と苦言を呈するアミ。彼女の言うことは正しい。
王都の近くで戦うとなると、万が一王国軍が突破されたときに、帝国軍は勢いそのままで王都に攻め入ることができる。これは明らかに愚策だ。しかし――
「陽動部隊が間に合わねえんだよ……」
アダマースへの陽動部隊には、東部軍港への行軍途中で反転してもらうつもりだ。先ほど設定した地点に差し掛かりしだい、順次来た道を戻ってもらう。ただ、帝国軍に陽動だと気づかせないようにするためにも、折り返し地点はある程度遠くに設置する必要がある。それゆえ、ユーレンたち本隊は陽動部隊が戻ってくる時間を稼ぐべく、帝国軍をギリギリまで引き付けたいところなのだが――
「ふうん。でもって、この配置だと陽動部隊が戻ってくる前に、本隊が破られてしまうわけね」
「…………」
アミは黒の駒を指で摘むと、本隊の白駒を倒してみせた、チェックメイト、と。
総数ですら帝国軍に劣る王国軍を、さらに分割する弊害がここに生じる。三万人以上が予想される帝国軍を、果たしてその半分以下の兵力で抑えきれることができるだろうか。不可能であろう。
帝国軍を抑える本隊の兵数を増やしたい、かといって陽動部隊の数を減らすこともできない。ユーレンたち王国軍は手詰まりの状態であった。どう動こうが、白に勝ち目はない。詰み――やはり、帝国に逆らうなど無謀であったのだ。
大人しく、親父の路線を継承して帝国の犬になっていればよかったかな……
今さらながら悔恨の念に襲われる。しかし、動き出した歯車はもう止めることはできない。いまや帝国との関係は最悪だ。たとえ王国が宣戦布告に踏み切らなかったとしても、帝国側が宣戦しないという保証は無い。やはり玉砕覚悟で、挑むしかないのだろうか。
すまんな、アルヴィ。期待に応えられそうにねえわ。
「アルヴィ様はさあ……」
すっかり意気消沈してしまったユーレンに、アミは蔑むような視線を送る。
投げかけられるは彼女の黒い瞳、それはまるで冬の夜空の様。ユーレンは底冷えするような感覚に襲われ、彼女の目を直視することができないでいる。
「あんたが負けるとは思っていないみたいよ」
「ああ、そうか。だったらやつの見込み違いだな、所詮俺はうつけ王子――いや、うつけ王。英雄にはなれないのさ」
「また、逃げるの?」
「っ!?」
アミの言葉が鋭く、ユーレンの心に突き刺さる。反論できずにいるユーレンに、アミがさらにたたみ掛ける。
「あんたが長らく王位に就こうとしなかった理由……逃げてたんでしょ? 現実から」
「…………」
違うと、反論してやりたかった。しかし、その思いとは裏腹に、口は堅く閉ざされ、言葉を発することができない。
「あんたは、王国の行く末は案じていたものの、その打開策を見つけられずにいた。手詰まりだと諦めて、目の前の現実を忘れようと淫欲に堕ちた。違う?」
それ以上の言葉は必要ない。もうやめてくれ。
「そう、今回も同じ……せっかく、アルヴィ様という希望の星を見つけたのに、もうその光を消してしまうの? あなたの手で、その星ごと!」
「やめろおおおおおおおおおお!!!」
悲鳴にも似た絶叫。一瞬にして室内が静まり返る。さすがのアランも少しうろたえ始め、顔色を窺うように、ユーレンとアミの間で視線を行き来させている。一方のアミはその美貌から一切の感情を消し去り、ただ静かにユーレンを見つめていた。まるで、ユーレンの発言を待っているかのように。
「分かってる……分かってるんだ! 俺が逃げてばかりいるってことは!」
心の内をぶちまける。今まで誰にも相談できなかったことを全部、心の容量が空になるまで全て!
「全部アミの言うとおりだ! でも、仕方ないだろう? どれだけ考えても! どれだけ悩んでも! 答えが出ないものは出ないんだ……全てを完璧にこなすには、俺という人間は小さすぎるんだよ!!!」
一気に捲し立てたせいか、少し酸欠気味になり、ぜえぜえと喘いでしまう。
アミはそんな、ユーレンを見て――微笑んでいた。
「当たり前よ、なんでも一人で完璧にこなせる存在なんていやしないわ。一人一人長所や短所がある、それが普通。でもね――」
アミは親指で自らを指し示す。
「あなたにはあたし達がいる。一人一人が短所を補い、支え合えば、出来ないことなんて何もないわ。あなたは何でもかんでも一人で背負い込みすぎなのよ。だから……あなたが背負い込む心の荷物、持ちきれない分はあたしが持ってあげる……ちょっとだけだからね?」
長いまつげをパチリと合わせる、引き込まれそうなほどのその魅力。彼女のウインクには魔法か何かが、かかっているのかもしれない。ユーレンはそんな錯覚に陥る。
「ぼ、僕も! 陛下の荷物を背負わせていただきとうございます!」
アランまでもが、普段の彼には似合わず、頬を紅潮させながら大声をあげ、ユーレンを支えたいと申し出てくれた。
嬉しい、支えられることが。
今まで、ユーレンに手を差し出してくれるものはほとんどいなかった。愚者のレッテルを貼られ、兵士はおろか実の父までにも見放された。唯一支えと呼べるものはバトラーぐらいしかいなかった。だが今は違う、バトラーに加え、アミ、アラン、そして――
「そうか……俺は心の中では、まだあいつの手を取っていなかったんだな」
あの夜、ユーレンが暗殺されかけた夜、希望を見つけた夜、ユーレンに手を差し出した人物。そのときから既に支えられていたことに、今まで気づけないでいた。
アミは言った。彼はユーレンを信じていると、ならば自分がやらなければならないことは決まっている。
「俺はもう逃げない! 俺もまた、支えなければならないからな……お前たち、そしてアルヴィを!!」
逃げるという選択肢は捨てた。今はただ、打開策を見つけるだけだ。
そうだ、諸侯たちにも意見を聞いてみることにしよう。どの道、普通にぶつかっても勝てない戦だ。奇策という形で陽動作戦を提案すれば、アルヴィたちのことを隠しつつ、意見を聞くことができるだろう。
「アミ、返答の期限はいつまでだ?」
「三日後の夜までよ! できれば、なるべく早いほうがいいって!」
「三日後か……よし、今から寝ずに考えてやる! アラン! 早速諸侯会議の準備だ」
「はっ!!」
先ほどまでの沈鬱とした空気が一転、室内では慌しい雰囲気に包まれる。アランも、アミも、そしてユーレンも、彼らの顔には活き活きとした表情が浮かんでいた。
更新が遅れてしまい申し訳ありませんでした><
次からは遅れないようにします。
さて、次回は第十一話。
決戦前夜(前編)
明日の22:00ごろに投稿の予定です。